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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-25.凶宴(うたげ)の先に在るもの
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25-(0) 哀色の空

 空が、澱んだ紫色を帯びながら低く鳴いている。

 明らかに普通の気象ではなかった。しかもこの異変は、遠くの皇都──その中枢である王

宮上空を中心として拡がっているらしい。

 アズサ皇と共同軍が対峙する前後、七星傘下の傭兵達が中心となり、皇都トナンとその周

辺住人達の避難はほぼ完了しつつあった。

 ある者らは自ら逃れた、レギオン勢が落とした各守備隊の砦に身を寄せて。

 またある者らは点在と、皇都近郊の丘の上から。

 人々は皆一様に強い不安の下で、固唾を呑みながらこの異様な曇天を見上げている。

「ご覧になられるでしょうか? 空が……空が禍々しく澱んでいます!」

「は、はい。周辺の人々の避難はご覧の通りほぼ完了しています。ですがアトス・レスズ共

同軍からの厳命によって我々もまた、これ以上の進入は不可能で──」

皇国トナンは、今まさに大きな分岐点に立っています。以上、現場から中継でした」

 それは、この場においても世界中に映像を届け続けているマスコミ各社も同様だった。

 ある若手の女性レポーターは目の前の光景に畏れ、震えながらも、何とか自身の職責を全

うすべくマイクを片手に中継を続ける。

 また別の、怜悧冷静な派遣局員の男性は、極力内面の動揺や私情をひた隠しにしようとす

るかのように淡々と、生の報告を導話回線の向こうへ返している。

『……』

 そんな中、彼らは避難してきた人々の中に──しかし心持ちぽつねんと距離を置いたよう

に半端に交じって立ち尽くし、或いはぐったりと座り込んでいた。

 粗末な最低限の着の身着のまま、中には申し訳程度の家財を小脇に抱えて。

 そう。彼らはスラム街でジークが出会った住民達だった。

 両軍の戦闘が始まりジークが出て行ってしまった後、やはり誰からともなく都と命運を共

に──消極的な閉じこもりを続けようとしていた彼らだったが、暫くして突如飛来してきた

竜族ドラグネスの一団によって避難するよう粘り強い説得を受け、ようやくその重い腰を上げていたのだ。

『俺達は、ジーク殿下より直々の依頼を受けてやって来たんだ。あんたらは何よりも死なせ

ちゃいけない人間だ──そう言われてな』

『頼む。急いで避難してくれないか? 私達のこの翼で君達を運び出そう。さあ、早く』

 彼ら飛竜部隊がかの七星“青龍公”傘下であることにも驚いたが、それ以上にあの手負い

の青年がシノ皇女の息子だと知った時には皆激しく驚き、動揺したものだった。

 そこまで言ってくれるのなら……。

 皇子直々の頼み(おそらく当人はそういう立場を利用して頼んだとは、自分達には思えな

かったものの)となれば断れまい。そうして、スラム街の面々は今此処にいる。

「……あんちゃん、大丈夫かなぁ?」

「兄ちゃんじゃなくて殿下だろ。ジーク殿下」

「水臭いよなぁ。ちゃんと言ってくれれば、俺達だって……」

「何言ってんだよ……。仮について行ってた所で足手まといじゃねぇか」

「だよなぁ……。よ、様子を見てくるって言われてたけど、今じゃ王宮の方もあんな気味悪

いことになってるし……」

 避難してきた人々がそれぞれに身を寄せ合って、同じ紫の曇天に不安の眼を注いでいる。

 だがそんな状況でも、スラムの住人達はそうした「一般人」とすら壁を感じ、壁を作って

しまい、大勢の集まる場所からは距離を置いて同じような不安と嘆きを重ね合っていた。

 面々の脳裏に過ぎるのは、あの時己の傷を押してでも皆の身を案じていた皇子ジークの真剣な姿。

 あの後、彼は──いや、あの方はどうなったのだろう?

 共同軍にはシノ皇女、彼の母も同行しているようだから、遅かれ早かれ合流を果たしたと

は思うのだが……。

『……』

 粗末な衣服の裾を握り締め、彼らは何とも言えない悔恨を抱えた。

 この国自体、もう自分達には関係ないとばかり思っていた。

 なのに……この胸の奥のもやもやは何なのだろう? どうせ自分達とは身分が違う。そう

判明したあの青年を──たとえ一時の保護と共同生活があったにせよ──どうして今になっ

て心配し、何もできない・何もしない自分達を申し訳なく思っているのだろう?

 もしかして。もしかして自分達の中にも、まだ──。

「何をウジウジ縮こまってるんだい? 男だろうが。情けない」

 そんな時だった。

 杖を突いた気の強い老婆が、ふと横向かいから歩いてくるとそう静かに眉を顰めていた。

 一時深手を負ったジークの治療もした、彼らのリーダー格たる老医師である。

「お、御婆……」

「あれ? 一体何処に行ってたんです?」

 そんな彼女に随伴していたのは、スラムの女性達が何人か。

 加えて老婆自身、避難の際に持ち出していた医術道具入りの鞄を手にぶら下げている。

「一応あたしも医者の端くれだからねぇ。怪我人の面倒を頼まれていたのさ。そんな所で不

貞腐れてる暇があるんなら、ちったあ手伝いに来たらどうだい? 男手があるに越したこと

はないしねぇ。女子おなご連中に丸投げしてもいいってなら……話は別だけどね」

 言われて、このスラム街の男達は互いに顔を見合わせた。

 そしてぽつりぽつりと、彼らは誰からともなく立ち上がってゆく。

 そうだ。別に一緒に戦ってくれとは言われていない。

 ただ皇子かれに願われたことは、“生きてくれ”というメッセージだったと思う。

 そんな面々の内心を見透かしたのか、或いは別な推論があったのか、老婆はフッと言葉な

く口角を吊り上げていた。

 杖と共に踵を返して「さて……。行こうか」と一言を残し、再びこの戦の混乱の中で負傷

した人々の救護活動を再開しようとする。男達も、わたわたと遅れがちにその後を追った。

「……」

 歩いてゆく中でも、避難してきた人々は一様に曇天に不安の眼を注いでいる。

 そこには既に敵味方もなくなっていた。

 皇国兵も共同軍も、レジスタンスもレギオンも。

 沸いてきた傀儡兵らを撃退し、避難の人々の中に交じり入ったまま、彼らもまたあの皇都

で起こっている筈の狂気たたかいを想う。

 今目の前にある不安。或いはこの戦いが終わった後の自らの生計や祖国の政治への不安。

 今この場には間違いなく、そうした人々の嘆きが満ちている。

「一体、この国はどうなっちまうんだ……」

 そして、そんな皆々の思いを代弁するかのように。

 老婆らが一瞥を寄越して通り過ぎる中、そう誰からともなく、深く哀しい嘆声が漏れた。

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