24-(1) 妖火に踊れ
瞬間、彼女を取り巻く焔が躍り出るように牙を剥いて来た。
ジークの視界一面にワッと溢れたのは、赤。紅蓮の赤。
「──!」
だがそんなごく一刹那、しかし致命的になりかねないこの甥の遅れを、傍らの“剣聖”は
即座にカバーしていた。
一瞬、文字通り牙を剥きかけた焔。
彼はそれらの群れを、淡いマナの輝きを纏う一閃の下に霧散させていたのである。
「気を散らすな。灼き殺されるぞ」
「……ぁ、あぁ」
そこでようやく、ジークはトクトクと胸を打つ焦燥と動揺を抑え込むことができた。
そうだ。落ち着け。自分が空間結界から漏れたのは、偶然じゃない──。
「来るぞ!」
ギリッと二刀を握り直し、眉を顰めたのとほぼ同じくしてリオが叫んでいた。
「……ふふ」
見遣り上げる視線。
そこには大きく片手を挙げ、渦巻く妖しい焔らの中で舞うフェニリア──“結社”の使徒
の姿がある。
再び、焔が襲い掛かってきた。
そのさまはまるで生きているかのよう……いや、実際に命を吹き込まれているのだ。
牙だらけの口を大きく裂くように開け、振りかざしてくるのは半月状の赤刃と一体化した
両腕。悪鬼を髣髴とさせる彼女の使い魔。その大群だった。
そんな彼らは焔の尾を引きながら、次々にジークとリオに向かって突っ込んでくる。
「ッぅ!!」
咄嗟にジークは、二刀を盾にしてその場で両脚を踏ん張っていた。
握り締める得物を中心に錬氣を込め、この魔導の火を何とか防御しようとする。
だがそれでも、こちらは戦士で相手は(間違いなく)強豪なる魔導師だった。放たれ次々
とぶつかってくるその威力に身体は悲鳴を上げ、少しずつ押されてゆくのが分かる。
(くそっ、やっぱ分断されちまうと……)
ジークは視界を塞いでくる赤を、何とか弾き返そうとした。
空間結界に閉じ込められる寸前、リュカが「貴方だけでも」と自分を突き飛ばしたこと。
それは間違いなく、アズサ皇──いや、この目の前の“結社”を止めてくれと叫んでいた
に等しい意思表示であり、合図であった筈だ。
「ぬぅ……らあァッ!」
そんな仲間達の思いに応えなければ思った。そして、皆もあそこから助け出す。
もう一度、ジークは踏ん張り直すと、マナを伝わせた二刀で薙ぎを打つ。
「グギッ!」「ギギィ……!」
だが、その一撃は握る手への感触からしてもあまり効いていないようだった。
バチンと、まるで見えない力の壁に阻まれるように放った斬撃の衝撃がほぼそのまま両手
に跳ね返ってくる。
しかもそれだけではない。掠り傷の如く、細かに削れたこの焔の使い魔らの赤い破片が、
ブワッとそれぞれひとりでに火勢を上げて新しく使い魔らを生み出していたのである。
「な……っ!?」
分裂。その言葉が頭を過ぎった。
そうして目の前・周囲に増殖した使い魔の数は単純に見積もっても倍、いや三倍。
その一体一体が再度中空で体勢を整え直すと、一斉に火の尾を引いて襲い掛かってくる。
「──」
だがその赤い襲撃は、次の瞬間自らの消滅と共に防がれていた。
ほんの一瞬の所作。だが流れるような半円を繰り返す足運びで以って、横から割って入っ
てきたリオがあっという間にこの焔の使い魔らを一閃の毎に斬り伏せていたのだ。
「……。なるほど、下手に衝撃を与えると分裂するのか。撹乱にはもってこい、だな」
同性ながら、惚れ惚れするほど見事な太刀筋。ジークは言葉なく目を瞬く。
その眼前でリオはヒュンッと手元に引き寄せた黒刃を一瞥しつつ、そうジークと同じくこ
の使い魔らの厄介な性質を把握している。
と、また第二波・三波な使い魔らがフェニリアの魔力の下に飛び掛ってきた。
だがリオは至極落ち着き、ちょうどジークを庇うように前に立ったまま向き直ると、その
返す半身のまま数度マナを纏う刃を振るってはこの火軍を軽々と斬り払ってみせる。
「ジーク、お前は防御に徹しておけ。奴の相手は、俺がする」
「……みたいだな。しかしこれが“剣聖”の力って奴との差なのかねぇ……」
あの段上に陣取る緋色のローブの女を。
或いは向こうの柱に寄り掛かり、気だるげに光球を掌に浮かべている着流しの男を。
とはいえ、縦横無尽に飛び回っているこの焔の使い魔らの中を掻い潜るというのはどちら
にせよ至難の業だろうなとジークは思った。
目の前の、世界最強の名を欲しいままにする叔父の姿。
過信していた訳ではないが、やはり実際に“結社”の攻撃に太刀打ちできない自分を知ら
しめられると、どうしても少なからず気は塞ぐ。
「物質で、物質でないものを斬ろうとするからだ」
ちらりと一瞥をこちらに。
だがリオはぽつりと、そう前を向いて立ったまま確かに応えていた。
「錬氣の使い方は何もモノを強化するだけじゃない。それだけでは、本質は“モノで斬る”
ことに変わりはない。魔導そのものを迎撃するには足りないさ」
「モ、モノで、斬る……?」
今度は重なり巨大化した焔の使い魔ら。
だがリオはジークに背を向けて庇い立ったまま、少し腰を落として下段からの袈裟斬りを
放つと、その剣圧と共々、この突撃も散らした。
切り裂かれた焔らは先のように分裂して数を水増ししようとするが、渦巻く風の如く余韻
を響かす彼の剣圧がそれを許さず、次々と吹き消している。
「マナは厳密には物質ではない。魂の側だ」
「んん? あ~……そう、なのか?」
曖昧に頷こうにも、実際にはぎこちなくと小首を傾げてしまう。
魔導に関しては正直詳しくない。それに彼の言葉はどうにもぶつ切れな印象がある……。
「生ける者らは三層に分けられる」
それでもお構いなしに。リオは構え直した黒刃に己の顔を映しながら続けた。
「器たる肉体。核たる魂。そして両者を結ぶ髄液たる精神──記憶的自我だ」
その間も、リオは次々と飛んでくる焔の群れを打ち落としていた。
対するフェニリア自身も時間稼ぎが果たせればいいのだろうか、語っている彼に何か口を
挟む訳ではなく、しかし時折足運びを変えながらジークを庇って戦う剣聖の姿に、何処か
嗜虐心を刺激されているかのような弧を口元に描いている。
「肉体には物質的な力が、魂には非物質的な力が流れる。精神はその両方を受け止め、互い
に巡らせる役目を果たすという」
「……。頭痛くなってきた」
「魔導生理学──錬氣法の基礎理論だぞ? まぁいい」
口より実践。リオはそうとでも言うかのように、オォッと太刀にマナを込め始めた。
「要はモノには刃で斬り、モノでないものにはマナで斬ればいいということだ。氣の真髄は
単に自己への配分と強化だけではない。自分の中のマナ──内側の力だけではなく、内から
外へ、或いはその身の回りに流れ巡る力を把握し、利用すること」
再三の、一閃。
性懲りもなく突っ込んでくる使い魔らを分裂させることなく直接滅し、
「魔流を感じろ」
蒙とにわかに立った土煙の中、彼は言う。
「そう言われてもなあ……。俺はアルスじゃねぇんだけど……」
やはり叔父の言葉は小難しい。ジークは静かに苦笑していた。
マナが自分達の隅々まで関与しているらしい、そのことは以前より耳にしてきた一般常識
ではあるのだが……。
「ふふ。高説も馬の耳に何とやら、かしら?」
すると段上のフェニリアが艶かしく、そして嗜虐的に笑った。
その間も、使い魔の源泉たる焔は彼女の周囲で渦を巻き続けている。
「うっせーな。誰が馬鹿だって」
「伏せろッ、ジーク!」
だがそんなやり取りも束の間、逸早く次の彼女の一手を察したリオの叫び声が場に響いて
いた。それとほぼ同時、遥かフェニリアの頭上にあった焔の塊が天井を沿うようにこちらへ
奔ってきた。そして彼女がサッと片手を下ろしてみせたのを合図に、焔は豪雨の如く二人に
向かって降り注いでくる。
「ぬ、おぉぉぉっ!?」
思わずジークは、二刀で大きく屈めた身を屈めながらバランスを崩しかけていた。
直接二人──リオに使い魔らをけし掛けても詮無いと再確認したのだろう。あの緋色の使
徒は、今度は間接的に自分達を狙ってきたのだ。
敢えて雨のように焔らを注がせ、物理的にぶつかった衝撃で以って分裂、そこでめいめい
に襲い掛からせるというワンクッション。
流石にリオも、四方八方から飛んでくる使い魔には手を焼いているようだった。
何度も円を描くような、輝くマナと黒刃の軌跡。そこに使い魔らはまるで吸い込まれるよ
うに巻き込まれて斬り倒されてゆくが、如何せん飛んでくる数を同時多発的に増やされれば
中々その迎撃も終わりが来ない。
「くっ……。ジーク、防御を固めて俺の背中につけ!」
「い、言われなくても──おわっ!?」
正直情けない姿ではあったが、剣聖の庇い立ての下に。
だがそれでも四方八方から落下・分裂・強襲のルーチンワークで攻めて来る使い魔らに、
ややあってジークが牙を剥かれてしまう。
咄嗟に二刀で防御。錬氣をがっつりと込めて防御。
だがそれでも数を増した威力はジークを軽々と押し弾き、加えてマナを伝わせていた筈の
二刀をもその炎熱で遂に溶かされる。
「ジーク!」
「……だ、大丈夫!」
大きくよろめいたジークと使い魔の間にリオがだんっと踏み入り、抉るように一閃。
剣聖の一撃に滅した焔らを確認するや否や彼は肩越しに振り向いてきたが、ジークは半ば
意地と反射的にそう言っていた。
転げる前に膝と肘でごろりと受身を取り、刀身の半分以上が溶けてしまった仮の二刀らに
さようならを。その動作と同時に近くの亡骸の傍に落ちていた太刀を二本、新たに拾い上げ
て構え直せば「まだやれるぜ」のポーズ。
「……。聞いてはいたが、魔導には明るくないんだな」
その様子に静かに、ほんの少し表情に安堵と苦笑をみせると、リオは呟いていた。
思わずジークは頭に疑問符を浮かべた。
何を言っている? 戦士と魔導師では元より兵としての性質が違うではないか。
「ああ……。そっち方面は弟に任せっきりだよ。俺と違って学もあるしな」
「いや、そういう意味じゃない。六華を使っていたんだろう? 魔導具の扱いはできるので
はないのか?」
「太刀としてはな。でも魔導具だって知ったのも魔導具として使い始めたのも、正味ここ
一・二ヶ月ぐらいのもんだぜ?」
「……そうか」
リオはそこで明らかに、眉間に皺を寄せて何かを思案し始めたようだった。
剣聖と第一皇子。二人が互いに肩を並べて立つ格好となっている。対する段上では、焔の
渦を纏ったフェニリアがより一層その火勢を強く多くしようと力を込めつつ哂っている。
「ならば……。路を拓く前に、俺から話しておいた方がいいかもしれないな」
「? 六華のこと、何か知ってるのか」
「ああ……」
頷く代わりに、リオは黒刃を正眼に構え直していた。
そして彼はちらと横目にこの甥っ子を見遣る。
「──お前は考えたことがあるか? “六華が六本でなければならなかった”その理由を」
まだまだ“未知”を抱えたままの、この未来を担うべき後達を。