23-(5) 落ちゆく玉座
アーチ状の水壁の下を駆け抜けきると、ややあって王宮本棟の正門が見えてきた。遥か後
方からは、重なり合って響く交戦の音が聞こえてくる。
どうやら共同軍は、急ピッチで各所の制圧と市民救出を進めているらしい。
そんな支援の気配に一層背中を押される思いがして、ジーク達はずらりと砲台を並べて待
ち構える皇国兵達──と彼らを脅している傀儡兵の一団──に真正面から突撃してゆく。
「う……撃てぇ!」
ピタリと首筋に突きつけられた鉤爪に震えながら、隊長格の皇国兵が叫んだ。
それを合図に、同じく無言の殺気を向けてくる傀儡兵らを背後に、皇国兵達は一斉に砲弾
を放ってくる。
飛来する砲撃の一斉掃射。だが。
「盟約の下、我に示せ──伏さす風威!」
ジーク達にそれらが届くよりも早く、リュカが詠唱を完成させていた。
前方にかざした掌を中心に展開される白色の魔法陣。それと同時に、飛んでくる砲弾は局
所的な吹き降ろしの風圧によって強制的に地面に着弾、爆発する。
両者の間を隔てる空間に、爆発による土埃が濛々と舞った。
手で庇を作って。思わず皇国兵らは身じろぎたじろぐ。
どうやら直前で魔導によって叩き落された。それは何となく理解したのだが……。
「盟約の下、我に示せ──這寄の虚声!」
そんな爆風の視界の中、次いで聞こえたのはステラの完成させた詠唱だった。
土煙の中、掌を中心に展開される灰色の魔法陣。そこからまるで稚魚の放流のように一斉
に飛び出していったのは、限りなく無色透明な人魂のようなもの達。
「? 何──」
リュカの一撃で周りの風景の方が“濃かった”所為もあったのだろう。
皇国兵らは、飛んできたその奇妙な存在に気付くのが大きく遅れてしまっていた。
そしてようやく、それが第二波な魔導であると悟った時には、この人魂に身体を通り抜け
られ、彼らは次々にガクリとその場に倒れ出したのである。
「うぐっ。か、身体が……?」
「どうなって……? 力が、入らない……」
灰色の魔法陣、即ち無を司る“虚”属性の魔導。
ステラが放ったのはそんな系統の中でも“相手の活動力を抑え込む”術式だった。
だからこそ、そんな魔導が直撃した皇国兵達は、意識こそあるが最早自分の意思で立ち上
がることすらできなくなっていて。
「そこで寝てるといいよ。私達の目的は、貴方達と戦うことじゃないんだから」
勿論それは、彼らを無闇に戦わせないための選択だったが、同時にその背後で脅しを掛け
ていた傀儡兵らの動きを鈍らせるという目的も兼ねていたのである。
「皆、今だよ!」
そして次の瞬間、ステラの合図で土煙の中からこちら側に飛び出してきたのは、マーフィ
父娘やジーク、リンファ達といった、一行の前衛メンバー。
「そこを──」
「退けぇぇぇッ!」
戦斧や拳、太刀に銃剣。
ジーク達は一斉に、この動きの鈍った傀儡兵らに攻撃を仕掛けていった。
厳密にはヒトではなく、皇国兵ほど行動不能ではなかったが、この“結社”の量産兵らも
また大きく動きを抑え込まれている。
かの組織の“人形”として、あくまで彼らは立ちはだかろうとしたが、後はもうジーク達
の猛攻の前に沈むしかなかった。
そんな様を見て、力が抜けて倒れたままの皇国兵達も、ようやくホッと胸を撫で下ろして
いるようだった。レナらに「あとで医務班の方が来る筈ですから」と慰めを受け、やっとそ
こで先刻まで強いられていた戦意を解いてくれる。
「──さて……。皆、下がっていてくれ。門を破る」
そうして一先ずこの暫く動けないだろう彼らを離れた場所に移し、再び閉ざされた正門の
前に集まり直すと、同じくこの入り口を見上げていたサフレがはたと言った。
にわかにコゥッと彼の全身を、いや掌に滾り出すマナのオーラ。
彼は魔導具の指輪を嵌めた片手をそっと門の方へとかざし、ジーク達面々が早足で自分の
後ろに回っていくのを確認すると、叫ぶ。
「出力最大……。迸る雷波ッ!」
次の瞬間、展開された黄色の魔法陣から極太の電撃が放たれた。
眩しいを通り越して痛いほどの閃光。そのエネルギー全てが、分厚い王宮内部へと続く扉
に大きな穴を開ける。
「……よし。行くぞ!」
そしてダンのその一声を合図に、ジーク達はいよいよ王宮内へと進入を果たした
扉の向こう側で待ち構えていたのか、既に吹き飛ばされた瓦礫の下敷きになっている者も
含め、入ってすぐのエントランスホールには“結社”の黒衣姿がずらりと並ぶ。
『……』
ガチャリと得物を構え、両陣営は睨み合った。
二刀を握り締めたジークもその例外ではなく、ぎりっと片方の奥歯を半ば無意識に噛み締
めると、視線を前にしたまま味方達に問う。
「……で? 肝心の玉座はどう行きゃいいんだ?」
「六階の奥です。エントランスの奥に大きな階段が見えるでしょう? あそこを上ってゆく
のが最短ルートになる筈です」
この日の為に、レジスタンスの情報収集に抜かりはなかったらしい。
曰くクーデターで一度は大部分は焼け落ちたそうだが、再建された現在もその内部構造は
さほど変わってはいないのだという。
「なるほどね。道理でこうわんさかと邪魔がいる訳だ……」
反旗を翻したとはいえ、アズサ皇にとっても此処は生家だからか。それとも、新規に図面
を引く労力を削りたかっただけなのか。
そこまでは定かではないが、少なくとも彼女を押さえる為には、この進行方向真正面を塞
いでいる傀儡兵の群れを突破する必要があるらしい。
傍の階段から中二階を迂回するべきか? いや、どのみち連中の視界に捉えられてしまう
以上同じことだ。ならば、やはり稼動域の広いエントランスを突っ切った方がいいだろう。
『…………』
城内での交戦か、断続的に遠くから爆音らしき物音がしている。
幸い、目の前のこいつらは皇国兵の“人質”を伴っていない。
自分達を弄ぶ余興よりも、玉座に近づかせない守りを優先させているためなのかもしれない。
しかしそれは、むしろ好都合だ。
ジーク達は、ぐぐっと今まさに傀儡兵らへ突撃しようとして──。
すぐ頭上方向に爆音がしたのは、ちょうどそんな時だった。
ジーク達も傀儡兵らも、両陣営がその方向──中二階の一角から勢いよく噴き出すような
爆風を見上げ、目の当たりにする。
「兄さん、皆!」
「アルス……? そっか、本隊か」
濛々と上がる煙と、ダメージのまま手すりから落下してくる傀儡兵達。
そんな“結社”への追撃に兵がワァッと飛び出してくる中、ジーク達はそこによく見知っ
た弟達の姿を見つけていた。
傍らの階段から此方に降りて加勢してくれたのは、セドやサウル、シノらを伴う共同軍。
中二階奥から回り込み、傀儡兵らの背後を突くように降りてきたのは、イセルナ達クラン
ブルートバードを中心とした分隊。
「よし……っ、そっちは無事だな? 連中を挟み撃ちにするぞ!」
「私達が動きを止めるから、その隙に叩いて!」
故に、一気に兵力差を逆転したジーク達にとって、この場の“結社”の守りは多少の時間
稼ぎにしかならなかった。
後方からはブルートの羽ばたきによる冷気とハロルドの聖魔導、シフォン達の一斉掃射。
そうして凍り付けにされ、崩される傀儡兵らの路塞ぐ隊伍を、加勢を得たジーク達が間髪
入れずに猛然と突き破っていく。
たとえ相手が“結社”であろうと、数の利は戦いにおいて大きな要素を占める。
前後からの挟み撃ちに遭ったことで、この黒衣の一団もややあって長くはもたず、完全に
崩れ去っていた。
大きなダメージによって活動力を失い、文字通り人形として倒れたままに。
或いはジュワジュワと、霧散するマナと共に個体を維持できず消滅してゆく格好となり。
「──貴方達も無事だったみたいね。良かった」
「そっちもな。お互い、そう簡単にくたばるタマじゃねーよ」
エントランスを隔てていた黒衣の壁を取り壊し、クランの団長と副団長、共同軍に加わる
面々は合流を果たすと束の間のやり取りを交わしていた。
それはイセルナやダンといった、クランの主要メンバー同士のものであったり。
或いはセドと将校らに囲まれ護られるように姿を見せた──そしてジーク達がその存外さ
に驚きを禁じ得なかった──シノの姿であったり。
また或いはそんな彼女の生身の姿に、思わず感極まって泣き出してしまうレジスタンスの
面々であったり……。
「……」
そんな中、ジークは密かに小休止だと息を整え直していた。
思えばスラムから飛び出した後、ずっと駆けっ放しだった気がする。
レナのお陰で怪我のダメージは感じなくなっていたが、同時に自分は仲間の力
なしでは過去の因縁とも渡り合えないのかと、悔しさもまた脳裏に過ぎるのを感じる。
「に、兄さん……」
「ジーク」
そうしてぼうっと、城内の地図を映した端末を片手に指示を飛ばすサウルを、サフレが何
処か不信な眼で見遣って(その彼にマルタが静かに寄り添って)いるのを視界に映している
と、ふと横から自分を呼ぶ声がした。
共同軍の面々に囲まれた、弟と母、そしてエトナの姿だった。
息子の無事を確認して一つの安堵を得たような母と、十中八九そんな安堵以上におっかな
びっくりな様子の弟と。
特に長話をする訳でもなかった。だがそれでも、充分通じていたと思いたい。
「ごめんなさい。私の所為でこんな……」
「ご、ごめんなさい。勝手にホームを抜け出し──……?」
だから、ジークはすぐに同じく言葉を多く返すことはしなかった。
母には小さく首を横に振り、弟にはぽむっと頭を掌で覆って少々強めにわしゃわしゃと。
「いいんだ。もうお互い、知らない所で背負い込むのはやめにしようぜ」
「兄、さん……?」
「……そうね。ありがとう……」
母は息子達に迷惑を掛けまいと、弟は自分達が心配で居ても立ってもいられなくて。
俺達は、もっと仲間を頼っていいのかもしれない。勝手に決めるべきじゃない。
それを仮に“弱さ”だと哂うのなら、むしろそんな態度こそが弱さ──いや、何でも自分
の力でできるんだという高慢さに他ならぬのではないか。
『お帰りなさい。独りにして、ごめんね……?』
一方でアルスもまた、兄の許しに思わず目を瞬かせると密かに驚いていた。
脳裏に蘇っていたのは、流れ着いたフォンテイムを発ち、共同軍の一員として再びクラン
の皆と──同席していた母と再会した時の記憶。
あの時母は確かにそう言って、目を潤ませながら、ぎゅっと自分を抱き締めてくれた。
似ている。二人とも、同じように自分を許してくれている。
僕が、この状況を作り出してしまった作戦立案者の一人だと、全く聞いていない筈もない
だろうに……。
「──さて。積もる話なら、アズサ皇を確保した後にするとしようぜ?」
そうしていると、ややあってセドは大きく声を張り、集結したジーク達場の面々に呼び掛
けてくる。
そう“戦い”はまだ続いているのだ。
ディスプレイの向こうで怨嗟と共に通信を途絶えさせた、かの皇を押さえねばならない。
黒衣の一団に代わりエントランスホールを埋め尽くした一行は、誰からともなくその目指
すべき場所──奥の王の間に直行する大階段へと一斉に視線を向ける。
「……六階、か」
だがそんな中で、ジークはポリポリと頭を掻いて呟いていた。
このまま順当に上って行ったとして、少なくともあと四回──王の間の出入口も含めると
すれば五回は、先程のように黒衣の兵士達から“歓迎”されると考えていい。
「どうした?」
「ん? ああ……ちょっとな」
ダンやイセルナを始め、仲間達の少なからずがふっとこちらを向いてきている。
ジークは思わず苦笑していた。頭に疑問符を浮かべる、そんな仲間達を見遣りながら。
「別によ、馬鹿正直に真正面から上ってかなくてもいいんじゃねぇのって思ったからさ?」
そしてふと、まるで何かを思い出したかのように。
ジークはニッと笑ってみせると、場の皆──特にサフレとレナに向かって口を開き出す。
急速に陽が傾くかの皇を象徴するように、王の間は文字通りの荒れ模様を呈していた。
辺り一帯、四方八方に飛び散った血の赤や肉塊の桃色、剥き出しになった骨の白。
そんな生命を削って塗りたくった色彩の中に、かつての皇の臣下・将校達が二度と動かな
くなって倒れ込んでいる。
「──ッ」
その屍の絨毯の上を、忙しない剣戟が奔っていた。
一方は七星の一人“剣聖”リオ。
一方はジーヴァ、フェイアン、バトナス、エクリレーヌら“結社”の使徒達。
リオの黒刃に、ジーヴァが振り下ろす鈍色の刃がぶつかる。
足元で転がる亡骸らを互いの剣圧吹き飛ばしながら、甲高い金属同士の悲鳴と火花が上が
っては散ってゆく。
ふと、それまで押し返していた刃を引き、リオが半身を寄せた。
その最小限の動き。しかしまるでその動線の隙間に吸い込まれるように、次の瞬間、多数
の冷気の蛇──側方からフェイアンが放ってきた攻撃が空を切る格好となる。
逆の側方からは、片腕を魔獣化させたバトナスが迫っていた。
しかしリオはそれもちらと一瞬間見遣るだけで、すぐに軌道修正して向かってくる蛇らと
共に、彼を円を描くような斬撃で以って弾き返してみせる。
一見して軽く、だがその一撃に込められた力の大きさは推し量るべく程に強烈。
牙を剥いた冷気の蛇らはことごとく切り裂かれ、腕を振り出す寸前だったバトナスも、急
遽防御の構えにならざるを得なかった絶妙の間合い。
加えて並の攻撃では傷一つ付かない筈のその魔獣の豪腕に、瞬間ザクっと赤い筋が走った
ことからも、何気なく込めた一刃ですら、この“剣聖”に関しては油断など許されないこと
が如実に物語られていると言える。
「ぬぅ……っ」
「バトちゃん、下がって!」
それでも使徒達は、簡単には引き下がらなかった。
バトナスが負傷した──しかしすぐに魔人の不死性から自動的に治癒が始まる腕を一瞥し、
心持ち後退る一方で、エクリレーヌが言いながら大きく空いた方の手を掲げた。
その間も再びジーヴァが、フェイアンがそれぞれ剣を振るってくるが、リオは瞬時にそれ
らの太刀筋が一本になる間合いを見出し踏み出すと、最低限の所作──太刀を持ち上げ横に
した防御の型だけでそれら一撃を防いでみせる。
「皆、あいつをやっつけて!」
そんな使徒二人の背後から迫ってくるのは、エクリレーヌが召喚した魔獣達。
だがリオはそんな相手の加勢にも一瞥を寄越すだけで、サッと楯代わりにしていた太刀の
腹を斜めにして二人の力のベクトルをずらしてやると、そのまま彼らと魔獣達、その一直線
上の軌道に向かって。
「──邪魔だ」
ぐっと下段に引き絞った太刀を、込めた力の解放と共に振り抜き、まるで閃光のような剣
圧で以って目の前を薙ぎ払う。
ジーヴァとフェイアンはその構えの時点で危険を察知し、飛び退いていた。
故に、彼の一閃をまともに喰らって粉微塵となったのは魔獣達であった。
放たれた一撃の直線上。亡骸や柱、高級石材の床すら、そこにあるもの全てを渦巻く剣圧
は巻き込み、寸前でバトナスに抱えられて離脱したエクリレーヌの立っていた場所、その背
後の壁をもぶち抜いて、轟音と共にまた一つ、王の間に戦いの激しさを物語る大穴が開く。
「……ったく、無茶苦茶だな。おい」
「ふむ。流石は現役の七星だねぇ。一筋縄では沈まない、か。こんな事ならもっと早い内に
始末しておくべきだったのかもしれないけれど」
「どのみち、今と似たような状況になると思うがな……。それに、実際に奴が仕掛けて来な
い以上、私達が優先すべきは任務だ。分かっているのだろう?」
「うぅ……。皆が、皆がぁ~……」
濛々と上がる石埃の中、使徒達は互いにそんなやり取りを交わしながら、カツカツとすっ
かり荒れ果ててしまった王の間に立ち並んでいた。
微笑みは崩さずとも剣呑な影を滲ませるフェイアンと、あくまで淡々と呟きながら鈍色の
長剣を携えているジーヴァ。バトナスは交戦によって一層ボロボロになった王の間を見渡し
ており、彼の小脇に抱えられたままのエクリレーヌは魔獣達を容赦なしに滅されたことに
涙目になってジダバタとしている。
(棚上げも甚だしいな……)
そんな彼らに、リオは内心強い不快感を隠せなかった。
自然と眉は顰められ、長太刀を握る手には一層力が篭もる。
貴様らはその任務とやらの為に姉者を誑かし、尚且つその家臣らをも世の人々が視る前で
惨殺してみせたのだ。
確かに元は彼女の強権故に病んだこの祖国だとしても、その闇に付け込んだ連中の罪は
──事実は変わらない。
(早く、姉者を……)
奴らに自分の剣は通用しているらしい。だがこのまま足止めされている訳にもいかない。
リオは再び得物を構え、今度こそ行く手を阻む使徒達を越えようとする。
『──ッ?』
異変を感じたのは、ちょうどそんな時だった。
全身の感覚を奔ったのは、足元からぐんと迫ってくる気配。
思わずリオは目を落とし、再び顔を上げた。
一方で使徒達もまたこの事態の変化に気付いたようで、同じく怪訝な様子で以って床面に
視線を落としている。
「──……ぅ、おぉぉぉーッ!!」
そして次の瞬間、彼らはやって来た。
扉の向こうからではなく──階下から床を突き破って。
轟音と共にぶち抜いた床の大穴から姿を見せたのは、全身が岩のような大蛇と六枚の翼を
持つ鎧天使だった。
ガラガラと、無数の瓦礫が落ちてゆく音がする。
そんな中でこの巨体二つは、自身らに乗せていた者達──ジークらと合流した共同軍本隊
を身を屈め、手を広げて床に降り立たせると一旦スゥッと還って(きえて)いった。
……よもや、こんな方法で加勢に来るなんて。
「無事か、叔父さん!」
そうリオが内心呆気に取られて目を遣っていると、ふと向こうからジークが仲間達を伴っ
て駆けつけて来るのが見えた。
エイルフィード伯やフォンテイン侯、勿論我が姪も。
この二十年近い彷徨の中で見知った顔も少なくない。
先刻この場で姉が叫んだ怨嗟と直後の惨劇。大方、それらを画面越しに見て居ても立って
もいられなくなったのだろう。
実際、共同軍にエスコートされて降り立ったシノは、あまりに変わり果てた王の間の惨状
を目の当たりにして絶句。ややもすればそのまま気絶しそうなほどに青ざめている。
「……リオでいい」
「えっ? あ、ああ……」
傍までやって来たジークに、リオはそう短く答えていた。
もう共同軍によって、自分達の関係は聞かされているのだろう。
そう思って、彼は再び黒刃を携えて向き直ろうとする。
「まさか床をぶち抜いてくるなんて……。スマートじゃないね」
「……でもあのお兄ちゃん、前にもお城に穴開けてたよね?」
使徒達が、改めて立ちはだかっていた。
リオがついと視線を上げる動作に、ジーク達もまた倣って──絶句する。
斬り捨てられたのは、何も王の間に集まっていた家臣団や役人ばかりではなかったのだ。
彼らを隔てた数段の向こう、玉座の奥に、ざっくりと胸元を斬られて衣服を鮮血に染めた
アズサ皇当人が倒れていたからである。
加えてそんな彼女を傍らに放置したままで、フェニリアとルギスは何やら奥壁に仕掛けら
れたギミックを弄っているらしい。
「……ッ! てめぇら、一体何を……?」
「答える義務はないな」
一斉に得物を構え直すジーク達。
だがそれでも、並ぶ使徒達の中心に在るジーヴァの冷静さはぶれなかった。
広間の後方では、騒ぎを聞きつけた扉の向こうの傀儡兵らが迫って来ており、既に共同軍
との交戦を始めている。
ガコンと、不意に何かが解除されるような音がしたのは、ちょうどそんな時だった。
「……残念。一足遅かったみたいね」
ルギスと共にちらりとこちらを見遣って、フェニリアが言った。
同時に“解除”に向けて動き出した玉座奥の壁。
その次々とスライド式に左右へ開いて格納されていく様子を見る限り、どうやらあそこは
多段重ねの扉で封印された隠し部屋であったらしい。
「兄さん、皆。あ、あれ!」
そしてアルスが逸早く、そうした部屋が存在する意味を、皆に指差して示す。
隠し部屋の更に奥。そこには緻密な細工で彫られた祭壇が設けられており、加えて二度の
強襲の末にジークの手から奪われた六華が、確かにその壇上に祭られていたのである。
「……やっぱ、玉座にあったんだな」
小さく舌打ちをしつつも、ポツリと一言。
ならばこのまま取り戻すだけだ。
そう言わんとするように、ジーク達は尚更にこの場を突破しようとする。
「──手間取らせるなよ。面倒臭ぇ」
しかし、そんな駆け出す一歩すら、使徒達は与えなかった。
不意に聞こえたのは、ボロボロになった柱の一つに背を預けていた着流しの男。
ジーヴァ達が「計画通り」と言わんばかりに、彼がサッとジーク達に手をかざそうとする
のを段上から見下ろしている。
「……ッ。ジーク、貴方だけでも──!」
そしてどんとジークがリュカに背中を押されたのと、彼女を含めた仲間達が忽然と姿を消
してしまったのは、殆ど同時の出来事だった。
「なっ……!?」
思わずよろめきながら、ジークは振り返っていた。
目に映ったのは、一瞬間だけ中空へと浮上しながら消えていった藍色の魔法陣。
驚きは隠せなかった。だがこれには見覚えがある。そう──空間結界だ。
仲間達は、あの一瞬のタイミングで以って一度に閉じ込められてしまったのである。
「……面倒臭せぇ。一人、取りこぼしちまった」
一方では血塗りの荒れ果てた玉座に、ジークとリオが。
一方では着流しの男・リュウゼンの創り出した、灰色の柱が無数に刺さり並ぶ空間結界の
中に仲間達が。
バサリと着流しを翻して、リュウゼンは心底鬱陶しそうに呟いていた。
「おいジーヴァ。予定通り人形どもと何人かをこっちに入れ込むが?」
「ああ。そうしてくれ」
「なら僕達が行こう。元より仕留め損なった邪魔者だからね」
「だな。ちょっくらぶっ潰してくらぁ」「よ~し、頑張るぞ~!」
次いで彼は段上のジーヴァに確認を取り、パチンと指鳴らしを一つ。
するとフェイアン、バトナス、エクリレーヌの三人が、交戦していた傀儡兵・共同軍双方
を道連れにしながら一瞬間に灰色の空間の中へと飛んでゆく。
目にも留まらぬ早業だった。
数で押し掛けて来た筈なのに……あっという間に分断されてしまっていた。
「さて」
ゆらりと。ジーヴァは鈍色の長剣を収めると、二人を一瞥して踵を返していた。
背後左右にはフェニリアとルギス。更に背後には解除された扉達から一直線に隠された祭
壇とそこ祭られた護皇六華が見て取れる。
「フェニリア、暫く二人と遊んでやれ。私は“あれ”を鎮めなければならん」
「別にいいけれど……。それこそリュウゼンに頼めば」
「おいおい、無茶言うなよ。中に送った面子を剣聖の刀の錆にする気か?」
「……それに、そこの青年は良くも悪くも奴らの核となっている人物だ。敢えて引き離した
ままにしておけば、連中に対して心理的なアドバンテージにもなる」
「嗚呼、なるほど……。了解」
すると入れ替わるように、今度は緋色のローブの女・フェニリアが段上に立った。
柱に背を預け、気だるげに半眼をしたままリュウゼン。
アズサ皇を担ぎ、奥の祭壇へと向かうジーヴァとルギス。
そんな三者に、ジークはちらちらとと焦りを隠せない視線を泳がせており、一方でリオは
祭壇の方を見遣ったまま、じっと何かを考え込んでいるように見える。
「さぁ……。坊や達」
すると刹那、焔が奔った。
だがそれは、明らかに普通の炎ではない。
まるで真紅の触手が如く、主の意思を微細に反映しているかのような、妖しく蠢く焔達。
「嬲ってあげる」
そんな魔性の火の中を、踊るように長髪を靡かせて。
彼女はそうフッと、艶かしくも嗜虐的に笑ったのだった。