21-(1) スメラギなる対面
「──どうだ、見つかったか?」
「いや……こっちには見当たらないな」
「まだ城内にいる筈だ。捜すぞ!」
遠巻きに警備の兵らのやり取りと足音が聞こえてくる。
もう何度目か分からないそのニアミスに、脱獄囚一同は物陰に身を潜めつつ、じっと息を
殺していた。
「……行ったか?」
「ああ。そうみたい、だな」
やがて遠退いてゆく足音。
その物音がしっかりと聞こえなくなり、追っ手の気配が消えるのを待ってから、彼らは互
いの顔を見合わせると、ようやくホッと一先ずの安堵の息をつく。
地下牢を脱することには成功した。
武器庫で当面の武装や物資は充分に確保できた。
しかし……。今、警備兵らと真正面からぶつかる訳にはいかなかった。
「盟約の下、我に示せ──水脈の癒」
心配そうに彼らが囲んでいるその最中に、ジークはいた。
バッサリと胸元から腹にかけて刻まれた斬撃の跡。
脱がされた肌着の上からも色濃く滲んでいる血色の赤。
ユイとの戦闘こそ痛み分けに終わったが、かといってそのダメージが少なからぬことは傍
目から見ても明らかだった。
彼女との戦いのすぐ後、意識を失ってしまった彼のその傷口に、もう何度目とも知れない
治癒の魔導が掛けられている。
術者からかざされた手。
豊かな海を思わせる青い光がその傷を包み、先程から何度も治癒が促される。
しかし傷は深いようで、中々彼の身体に刻まれたその痛々しい跡までは消えてくれない。
「お、おい。まだ治らないのか?」
「無茶を言わないでくれ。私の扱える術式ではこれが──止血と消毒が限界だよ」
ジークの、文字通り身体を張った一手により、キサラギ小隊の包囲網からは抜け出せた。
しかし彼らは、誰一人としてそのままこの青年を置いて逃げるという選択肢を採ることは
なかった。
地下牢から自分達を解き放ってくれた恩義もある。
だがそれ以上に──あの戦いの中、彼が叫んでいた嘆きと憤りの声が面々の心を強く打っ
ていたのだ。
自分達に都合の良いだけの“正義”を理由にするのではない。
何を救うべきなのか。一体誰の為の、何の為の力なのか。
「私が聖魔導を扱えればもっと処置ができるのかもしれないが……。だがこれは、普通なら
病院に運ばないといけないレベルの大怪我だぞ?」
「……。兄ちゃん……」
「無茶しやがって……」
レジスタンスのメンバーであろうとも、そうでなくとも。
あの叫びは間違いなく、今この国の全ての人間に問われるべき言葉だったのだと思う。
だからこそ面々は、手負いのジークを担ぐと武器庫前の危機を脱した後、こうして夜長の
中庭へと身を潜めていたのである。
夜風は冷たいが、少なくとも王宮の室内に居るままでは身を隠す場所に事欠いてしまう。
そんな判断からだった。
──この青年を、ここで失くす訳にはいかない。
誰かから言われたという訳ではなかった。
だが不思議と、面々の間にはそんな一致が出来ていて……。
「…………うぅ」
「ッ!?」
「あ、兄ちゃん!」
そんな時だった。ふと、薄らとだがジークが目を覚ましたのである。
面々は息を呑んで身を乗り出していた。
そんな彼らが自分を囲んでいる姿を、ジークは未だぼんやりとした視界の中で瞳に映し、
たっぷりと数拍の間を開ける。
「……。何だよ、お前ら逃げてなかったのか?」
そして霞の掛かったような意識の中、最初に口について出た言葉はそんな憎まれ口。
「ばっか。逃げる訳ねぇだろーよ」
「このまま兄ちゃんを捨て駒になんてしたら──女傑族の誇りに関わるさ」
「……ま、でも。それだけ減らず口が叩けるなら、意識があるなら良かった。さっきから全
然目を覚まさなかったから心配したんだぜ?」
それでも面々は怒りはしなかった。
むしろ先ず彼が目を覚ましたことに安堵し、中には互いの顔を見合わせてホッと胸を撫で
下ろしている者さえいた。
「……はん。とんだ馬鹿者だよ、お前らは」
ジークは暫く黙し、そんな彼らの表情を眺めていたが、ふと再び悪態をついてみせると
そのまま立ち上がろうとする。
「お、おい……」
「何処に行くつもりだよ?」
「……決まってんだろうが。アズサ皇を取りに行くんだよ」
「ば、馬鹿野郎! 馬鹿はそっちだ!」
「そんな傷でまた城の兵士達とぶつかる気か? 無茶だって!」
「お前らにゃ、関係……ねぇだろ。こっちだってやらないと、いけないこと、が──」
だが強がってみても、身体に刻まれたダメージは癒された訳ではない。
数歩、立ち上がって再び城内へと戻ろうとしたジークだったが、身体がいう事を聞かずに
ガクリとまたその場に倒れ込んでしまう。
「ほら言わんこっちゃない!」
「無茶だっての。今度こそ本当に死んじまうぞ?」
面々は咄嗟に、そんな彼をキャッチしていた。
力の入らないその身体を皆が協力して支えると、改めて植木の根本に寝かせてやる。
「……。分かったよ」
まさか自分の出自も、六華のことも知っている筈もないから……か。
ジークもようやく無理が効かない状態だと悟ったのか、むくれっ面をしながらも仕方なく
といった様子で、そのまま幹に背を預けると押し黙り始める。
「──……」
“彼”が姿を現したのは、ちょうどそうした最中のことだった。
それまで夜の中庭には自分達以外の誰もいなかった筈だ。ずっと兵の気配にも警戒しつつ
のやり取りでもあった筈だ。
なのにこの男──“剣聖”リオは、そんな面々の五感の隙間をあっさりと突破していて。
「……ッ!? こいつ、いつの間に……!」
「まっ、待て! こ、この方は──」
面々は、幹に背を預けたまま動けないでいるジークを庇うように、リオに向かい合う格好
を取っていた。
一方では追っ手かと得物を構え、もう一方ではそれを制止して目を凝らして。
面子の中にはレジスタンスのメンバーも、旧来のトナン王宮を知る人間も混じっている。
だからこそ、ジークはすぐに知ることとなった。
「もしかして……。リオ様、なのですか……?」
「リオ? それって“剣聖”のことか?」
面々の一人がそう確認するように呟くのを聞いて、ジークは思わず怪訝に眉を顰めてこの
剣士風の男──リオを見遣り直した。
その眼は、紛れもなく驚きや戸惑いの色。
何故、七星の一角がこんな場所にいるのかという疑問。
そしてそんな反応は、何もジーク一人だけのことに留まらない。
「……」
だが当のリオは、肯定も否定もせず、ただ夜風に吹かれながら立っていた。
中庭の木々が、羽織った上着がざわざわと揺れている。
それでも、じっと彼が視線を向けていたのは──面々の奥で動けぬままのジークの姿で。
「お前が、ジーク・レノヴィンだな?」
「あ、ああ……。そうだが」
ややあって、リオはそうポツリと一言だけを訊ねてきた。
ジークはますます眉間に皺が寄るも、夜月を背景に立つ彼の静かな迫力には勝てず、少な
からず気圧されながらも首肯する他ない。
するとどうだろう。そんなジークの反応を確認すると、リオは小さく、ほんの僅かに頷い
たかと思うと、懐からはたと何かを取り出しこちらに投げ寄越してきたのである。
面々の隙間を縫うように、中空を舞って飛んでくるそれ。
思わずジークは反射的にキャッチしていた。
おずと、自身の手中に落ち着いたその感触を確かめるように軽く握った掌を開いてみる。
「……これは」
それは間違える筈もない、ジークのレギオンカードだった。
どうして、アズサ皇側に取られていた筈の代物を……?
近くに立っていた面子らが覗き込んでくる中、ジークは落とした視線をついと上げると、
再び自分達と相対するように、何処となく距離を置くように立ったままのリオをじっと頭に
疑問符を浮かべた状態で見遣る。
「すまんな。俺でも、こちらだけしか掠め取れなかった」
「えっ……?」
すると、小声だが確かに、リオは見つめ返すままにそう呟いていた。
ジークは思わず静かに目を見開き、短い驚きを漏らす。
かの“剣聖”がまるで自分に味方するかのような行動を取ってきたことに、ではない。
確かに彼は言った。こちら“だけ”しか、と。
つまり知っているのではないか?
自分が単身此処に囚われた理由も、六華奪還とアズサ皇を止めるという動機のことも。
「あんた、一体──」
「静かにしろ」
戸惑いが強くなっていた。疑問が震えながら口を突いて出ていた。
しかし次の瞬間、リオはフッと表情を心なし強張らせると、ぴしゃりとその一言で以って
ジーク達を黙らせていた。
そして遠くから聞こえてきたのは、今尚自分達を捜している警備兵らの声、足音。
暫くの間、リオを含めた場の面々は、それらの気配がしっかりと遠退き消えるまでじっと
息を殺すことを強いられることとなった。
そんな妙に重い沈黙が、どれだけ続いた後だったろうか。
「……。急いだ方がいいな」
リオはやはり小さく呟くと、ふと植木が点々と並びゆく中庭の奥まった方へと静かに視線
を移しながら言う。
「あの先、奥から三番目の石像の首を回せ。城外への脱出路に繋がる」
『──!?』
それは紛れもなく“逃げろ”の合図だった。
その言葉に、最初ジークを含めた面々はピンと糸を張ったように驚きで身体を硬くしてい
たが、ややあってその反応は怪訝と希望で半々になる。
「罠じゃ、ないんですね……?」
「な、何を言ってるんだ、相手はリオ様だぞ?」
「だからこそ、だよ。リオ様は権力争いを嫌って随分昔に国を出て行った筈じゃないか。な
のに何で今こんな所にいるんだ? 怪しいと思う方が自然だろうが」
「だからって……。本人の前で言うことじゃ──」
ざわざわと、面々の中でも意見が割れているようだった。
だがそれよりも、ジークは不思議な思いが強かった。
(何でさっきからこいつらは“剣聖”のことを様付けしてんだ? そりゃあ確かに同族出身
の七星ってのは誇り……なのかもしれねぇけど)
しかしそんな怪訝は後だ。
実際問題として、今は自分はろくに動けない。このまま皆でじっとしていてもいずれは見
つかってしまうのは目に見えている。ならば……。
「……分かったよ」
「え?」「兄、ちゃん?」
次の瞬間、ジークはふぅと腹を括るように大きく息をつき、
「俺はあんたを、その言葉を信じることにする」
そう、態度を決めかねる面々を代表してみせた。
「本当にいい……のか?」
「まぁ、兄ちゃんがそう言うなら……」
そんなジークの判断に面々は少なからず驚いていたが、程なくして彼らはその意思に従う
旨を示し出した。
まだ深手で動けないジークを体格の良い数人が騎馬戦の要領で担ぎ上げ、その周りを残り
の面子がぐるりと囲む。カチャリと、彼らの携行する武装の金属音が夜長の中庭に残響して
は草木に吸収されるが如く消えてゆく。
「よし、行くぞ」
「リオ様、ありがとうございます」
そして一行はリオが指し示した方向へと駆け出し始めた。
ある者は半信半疑なまま、またある者はかの同胞出身の英雄に敬意を示し。
「……剣聖、リオ」
そして彼らに担がれたジークは、深手の身体でこの混沌の場から脱しようとしながらも、
肩越しにこの突如として現れた“剣聖”へと最後まで怪訝を燻らせた眼を送って。
「…………」
ややあって、彼らの姿は見えなくなった。夜闇の中に掻き消えていった。
その姿が失せてからも暫くの間、リオは時折夜風が吹く王宮の中庭に一人立ちぼうけるよ
うにして居残っていた。
「……。さて」
だがそれは、何の意味もない所作ではなかったのである。
リオはまるで、ジーク達が感知の外に出ていったのを確認したかのようにふとその身を翻
すと、人気のなかった筈の中庭の夜闇に向けてザッと形なき覇気で辺りを睨み付ける。
『──ッ、ァ!?』
するとどうだろう。
まるでその威圧に炙り出されたかのように、次の瞬間、周囲の物陰からふらりと倒れ込む
人影達が続出したのだ。
いや、人ではない。
全身を黒衣で包んだ、被造人の兵士達。かの“結社”が放つ量産の雑兵らだった。
それでも、全てが倒れた訳ではなかったらしい。
あたかも欠けた兵力を補うように、物陰から十体二十体とまた新たな傀儡兵らが次々に姿
を見せると、じわりじわりとリオを取り囲んできたのである。
「……被造人如きで俺を止められると思ったか? ……精々牽制程度、か」
それでもリオは、全くといっていい程に動じていない。
むしろ両手甲から迫り出した鍵爪を構え出す彼らを値踏みするように、ゆたりと夜闇の黒
に自身の服装を、気配を紛らせながらそんな呟きを漏らしている。
最終的に、傀儡兵らはざっと五十体程に膨らんでいた。
二重三重に、包囲を敷く彼ら傀儡兵達の円陣。
「悪いが、ここで朽ちて貰う」
しかし尚も、彼の者に一切の焦りの色は無く。
「彼を──死なせる訳にはいかないのでな」
この当代最強の剣客は、腰に下がった太刀の柄を撫でると、そう静かに持ち上げる。