21-(3) 選ぶ(すてる)こと
アトス連邦朝王都・クリスヴェイル。
かの志士十二聖の一人“忠騎士レイア”生誕の地であり、尚且つ彼女が大戦の後、同郷の
伴霊族らと共に同国の建国にも貢献したことから、時の国王が彼女にあやかりこの地の名を
その姓に改めたのだという。
元々はいち地方都市に過ぎなかったこの同国北中部の街も、古の英雄ゆかりの地という謳
い文句も相まって、今日は北方──いや、顕界随一の大国の都として繁栄の只中にある。
「──お願いします。どうか力を、貸して下さい……!」
だがその日、この北の都は人知れず静かな衝撃を受けていた。
場所は都の中枢、国王ハウゼンの座する王の間。
王は勿論の事、有力諸侯らが一堂に会するその場で、彼らに向かって深々と頭を下げてい
たのは、礼装用ヤクランに身を包んだ他ならぬシノブだったのである。
「陛下。私からもお願い致します。彼女達を……救いたいのです」
『…………』
その傍らで同じく頭を垂れているのは、礼装姿のセド──エイルフィード伯。
だが、場に居合わせた面々は皆すぐに返す言葉を見つけられず、只々目を見開いて唖然と
するばかりだった。
無理もない。
先日、セドらから『件の飛行艇爆破テロに関して重大な報告がある』との連絡を受け、何
事かと王都に直参してみれば……神妙な面持ちで彼が彼女──シノブ・レノヴィンもとい前
トナン皇の実娘、シノ・スメラギ皇女を連れて来たのだから。
出席した諸侯ら(そしてハウゼン王もおそらく)は大いに戸惑い、動揺していた。
二十年前、トナン皇国で発生したクーデター。
その際に先代夫妻と共に殺害されたとばかり思っていた東国の皇女が、長い時を経てこう
して今、自分達の目の前に姿を見せている。
最初は、作り話ではないかと疑った。
しかし彼女が見せてきた──皇族であることを隠す為に普段は人目に触れないようにして
きたというトナン王家の紋章や、彼女から語られるクーデター当時の詳細な記憶は当事者、
その本人であったからこそ語れるものばかりで……。
「……エイルフィードよ。話してくれるな?」
「はい」「も、勿論です」
何故? どうして今になって?
彼らは勿論というべきか、此度の謁見の場を設けたセドと力添えをした側の諸侯らに慌て
て詰め寄っていた。
都の主、名君と称されるこの壮年の国王も玉座に着いたまま、じっと今回の事態を冷静に
見守ろうとする眼差しで、セドにシノブに、詳しい事情を話すよう促す。
そしてシノブが、時折政治的な部分を補足すように交替してセドが語る、二十年前から現
在に至るまでの彼女達の受難の真実。
あの日、命辛々皇国を脱出してこの北方の地へと逃げ延びたこと。
そこで出逢った、当時若き冒険者だったコーダス・レノヴィンやセド達仲間らと絆を深め、
必死に運命に抗おうとした日々。
その奮闘の後、コーダスという愛する人と結ばれ──降嫁し、長らく一人の女性として、
二児の母として、セドらに見守られつつこの国の片隅で暮らしてきたこと。
そして何よりも……今回の“結社”による件の爆破テロ──実の大叔母・アズサ皇の全世
界を相手にした策略の中で、再び自分達が、あまつさえ息子達があの日々の残滓によって危
機に瀕していること。
それらこの二十年間ずっと抱えていた全てを、彼女は辛酸の記憶と共に告白していて。
「……にわかには信じられぬ話、だが」
「謀られていたというのか? 我々は……」
諸侯らは深々と眉間に皺を寄せつつ、セドらシノブ擁護派の面々が配ってきた膨大な資料
の山──彼女の語る記憶を裏付ける証拠の数々と睨めっこをしていた。
まさか“結社”への報復、対決を表明していた他ならぬアズサ皇自身が彼らと繋がってい
るとは、想像していなかった。
そして同時に恐ろしくも思えた。
自国の……いや、我が国の領民を犠牲にしてまでそんな謀を巡らせるとは。
よほどアズサ皇は自身が打ち倒した筈の彼女達──レノヴィン一家を目の仇にしているら
しい。少なくともそれだけは、はっきりと認識できる。
「しかし如何するつもりだ? アズサ皇が“結社”と手を結んでいると把握できても、それ
を世界に認めさせねば“大義”はあちら側にあることに変わらぬぞ」
「それは重々承知の上です。ですので陛下には、皆々方には、表向き“結社討伐の戦いに加
勢する”という名目を取って頂きたく思います」
「ふむ……。相手の策を逆手に取る、か。ならば、お主らには既に相応の用意ができている
のであろうな?」
「はい。この時の為に、私達は今まで“力”を蓄えて来ました故……」
白い顎鬚を擦りながら、ハウゼン王がセドらを見下ろして呟いていた。
やはり賢明な方だ。セドはこのやり取りの中で、自分の意図を汲み取ってくれているこの
王を素直に尊敬できると思った。
シノブが、今まで彼女の為に共に力を尽くしてくれた諸侯達が、緊張した面持ちで事の成
り行きを見守って──王からの助力の許可が下りるのを待っている。ハウゼン王も「宜しい」
と小さく頷き、じっと自身の中で思考を詰める様子が窺える。
「お待ち下さい。陛下」
だが、そんなセド達を遮る声があった。
セドらが、ハウゼン王が振り向くと、そこにはブロンドの髪をオールバックに撫で付けた
礼装の壮年貴族が用意された座席に着いていた。
サヴィアン侯爵。王都に程近い領地を治めている、古参の有力貴族の一人だ。
その周りには、まるで引き連れられたように新旧を問わぬ諸侯らがずらりと肩を並べてい
るのが見える。
王にはあくまで恭しく一礼を。だがセドらにはニタリと密かに口元に弧を描いて。
彼は再度ハウゼン王に向き直り立ち上がると、朗々と反論を語り始めた。
「陛下、どうか冷静な英断を。今、我々は騙されたと判明したのです。いえ……騙されてい
るのです。当人が先程打ち明けた通り、エイルフィード伯は全てを知っていたのです。二十
年も前に我が国に皇女シノ様が亡命された、その事実を秘匿してきた。あまつさえ今回、彼
の国の内乱に付け入る口実としようとしている。……いや、それより我々を、何よりも陛下
をも欺いてきた彼らの行為は陛下への不敬でありましょう! 彼の者の罪、万死に値するの
ではありませぬか?」
言い放つサヴィアン候。
すると、まるでその“演説”を合図とするかのように、周りの諸侯らが「然り!」と次々
にセドらに非難の大合唱を始めたのである。
(なるほどねぇ。やっぱそう来やがったか……)
ハウゼン王は黙っていた。シノブや、味方してくれている諸侯らは戸惑っていた。
大きく王の間に響くサヴィアン候らの声。確かに人数では向こうの圧倒的にアドバンテー
ジを有している。──数の暴力を備えている。
心の中で、セドは小さく舌打ちをしていた。
「惑わされてはなりませぬ。我々はこの国を治める者。俗世に塗れた私情で以って国軍を動
かす事などあってはならない筈です!」
だがこの反論は、かの有力貴族の性格からして予想の範囲内だった。
「──……うるせぇんだよ。この狸ジジイが」
フッと一瞬。ほんの一瞬だけセドは口元に弧を描いて、サヴィアン候が得意気に“演説”
を語る中を遮り返していた。
しかしその口調は、まさに豹変していた。
サヴィアン候当人を始め、思わず周りの諸侯らがぎょっと目を見開き、驚いている。
「エ、エイルフィード伯!?」
「な……何という汚い言葉を! お、王の御前だぞ!?」
「汚いだ? てめぇらが言えたクチかよ。……それに、元々俺はこんな喋り方だっての」
しかしセドは敢えてその“素の自分”を引っ込めようとはしなかった。
驚いているシノブと、味方の諸侯達。
そんな彼女達にセドはニッと肩越しに笑ってやると、再び真面目な、しかし威圧感のある
表情に戻ってサヴィアン候らを睨み付けて言う。
「てめぇらこそ、恥を知れ。二十年前のあの時、その小せぇ手前勝手な保身と我欲でどれだ
けのトナン人が──いや、俺達すら把握できていない数の人間が人生を狂わされたか。その
引き金に関わったのは何処のどいつだ?」
『…………』
サヴィアン候らはより一層、目を見開いて黙っていた。
視線こそは彼らに向けられている。
だがその言葉はきっとシノブに、いやきっとセド自身に向けられていた筈で……。
「国を守るってのは、何も“見捨てる”だけじゃなかった筈だろうが。国を治めるってこと
はそうやって人間を“数字”にすることじゃねぇだろうが。……少しでも多くの、出来うる
限り全ての人間を、幸福にする。その為に俺達王侯貴族は存在を許されているんじゃねぇの
かよ?」
「セド、君……」
その時、シノブは確かに見た。
窺えたセドの横顔。
その噛み締める唇に、血走った両の眼に、確かな悔しさと憤りが映っていたことに。
──それは、強く燻り続ける後悔だった。
かつて親友達と共に守ろうとしたもの。
だがその者達、その全てを自分達は救うことができなかった。
シノブという何よりの仲間にも、長らく辛酸を舐めさせてしまった。
ひっそりと、隠れるように生きることしかさせてあげられなかった。
「あの時のてめぇらはその為にある“力”を使わなかった。……使わないで逃げたんだ」
だから、せめて俺達は──。
シノブは思わず唇を噛み締め、零れそうになった声を、咄嗟に手で口元を覆うことで何と
か防いでいた。
だけども、その代わりに強く揺らめき出したのは……瞳の奥の涙腺で。
「奇麗事を……! 貴公は彼女の為に自分を捨てる気か!?」
「当たり前だ! 奇麗事がそんなに悪いのかよ!? 人っ子一人も助けられないような人間
が領主なんぞ務められるか!」
『……ッ』
無論、擲つ。
それは迷いの無い意思だった。
だがかつての悔恨をその理由としていても、あまりにも違い過ぎたのかもしれない。
この目の前の、顕界随一の大国を動かしていると自負する“貴族”の群れとは。
だからこそ、双方共に驚いていた。
サヴィアン候らも、涙目寸前のシノブと彼女を囲む味方な諸侯らも、一見する限りは。
両陣営は、たっぷりと暫くの間睨み合っていた。
片や国を治めるという実利にどっぷりと浸かった──セド曰く手前勝手に纏まっただけの
現実主義者。
片や大切な仲間の為に闘うと豪語し、実際にその為に貴族としての力を蓄積してきた──
サヴィアン候曰く奇麗事に浮かされた理想主義者。
果たしてどちらが“正しい”のか。
「くっ……!」
或いは、どちらも……。
「狂っておる。狂っておるぞ! そもそも貴様は、以前から──」
「口を慎め。サヴィアン」
だがその火花は、一先ずそれまで黙していたハウゼン王の一声によって鎮火させられた。
大きく頭を振ってサヴィアン候が叫ぼうとしたちょうどその時、王がピシャリとその一言
で以って彼を押し留めたのである。
「へ、陛下……? な、何故です!? 彼はッ!」
「聞こえなかったか? 慎めと言っておる。確かにお主の言うことも一理あろう。守る為に
捨てるという選択も……時には迫られるかもしれん。……だがな。私は目の前の姫君を尻目
に皇国を語るほど、愚かなつもりはないぞ?」
目を見開いて、サヴィアン候とその取り巻き的な諸侯らは、暫し唖然とハウゼン王を、向
かい合うセド──その背後で唇を結んでいるシノブ達を見つめていた。
一方のセド当人も王の一言で頭が冷えたのか、いや「計画通り」と僅かにほくそ笑んだの
か、若干の俯き加減で怒気を収めたように見える。
しんと、しかし戸惑いが燻っている王の間。
「……良かろう。エイルフィード……いえ、シノ殿下。此度の祖国とご子息の危機、我が国
として一肌脱ぐと約束致しましょう」
その中で、ハウゼン王は臣下らのやり取りを経て、国主としての決断を下していた。
「ぁ……。ありがとう、ございます……!」
「……御英断、恐悦至極に存じます」
シノブが、セドを始め擁護派の諸侯らが一斉に深々と頭を垂れる。
サヴィアン候らはその判断に不服そうなのは明らかだったもの、既に流れは完全にセドの
側に傾いていた。
無言でぎりぎりっと悔しさを滲ませた視線が彼らから送られる中、平静を取り戻したセド
はそれらを柳に風と受け流している。
「しかしエイルフィードよ。そう今すぐにとは行かぬぞ? 表向きの事もある。正規の手順
を踏まねばな。先ずは評議会を召集して決議を経なければならん」
「はい、存じております。ですが陛下、その前に」
「うん?」
話は、次の段階に進もうとしていた。
肘掛けに置いた片手を持ち上げ、ハウゼン王が思案顔で口元を擦り始める。
「……その前に。もう一つ、陛下に提出するべきものがございます」
するとセドは再び王に恭しく頭を垂れ敬礼すると、ふとそんな言葉を口にしたのだった。