23-(1) 血色の拒絶
『伯母様、皆さん、お願いです。もう戦わないで下さい。この争いを……止めて下さい!』
生き残った中空の端末画面から、そう彼女の訴えが響いていた。
シノブ・レノヴィンことシノ・スメラギ。先皇夫妻の娘であり、長らく所在不明──もう
亡き者だとばかり思われていた人物。
しかし彼女は生きていた。そして戻ってきた。
かつての仲間に護られ、大国の軍勢や七星を引き連れ、大切な者達を救う為に。
──“結社”と繋がっているのは、アズサ皇である。
彼女達の訴えと、動かぬ証拠を目に焼き付け、人々は唖然とその像を見上げていた。
そしてそれは何も、世界各地の人々という雑多な外部者達だけに限らない。
他ならぬ当人であるアズサ皇、その下で働いていた者達の動揺は、他のそれよりもきっと
強烈であったことは想像に難くない。
「陛、下……」
「これは、一体?」
王の間の臣下・将校らは恐る恐るその彼女当人に振り返ろうとしていた。
仕えている主こそが“悪”だと彼らは証拠を突きつけている。だとすれば、我々は──。
「……」
アズサは、すぐに言葉を発しなかった。
ただ中空のディスプレイ、そこに映り人々に訴えている先皇女シノをじっと見上げたまま
で、何処となく覇気で揺らめく髪に自身の表情を隠していたのだ。
「断固、拒否する」
だがゆらりと、端末の元装置の前にいた役人へと歩を進めると、彼女は怯える彼など視界
にないと言わんばかりに手を伸ばして数回制御卓を叩き、こちら側の映像をオンにすると、
そう搾り出すように、しかし苛烈な返答を出したのである。
『伯母、様』
「黙れッ! やはりお前は、あの時一緒に消えてしまえばよかった……!」
くしゃりと。シノは哀しみで顔を顰めていた。
だが対するアズサは微塵の容赦もない。
次の瞬間、彼女はバッと顔を上げると、もう隠すことは意味を成さぬと判断した憎悪を剥
き出しにして、画面の向こうの遺児へと怨嗟の言葉を吐き出していた。
「今更、この期に及んで王座に返り咲こうというの? 二十年前、統務院は確かに私をこの
国の皇だと認めたじゃない!」
気の強い性格であることは臣下達も重々承知だった。
それでも、今この場の彼女の激情は平素のそれを遥かに上回っている。
彼らも、画面の向こうのシノや共同軍の面々も、思わずそんな彼女の苛烈さに困惑し、或
いは眉を潜めて押し黙っていた。
「私の何が不満だというの? 私は皇としてこの国を“強く”してきた。その能力も実績も
ある。ただのうのうと富を食い潰す王侯貴族とは違うわ。私がこの国を豊かさに導いてきた。
トナンの皇は私──。私こそ、六華にふさわしいのよ!」
長らく祖国から距離を置いていたシノは勿論、二十年前、実際に彼女の謀反を追認してし
まった画面の向こうの要人達はそこに言い返す言葉を持てなかった。
一度は、彼女のクーデターを“認めて”しまったのだ。
それをまた彼ら共同軍は今になってぶり返そうとしている。その指摘は免れようがない。
実際、彼女の主張するように、皇国は彼女の手腕で──。
『……本当に、てめぇの領民はそういう“強さ”を望んでたのかよ?』
だが反論としての一言は、ややあって響いてきた。
画面の中のシノが少し戸惑い気味に、映像機目線を外して傍らを見ている。
『確かに、私達は一度トナンを“見捨てた”のだろうな。……だからこそ、今度こそは何と
しても救いたかった。それが我々なりの償いになると、そう考えている』
次の瞬間、シノの傍らから姿を見せたのは礼装に身を包んだ二人の貴族──セドとサウル
だった。
二人はそれぞれに厳粛な面持ちと声色で画面の向こう、アズサやその臣下達、世界の人々
に向けて語り掛け、彼女を護るようにそっと左右に控え立つ。
「──……」
彼が動いたのは、ちょうどそんな時だった。
まるで予め打ち合わせていたかのように、そして何よりも一瞬の早業で忍び寄ると、リオ
は抜き放った漆黒の長太刀をアズサの背後からその首筋にピタリと突きつけたのである。
「リ、リオ様?」「何を……!?」
当然の事ながら、場の臣下達は慌てていた。
しかし相手はかの“剣聖”であり皇弟。何よりも皇の生死がこの突きつけられた黒刃の動き
一つで決してしまう以上、将校らが下手に押さえに掛かるのも躊躇われる。
「降伏しろ、姉者。それで全て終わる」
ざわついた周囲を歯牙にかけることもなく、しかし眼はじっと注意深く姉を見据えたまま
で、リオは言った。
そんな彼の一言で、この向けられた刃の意味を悟ったのだろう。
ゆらりと。アズサはぎらついた眼で肩越しに振り向くと、
「お前が……お前が裏切り者か!!」
再び苛烈な憎悪のままに、叫んだのだ。
ビリビリと、王の間全体がその怨嗟で震えたような気がした。
臣下達もまるで自分が叱られたかのように竦み上がっている。
しかし、当のリオが怯むことはない。
ただ少し、ほんの少しだけ、寡黙で真剣な表情が作る眉間の皺を深めて、
「俺は、傭兵だ。此処で契約を破棄させて貰う。それだけの事だ」
ディスプレイの光を黒刃に反射させながら、そう遠回しの肯定を紡ぐだけで。
「……身分は捨てた。だが俺は、祖国まで捨てたつもりはないんでな」
サウルが口にした“償い”という言葉。
その弁を借りるなら、これこそが彼なりの償いだったのかもしれない。
かつて身分を捨てて放浪の身となっても──人々から“剣聖”の異名で称えられるように
なっても、ずっと心の中ではあの日この国で起こった姉妹同士の(一方的な)争いに対する
悔しさや虚しさがあったのだろう。
「降伏してくれ、姉者」
もう一度、リオは言った。今度は命令ではなく懇願の色が強くなっていた。
これも共同軍──セドとサウルらの計算だったのだ。
期せずして自分達の側についてくれた“剣聖”という存在を「保険」として待機させる。
どんな争いも、その総大将さえ押さえてしまえば、きっと終わらせることができる。
そう、踏んでいたのに。
「……ふっ」
なのに、アズサは笑っていた。いや──哂っていた。
皇の覇気はまだ漂っていた。
それでも表情は揺らめく髪の下に隠れていて、思わずリオは彼女が嵌めていた“指輪”に
伸ばそうとした手を途中で止めてしまう。
「結局、二十年前と同じか……」
別の戸惑いが、いや怯えが場の面々を支配し始めていた。
この感じは……覇気では、ない。
「そうよねぇ。所詮“正義”なんてものは態良い言い訳よねえ!」
くわっと、アズサは再び憎悪の眼を見開いた。
再び。いや直感からしても間違いなく、先程よりもずっと──狂ったように強く。
彼女は高らかに笑っていた。自身を哂っていた。
今まで積み重ねてきた改革の日々。祖国を“強き国”に作り変えることが使命なのだと、
ずっと言い聞かせてきた唱えてきた自身が崩壊していく音が聞こえた。
こんなに理想を描いても、国の未来を憂いても、結局自分はセカイの都合のままに振り回
される──。
「ジーヴァぁぁぁ!!」
次の瞬間だった。
哂っていた口元を引き締め、はたと息を深く吸うと、アズサは叫んだのだ。
そしてその呼び掛けに応じるように突如姿を見せたのは、白髪の剣士・ジーヴァ。
彼は突如としてどす黒い靄に包まれながらリオの背後中空より現れると、その重力加速の
ままに腰の剣を抜刀、反射的に振り返ったリオの黒刃と激しく火花を散らしながら衝撃波を
撒き散らし始める。
次いで同様に現れたのは、緋色のローブの女、着流しの男、眼鏡と白衣の男。青紫のマン
トを翻す青年に、荒々しい大男と継ぎ接ぎだらけのパペットを抱えた少女。
それは陰よりアズサ皇に忍び寄ってきた“結社”のエージェント──“使徒”達の出現に
他ならなかった。
加えてそんな彼らの出現に呼応するように、王の間の四方八方から無数の黒衣の傀儡兵達
がずらりと並び現れると、ローブの女・フェニリアの合図と共に次々とこの場に居合わせた
臣下・将校らに襲い掛かり始めたのである。
「くぅっ……!」
ジーヴァからの剣圧を半身を捻りながらいなし、横っ飛ぶ。
リオが、画面の向こうの人々がその目に焼き付けることとなったのは、間違いなく城砦の
それよりも容赦のない殺戮模様だった。
畏れ逃げ惑う文官、剣を抜いて何とか応戦しようとする武官。
だがそんな抵抗など一切無意味だと言わんばかりに、黒衣の兵らは文字通り黒山の人だか
りの如く彼らに群がり、飛び散る鮮血と共に次々に彼らの息の根を絶ってゆく。
『…………』
シノが、セドがサウルが、画面の向こうの世界中の人々が、絶句していた。
玉座の眼下で繰り広げられるは殺戮の宴。
飛び散り拡がってゆく血色の海と、その藻屑なる犠牲者らの躯。
フェニリアら“結社”の使徒が、リオを近付かせぬよう鈍色の長剣を手に下げたジーヴァ
が、両肩をわななかせているアズサの周りを囲むように立ちはだかる。
「はははっ!」
アズサはそんな鮮血の中で笑っていた。
今度こそ、その眼には剥き出しの狂気が宿り──いよいよ自棄になって、叫ぶ。
「私を止めたいのなら殺せッ! 殺してみせろ! そんな御都合だらけ和平など、全て血
に染めてやる……!!」