22-(2) 民は逃げ惑う(おどる)
爆音が、時間と共に大きく連続して聞こえるようになっている気がする。
慌てて報せに来た者達によれば、先刻ソサウ城砦を挟んで皇国軍とレジスタンスが戦闘を
おっ始めたらしい。
身を寄せていたスラム街の人々と共に、ジークは遠くから聞こえてくるその戦の音を睨み
付けるようにしながら、じっとベッドの上で眉を顰めていた。
「まさか、都にまで攻めてくるなんてなぁ」
「大丈夫……だよな? 軍隊がいるんだし」
周りでは、やはり皆が心配そうにしている。
しかし、この違和感は何なのだろう?
不安そうな様は多分気のせいではないと思う。なのに彼は、皆何処か“他人事”であるか
のような距離感で話しているようで……。
「……お前らは、逃げないのか?」
だからこそ、ジークは思わず口を開いていた。
彼ら城下の市民を思えば、このまま戦闘が中断なりをしてくれればいいのかもしれない。
だが個人的な事情を踏まえれば、そうも言っていられないとも分かってはいた。
十中八九、このレジスタンスの攻勢──共闘しているであろうダン達の起こした行動は、
自分を助け出すという目的を少なからず含んでいるのだろうと予想できたから。
「逃げるって……何処にだよ?」
なのに。彼らは至極それが当たり前であるかのように答えていた。
「ここが何処かだか分かって言ってんのか? 他に行く所なんてねぇよ」
「な、何言ってんだ! すぐ近くで戦争が始まってんだぞ?」
「……何処に行ったって同じだよ。戦は場所を選らばねぇし、何処に行こうが巻き込まれる
時は巻き込まれるさ」
「そもそも、俺達に“他の居場所”なんてとうになくなってる」
「家族揃ってここに流れ着いたって奴も、結構いるからなぁ」
「……」
それは、きっと深い諦観だった。
強烈に変わりゆくこの国に追いつけず、置き去りにされてきた者達の嘆き。それらが彼ら
の心身に染み付いた様。
ジークは眉根を寄せたが、二の句を継ぐことはできなかった。
彼らは怠惰だった、努力を怠ったと責めれば済むのだろうか? そうは思えなかった。
そもそもどちらが“正しい”かなど自分が決めていい訳でもない。
だがそれでも、彼らをこうして諦めの中に突き落としたものを──この国が続けてきた争
いは、やはり許せないと思う。
(やっぱり……止めねぇと。こんな戦いなんて……)
自嘲するように微笑んでいる彼らを眺めながら、ジークはギリッと歯を食いしばっていた。
まだ正直、身体は本調子ではない。
それでも今動かずして……何の為に、自分は王座への突撃を試みたのか。
「あ、兄ちゃん?」
「何処に行くつもりだよ?」
だからこそ、ジークは次の瞬間には身体に鞭打ってベッドから這い出していた。壁に掛け
られていた上着に袖を通し、仮の二刀も腰に差し直す。
「……様子を見てくるんだよ。いいか? お前らも死にたくなきゃ逃げろ。俺と逃げてきた
連中もいるし、一緒に避難するんだ」
慌てて住人達が引きとめようとしたがジークは聞く耳を持たなかった。
伸ばしてくる制止の手を軽く振り払い、まだふらつく身体を引き摺ってジークはあばら屋
の出口へと歩いてゆく。
「馬鹿言いなさんな。怪我人を一人で行かせられるもんかね。……無茶だってのは、あんた
もよく分かってるんだろう?」
「分かっててもだ。俺はまだ諦めねえ。仲間が、必死こいて戦ってんだよ」
老婆もまた、一人の医者としてこの怪我人を引きとめようとしていた。
それでも、ジークは足を止めない。肩越しに彼女に振り返ると、その強い眼──嘆きを憤
りに替えたかのような意思の眼差しを、場にいる面々を突き刺すかのようにみせる。
『…………』
暫しの間、ジークと老婆はその立ち位置のまま睨み合うようになっていた。
その静かな威圧感に、周りの住人達は困惑するばかりで介入できないでいる。
「……そういう負けん気は、血なのかねぇ」
誰にともないといった感じの嘆息。
だがやがて、先に折れたように呟いたのは、老婆の方だった。
ジークは一瞬怪訝に目を細めたが、すぐに彼女が引き止めることを諦めたと分かり、今は
余分な思考は余所に置いておこうと意識から締め出す。
「そこまで言うなら、もう止めないさ。だが……どうなっても知らないよ?」
「お、御婆!?」
「いいのかよ……? まだ、兄ちゃんは」
「ああ。ま、治す気のない患者を視るほどあたしは人が良くないんでね」
そこでようやく住人達が戸惑いを口にし始めていたが、そこは人々の信用を得ている御婆
の一声だったのだろう。言葉の表面こそ突き放すようなものだったが、その真意は自分を送
り出すと決めた、自身への言い訳に近かったのだと思う。
「……ありがとよ」
「礼なんざ要らないよ。さっさと行きな。……守りたいものがあるんだろう?」
ジークはそっと視線を逸らし前に向き直りながら、そう呟くように言っていた。
それでも彼女は同じく憎まれ口を。もうお互いに目を合わせ直すことはしなかったが、確
かに出てゆく者と送り出す者がそこにはあって。
「……」
身体を引き摺りがちにしながらも、ジークはその場を後にして行った。
足音が遠退いてゆき、老婆と心配の気色でお互いの顔をちらちらと見合わせる住人達がこ
のあばら屋に残される格好になる。
(さて……。皇子のその意志が吉と出るか、凶と出るか……)
予想していた通りというべきか。
スラム街と一般市街地、そして富裕層の暮らす区域を隔てる壁を越えてゆくと、その先に
は、目前に迫る戦火から逃れようと城門に殺到している人々の姿があった。
既にスラム街の位置については住人達から聞かされている。皇都の東の外れだった。
だとすれば、今自分が身を潜めて様子を窺っているあの大きな城門は、皇都の東の玄関と
いった所だろう。遠くには王宮らしき建物がそびえているのも見える。
(ここを越えられれば、王宮にもぐっと近づけると思うんだが……)
しかしジークは、中々そこから先に進むことができないでいた。
「通せよ! 何で開けないんだ!」
「レジスタンスが攻めて来ているんだぞ、俺達を見殺しにする気か!?」
何もそれは、自身が手負いの身体だからではない。
視線の向こう側で、手持ちの財産をまとめて逃げ出そうとする人々と、そんな彼らを閉ざ
された城門の前で阻止する兵士達との押し問答が繰り広げれていたからだった。
「だ、大丈夫。城砦の内側にいれば安全だ」
「だからパニックを起こさず、各自避難所へ──」
「そんな保障、信用できるか!」
「俺は聞いたぞ? 何でもさっき、デカブツが南門を破ったって話じゃないか!」
何とか殺到する市民を避難所へと誘導しようとする兵士達。
だがそんな苦心は、群集の中から叫んだ一人の言葉によって脆くも崩れ去っていた。
大きくざわつき、混乱の度合いを一層増す人々の怒声。
彼らは真偽を確かめる余裕もなく、不安を煽られたそのままの勢いで、遂に最前列では兵
士らにむんずと掴み掛かる者達まで出始める。
「つべこべ言わず門を開けろッ!」
「軍隊は俺達を見殺しにするのかッ!?」
「お、落ち着けって! お、俺達にそこまでの権限はないんだよ!」
「それこそ勝手に城門を開けてレジスタンス軍が入り込んできたら、本当にどうなるか分か
らなくなるだろうが!」
もう話し合いという状況ではなくなっていた。
他にも南門が突破されたとの報を聞きつけたのだろうか、気付けば城門前に押し掛ける人
の群れはどんどん膨れ上がっているようにも見える。
「……」
物陰に身を隠したまま眉を顰め、ジークは内心決めかねていた。
再び王宮に潜入し、アズサ皇を──この争いを止める。
その合目的さからすれば、この人だかりを利用して兵士らの眼をかわすべきだろう。
しかし、実際のジークはその決断にまで至れなかった。
目の前で、視線の先で人々が叫んでいる。助けを求めている。
たとえそれが保身であろうとも、現実に迫る戦火から逃げようとするその姿に、果たして
罪があると断じれるのか。
「──……チッ!」
そして次の瞬間、ジークは小さく舌打ちをしながらその場から駆け出していた。
人ごみの中を縫って王宮を目指すのではなく、市民と兵士らが押し問答をしているその向
こう側に対面するように。
「入り込んでいる奴なら……ここにいるぜ?」
ダンッと踏み締めて、彼らに一声。
市民も兵士達も、突然現れたこの青年に目を瞬いていたが、ややあって兵士の一人が思い
出したように仲間達を小突き出す。
「おい。もしかしてあいつ、例の手配犯じゃないか? 陛下の勅令の……」
「えっ? ……あ。ほ、本当だ!」
言われて、内一人が懐から以前ジークを名指していたあの手配書を取り出して本人だと確
認すると、にわかに兵士達の注意がこちらに向いてきた。
少なからず慌てて肩に下げていた銃剣を構え直し、彼らは確保に走ろうとする。
「……」
だがそのタイミングよりも一足早く、ジークは踵を返すと再び物陰の向こう、路地裏の方
へと走り去っていた。
追ってくる兵士達に表情を歪めながら、それでも口元には「してやったり」の弧。
そのまま肩越しに、ジークは呆気に取られていた市民達に向かって叫ぶ。
「お前ら、今の内に早く逃げろ!」
そこでようやく、彼の意図に気付いた市民達が我に返って動き出した。
ジークに向けられた注意で手薄になった兵士達に、彼らは数の利に任せて力ずくで閉ざさ
れた門を破りに掛かる。
「おわっ!?」
「や、やめ……」
「うるせぇ! 道を開けろォ!」
そしてどうっと、押し寄せた人々によって東門は遂に開かれたのだった。
散々に押し飛ばされ蹴飛ばされ、阻止できない兵士達の周りを避難の市民達が我先にと駆
け抜けてゆく。
「──……はぁ、はぁっ」
その一方で、ジークはそれから暫く銃剣を手に追ってくる兵士達を撒くことに集中する羽
目になった。
皇都の地理に明るい訳でもないのに、ひたすら路地裏を伝っては彼らの気配のしない方へ
しない方へと身体を引き摺ってゆく。
(……何とか、上手くいったか?)
路地裏の一角でぐたりと背を預けて辺りの様子を窺う。
相変わらず遠くで交戦の爆音が響いているが、それとは対照的にこの市街地にはまるで人
の気配が感じられない。
先程の市民達のように我先にと逃げた跡なのか、或いは家や避難所にに篭るなりして戦い
が終わるのを待っているのか。
「……。何やってんだよ、俺は」
そんな思考を、バクバクと鼓動を速くし悲鳴を上げる身体で行いながら、ジークははたと
我に返ったように掌で自身の顔を覆うとそう独り己を哂っていた。
「見つけたぞ! こっちだ!」
だが、そんな息継ぎすらも束の間で。
次の瞬間には路地の向こう側から数人、兵士達が自分を見つけて声を上げてくる。
舌打ちをして再び身体に鞭打ち走り出す。直後にチュインと数発の銃弾が壁を掠めて建材
を削る。ジークは走った。もう一度彼らを振り切るべく走った。
「……うっ!?」
しかし地の利は兵士達にある。
やがてジークは、気付けば通りの先にある広場へと追い詰められていた。
人気のなくなった、本来は市民で賑わっていたであろうこの石畳の場。そこに一人ぽつん
と弾き出されたかのような彼に、あちこちの路地から追跡の兵士達が姿を見せてくる。
(流石に、無茶だったって事か……でも)
じりじりと、兵士達は銃口を向けつつ包囲を狭めてきた。
逃げ場らしい逃げ場も見当たらない。すっかり見渡しがよくなってしまっている。
それでも、ジークは投降するつもりなど更々なかった。
身体は相も変わらず悲鳴を上げている。しかし手はそっと腰に二刀に伸びてゆく。
諦めるものか。俺は母さんを、皆を──。
「……?」
ちょうど、その時だった。
ふと兵士の一人が背後からの気配を感じて振り返ったその瞬間、飛んできた何かに胸元を
ざっくりと切り裂かれ、その場に鮮血を撒き散らして倒れた。
思わず他の兵士達もその一撃──奇襲に注意が向いてしまっていた。
「余所見、だよ」
だからこそ彼らは、何処からともなく飛来してきた影の軍勢に対応する身構えを失ってい
たのである。
それまで一対多数でジークを取り囲んでいた兵士達が、無数の影に襲われ逃げ惑う。
「ボク達の仲間に」
「何やってんだよ!」
そしてそんな彼らを仕留めていったのは、獣人父娘の拳と戦斧。
ジークが目を見開くその眼前で、彼ら──ダン達が次々と兵士達の懐に飛び込んでは問答
無用で打ち倒してゆく。
「お前ら、一体何処──かがはっ!?」
最後に戸惑いを漏らす兵士を、リンファの一閃が斬り伏せていた。チンと長太刀を払い、
そっと鞘に収めてその黒髪を揺らす。
どうっと倒れて動かなくなった追っ手の兵士達。
代わりに姿を見せたのは、見間違う筈もないダン達とレジスタンスの面々。仲間達。
「……よう。待たせたな」
そして一通り邪魔者を片付けたのを確認すると、彼らはそれぞれに不敵な笑みや愛しさの
眼を、そう目を瞬いているジークに向けて……。