24-(2) 灰色の中の死闘
淡い灰色の、モノクロな色彩の虚空を、何度目かの紅い奔流が駆け抜けていった。
次の瞬間、響き渡ったのは轟音と広き爆発。紙切れよろしく吹き飛んでいくのは“結社”
の傀儡兵や魔獣達。
爆風と土煙が濛々と舞っている。
それらの空間を挟んで対峙するのはフェイアン、バトナス、エクリレーヌの使徒三人。
「……ふん」
そしてもう一方は、文様を編みこんだ手袋やローブを纏うセドだった。
灰色の中に倒れ伏し、毀れた傀儡兵や魔獣の亡骸が転がっている。
点々と、不規則に地面に生える大小まばらな柱の無骨さも手伝って、その光景は当人らが
至って真剣死闘の中にあるにも拘わらず、どうにも無機質めいた違和感を拭えない。
「ほう……。思ったより粘りやがるな」
それがこの空間結界──使徒・リュウゼンのものぐさな気質に影響されているかまでは定
かではない。
だが同じ“結社”の手の者として慣れっこなのか、バトナスはやがて腕組みをして眺めて
いた表情をにたりと、しかし変わらぬ不敵な笑みで歪めた。
「紅い電撃の魔導、“凪剣”の盟友を名乗る者……。そうか、君があの“灼雷の魔導師”。
彼の者の片腕──」
「ほう? その呼び名を知ってるのか。冒険者稼業からは随分と前に足を洗ったんだが……」
隣で爆風の余波に靡くままにされながら、フェイアンが思い出したように呟いている。
その言葉に、セドはまた同じく不敵に一笑を。
ローブと手袋、全身に巡らせたルーンにマナを走らせ、再びその紅い雷光を呼び起こす。
「俺もまだ、捨てたもんじゃねぇな!」
叫びと共に“灼雷”が飛んだ。
それとほぼ同時にフェイアンが放っていたのは、多数の冷気の蛇。
紅い熱気と蒼い冷気。見事に相反する二人の力は彼らを両端にぶつかり合い、また大きな
相殺の爆音を奏でて霧散してゆく。
「──っらぁッ!!」
すると今度は、その土煙の中から飛び出すように、魔獣化させた右腕を振りかざしたバト
ナスが中空から飛び掛ってきた。
その長身にも匹敵する魔の豪腕。だがセドはパチンと指を鳴らしながらローブの袖を振る
と、灼雷の奔流を一点に交差させる。
数秒の判断で相手の繰り出す攻撃、そのインパクト空間に魔導を運ぶ緻密なる防御術。
バチバチッ! と甲高い轟音が真っ直ぐな拳撃とぶつかり合い、ややあってバトナスを弾
き返す。それと同時に、セド自身もまた流れるエネルギーの反動を利用して大きく後ろへと
後退、隙無く魔導師にとって都合の良い間合いの維持を続ける。
「セド君、あまり出過ぎるな。前は私が」
そして彼と入れ替わるように地面を蹴っていたのは、サウルだった。
胸元から丸い銀色のペンダント──魔導具を取り出すと、
「銀律錬装」
厳粛に響く声でその真名を唱える。
するとペンダントは、膨大な量の魔力ある水銀となって彼の周囲を覆い始めた。
ぐにゃぐにゃと波打ち、少なからず驚いた傀儡兵や魔獣達の怪訝の視線を一心に受ける。
『…………』
ややあって、それらによって形作られたのは“騎士”だった。
魔力の銀によって形成された分厚い重鎧に大盾。そして額に角の装飾を被せられた軍馬。
更に彼が握る手には分厚い鎖のウインチを伴った馬上槍という完全武装。現れた彼を襲おう
としていた雑兵らが思わず、数歩後退っている。
「──はぁッ!!」
それと同時に、甲冑姿となったサウルは大きく手綱を引いた。銀の軍馬がその合図に嘶き
ぐわっと両前脚を高く掲げる。
駆け出した勢いに、雑兵らは次々に蹴り飛ばされていった。
ぶんっと半円を描くようにサウルが馬上槍を引き寄せ、先ずは魔獣達を操っている当人で
あるエクリレーヌへと狙いを定める。
突撃の数拍前。直接的な戦闘能力には乏しい彼女をフェイアンが冷気の蛇らで遮ろうとす
るよりも早く、サウルの眼前に飛び出したのはバトナスだった。
ギチッと魔獣化を肩から頬近くまで解放し、次の瞬間、唸り響く大槍の射出と真正面から
向かい合う。
「ぬぐ、ぉおッ……!?」
血生臭いさの混じる鈍い激突音がした。容赦ない刺突。魔獣の膂力を持つバトナスも、流
石にこの射出力には少なからず顔を歪めて声を漏らしている。
ウインチが無慈悲に鎖と共に馬上槍を押し込んでいた。
金属音な火花を散らしながら、バトナスが犬歯を剥き出しにする。サウルもフルフェイス
の兜の中から強い眼を光らせている。
「止まったら──的だぜッ!」
更に着地していたセドが、後方から灼雷を。
サウルの周囲を綺麗に縫うように、紅い奔流が駆け抜けて傀儡兵や魔獣もろともバトナス
らを巻き込んで盛大に爆発を起こしてくる。
「……。やれやれ、こっちも一筋縄ではいかない相手……かな?」
「はんっ、上等だぜ! エク、お前は向こうに集中してろ」
「え? いいの? このおじさん達強そうだけど……」
「僕らが負けると思うかい? 大丈夫。それにこのままだと人形達も魔獣達もいっぱい動か
なくなると思うけど」
「……わ、分かったよぅ」
それでも使徒ら三人は折り重なった盾のような分厚い氷──間違いなくフェイアンの施術
だろう──に護られて無事だった。
周りでぐったりと戦闘不能になっている手勢たち。そしてそれらを一瞥しながら、フェイ
アンとバトナスに促されたエクリレーヌは幼げな心配顔ながら頷くと、魔法陣を伴って一人
先んじてサウルとセドの後方──共同軍本隊へと転移してゆく。
「チッ。一人向こうに……」
「仕方あるまい。せめてこの者らだけでも仕留めるぞ」
彼女への追撃を防ぐように、フェイアンの冷気とバトナスが投擲する魔獣の骨牙。
それを大きく拡がり直した銀の盾で防ぎながら、サウルは肩越しに舌打ちするセドと共に
改めてこの強大なる二人に向き合う。
「仕留める、ねえ……?」
「君達じゃあ勝てないと思うけど?」
炎熱の雷、冷気の蛇。ストレートな破壊力と柔軟性に富む魔導装。
「……やってみなければ分からんさ」
「逃がすと思ってんのかよ? ……灼き尽くしてやるよ、てめぇらの罪ごとな」
ある意味。いや実際対極的な力の持ち主同士らが土煙の中、対峙する。
「──セドさん凄い……。既存の術式でも古式詠唱でもないし、あれってまさかオリジナル
の術式……? 嗚呼、それにサウルさんもあんなに易々と広範操作を……」
そんな父の盟友らの奮戦ぶりを、アルスは本隊の中に混じりつつ、思わず感嘆の声を漏ら
し目を見張っていた。
「余所見をしている余裕はないぞ。魔獣使いの方がこっちに向かってきている」
だがそうしたアルスの様子を、傍を駆けるサフレが窘めるように言った。わらわらと押し
寄せてくる傀儡兵、更にその前哨的に陣取ってくる魔獣へと彼は次々に槍を突き立てる。
「あ、はい……。でも、サフレさ」
「アルス! 後ろ!」
あまりに冷淡な横顔だと、アルスには思えた。
思わず口にしようとした言葉が、傍らの相棒の叫びによって遮られる。反射的に振り返り、
障壁を張って飛び掛ってきた傀儡兵の刺突を防御。それとほぼ同時にエトナが灰色の大地に
力を込めると、粗い岩槍が出現して反撃の射となる。
(サフレさん……)
ふるふるっと、窘めれたように意識を防衛に戻しながらも、アルスは内心胸が痛んだ。
彼も気付いていない訳などない筈なのに。あそこで実の父親がいる、戦っているのに。
それになのに……あの反応は寂しいじゃないか。
父子の溝があるらしいということは、フォンテイムに滞在していた折、サウル公当人から
自嘲交じりに聞かされた話だった。
確かに今はそれ所じゃないのかもしれないけれど、その溝は“誤解”なんだから……。
アルスはその間にも四方八方から襲ってくる雑兵らへエトナと共に魔導を以って迎撃しな
がら、密かにそんなほだされたものが蘇ってくるような、自分の中の感情を想う。
「ぬぅ……。わんさかと……」
「陣形を崩すな! シノ様を何としても護るんだ!」
「んなことは分かってる! もっとだ。後衛組、もっと障壁を重ねてくれっ!」
一方でそんな想いは戦いの中で霞むかのようだった。
リュウゼンの手によってこの空間結界内に閉じ込められてすぐ、共同軍本隊一同は先ず何
よりもアズサ皇との直接対話を望み同行していたシノの守護に心血を注いだ。
魔導を扱える者らによって分厚く重ねられた障壁の中に彼女を、そしてリンファを始めと
した警護の中心メンバーで更に“結社”からの攻撃に対処する。
ざっと三重の構造。円を重ねた防衛重視の陣形。
先に使徒らへ突っ込んで一番の「厄介」を引き離そうするセドとサウルは心配だったが、
実際にあの交戦を見遣る限り、下手に加勢すればあっという間に足を引っ張るだろう。
兵士達やレジスタンス、そしてブルートバートの面々は、エクリレーヌが陣頭指揮にやっ
て来て一層勢いを増して襲ってくる魔獣の群れ(と傀儡兵ら)に必死な迎撃を続けていた。
「ったく、相変わらずの団体さんだなオイ……。先生さん、せめてこん中をぶち破れません
かね?」
戦斧で魔獣も傀儡兵もまとめて叩き割って、ダンがこの状況に舌打ちしつつ叫んでいた。
「難しいですね。そもそも結界という術式形態が──」
しかし、問うたリュカから返ってくる答えは決して芳しいものではなく。
風の矢が雑兵らを薙いでゆく中、彼女はちらと不安そうに皆を見渡すしかないシノの姿を
見遣りながら口にする。
「……なさねば、何とやら」
すると、徒手拳闘で同じく奮戦していたミアが傀儡兵を殴り飛ばした直後、はたと中空を
見上げながらぐっと拳を腰に寄せて構えを取った。
コォッと瞬発的な力を溜め込み、続けざまに突き出した拳から牙剥く猫のオーラが飛んで
ゆく。彼女の十八番・三猫必殺だ。
しかし本来なら討たんとするものを呑み込み爆散する筈のそのマナの塊は、そのまま中空
を飛んでいったまま捉えるものがなく、やがて遠くに往ってしまいながら消えてしまう。
「ぬ……?」
「あぅ。む、無茶だよお、ミアちゃん。此処に“端っこ”はないんだよ」
ふとそんな友の“ものは試し”に、養父やステラ、魔導師らと共に障壁張りに加わって
いたレナは苦笑をみせると言った。
「結界系の術式っていうのは凄くデリケートなの。空間結界はその最たるものだから……」
「それに、外と中では空間的な同期が分断されているしね」
「仮に私達が力ずくで此処を破れたとしても、ジークと“剣聖”に合流する前に大量の人肉
ミンチの出来上がりって結果になると思うわよ?」
その言葉を、冷気の剣を振るうイセルナや陣二層目から次々と敵を射倒しているシフォン
が引き受けて続ける。
「……そいつあ、流石に御免被りたいな」
思わず顔を顰めつつ再度戦斧一閃。
ようやくダンもミアも、この場の脱出が素人判断以上に実は困難なものであることを認識
せざるを得なかった。
(兄さん……。リオ叔父さん……)
それは魔導に詳しいアルスらもまた同じだった。
外にはかの“剣聖”もいる。そう簡単に兄共々やられはしないと信じたかったが、このま
までは間違いなく消耗戦だ。何よりもこの状況は“結社”の術中そのもの。
早く此処を抜け出しアズサ皇を確保しなければ……その焦りは同じく抱いている。
──セドとサウルが押し返されて来たのは、ちょうどそんな最中のことだった。
セドが張っていた障壁をぶち破り、それでも飽き足らぬように武装のサウルも一緒くたに
して殴り飛ばすバトナスの(一層解放を進めたらしい)魔獣化した両腕。
前衛の仲間達が一部、慌てて二人に駆け寄っていた。
対する傀儡兵や魔獣達も、押し切れぬ全方位より自分達の大将らの攻勢に乗っかろうとし
たのかはたと後退し、全方向包囲から使徒ら三人を中心とした左右翼に開いた陣形を取る。
「中々粘ったけれど……こんなものだね」
「手こずらせやがって。今度こそ纏めて潰してやらぁ」
エクリレーヌもひょいと転移してきて傍らに来たのを、バトナスが己の魔獣化を少々進め
過ぎて目が血走っているのを肩越しに見遣り、フェイアンはふっと気障に笑った。
仲間達に支えられ、悔しそうに顔を顰めるセドとサウル。二人を取り巻く共同軍の面々。
するとそんな彼らを眺めていたフェイアンは、はたと思いついたかのように、にやりと意
地の悪い弧を口元に描くと、ついと中空を見上げて声を張る。
「リュウゼン、いいことを思いついたよ。中と外の様子、お互いにディスプレイできないかな?」
『んあ? 別にできなかねぇが……。全く、姉弟揃って性格悪ぃな。ホント……』
空中から返ってきたリュウゼンの声は相変わらず気だるげで尚且つ投げ槍な嫌味も交じっ
ていたが、当のフェイアンは気にする素振りもない。
そして彼がマントを翻してこちらを見遣り直したその瞬間、両者の間、その中空に浮かぶ
ようにして、結界外の景色──毀れ尽くされる王の間で、火の魔導に苦戦するジークとリオ
の姿が映し出される。
「兄さん……!」
アルスが、仲間達が思わず動揺に声を漏らして重ねていた。
更にどうやらこの映像は双方向らしい。映像の向こうで、ハッとジークがこちらに気付い
て視線を上げ、眉根を寄せたのがしかと見えた。だがそれも束の間、再び襲ってきた火の使
い魔らに揉まれ、リオに庇われ、二人の姿はすぐにこちらからでは追えなくなってしまう。
「うん、いい揺さぶりだ。流石だね」
『褒めたってなんも出ねーぞ。さっさとそっちを片付けやがれ』
リュウゼンの憎まれ口にフェイアンはにたっと笑っていた。
嗜虐。やはりかとアルス達は確信めいた感覚を抱く。ただそれだけの為に手間を一つ取ら
せる──その彼の余裕ぶりにもまた、焦りが憤りに変わってゆく心地だった。
(やっぱり、許すなんてできない……)
アルスは静かに密かに、ぎゅっと拳を握り締めていた。
セドやサウル、共同軍やレジスタンスの面々、クランの仲間達。そして何よりも母がこう
も苦しめられている。
何としてでも、自分達は路を拓かねばならない。
それにあの映像が双方向性なら、先程よりは結界内外の同期の乖離は緩んでいる筈──。
「……皆さん。奴らをもう少し、真ん中に押し込めてやることはできませんか?」
意を決したように、アルスは言った。
少なからぬ驚きや怪訝。真っ直ぐに敵を見据えたままのこの小柄な魔導の子を、面々はそ
れぞれの眼で以って見遣ってくる。
「アルス……? 貴方、何を」
「……。僕が学院でしてきたことは、何も知識を詰め込むだけじゃないよ」
母が目を瞬かせて問うた。
そこでようやくちらと肩越しにアルスは視線を返し、そう小さく呟いて返答とする。
「そっか……。オッケー、じゃあ見せつけてやろうじゃない。私達の成果を!」
逸早く彼の意図に気付いたのは、他ならぬ相棒だった。
悟った顔をにっと不敵な笑みに変え、淡い緑の輝きと共にぐんと中空に舞う。
セドやサウル、イセルナ達。皆がそんな二人を横目に──そしてやがて静かに首肯してみ
せるシノを見遣った。
「了解だ。このまま折れるわけにゃあ、いかねぇしよ」
「うむ。総員、アルス君の指示の通りに。敵両翼を抉るんだ!」
サウルの指揮で「おぉっ!」と兵らが奮起した。
肝心のシノ、そしてアルスらの守護は欠かさずに、しかし今度は左右に分かれて攻勢の陣
形を。対する傀儡兵や魔獣達もそれを迎え撃とうとし再び激突が始まってゆく。
「攻撃力のあるメンバーは僕の合図で一斉にあの三人を狙って下さい。……その為に、僕ら
が力添えをします!」
セドやダン達が頷き、中衛に陣取って身構えた。
その横で、アルスはスッと大きく深呼吸をして心持ち纏ったローブをはためかせる。
(教わってきた通りに。練習してきた通りに……)
持ち上げた両手を前へとかざし、全身からマナを巡らせ取り入れ身を光に包む。
頭上のエトナも真剣な表情で緑の輝きを濃くし、同じく全身に力を込めている。
「──領域選定」
次の瞬間、大きな魔法陣が二人の足元に展開された。
その輝きは白光から金色、そして橙へ。異変に気付いたフェイアンらも何事だと布陣の中
で眉を顰め始めている。
「盟約の下、我に示せ──群成す意糸」
続いて紡いだ詠唱で、アルスの両手五指からしゅるしゅると無数のマナの糸が縦横無尽に
延びてくる。
一度瞑って開いた、緊張を隠し切れないがそれでも真剣そのものな瞳。
するとどうだろう。それまでてんでバラバラに揺らめいていたマナの糸は、彼の意思に従
うかのように整然と自ら等を編み上げ始め……多数の巨大な手術刃や鉗子へと姿形を変えた
のである。
目を見開く使徒達。同時に彼らを覆うようにエトナが遠隔敷設した半球状の障壁。
そしてアルスは、
「準備、完了。施術……開始!」
その凝らした瞳に無数の魔流を確認して、叫ぶ。
繰る指先は、彼のあの日以来の特訓の成果だった。
かつては一束がやっとだったストリーム。
だが今の彼は、使徒達へと向かっているそれらを明らかに手早くマナの鉗子とメスで次々
に掴んでは切断してゆく。
「あれは、中和結界の……? にしたってあの捌きようは……」
「魔導隊! すぐに二人をサポートしてくれ! もっと障壁を重ねるんだ!」
密閉させた空間。流れ込む管を断つ手術。
始まり、着々と目の前で進行してゆくその様にセドがぽつりと気付きと感心を漏らし、傍
らで深く頷いたサウルが背後の同志らにそう指示を送る。
故にこの一手はアルスだけではなく、一同総出の反撃となっていた。
リュカは勿論、レナもステラ、ハロルドも魔導を扱える者は──更にシノも加わりエトナ
が先に敷いた障壁に力添えをして分厚く強化し、一方でより勢い付いて前衛の面々も左右翼
の“結社”達との押し合い圧し合いに気合を込める。
「チィッ、うざってぇんだよ! こんなもん……っ!」
その様子にバトナスは露骨に苛立ち、魔獣化した拳を放った。
瞬間、アルスやエトナ、障壁を維持する魔導使いの面々が己の感覚にその苛烈な衝撃を伝
えられて表情を歪める。
だが肝心の障壁は多少揺れたものの、ヒビも入らずに耐えていた。
半透明の硬質ガラスのよう。パワーを自負するバトナスが、思わず驚きで目を見開く。
「……これは、小癪な手を打ってきたね」
その隣でフェイアンがそっと眉根を寄せていた。
視線を落とした片掌。視界の中に映る自身の冷気の蛇達。フェイアンの目には、それらか
ら力がまるで気化するように抜けてゆくのが見えていた。
「グ、アァ……?」「ガフッ……!?」
「えっ? 何? どうなっているの? み、皆どうしちゃったの? ……あ、あれ? 何だ
かぼ~っとして──」
変化が逸早かったのは、中和結界の魔獣達だった。
そう、謂わば酸欠の状態なのである。
結界内へと繋がるストリームをアルスが次々に切断してゆく結果、内部のマナ濃度が次第
に薄くなっていたのだ。
元より魔獣や魔人・魔獣人という存在は、その身体の内に少なからぬ瘴気を抱え込んでいる。
外部からのマナ──瘴気ではないマナが減り、内なる力ばかりが在ることは彼らの心身
のコンディションを損わせる。
「アルス!」
「うんっ。注入、開始!」
更にアルス達はオペを次の段階に移す。
すっかりと切断したストリームの一方で、敢えて二・三束を鉗子の握りと共に彼らを閉じ
込める結界へ。互いの切り口を、指先の感覚を頼りにマナの糸でしっかりと縫合し、叫ぶと
今度はそのストリームから一気に周囲のマナ──汚染のないエネルギーを流し込んでゆく。
これが、アルスが訓練を重ねてきた“中和結界”の真髄だった。
敵を局所的な結界の中に閉じ込め、内部の濃度を「綺麗なマナ」で満たす。
そうすれば、瘴気を一番の拠り所としている彼らの力は大きく削がれるからだ。
「くそッ! このっ、この俺がこんなガキに……ッ!!」
実際に繰り返されるバトナスの拳撃は、障壁を壊すまでのパワーを失い始めていた。
彼にもようやく、自分達の力が奪われてゆくこの術の意味が分かっていた。それでも焦り
を雑じらす怒声と共に何度も何度も拳が叩きつけられている。
フェイアンが、薄れてゆく冷気の蛇らを横目に瞳を細めていた。
エクリレーヌが、痙攣して泡を吹いては倒れる魔獣達に泣きついている。
「──皆さん、今です!!」
削いだ。それを視認して、アルスはマナが織り上げる施術道具を翻して叫んだ。
左右背後で皆の「応ッ」の合唱が聞こえる。
イセルナが、ブルートの力をギリギリまで練り上げて蒼い剣光を持ち上げる。
ダンとミアが、父娘揃って横並び、三猫必殺の構えを取る。
シフォンがマナの矢を一気に増幅させて番え、ハロルドが聖魔導を詠唱し、リンファが身
体を捻るようにして長太刀を引き寄せている。セドが“灼雷”を巨大な球体状に凝縮させ、
サウルが銀の武装の殆どを変換し直し、両手持ちのウインチ付き極大槍と化させ、構える。
「いっ──」
『けぇぇぇー……ッ!!』
そして、殆ど同時に全員の攻撃、その全てが撃ち放たれた。
戦技や魔導、或いは魔導を帯びた物理撃まで。
アルスとエトナが結界をギリギリまで維持し解除したのと、左右頭上を一斉に縫ってゆく
それら攻撃の雨霰が使徒らを巻き込んで爆散したのを目に映したのは、本当に紙一重に近い
僅差であった筈だ。
「……。や、やったのか?」
「さ、流石にあれだけぶっ放せば……」
暫くは、大量の土埃で成否も何も分からなかった。
濛々と上がる渾身の集中攻撃の跡。おずおずと、兵士らの少なからずが期待と不安の表情
でそんな呟きを散発させる。
『──……』
「ッ!?」
だが、結果から言えば失敗だったのだ。
やがて土煙の中から現れたもの。
それは傀儡兵や魔獣達、手勢の大多数を失い、しかしそれでも然と地に足をつけてこちら
を睨み付けている使徒ら三人の姿だった。
フェイアンは埃を被った服を手で掃いつつ、冷気ではなく実体の氷塊と化した蛇らと剣で
鎧のように身を固め。
バトナスは血走った眼で仁王立ちし、上半身と顔面左半分殆どを魔獣化させた状態で巨大
な瓦礫を紙切れよろしく投げ捨てる。
エクリレーヌは愚図るように目に涙を浮かべ、彼女を只々護ろうとして死んだ魔獣達の亡
骸の中に立っている。
「……マジかよ」
「そんな……。私達があれだけ削ぎ取った筈なのに……!」
やって来たのは、後悔だったとでもいうのだろうか。
仲間達が絶望に近く驚愕、落胆している。傍らのエトナも両手を握って叫んでいる。
その中でアルスは押し黙っていた。
──また自惚れたな? そんな言葉が過ぎり、胸を極太の棘が刺す。
無駄ではなかった筈だ。だがそれでも……それでも、奴らを凌駕するにはまだ自分には力
が足りないと、目の前の事実が宣言をしている。
「……勘違いも甚だしいんじゃないかい? 僕らと君達は、そもそも次元が違う」
フェイアンが言った。
しかしその表情・声色は余裕ぶった気障というよりも、ただ冷淡に事実を告げるかのよう
な、心を鑑みることを一蹴するもので。
「ごめんね……。痛かったよね?」
エクリレーヌがそっと亡骸の魔獣達の前に膝をついていた。
涙が頬を伝う。それだけを見れば、大切な友を亡くした幼子そのもの。
「でも、大丈夫だから。もう少し……がんばろ?」
だが次の瞬間、彼女が暗い祝福たる軽い接吻を彼らの肌に。
すると何と、それまで亡骸になっていた筈の魔獣達は突然起き上がり、物狂いの咆哮を上
げたのだ。更に彼らはボコボコとその肉体を沸騰させるように変化させ互いに結びつくと、
最終的に半魔獣化したバトナスの体躯すら遥かに上回る巨大な合成魔獣と化したのである。
一同は、絶句していた。
特に分類的には魔人であるステラのショックは甚だしく、目の焦点が合わなくなったまま、
ガチガチと悪寒をもとうに通り越した身震いを起こしている。
「ったく。カスはカスらしく大人しくしとけばいいのによぉ……」
中央にバトナス、右にフェイアン、左はキマイラの掌に乗っかった涙目のエクリレーヌ。
先のグロテスクに近しく、バトナスの魔獣化した躯も浮き立つ血管や肉塊の中の眼などが
時折蠢き、この宿主の完全に“キレた”声色に呼応する。
「……懺悔なんぞ聞かねぇぜ? こいつあ、処刑だ」