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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-24.古の刃と虚ろいの楼閣
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24-(0) 皇家の遠景

 俺には、一回り近く年の離れた二人の姉がいる。彼女達は双子だった。

 名を姉の方はアズサ、妹の方はアカネという。

 一見すると、一卵性双生児の例に漏れず似通った顔立ちこそしているが、その内面の性質

は対照的と言ってよかった。

 上の姉は負けん気が強く自他に厳しい。開拓国風の言い方をすれば、キャリアウーマンと

やらをそのまま少女にしたような女性ひとだった。

 下の姉は令嬢の如く大人しく控えめ。臣下にもつい敬語を使ってしまっては彼らに恐縮さ

れている所を度々見かけた程、皇族の威厳といったものからは縁遠い女性ひとだったと記憶して

いる。

 こうして二人も「姉」がいる。

 それはこの皇国こきょう──女傑族アマゾネスにとっては決定的だった。

 何せ、俺たちはその大半を女性が占める、女系種族なのだから。

 故にその者らによって建国されたこの民族国家を統べる皇も、また女性というのが慣例と

なっている。要するに、俺は皇子ではあっても皇位継承権は一番後になる訳だ。

 別にそのことに疑問を持ってはいなかった。

 姉者らの何れかが皇になるのだろうと、そうばかり思っていたから。

 俺はただ子供心に……あの宮中で渦巻いていたもの等に気付かず、知ろうともせず、毎日

無邪気に将軍らの武芸に、目を輝かせていたから──。


「たぁっ!」

「おぉ……っ? ははっ、お強う御座いますなぁ殿下。ただ踏み込む際には、こうして相手

の体勢を邪魔するようにですね──」

 いつの日だったか、もう具体的な日付は覚えていない。

 だがあの頃の、幼い日々と同じだった、その一頁の中にあったと思う。

 まだ幼子だった俺は、その日もいつものように王宮内の運動場で兵らの訓練に交じって汗

を流していた。

 皆が見守る中、訓練用の模造刀での組み手。

 相手をしてくれていた将軍が俺の一撃を真正面から受けて、微笑んで(わらって)いた。

そして互いに構えを解いて歩み寄ると、より実践的に、その時は至って真剣な面持ちで剣術

の手ほどきをしてくれていた。

 俺は「うむ。うむ」と何度も頷き、握った模造刀を試すがめす。

 そんな様子を、遠巻きの観戦席の幕張テントの下で父上と母上、そして姉者達が眺めている。

 穏やかな昼下がりだったと、記憶している。

 父上はそんな鍛錬に励む臣下と息子を微笑ましく眺め、母上はアカネ姉様と淑やかに談笑

をし、そして……アズサ姉様は、その横で一人じっと分厚い本を読んでいる。

 そんな最中だった。

「リオ、皆。少し休まない? 軽食の用意もありますよ?」

 とたとたと、茶器一式を運びつつやって来た侍従らを待っていたかのように、母上がふと

そう俺達に声を掛けてきたのは。

 汗を拭って、俺達は誰からともなくその言葉に従っていた。

 侍従らによって手早く組み立て式の卓が広げられ、将校の上下を問わず、俺は皆と共に暫

しの休憩へと入る。

「はい。どうぞ、あなた」

「うむ……」

 母上は──当時の皇はこうして家族や臣下に茶や菓子を振舞うのが好きだった。

 彼女には、父上のように武芸の才こそなかったが、それを補って余りある伝統的美意識と

教養があった。そしてその身に付けたものを自分の中に秘匿するのではなく、積極的に他者

に与えるということにも大いに喜びを見出していたらしい。

 母上に比べて少しぎこちなく、だが妻が直々に淹れてくれる茶に息子の俺から見てもデレ

デレしているように、父上は頬を綻ばせていた。

 その武人としての厳格さが多少なりとも鳴りを潜めた(或いは母上がそうし向けた)から

なのだろう。卓を囲んだ面々も気付けばすっかりリラックスしていた。当然、談笑にも華が

咲き、茶や菓子に伸びる手も進んだ。

「……あら。もうなくなってしまったわね」

 ややあって、器の中の茶が尽きたようだった。

 母上はコトンと、検めた陶磁器の蓋を閉じて侍従らに「予備はある?」と訊いている。

 しかし返事は恐縮しながらの否。

 何せ、こうしたひと時の母上の拘りは彼女らもよく知っていることだ。たとえ当人らが給

仕の専門家であるとしても、そこで独断の追加をしようとは思わなかったのだろう。

「じゃあ、新しい葉を出してきましょう。貴方たちは主人達の給仕を続けていて頂戴」

「は、はい」「畏まりました」

 とはいえそれを別段気にすることもなく、母上はすっくと立ち上がると場を彼女らに任せ

て自ら茶葉と菓子の補充に出向いていこうとする。

「……母上はいいですね。このような特技を持っておられて……」

 だからこそ、あの時俺は、もぐと羊羹を飲み込んでから呟いていたのだろう。

「何を言っておるか。お前にも優れた才があるだろう?」

「私に……?」

 応えていたのは、父上だった。

 その周りには、少し反応に困ったように眉根を伏せていた将校達。

 父上はフッと俺に微笑み掛けると、先に姉者達にそれとなく促していた。曰く母上を一緒

に手伝ってあげなさいと。

 ……今だからこそ、俺には分かる。

 あれは、間違いなく当人らを場から退席させる“人払い”だったのだ。

 「はいお父様」そうにこりと返したのは、アカネ姉様の方だった。

 その時父上が何を考えていたのか察する訳ではなく、ただ素直に父の言葉に従っていたの

だろう。ひょいっと立ち上がり、それまであまり喋らず先程の本を脇に置いてぼうっとして

いたアズサ姉様の手を取ると、彼女はそのままほっこりとした笑顔で姉妹揃って母上の後を

追って歩いてゆく。

「……」

 そんな姉者達を確かめ、父上は何処か遠くを眺めていた。

 王宮の外? それとも空? 当時の俺はその程度の認識しかなかったと思う。

 少しの間、父上は黙っていた。だが、ややあって再び俺に微笑み返してくると、

「武芸の才だよ。お前は間違いなく一流の武人となれる素質がある」

 小さく自身で頷き、見上げる俺の幼い瞳を見つめながら確かにそう語ってくれた。

「はは……。そうですとも、殿下」

「ええ。この御年にして我ら皇国軍の訓練に交じっておられるのです。先程も僭越ながら、

私めは殿下の太刀筋に驚いたのですぞ?」

「ですな。もう少しご成長なされば、本格的にトナン流の修練に入られても大丈夫ではない

かと存じます」

 次いで臣下の将校らが言い、笑ってくれていた。

 とはいえ、半分以上は世辞なのだろう。この時褒められた、それが今現在の俺とイコール

であるとは流石に思わない。……それでも、あの時の皆の笑顔は、嬉しかった。

「そうだの。確かにそろそろそんな時期になるやもしれん。ははっ、気付けば逞しく成長し

てくれたものよ」

 だから俺は、互いに微笑み合う父上らをぼんやりと眺めていたのだろう。

「……。では私は、武人として姉様達を支えます!」

 だから俺は、少し調子付いてそんなことを言ってしまったのだ。

 次の瞬間、父上達の間に降りたのは──沈黙。

 長らく、少なくとも当時の俺には、その意味が分からなかった。

 だが今なら分かる。

「……そう、だな。次の皇を支えるのは、きっとお前達だ」

 父上は内心、あの未来を薄々予感していたのではないだろうか。

「次の皇……それは、アズサ姉様ですか? それとも、アカネ姉様ですか?」

 なのに、俺は馬鹿馬鹿しくも空気を読まずに問うていたのだ。

 皇位継承。

 古今東西どの王族に限らず、ややもすれば血みどろの惨事を招くその話題を。

『…………』

 父上は、一層黙り込んでいた。何やら考え込んでいた。

 いわんや卓を囲む一介の将校や、給仕の侍従らが口を挟める話題ではない。彼らは只々厄

介な質問をしてしまったものだと言わんばかりに、必死に隠した苦笑で以ってその場に磔に

されたようになっている。

「正直言うと、私はまだ決めかねておる」

 やがて、父上が厳粛な声色で紡いだ答えは──記憶に違わずそんな内容だった。

 思わず顔を見合わせる場の将校や侍従たち。それでも父上は、この問われた言葉がいずれ

出さねばならない回答であると誰よりも強く分かっていたからこそ、ただじっと見上げた俺

の眼を見据えて言ったのだ。

「リオ。お前は先程言ったように、私の眼から見ても優れた武の才を持っておる。できる事

ならお前にはその力を磨き上げ、貴賎に関わらずか弱き者を守る名将となって欲しい」

「……!!」

 今度はお世辞ではないと、子供心にも分かった。

 だからこそ、あの時俺が返していたのは「はいっ!」と頷く満面の笑み。そして引き続き

問う、では貴方は姉者達をどう見ているのかという無言の催促。

「アズサは、とても頭の良い子だ。将来皇となれば存分にその手腕を振るってくれるだろう

と思う。だが……あの子は、他人に厳し過ぎる所がある。かといってアカネは、姉のような

英知がある訳ではなかろうな。ただとても優しい子だ。あの子が皇となれば、領民の心は安

らかであろう。しかし……」

 父上は、そこまで言うと黙り込んでしまった。

 当時の俺では理解が及ばなかったが、あれ以上の言及はたとえ信用のおける臣下らを前に

したものとはいえ憚られたのだ。

 それでも、あの頃の俺は愚かだった。……いや、今も大して変わらないかもしれないが。

 小首を傾げ、そんな父の横顔くじゅうを見上げていた俺。

 長いだった。

 今は確かにあるこの平穏。だがそれも、いずれは──。

「……」

 我が敬愛なる父は、もう一度フッと俺に笑い掛けていた。

 脳裏に描かれる、我が子らの未来。

「少なくとも、国とは民だ。皇一人では成り立たないのだよ」

 その可能性の先にある暗雲を何とか振り払いたく願うようにして。静かに、淡々と。

「リオ。姉らが困ったその時には、是非お前の力を貸してやってくれ。国も家族も、人とは

互いに支え合ってこそ、生きてゆけるものなのだから……」

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