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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-20.今繋がる過去と現在(いま)
105/434

20-(4) 時代(とき)を結ぶ糸

 半ば成り行きのままゲドとキースを伴いホームに戻ってみると、そこには既に思いの外な

先客達が待っていた。

「よう。やっと戻ってきたか。お疲れさん」

「お疲れさま。お久しぶりです、シフォンさん」

 一人は間違えようもない、レノヴィン兄弟の母・シノブ──トナン皇女シノで。

 もう一人は、執事風の壮年男性を連れた、やけに気安く接してくる軽礼装の男性。

 シノブに会釈を返しつつ、シフォンは思わず戸口で止めていた足を再び踏み出した。

 何故ここに彼女が? いやそれ以上に、この二人は何者なのか?

 装いだけを見れば貴族の類だろうと知れるが……。

「お待たせッス、伯爵」

「連れて来ましたぞ」

 そんな疑問は次の瞬間、路中引っ付いて来たこの二人が口にした言葉によって解消される

ことになる。

「おう。ご苦労さん」

 シフォンは思わずこの二人とその貴族風の男性とを見比べていた。

 この二人が“伯爵”と呼ぶということは、この人物はもしかしなくても……?

「さてっと……もう一回自己紹介しておこうか。俺はセオドア・エイルフィード。大抵の知

り合いにはセドって呼ばれてるからそう呼んで貰って構わない。シンシアの父親だと言えば

分かるよな?」

「同じく、セド様に御仕えしております。執事長アラドルンです。以後お見知りおきを」

 そしてこの男性──エイルフィード伯セドは、そんなシフォンにニッと笑い掛けると自身

をそう名乗った。彼の傍らにじっと控えていた側近・アラドルンも、そう短く名乗ると深々

と頭を垂れて挨拶に代える。

 また既にイセルナら他の団員達は聞き及んでいたのか、彼らは目を丸くしたシフォンを温

かい、されど多少の苦笑いも混じった眼で見てくるのが分かる。

「ともかくシフォンもお二人もかけて? ……大事な、話だから」

 だがそんな、フッと緩んだ空気も束の間。

 イセルナは真剣な表情かおに戻ると、そう三人を、椅子を割増して押し込ませてあったテーブル

席へと促してくる。

「それじゃあ、早速本題に入ろうか。……いいな、シノブ?」

「ええ。……もう、私達家族が“市民”でいられないのなら」

 ざっと揃ったブルートバードの待機組とエイルフィード家当主一向。そして何故かこの場

に姿を見せているシノブ──トナン皇国皇女・シノ。

 セドは一度、改めて確認をするように、彼女の憂いを多分に含んだ首肯を目に焼き付ける

と、テーブルを囲む一同に向かって語り始めた。

「シフォン君。君が戻ってくるまでに一度皆にはざっとは話したんだが、今回俺がシノブと

一緒にこっちに出向いたのは他でもねぇ。──俺達と一緒にアズサ皇を止めて欲しいんだ」

 眉根を寄せてシフォンが、あくまで平静を装ったイセルナやハロルドがそれぞれに彼の真

剣な表情かおと眼差しを見た。

 次いで、一同はシノブへと視線を移す。

 ぎゅっと胸元を掻き抱き、湛えるのをとうに越え、不安に押し潰されそうになりながらも

じっとまた彼女も揺らぐ決意──内面の迷いと闘っているように見える。

「……先ずは、謝らせて欲しい。俺は昔、まだ一介の冒険者として好き放題にしていた頃、

コーダス──後のシノブの夫とコンビを組んでいた。その後の顛末、二十年前のクーデター

の件は既に本人から訊いているんだよな?」

 自ら、セドは先ずはと皆に頭を下げた。

 それは散らかっていた糸、それらを再び一本の太く長い時代ときの流れに繋ぎ直す過程でも

あって。

「じゃあ、伯爵殿はシノブさんの言っていた“かつての仲間”の……?」

「ああ。その一人って訳さ。それと俺の事はセドでいいぜ? 何たって君はダチの──ハル

トとサラの甥っ子なんだからよ?」

「……ッ!?」

 セドから返された言葉に、シフォンは明らかな動揺をみせていた。

 ぐらぐらと、その両の瞳が揺らめいている。

 そんなかつての仲間の縁者にフッと笑みを投げ掛けてやると、

「以前君が“結社”に捕まった時の事件はこっちも把握してる。その時にユーティリアって

苗字を見つけてもしやとは思ってたんだ。……それだけじゃない。此処には昔、シノブの為

に──いや、今も奔り続けてる連中ゆかりの人間が集まってるらしい。これも何かの因縁か

と思ったもんさ。……ハルトもサラも、消息を知って喜んでたよ。無事で良かった。何とか

自分達も族長として頑張る。里に戻れる環境を作ってみせる。そう言ってたよ」

 彼は少しだけ横道に入るかのように、そっとこのエルフの青年の心に寄り添う。

「……そう、ですか」

 シフォンは俯き加減に前髪で表情を隠していた。

 感涙か、或いは過去の古傷が痛むのか。

 少なくともセドから伝言されたその言の葉に、彼はかつて里を追い出されるそのギリギリ

まで庇ってくれたこの心優しき叔母と、後にそんな彼女の夫となる小父さんの記憶を脳裏に

思い起こすと、暫し静かに肩を震わせていた。

「……。俺達はずっと、シノブ達一家を見守ってきた」

 だがそれでも、セドは本題を語ることを止めない。

 たっぷりと、落ち着こうとするシフォンの横顔を眺めてから、彼はぽつりとそう何処か遠

い眼をして呟き始める。

「シノブはコーダスと──愛する人と結ばれた。ジークとアルスという子供にも恵まれた。

今までずっと俺達がアズサ皇に“復讐”をしなかったのは力が足りなかったからじゃない。

シノブ本人が一人の女性としての平穏を、自分の所為で争いを蒸し返して故郷の国民を苦し

めたくないと願ったからだ」

 シノブがきゅっと唇を結んだ。

 セドがギリギリと握っていた拳に一層の力を込めた。

 この場の面々には、もう察しが付いていた。

 それは、逆説的に言及していると言ってもいい、哀しい事態の悪化。

 そんな彼女のささやかな願いが、今まさに壊されようとしていることに他ならなくて。

「もうニュースで知ってる通り、アズサ皇が大規模な軍事行動に出た。表向きは自国行きの

飛行艇を“結社”にテロで落とされた、その報復行動ってことになってる」

「しかしそれは、アズサ皇が世界に向けて演じてみせた狂言なのです」

 だが彼らの語ったその情報に、流石のイセルナ達も驚きを隠せなかった。

 一様に驚愕──目を丸くし、動揺をみせ、場がはたと大いにざわめき出す。

「分かり易いように結論から言う。……アズサ皇と“結社”は裏で繋がってる。要はテロは

自作自演って訳だ。で、それを梃子にして国内の反対勢力レジスタンスを一気に潰してしまおう──そんな

魂胆なんだ」

「じゃあ“結社”とレジスタンスが手を組んでいるっていう話は……?」

「そっちもでっち上げさ。表向き倒そうとしてる連中が味方な訳だから、真の狙いのレジス

タンスをぶっ潰してからそれらしい証拠を捏造するくらい造作もねぇだろう」

「な、何て強引な……」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ! じゃああのテロの犠牲者はまるで……!」

「……ああ、無駄死にさせられたんだ。奴らの手前勝手な都合でな」

 クランの面々の気色に、憤りが急速に塗られ始めていた。

 あくまでセドは淡々と語っている。だが彼もまた、必死にそんな感情を堪えているらしい

のは、握り締めた拳の震えからも明らかだ。

 勿論、彼に向けられたものではない。

 だが面々の表情に溢れ始めているのは、動静入り混じった義憤──その類の怒りで。

「でもな。それだけじゃねぇんだ。そもそも、こっちが本題の本題なんだが」

 それでもセドはぐっと堪えていた。

 強い眼差し、決意の顔。

 その様子に追随するように、シノブも不安げな表情を持ち上げて皆を見る。

「──レジスタンスと本当に組んでいるのは、ジーク達だ」

 はっきりと、セドはそう言った。

 震わせていた肩から復帰していたシフォンが、大きく目を見開いている。

 そんな彼に、団員達が、イセルナとブルートが補足的に付け加える。

「本当、なんですか……?」

「間違いないわ。実はセドさんが来る少し前に、向こう──リュカさんからも同じ内容の導

話があったばかりなのよ」

「六華を取り戻す為にレジスタンスに接触しようとしていたら、皇国軍の襲撃に遭ってしま

った。加えてジークが皆を逃がす為に単身一人で投降してしまったとな。本当に、悔しそう

な声の連絡だった」

 思わずシフォンはその場から立ち上がり掛けていた。

 アルス君だけでなく、ジークまで……。

 自分だけの落ち度ではないのかもしれない。だが悔しさが間違いなく腹の奥底から沸いて

くるのが分かる。

「それこそがアズサ皇の目的なのさ。目の上のこぶ──レジスタンスとジーク達をまとめて

潰し、六華全てを手に入れる。名実共にトナンの皇になるつもりなんだろう。六華を手にし

て一番得をするのは、彼女をおいて他にいないからな」

 改めてクランの面々は沈痛な面持ちで押し黙っていた。

 立ち上がりかけていたシフォンもぐらりと席に着き直し、やがて一同の視線は、この事態

に間違いなく最も心を痛めているであろうシノブへと向いてゆく。

「……ッ。うぅ……ッ」

 握り締めた胸元をより強く、深く。

 シノブはもう不安と迷いで潰れてしまう間際まで追い遣られているかのように見えた。

 そんな彼女の背中を、隣に座っていたイセルナがそっと擦っている。きっと息子達や祖国

のことを憂いて気が気がでない筈だ。だけど……もう彼女に、理路整然とした言葉を紡ぐだ

けの余力は残されていなくて。

「……俺達からも、頼む。ジークもアルスも、トナンも俺達と一緒に救ってくれないか? 

事態はもう待ってくれないらしい。もうこれ以上、シノブを苦しませたくないんだ。こいつ

がずっと背負い続けてきたあの国との呪縛を、今度こそ解き放ってやりたい……」

 頼む。セドは恥も外聞もかなぐり捨てる勢いで、深々と面々にその頭を垂れていた。

 傍らのアラドルンも、心持ち離れ気味に居たゲドとキースも、やや遅れて彼に倣う。

「……。私達が断わるとでも思っていましたか?」

 しんとなった休業中の『蒼染の鳥』店内。

 そんな沈黙を破ったのは、真剣な表情のまま口を開いたイセルナだった。

「是非協力させて下さい。仲間ともを救う為なら……この身を惜しむつもりはない」

「だね。ここまで事情を知って知らぬ存ぜぬを貫こうものなら、それこそ天罰が下る」

「勿論です!」

「俺達でよければ、喜んで」

「アズサ皇も“結社”も……許せねぇ、ぶっ飛ばしてやる!」

 団長イセルナの一言が合図だった。

 気付いた次の瞬間には、シフォンもハロルドも団員達も、次々にセド達の頼みに快諾と意

気込みを返していた。

「……皆、さん」

 にわかに空気がざわめき出す。シノブがじわっと両の瞳を濡れそぼらせる。

「ご迷惑を、お掛けします……っ」

「そこは“ありがとう”だろ? 気に病むな。俺達もブルートバードの皆も、お前を見捨て

たりしねぇよ。……あいつとの約束なんだ。絶対に、取り戻してやっから」

 とうとうシノブは、嗚咽で俯いてしまっていた。

 傍らのセドは一度フッと苦笑すると、そんな彼女の背中をポンポンと撫でてやってから、

そう静かに慰めて言う。

 その言葉の端に、過ぎ去った日々の中で誓い、磨き上げ続けてきた決意を込めて。

「ですが……具体的にどうするつもりなのです? 相手は一国の正規軍。加えて今は表向き

“結社”との対決を演出し世間体も保っています。そんな相手にまともにぶつかるのは得策

ではないと思うのですが……?」

「ああ。それなら心配ない」

 そんな中、眼鏡の奥で目を細めてハロルドが早速打ち合わせ的な質問を投げ掛けてきた。

 ジークやアルス、皇国トナンの民をこの戦火から救う為にも、あまり悠長にはしていられない。

かといって無策で武力衝突をすれば、こちらが大きく対外的に大きな不利を被るのは目に見

えている。

「現在進行中で協力者達に手を回して貰ってる。大枠の作戦も練ってある」

 それでも、セドは悲観的ではなかった。

 むしろ、まるでこれまで抱えていたエネルギーを今こそ解き放つ時だと言わんばかりに、

その表情にはある種、迷いがない。

「……この日の為に、俺はずっと伯爵をやってきたんだからな」

 只々、仲間ともを深い嘆きの底から救い出す。

 ただその一点の為に、己全てを擲つ覚悟であるように。


「失礼致します。レノヴィン殿をお連れしました」

「ご苦労。通してくれ」

 何故か守備隊長が慌てて出て行ったかと思うと、暫くしてアルスとエトナはそれまでとは

正反対の──丁重な対応を受けていた。

 加えて今はその壮年の守備隊長に連れられ、この街を見下ろす屋敷の、とある一室のドア

の前にまで足を運んでいるという状況だ。

(とりあえず、変な疑いは晴れたみたいだけど……)

 まだ燻る不安のまま、アルス達はその部屋へと通された。

 ふわっと踏み締めた足には、如何にも高級そうな絨毯の感触が伝わってくる。

 どうやらここは、この屋敷の中でも位の高い人間の──或いはそんな人物を迎える為の部

屋であるらしい。

「彼らと三人で話したい。人払いを頼む」

「はっ。では……」

 そこにいたのは、貴族の礼装に身を包んだ一人の男性だった。

 金髪を几帳面に切り揃え、白を基調としたその服装と相まって清潔感や高貴さが印象付け

られる。彼はアルス達を案内してきた守備隊長にそう告げると、彼を場から立ち去らせた。

 カチャリと、緊張気味に立つアルスの後ろでドアが閉まる音が聞こえていた。

「さて……。すまなかったね、うちの守備隊員が粗相をしてしまって。改めて私からも謝ら

せてほしい」

「い、いいえ……」

「別にいいよ。何だかそっちで収まったみたいだしさ? それよりも貴方は誰なの? 見た

感じ、この部屋からしても──」

 振り返り、金髪の貴族男性は真面目にだが柔らかな物腰で開口一番、そう小さく二人に頭

を下げてきた。

 そんな彼の態度に思わずアルスは恐縮し、一方でエトナはまだ少々むくれたまま、目の前

のこの人物について誰何しようとする。

「申し遅れた。私はサウル・フォンテイン。この輝凪の街フォンテイムの領主をしている者だ。

初めまして、アルス君。その持ち霊エトゥルリーナ。……シノ殿下のご子息よ」

「ッ!?」

「……貴方。どうして」

 だが次の瞬間、恭しく胸元に手を当ててお辞儀──貴族風の挨拶をしながら言った彼の言

葉に、アルス達は思わず目を丸くして驚いていた。

 自分達の名を知っていることに、ではない。

 敢えて母を──その隠してきた筈の本名と血筋を知っているかのように付け加えてきたか

らである。

 アルスは只々純粋な驚きを、エトナはそんな相棒を護るように前に出ると、彼──フォン

テイム侯サウルは静かに微笑んでいた。

 少なくとも、敵意の類は感じられない。それはここに連れて来られるまでの経緯でも見受

けられるものだ。

 アルスは少々躊躇いこそみせたが、ややあって警戒心を表明しているこの相棒にやんわり

と言い聞かせて退かせると、改めて問い返す。

「どうして僕らを……? いえ、母の事を知っているのですか?」

「簡単なことだよ。私もエイルフィード伯らと同じく、彼女のかつての仲間だからね」

 そう。確かに、それでおおよその理解はできた。

 母のかつての仲間。それはつまり二十年前のクーデターの折、父と共にアズサ皇の追っ手

から母を守り抜いてくれた者達の一人ということで。

(エイルフィード伯……。シンシアさんのお父さんもその一人だったのか……)

 アルスは目を瞬き、心なし眉根を寄せて、猛スピードでこの状況と今までの情報の整理に

頭を働かせ始めていた。

 少なくとも、この人は悪い人じゃない。多分きっと。

 そんな彼の思考をそっと待っているかのように、サウルは暫しの間を置いてくれた。

「尤も、私の場合は当時、間接的な関わり方しかできなかったんだがね。むしろ彼女の仲間

と呼ぶべきは……妻の方だったと思う」

 言って、彼はふと部屋の一角のローチェストへと歩み寄っていた。

 そして静かに手に取ったのは、一枚の写真立て。

 そこには彼と、小さな赤ん坊を抱えた白い銀髪──眞法族ウィザードの女性が肩を寄せ合って微笑ん

でいる姿が写っている。

「アイナ・ウィルハート。……コーダス君達の仲間の一人で、私が愛した女性ひとだ。元々そう

丈夫な方ではなかったのもあって、息子を産んでからは病に伏せがちで……逝ってしまったが」

「……。そう、でしたか」

 酷く哀しそうな眼だった。だがそれは、彼がそれだけこの女性を深く愛していたことの裏

返しでもあるのだろうと、アルスにはごくごく自然に思えた。それに……。

「ねぇアルス。ウィルハートってまさか」

「……うん。僕もちょうどそれを考えてた」

 二人は改めて、この領主を見た。

 写真立てをじっと愛おしげに見つめてから、そっと元の場所に戻している彼。

 そんな彼に、アルスが確認するように問い掛ける。

「もしかしなくても貴方は、サフレさんの……お父さん、なんですか?」

「……ああ。先程話したようにウィルハートは母方の姓でね。私は息子には酷く嫌われてし

まっているからね。……息子は、そっちで元気にやっているだろうか」

「ええ。ちょっとゴタゴタはしましたけど、今は僕らの──クラン・ブルートバードの一員

としてマルタさん共々力を振るってくれていますよ」

「何だかんだでジークの手綱も握ってくれてたりするしね。冷静というか、斜に構えてるっ

ていうかさ」

「……そうか。二人とも、元気そうでよかった」

 問いに答えて、またアルス達から返って来る返事に安堵して。

 サウルはフッと笑い、窓の外から眼下の街並みに目を遣っていた。……いや、街の景色と

いうよりはそんな遠い地にいる息子(とその従者)を思っていたのだろう。

 やっぱりそうなのか……。

 アルスは予想を確定に変え、内心で頷いていた。

 繋がっていく気がした。時代ときを越えて、仲間ともらが集うかのような。

「だけど何でまた、母方の苗字を? つまりサフレって領主の息子なんでしょ?」

「……簡単な、ことさ。あの子は私を憎んでいるんだよ」

 くしゃりと。サウルの表情が哀しみで歪んだように思えた。

 だが、それはあくまでこうして彼自身の吐露を目の当たりにしたからなのかもしれない。

 少なくともそんな話を聞いていない限り、その外見はあくまで“真面目な侯爵”の域を出

ていなかったからだ。

「生前、病床の妻は大層悔やんでいた。仲間ともを──シノ殿を救い切れなかったことをね。

コーダス君と結ばれ、君たち兄弟という子供を授かっても……祖国から逃げたことをずっと

負い目に感じているようだと話していた」

 自分達と、目を合わせたままでいるのが怖かったのかもしれない。

 無意識の、領主としての矜持だったのかもしれない。

 サウルは窓の方を向いたまま、静かに口を開いていた。

 アルスは言葉通り、その抱えていたであろう母の苦しみを思い、エトナは宙に浮かんだま

までじっとサウルの横顔を見遣っている。

「だから、私は妻と約束した。誓ったんだ。君の仲間ともらと一緒に、いつしか彼女を救って

みせると。……妻はそれから程なくして、逝ってしまった」

 窓辺に映る自身の姿。

 それをじっと見つめながら、サウルは半ばの独白を続けていた。

「私は力を尽くしてきたつもりだ。エイルフィード伯──セド君とも連携して信頼の置ける

人脈を広め、ずっと君達一家と彼の国の情勢を見守ってきた。だが……そんな私を、息子は

“金儲けに明け暮れて母を死なせた男”と見ていたらしい」

「そんな……。でも」

「いや、一面では事実だよ。資金がなければこうしてずっと妻の遺志を継ぐこともできなか

ったのだからね。実際、その為に私は傘下の事業の拡大も図ってきたし、そこで他の諸侯や

有力商人らと何度となく競争を繰り返してきた。それが、息子には酷く醜いものに見えて仕

方なかったのだろう」

 サウルはあくまで冷静に話していたが、それは……。

 思わず口を挟みかけ制止されたアルスは、もやもやと胸中で頭をもたげ始めた切なさに眉

を顰めていた。

 父子おやこの、齟齬。

 同じことを連想したのだろう。傍らのエトナもまた、不機嫌なような承服しかねるような

むくれ面で、視線を逸らし気味にして佇んでいる。

「……サフレさんには、この事は?」

「話していない。私達の代のことに巻き込みたくないからだったが……生憎、事態はそうも

予断を許さなくなっているがね」

 だがその話は、他ならぬサウル自身がここまでだと線引きをするかのように一旦遮断して

しまっていた。代わりにそこから別の──いや、本来の話の目的へと彼はアルス達を誘導し

ようとする。

「ジーク君達が、トナンという国が、今危機に陥っている。君達も知っているだろう? 先

日トナン行きの飛行艇が“結社”によって落とされた。だがあれは狂言なんだ。アズサ皇と

“結社”は、裏で繋がっている。今回の一連のレジスタンスへの軍事行動も、全ては彼らと

その彼らと手を組もうとしていたジーク君達を潰す為。何より護皇六華を我が物とするべく

取った彼女達の陰謀なんだ」

「え……っ? ちょ、ちょっと待って下さい」

「ジーク達は、テロに巻き込まれてないの……?」

 だがそこで齟齬が生まれた。

 サウルが真剣に話す、その一方でアルス達はたちまち混乱で話が分からなくなっている。

「……? 君達は、何か勘違いしているようだが──」

 そしてそこでようやく、アルスとエトナは自分達の一大決心の出奔が空振りだったことを

知ったのだった。

 サウルから聞かされた今までの一連の話。

 ジーク達が飛行艇ではなく、既に導きの塔でトナンに着いていたこと。

 その旅中で反皇勢力レジスタンスと手を取り、六華奪還の同盟を結んだこと。

 何よりも、その動きを封じ込めるように今まさにアズサ皇が軍勢を動かし、ジークが囚わ

れの身になってしまったこと。その全てを聞かされたのだった。

「……完全にすれ違い、だったんだ」

「うぅ……。で、でも、兄さん達がピンチだってことには変わりないよ。尚の事急がなくっ

ちゃ。このままじゃ、兄さんが処刑されちゃう……」

「その通り。だからこそ私達は今、急ピッチでトナンへの突入準備を進めている。表向きは

皇国軍への“友軍”として、国内へ立ち入ろうと働き掛けている。その最中なんだ」

「友軍……?」

「なるほど……。要は相手の演技に利用しようのっかろうということですね? 確かにそれなら、向こ

うもあまり無碍には断われませんし……」

 一度は気落ちしそうになった二人だが、それでもジーク達が危機に瀕していることには変

わりなかった。互いに顔を見合わせ、改めて力になろうと決意を固めようとする。

「そうだ。だから……君達はアウルベルツに戻りなさい」

 だが、そんな二人にサウルは水を差すような諌めを放っていた。

「ジーク君達も、皇国トナンの内乱も、私達が必ずや止めてみせる。だから君達は」

「私達が邪魔だって言うの!? アルスだって正真正銘の──」

「……分かっている。だが君達にまで何かあったら、私はどう皆に顔向けすればいい? 既

にセド君の側が、今回の作戦についてブルートバードの皆さん方へ説明に向かってくれてい

る頃だ。すぐに連絡を取って帰国の用意を整えさせよう。だから」

「──いえ。僕達はこのまま残ります」

 反発するエトナに、サウルは静かな懇願の言葉を返す。

 だがそれ以上に……アルスの意思は固かった。

 口論になりかけたその瞬間、ひらっと垂らした雫のように、彼の短い決意の言の葉は二人

を有無を言わさずに黙らせていた。

「イセルナさん達にはちゃんとここでの経緯も連絡して謝ります。ですから僕達も、ご一緒

させては下さりませんか? ……お願いします。僕らだって兄さん達の仲間なんです。もし

このまま何もできず終わったら……僕が今ここにいる意味なんか、無い」

 驚いてるサウルに、アルスは更に深々と頭を下げて懇願していた。

 そんな相棒の、皇子だという背景を微塵も使わない態度に、エトナもまた慌てて倣い頭を

垂れている。

「アルス、君……」

 サウルは激しく戸惑っていたようだった。

 仲間ともの子らを危険な目に遭わせたくはない。

 しかしこの意思は。いや……“鬼気”は。

「……分かった。だが先ずは、ちゃんと向こうと連絡を取ってやって欲しい。私の一存だけ

では、君達をどうこうはできないよ」

 結局、彼はそういう形で折れることとなった。

 ゆっくりと顔を上げて、アルスは「ありがとうございます」と静かな礼を述べていた。

 エトナはおずおずと、この怖いくらいに真剣な表情かおの相棒と、困惑の気色を濃く残して

いる侯爵との間で何度も視線を往復させている。

(これ以上、兄さんだけに……皆にだけに、背負わせるもんか)

 そして当のアルスは。

(ここで僕だけが、安穏としている訳になんて……いかない)

 一人、心の中でそう静かに闘志を燃やしていた。

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