21-(4) 姉弟の追憶
ジーク達の脱獄騒ぎから一夜が明けていた。
しかし当の本人らは結局行方を眩ましたままで、未だに見つかっていない。
城内の出入口は確かに封鎖した筈。なのに……一体どうやって?
「…………」
故に、玉座に着くアズサの機嫌はすこぶる悪かった。
理知的を自称するがため、彼女はあからさまな怒りを臣下に当り散らせることこそはしな
かったが、既にその全身から漂う威圧感はいつにも増して強くなっており、王の間に参じて
は適宜の報告を上げる彼ら臣下の内心はきっと怯えを多分に含んでいたと言える。
(全く……。これだけ兵力が居るのに見つけられないなんて)
肘掛けに突いた片腕、その軽く握った拳を額に押し当てながら、アズサは報告を聞きつつ
密かに思考する。
キサラギ少尉によって、今レノヴィンは重症を負っている。
そう遠くには行けないだろうし、無茶な真似もできない筈だ。
なのに、実際は忽然と行方を眩ましてしまっている。こちらが警備兵らを動員して城内を
隈なく探させたにも拘わらず、だ。
(こんな時に限ってジーヴァ達の姿もないし……。使えない奴ら)
彼らを暗躍させて捜索をとも考えたが、肝心のその姿をここ何日か自分は見ていない。
元より神出鬼没、大っぴらに使うことのできない相手ではある。
根っこから(お互い)信用していない同士ではあったが、いざ利用すべき時に呼び掛けに
も応じてこないのは正直癪に障るし、何とも……不気味だった。
「──そういう訳でして。一夜明けて未だに姿を確認できていないとなると、既に城外へと
出てしまっている可能性も考慮するべきではないかと思われます」
「そうね……。捜索範囲を城下にも拡げましょうか。但しあくまで脱獄犯という情報は伏せ
ておくこと。王宮への信用にも関わることだし、何より潜んでいるかもしれない彼らを刺激
しかねないわ」
「はっ……。畏まりました」「すぐに取り掛からせます」
結局、実際的な選択肢はそうして捜索の範囲を拡げるということぐらいだった。
正直な所を言えばプライドを穢された気分だったが、このままあの“不穏分子”を野放し
にしておくのはもっと拙い。
アズサが決断を下すと、臣下達から兵士らへとその意思決定が伝えられ、すぐさま捜索網
の拡張へと各種実務が執行され始める。
「……分からないわね。城下に逃げたとしても、一体どうやってこの警備網から抜け出した
のかしら」
「実際に捕まえればいい。詮索は後、だろう?」
そんな臣下らの忙しない右往左往を玉座から眺めつつふと呟くと、思わぬ方向から反応が
あった。
ちらっと、その声の方向──柱の一つに背を預けてそれまでじっと黙り込んでいたリオの
顔を見る。黒い上着用のヤクランと太刀。寡黙だが油断ならない猛者の眼が自分を見つめ返
してくるのが分かる。
「囚人の中にはレジスタンスのメンバーもいるのだったな? 城内に詳しい者が混じってい
ても不思議ではないと思うが」
「……。そうね」
厄介な。もう何度目かすら数えるのも億劫なほどに、アズサは苦々しい感触を抱いた。
旧臣の輩もあの連中には少なからず加わっている。可能性は十分にあるだろう。
「いつまで……彼らは私達を愚弄するつもりなのかしらね」
「……」
どうにも、胸の奥がざわつく気がした。
アズサは次の瞬間には弟からフッと視線を逸らすと、中空を見遣って誰にともなくそんな
呟きを漏らす。
──あれは、何時の頃だったか。
「リオが……帰って来た?」
そう。五年ほどが経っていた。
自分達がこの国をより強く豊かにする為に立ち上がり、ようやくその政権運営も軌道に乗
るようになって、構想・実務共に次の段階へ進もうとしていた頃だった。
「は、はい……。今、城砦南正門の方に」
弟が、帰って来たのだ。
随分と前に皇国を出て行ってしまい──そして今や、当代屈指の剣豪の一人として、冒険
者達や庶民の間で語られるようになったリオが。
私は、慌てていた。戸惑っていた。
執務室のデスクに着いていた身を起こし、書類の山がその際に崩れるのも気に留めること
もできず、私は大慌てで報告に来た臣下達に訊ね返す。
「どうしてあいつが……」
「わ、分かりません。ただ“姉者──陛下に会いに来た”と仰っているようで」
「如何、致しましょうか?」
やはりというべきか、狼狽していたのは彼らも同じであったらしい。
私は数拍、躊躇いを多分に含んで言葉が出なかった。
「……通しなさい。但し城下ではなく城砦内を経由させて。今騒ぎになったら拙いわ」
だが、それでも何とか浮遊を始めようとした冷静さを引き寄せ直し、私はそう指示を飛ば
していた。
真意は会ってみないと分からない。
畏れ? 後ろめたさ? ……馬鹿馬鹿しい。そんな臆病風に吹かれて皇が務まるものか。
「お、お連れしましたっ」
「……入りなさい」
暫くして、執務室のドアを叩く上ずった声。
案内してきた警備兵らを下がらせ、私は秘密裏に弟と十数年ぶりの再会を果たしていた。
「……」
歳月はたっぷりと経っていた筈だ。
それでも一目見て間違いなく弟だと確信できたのは、お互いの血の繋がり故だったのだろ
うか。
それでも……かつての記憶にあった昔と目の前の現在の姿とは、彼は随分と違ってしまっ
ているように私には思えて、私は暫くまじまじと視線を上げて観察してしまう。
ボサボサに伸び散らかしたままの無造作な黒髪。
贅肉一つなく、一見すると痩せ過ぎにも見えかねない、コンパクトに引き締まった身体。
着古したヤクランの上着と、腰に下げた長太刀の黒。
そして何よりも──その表情からは“輝き”が失せていたように思う。
まだ私もあの頃は決して大人だとは言えなかった。
それでも、この弟が皇族である事を、皇位継承権すらも捨ててドロップアウトし、国を出
て行ってしまった時は、私も少なからずショックだった。
それから、こうして十数年。
幼い頃、女傑族として己の武芸に磨きを掛けることを人一倍愉しみ、誇りを持っていた
あの頃の輝く貌が……今はすっかり見られなくなっていて。
「久しぶりだな」
「ええ。……久しぶりね」
ぎこちなく。再会して最初のやり取りは、そんな無難ものだったと記憶している。
何故かチクリと、細かい棘が無数に付いた針を胸に刺されるような、そんな感触がした。
もしかしてと脳裏に過ぎった。だけど“それ”だけは絶対に認める訳にはいかなかった。
だからすぐに、この一瞬のやり取りの中で、内心で大きく頭を振って拭い払っていた。
しかし対するリオは、感情が殆ど窺えなかった。
不精になった風貌も影響してたのかもしれない。だがそれ以上に、彼自身が感情を削いで
しまったかのような、分厚い壁で覆い隠してしまったかのような印象が強かった。
「驚いたじゃない。一体どうしたというの? 急に戻ってくるなんて」
「……実家に戻ってくることが、そんなに珍しいか?」
だからこそ、私は。
「どうしたもない。姉者──いやトナン皇。貴女に力を貸しに来た」
次の瞬間、弟が告げたその理由に思わず驚いてしまっていて。
「力を? いきなり……どうして」
「勘違いするなよ。今の俺は一介の傭兵だ」
「……。つまり、貴方は自分を直接、売り込みに来たと?」
ごくりと息を呑んでから、私は何とかその真意を探ろうとした。
だが、やはりどうにも読めない。相変わらず、すっかり無愛想になった静かな貌だけだ。
まだ慣れず、ぎこちないままに意思を量ろうとする。
リオは言った。私が確認するように訊ねると、静かに確かに頷いた。
「新しく皇になったんだろう? 俺を、用心棒にどうかと思ってな」
「……」
眉間に思わず皺が寄る。ただそれは彼に対する不快ではなかった筈だ。
まただった。また胸に刺さるあの感触。もう一度、今度こそと私は追い払う。
「貴族の身分は捨てた。だが、皇国安泰を願う気持ちは今も昔も同じだからな」
だから。そう呟きつつ、リオは腰の刀にちらと視線を落としていた。
ハッとして。そこでようやく、私は彼の感情を久しぶりに見た気がする。
何かの為に全身全霊を賭す。一所懸命になる。
それはあの日の記憶──ひたむきに剣の稽古に勤しんでいたあの頃の姿に重なっていて。
「……分かったわ。雇ってあげる。貴方の武名は既に聞き及んでいることだしね」
今思えば肉親の情に流された。そう自分を哂うこともできる。
だが一方で、当時から、リオの剣士としての実力にはかなりの定評があったのも事実だ。
──決して群れない孤高を保つ、一騎当千の剣豪。
世間から受けていた評価は、彼の愛想の悪さへの揶揄も含めてそんな感じだった。
確かに彼は腕利きの冒険者の一人でありながら自分のクラン、部下を持つという拡張策を
採ることはしなかった(七星に何度も推挙され、渋々と受けた現在もそれは変わらない)。
しかしそんな“変り種”ぶりは、正直私にはあまり重大な事ではなかった。
実際の成果としてリオは“剣聖”の二つ名に相応しい実力者であり、無数の実績を重ね、
この再会以来、私の政権を武力という面で大きく支えてくれた。
尤もしばしば外部の依頼を受けてふらっと出掛けていたこともあった──そしてその度に
武装勢力や魔獣の大群を一つ二つ、軽く壊滅させて帰って来た──が、それも“あくまで自
分は一人の傭兵である”ことを世間に認識させる為でもあり、私はゆったりと構えていた。
……元より、この強過ぎる弟は長らく浮き草のような生き方を選んできたのだから。
「──へ、陛下!」
はたと“今”遠くにあった声が肉薄し、“昔”遠くにあった景色が霞んで消える。
アズサは密かにハッと我に変えると、中空に向けていた視線を戻し、自分を呼ぶ臣下の者
からの呼び掛けに応じていた。
「し、至急、陛下にお目通し願いたいものが……」
王の間に参じた彼は驚き慌てていたらしく、大きく肩で息をしながら玉座の下段でアズサ
に頭を垂れて礼を取るとそう言ってきた。
よほどの緊急事態でも起きたか? レノヴィンを捕まえたという報告ではなさそうだが。
アズサはこの者に頭を上げさせると、彼が持ってきた書簡──外交用の公式の代物だ──
を受け取り、早速目を通す。
「……。これは……」
そこに書かれていたのは、要約すると以下のような内容。
宛先はトナン皇国王アズサ──自分。
差出人はアトス連邦朝国王とレスズ都市連合評議会の連名。
曰く『今回の爆破テロに追悼と遺憾の意』を表明し、加えて『同国における“結社”掃討
の為の軍事作戦に我々も協力したい』という申し出だった。
「北と東からの親書であります。加えて先程外交ルートからも同様の旨の連絡が届きまして」
「そう……」
この書簡、両国からの親書を片手に、アズサは眉根を寄せてじっと考え込んだ。
額面通りに受け取れば“此度の正義の戦いに我々も加わりたく存じます”。
だが、そんな奇麗事が本心でないことは容易に想像がつく。
今回のジーヴァらのテロ行為への報復、国内の領民感情への迎合。或いは今回の件を機に
我が国への影響力を示そう。……大方そんな所なのだろう。
どうする? アズサは冷静になろうと努め、頭の中のシナリオの再計算に取り掛かった。
レジスタンス連中とレノヴィン一行を潰す為の“結社”への武力介入が裏目に出た。そう
考えられなくもない。奴らの名を出せば各国も怖気づくだろう──実際に充分な効果が出て
いることは確認できている──と踏んだが、それでも踏み出してくる選択をされた訳だ。
あくまで「国内の事案」だとして断わっておくか?
いや……。ここで下手に拒否をすれば怪しまれる可能性がある。強がりだと解釈され、余
計に隙を突こうとする彼らの野心の火に油を注ぎかねない。
ならば、いっそ……。
「……。では両国に伝えなさい。我々にはその申し出を受け入れる用意がある、と」
アズサはふむと頷いてから、そう彼に、場の面々に答えてみせた。
賛否はあろう。臣下達はざわわと互いの顔を見合わせていた。
実際、すぐに臣下の何人かは協力を語った影響力行使──受け入れることへの憂慮を奏上
してきた。同じように、逆に相手があの“結社”なのだから戦力が加わることに越した事は
ない。共に大国であるなら尚更ですと賛成意見を述べる臣下達もいた。
すぐに議論を始め、面々との意思疎通を詰める。勿論、本当のことは話す筈もなく。
「では返答の用意をしなさい。私も親書を書くことにするわ」
「はっ!」「畏まりました」
意見を集約して、ある程度の実務ベースの会議を設けることも決めた。そして同時併行的
に命じて両国への返答準備にも掛からせる。
臣下達から部下の役人達へ。意思決定は伝わってゆき、彼らが再び忙しくなく動き回り始
めていく、その去り際の姿をしげしげと眺める。
──下手に断わるよりも、むしろ状況を利用してきた彼らを利用する。
皇国軍だけでなく他国の軍隊も加われば、レジスタンスも表立って自分達に銃口を向ける
ことを躊躇うだろう。
仔細までは流石に知る所ではないが、北方と東方、顕界の大勢力を二つも敵に回すなど彼
らの支援者達も望まない筈。結果的にレジスタンスの抵抗力を一層削ぐことにも繋がると考え
られる。
そして何よりも……彼ら両国の軍が関わることで今回の案件を“共犯”とすることも可能
になる。二重三重に用意をしてはいるが、いざという時には彼らを巧く利用させて貰うこと
としよう。
(……早く終わらせるわ。いい加減、過去に振り回されるなんてご免なのよ)
今度こそ、けりをつける。世の者達に認めさせてみせる。
王器・護皇六華の下、私は名実共に真の皇になるのだ──。