20-(1) その正義を倒せ
「キサラギ? まさかお前……」
二刀を構えたまま、ジークはそう名乗りを上げて対峙している女性将校・ユイをじっと見
ると、静かに眉を顰めた。
ゆらりと、剣の刃が動く音だけが正面から耳に届いている。
相手はどうやら魔導で得物を不可視としているらしい。刀身こそ見えないものの、揺れる
手先の動きに合わせて僅かに、それがあるらしい空間が揺れているように見えた。
「……。全くのハズレでもない、か」
すると、思わず呟いたジークの言葉に、ユイはそう静かな反応をみせていた。
一見する限りは生真面目そうな軍人の表情。
だがその瞬間、それらを“憎悪”が上塗っていったように思えたのは、気のせいなのか。
「答えなさい。サジ・キサラギは今何処にいるの?」
そしてジークのそんな怪訝は、次に彼女が発した一言でより確信に近付いてゆく。
(やっぱりそうか……)
眉根を寄せ黙ったまま、ジークはユイの威圧の眼を睨み返していた。
何処となく見覚えのある雰囲気だと思えば。
サジの年格好と比べて考えれば──彼の娘か。或いは親戚関係か。
「俺が正直に答えるとでも思ってんのかよ?」
別に彼を庇い立てする訳じゃない。
単に王宮内に来てからは向こうの動向を知る由もなく、何よりも現に目の前で血縁者同士
が対立する立場にある状態で、おいそれと話せるものかと思ったからだ。
「た、隊長」
「……。貴方達は負傷者の救護を。それと他の隊に此処を伝えて頂戴」
そんなジークの沈黙にユイの出した応答は、剣だった。
ようやくファヴニールからの一撃から立ち直った隊の部下達が近寄ってくるも、彼女は振
り返ることはせず、じっとジークに不可視の剣を構えたままで言う。
「間違いなく、脱獄の首謀者はこの男よ。私が仕留めるわ」
「……」
ジークは小さく舌打ちをして、再度二刀を構えていた。
ユイの背後では、躊躇いをみせたものの、彼女の小隊の面々が指示通り分散してゆく。
だんと地面を蹴って彼女と不可視の剣が向かってきたのは、それとほぼ同時のタイミング
だった。
「兄ちゃん!」
「馬鹿野郎ッ! 来るんじゃねぇ!」
静寂へ傾きかけた場を再びつんざく剣戟の音。
背後で脱獄仲間らが叫び、加勢の為に踏み出そうとする。
だがジークはユイの斬撃を受け止めつつも、ちらと肩越しに声を張り上げてそうした動き
を制止していた。
「ここでドンパチやるのが、俺達の目的じゃねぇだろうが……よッ!」
言って、ぐぐっと押された威力を二刀で押し返し弾いて、途切れ気味に叫ぶ。
数でこそ多少巻き返したが、それでも向こうは軍人でこっちは寄せ集めなのだ。一応レジ
スタンスのメンバーも──戦える面子も混じっているが、そうでない一般人も少なからず今
ここにいる。この女将校がサシでの勝負を選んでいるこの状況を、こちらから崩すのは拙い
とジークは思った。
何よりも……いくら一時的に出会った面子とはいえ、此処で喪わせる訳にはいかない。
そんな事になったら、自分が単身王宮に身を投じた意味が──要らぬ犠牲を出さずにこの
内乱を終わらせるという目的が──失われてしまうと思った。
「はぁッ!」
「……くっ!」
一度は弾き返されるが、ぐぐっと踏ん張り地面を蹴り直すと、ユイは再び全身のバネを使
って横薙ぎを一発放ってくる。
しかし目に見えるのは、ゆらりと空気が少し揺れたかどうか程度の微小な変化だけで。
ジークは眉根を寄せつつも、斜めに交差させた二刀でその一撃を防ぐ他なかった。
相手の得物が見えない──つまり間合いが測れない以上、不用意に突っ込めばこちらが気
付かぬ内に彼女の剣の間合いに入ってしまいかねない。それは即ち、殆ど不意打ちのような
一撃を受けることになる。
(くっ。こんな時こそ六華が──白菊があれば……)
故にジークの身体と思考は、今までの実戦経験からの呼び声によって自然と防御に力点を
置く格好になっていたのである。
「……ッ。言っとくが、俺はレジスタンスなんかじゃねぇぞ」
「嘘をついたって無駄よ。なら何故捕まっていたの? 何故あいつを知っているの!?」
守勢にさせられたままジークは言ったが、ユイにはその言葉は届いていないようだった。
むしろサジの名を知っている素振りを見せながらも答えないジークに苛立つように、その
不可視の斬撃を何度ともなく放っては金属音を場に響かせる。
彼女の叫び。それは間違いなく憎悪の眼、憎悪からの刃だった。
ジークはぎりっと奥歯を噛み締める。
押される我が身、背後には共に脱獄してきた面々がこの戦闘の一部始終を固唾を呑んで見
守っている姿がある。
「そんなに……っ、あのおっさんが憎いってのか」
「当たり前よッ!!」
これ以上下がる訳にはいかない。そんな両脚を踏ん張った、防御から反撃への試行。
癪に障ったが如く。より一層強烈に、爆発する想いと共に叩き込まれる剣撃。
再び力の拮抗が、両者を押し合い圧し合いする。
だが今度ばかりは様子が違っていた。
ユイは先程よりも明らかに、怒りに火が点いたように振るう斬撃を激しくして。
ジークはその一撃をただ真正面から受け止めるのではなく、少しずつ二刀の腹で受け流し
つつ、自身を斜め前方へと投げ出して。
「あいつは家族を見捨てたのよ! 母さんを見殺しにしたの! だからあいつだけは……
あいつだけは、私がこの手で討たなきゃいけない……!」
「だから皇国軍にってか? だが今の皇は」
「陛下は素晴らしい方よ。“私達のような”出自の者であっても、あの方は平等にその能力
を評価して下さる」
二人の位置取りは、左右にキサラギ小隊と脱獄の面々とに挟まれる形になった。
これで自分が押されても、彼らには害が及ばない筈……。
ちらと不安げな彼らを見遣ってから、ジークは再度叫んだユイの見えざる斬撃を受け止め
ながら表情を歪める。
頼るのは相手の得物ではなく、その手の動き。そこから太刀筋を推測するしかない。
再び防戦一方にならぬよう、ジークは一撃を受け止めるごとに弾き返しながらの横薙ぎを
組み込み始めた。だがそれでも決定的なダメージを与えるまでにはならず、精々牽制程度。
「自分の妻子を見捨てておいて、何が忠義よ!」
叫ぶごとにユイの不可視の剣が襲い掛かってくる。
その一撃一撃を受け止めつつ、反撃を試みつつ、しかし同じく見えざる刀身で防がれ、互
いの剣は暫しの打ち合いを続けてゆく。
「平等に、ねえ……。要は態よく使われてるだけじゃねぇか」
「黙れッ! 陛下への侮辱はこの私が許さない!」
「……」
思わず眉根を寄せる。とんだとばっちりだと、ジークは思った。
彼の娘だと知らなかったとはいえ、うっかりサジを知っている事を漏らしてしまったのは
失敗だったのかもしれない。
何度目とも知れぬ、見えない斬撃。それを防ぎつつも、押されるこの身。
ただ目の前に襲い掛かってきているのは、自分をレジスタンス──憎き父の姿に重ねて剣
を振ってくる一人の女性将校。……いや、憎悪の徒だった。
そして彼女は、大きく握る両手を後方に振り出した。
──渾身の一撃が来る。
半ば本能的に察知したジークは、次の瞬間には跳んでいた。
剣戟の打ち合いの中、またじりじりと押されていたその背後、通路の側壁。
ジークは残り数歩に迫ったそこへと、半身を捻りつつ跳んだ足を踏み込むと一気にバック
転で空中を舞った。
そのタイミング僅かにワンテンポ遅れ、ユイの渾身の横薙ぎが軌跡を描く。
ザックリと壁を穿った斬撃の跡。左右で得物を構えつつも、先走れば事態を乱すとの思い
からただジークとユイ、二人の戦いを見守るしかないキサラギ小隊と、寄せ集めの武装で身
を固めた元・囚人の面々。
そんな光景を視界に映しながら、ジークは二刀を手にしたまま着地する。
ユイもまたすぐに、自分の頭上を跳びかわしていった彼に再び振り返って向き直ると、強
い敵意の眼のまま、不可視の剣をしっかりと握り締め正眼の構えを取った。
「…………」
暫し二人は睨み合ったままだった。
いや、違う。厳密にはジークがその場から動かずに殺気だけを漂わせていたからだ。
ざわわと、心なしか空気が揺れている。
俯き加減の前髪で隠れた彼の表情。
そんな彼に、正面から左右から、怪訝や不安の眼差しが向けられている。
「やっぱ、お前らは父娘だよ」
「……何?」
やがて、たっぷりと間を置いてからジークが呟いたのは、そんな一言だった。
ピクリとユイの眉間に皺が寄る。明らかな不快感だ。
すると、まるでその反応を待ち侘びていたかのように。
「同じだっつってんだよ。個人的な忠義やら恨みやらで誰かを斬る。別にそこにいいも悪い
も言わねぇよ。ただ、てめえら親子はそこに“正義”を持ち込んで正当化してやがる。それ
が俺には癪でしょうがねぇのさ……」
ジークは静かに顔を──沸々とした憤りを湛えた表情を、真っ直ぐに彼女に向けて言った
のだった。
「俺からすりゃあそんなもん、自分勝手な言い訳でしかねえ。お前もサジのおっさんもそこ
から見りゃ何も違わねぇんだよ。……そもそも、そんな大義をごり押そうとするから争いが
なくならねえんじゃねぇのか? それが分かってねえんだよてめえらは。その身勝手な言い
訳のせいでどれだけの人間が苦しんでるのか、てめえらは分かってんのか?」
互いの殺気がむくむくと立ち上るようだった。
片や静かに──いやその実、内側からの激しい憤りを必死に押し殺しながら。
片や真正面からの反発と敵意から、唇や剣握り締める手にぎりぎりと力を込めながら。
「……お前の“守りたいもの”ってのは、所詮そんなもんなのかよ!?」
「黙れッ!!」
互いの感情が爆発した。言葉は、届かなかった。
「貴様に、私の一体何が分かるッ!!」
先に地面を蹴ったのは、ユイだった。
不可視の剣を振り被って空気を揺らしながら、最後の一言にようやく感情を込めて叫んだ
ジークへ向かって、猛然とその刃を振り抜こうとする。
同じくジークもワンテンポ遅れて駆けていた。
小さく舌打ちを。だがすぐに二刀を構えて真正面から彼女と激突し……。
『──!?』
二人は、交差した。
振り抜いた不可視の剣と仮武装の二刀。しんとして、両陣営の面々が固唾を呑む。
鮮血が飛び散ったのは、ジークの方だった。
ザックリと、その身体に弧を描くようにユイの斬撃が命中し、大きく赤を辺りに撒き散ら
して、壁や絨毯を汚した。
脱獄の面々らが絶望に近い気色で絶句し、キサラギ小隊の者達は構えていた銃剣を心持ち
ほんの少しだけ緩める。
ユイもまた、自身の剣の手応えにフッと小さくほくそ笑もうとしていた。……だが。
「ああ……。分かんねえよ。分かりたくもねぇ」
ジークはまだ立っていた。
ゆっくりと振り返った、射殺すような殺気の眼。しかし確かに身体は深々と斬撃を刻まれ
大量の血で汚れている。
「だったら、潰す。それがお前らの流儀ならな。……もうこれで、お前の小細工も俺には通
用しなくなったしな」
「? 何を──」
言いかけてユイはハッとした。そして内心確かに戦慄した。
殺気の眼が見る先、自身の手元には……返り血で“べったりと赤に塗れた剣”がある。
たとえ魔導具で不可視の状態にしていても、実際には確かに得物は存在する。その示唆。
(まさか……。こいつ、この為にわざと……?)
そして、その動揺が勝敗を決する隙となった。
彼女が気付いた時には、ジークは既に地面を蹴り、自身の至近距離にまで詰めていて。
防ぎようがなかった。頼みの得物も、彼の返り血でコーティングされたことで目測での間
合いを欺くには至らない。ただ錬氣を込め、全力で振り下ろされる二刀の一撃に我が身を蹂
躙されるしかなく。
「がぁッ!?」
咄嗟に防御しようにも呆気なく押し切られ、今度はユイの身体に強烈な斬撃が叩き込まれ
ていた。
全身の感覚が、意識が赤黒く染まる。
肺から無理やり空気が押し出され、只々この青年渾身の一撃を浴びる他なかった。
踏ん張ろうとした膝も折れ、床が大きく凹むほどの衝撃と共に叩き付けられる。口から血
が溢れてくる。
完全に、彼女はそのまま“落ち”ていた。
「た……っ」「隊長ッ!」
キサラギ小隊の面々が彼女の下へと駆け出していた。
同時にジークは二刀を引くと、のそりとその場から離れてゆく。
その後ろ姿を撃とうと銃剣を構えた者もいない訳ではなかったが、それよりも彼らの優先
順位はユイの救護へと移っていた。
「あ、兄ちゃん! 大丈夫か!?」
「無茶しやがって……。おい、誰か回復魔導を!」
「……」
ジークもまた、脱獄仲間達に囲まれ出していた。
ドタバタと彼らが慌てているのが聴覚とおぼろげになってゆく視覚の中で分かる。
(結局、こうなっちまうのかよ……)
それでもこの時既に、ジークの頭の中には嘆きが殆どを占めていた。
自分もまた直情に突き動かされた、一応自覚のある悪い癖が出たとも言える。
だが何よりも……また一つ、この国の対立を見たようで気分が沈んだ。憤りが通り越えて
哀しくなった。
ただアズサ皇を確保すれば終わる訳ではないのか。
もっと、自分は“敵”に対し鬼の如き精神とならねばならないのか。
こんな争いを止める。その為に。
「……はっ。何でぇ、俺も同じじゃねぇかよ……」
「お、おい!?」
「兄ちゃん、しっかりしろ!」
所詮は自分も“大義”の為に戦っているに過ぎないのだろうか。
だがもう、思考は続かなかった。
やがてジークの意識は、彼らの必死の呼び掛けにも拘わらず暗転してゆき──。
「──……くぅッ!!」
激しい剣戟が響き、リンファは地面を滑るように大きく飛び退いていた。
辺り一面には深々と抉られた斬撃の跡。しかしそれは彼女のものではない。
「……」
現在進行形で夜闇の中にて対峙している男──“剣聖”リオの放った攻撃の痕跡だった。
「リン! チッ、くそったれが……!」
そんな彼女のピンチを視界に映していても、ダン達は中々手を貸せずにいた。
先刻よりソサウ城砦から出撃してくる兵らに左右を囲まれてしまい、彼女とリオのいる地
点へのルートが寸断されてしまっていたからだ。
ダンやミア、そして随行していたレジスタンスのメンバー数名。
一向はその小勢で以ってこの追討者らに対応する他なかったのである。
「どうして七星の一人が、こんな所に……?」
「こっちが聞きてぇよ。前々から女傑族だって話は知ってたけどよ」
マーフィ父娘が先頭となり、戦斧と徒手拳闘で兵らの銃剣を叩き落しては一人一人を確実
に倒してゆく。
二人がそう奮戦しながら怪訝を口にすると、ふとレジスタンスの面々は何処か気まずいよ
うな、戸惑ったような様子で互いの顔を見合わせていた。
「そう、ですね。リオ様はあまり口数の多くない方ですから……」
「ん? 様って……。そういやさっきもリンが」
「……苗字がスメラギって、もしかして」
「え、えぇ」
「リオ様は、アズサ殿の実の弟君なんです」
「何ぃ!?」
彼らが発した事実にダンは思わず叫び、ミアは静かに眉を顰めた。
周りの迫ってくる兵らも、構えた銃剣のまま、何処となく険呑な雰囲気を強めたようにも
みえる。
「そんな話、聞いたことねぇぞ? そもそも知ってたなら何で……」
「じ、自分達も混乱してるんですよ!」
「全くです。そもそもリオ様は権力争いが嫌で随分昔に国を出てしまわれた筈ですし……」
「うむぅ……」
ダンは繰り返し寄せてくる兵士らを戦斧を振るって薙ぎ倒しつつも、そう戸惑って口々に
語り出すレジスタンスの彼らを肩越しに一瞥した。
まさか、かの“剣聖”がアズサ皇の弟だとは予想だにしていなかった。
ということは、つまり彼は……ジークとアルスにとっては大叔父に当たる訳で。
(こりゃあ、益々ややこしい事になるんじゃないか……?)
そうつい嘆息になりがちも、次の瞬間には、ダンはハッとして頭を切り替える。
「何とかしてこいつらを突破するぞ! このままじゃリンが殺られる!」
問題は、その出奔していた筈の“世界最強の剣士”が間違いなく皇国側の一人として、
今こうして自分達の前に立ちはだかっているという事実なのだ。
(どうして、リオ様が……?)
そんな疑問は、リオ本人と刃を交えるリンファもまた同じだった。
がくりと膝をつき、長太刀を片手に無残に抉られ続けた地面の上で荒く肩で息を整える。
「……」
しかし一方で、対するリオの方は息切れ一つしていない。
ぶらりと片手に下げた黒刃の長太刀。
言葉など要らない、勝手に膝が震えさせられる程の覇気。
同じトナン流の剣術使いだからこそ、辛うじてリンファは回避予測を立てることができ、
ぎりぎり戦闘不能にならずに済んでいたが、それでも彼はその「型」すら極限まで磨き上げ
昇華させている様が否が応にも分かった。
加えてその「型」を変幻自在に発展させ、彼個人の流派としての完成型すら垣間見える。
(……正直、全く勝てる気がしない。元より争うつもりはないが……)
世界最強の剣客が持つ力量は──圧倒的だった。
「退かないのか」
そこで、ようやくリオは口を開いた。
ゆっくりと、まだ消耗を訴え掛ける身体を起こして自分を見上げてくる彼女に、彼はじっ
と冷たく感情の見えない眼を向けてくる。
リンファはすぐに答える言葉を持たなかった。
ただ抱いたのは、フッとした違和感。
それはまるで“本気で取るつもりはない”とでも言っているかのような……。
「……。何故、貴方はアズサ殿の側に? 一体いつ御帰還なされていたのですか?」
ようやく搾り出した声で、問う。
しかしリオは答えなかった。じっとやはり感情の見えない眼で陥落一歩手前のリンファの
姿を見下ろしている。もう数歩、こちらへ踏み込まれれば、今度こそ終わりだろう。
「今ならまだ何とか間に合う。この件から身を退け。……シノの側役、ホウ・リンファ」
「リオ、様……?」
代わりに告げられたのは、温情のような、いや警告のような一言。
違和感が数歩、確信に変わる。リンファは長太刀を地面に立てて杖代わりにしつつ、彼に
怪訝と戸惑いの眼差しを送っていた。
自分の事を知っている? なら何故尚の事……。
「……いえ。逃げる訳にはいきません」
だがややあってリンファはぎゅっと唇を結んだ。よろよろと、立てた長太刀にすがるよう
にして立ち上がると、何とか形ばかりの構えを取って言う。
「私は……私達は、殿下より託されているのです。あの城砦の向こう側にいるご子息のこと
も、この国で繰り返される争いのことも」
弱っていた。だがその瞳の中の意思はまだ強く輝いている。
暫くリオは黙って彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、また数歩進む。
「……。惜しいな」
そして言った瞬間、その姿が霞む。
響いたのは、つんざくような剣戟の音だった。
殆ど条件反射のように構えたリンファの長太刀に、彼の黒刃が交わり激しい火花を散らし
て唸りを上げる。ガリガリと、二人の立つ足元が──リオの放つ力に耐えかねて──再三の
穿ちを受け始める。
鍔迫り合い。
だがその実はリオの一方的な攻勢に他ならず。
只々リンファは、己が崩れ落ちないように必死に耐えるしかなく。
『──総員、帰還せよ!』
はたと城砦からそんな軍人口調のアナウンスが響いてきたのは、ちょうどこの最中のこと
だった。
『繰り返す! 総員、皇都の守備に徹せよ!』
最初リンファ達、そして皇国兵らが見せた表情は、怪訝のそれだった。
だがやはり軍人というべきか、次の瞬間には、彼らの動きは帰還へと向かい始めていた。
「……。別な賊でも沸いたか。戻るぞ」
リオの少し間を置いた一言の下、兵らは一斉に一行を囲っていた陣形を解き、駆け足で城
砦へと戻っていく。
それは、今し方までリンファを圧倒していたリオ自身も同じで。
ぐらりとふらつき呆気に取られているリンファを残して、彼はそのまま得物を水平に持ち
上げると一発、また件の質量を持った斬撃を一同の足元に飛ばすと、煙幕代わりにするかの
ように激しい土埃を辺り一帯に撒き散らしてくる。
『──ッ!?』
リンファは、ダン達はその場で思わず片手で身を庇うようにし、動けなくなった。
そうしている間にも、兵らが城砦内へと戻っていくのが気配で知れる。
濛々と上がる土色。あっという間に寸断された視界。
「……命拾いしたな」
そんな中で。
ぽつりと。しかし確かに、踵を翻すリオの足音と自分達へ向けた呟きが聞こえていた。