19-(4) 進む者、阻む者
その日も、トナン王宮は厳粛な雰囲気と夜長の静けさの中に在った。
長く長く延び各フロア同士を繋ぐ廊下には、両端に緻密な文様装飾を織り込んだ分厚い赤
絨毯が一面に敷かれており、その上を銃剣を手にした警備の兵らが行き交っている。
「──……ォ、グオォォォォォッ~!!」
『!?』
だが、そんな彼らでもこんな形で闖入者を許すとは考えていなかっただろう。
突然足元から響いてきたのは、猛々しい咆哮と激しく揺れる地面。
そして、突き上げてくる爆発的な真下からの破壊だった。
「なっ……何だ!?」
「お、おいっ、あれを!」
何人かは最初の爆発と崩落に巻き込まれた。
濛々と立ち込める土埃の中、虚を衝かれた兵士達が見たのは──ギロリと黒い眼を向けて
くる岩のような巨大な蛇とそこに乗っかったジーク達の姿。
「ま、まさか丸々天井ごとぶち抜くなんてな……」
「どーすんだよ? 敵のど真ん中じゃねぇか? これ?」
「何言ってんだよ。王宮にいる時点で懐の中だろうが。ファヴニール、もう一発ぶちかませ!」
そして再び響く咆哮。
ジークの合図と共にこの大蛇の使い魔はその強靭な尾を対峙する兵士らに向けて振り下ろ
した。尾が描く軌跡のままに無残にも破壊される天井、壁、床。兵士らはその一撃に再び吹
き飛ばされ、てんでバラバラになって床を転がる。
「ふっ……!」
その隙を突いて、更にジーク達が飛び降り始めた。
立ち上る土煙を煙幕代わりに、ふらつく兵士らへと強襲を掛けてゆく。
錬氣を込めた剣撃や槍の薙ぎ払い、銃剣の底蓋を使っての打撃。
一時とはいえ、やはり視界が遮られると銃撃主体の戦闘力は大幅に削がれるらしい。
「ひ、ひるむな! 応戦しろ!」
それでも兵士達はそう簡単に諦めない。
土埃が薄れる中、バラけさせられた隊伍を急ごしらえで整え直すとその銃口を一斉に向け
てくる。
「──防御ッ!」
しかしジーク達も全くの無策ではない。
銃弾の群れが飛んでくるよりも前にジークが叫ぶと、前衛──ジークやレジスタンスを名
乗る戦線を張れる面子──よりも後ろに控えていた、魔導に心得のある者達が一斉に力を合
わせてジーク達の眼前に分厚い障壁を展開する。
物理的な視覚では薄らとしか。
しかし兵士らによって一斉に撃ち込まれた銃弾は、次々にその護りに弾かれて硝煙を帯び
つつ床を転がっていく。
「ぬ……っ」
「今だ!」
そしてやがては止む銃撃の嵐。弾切れ。
ジーク達はそれまでを一旦防御に徹すると、次の瞬間にはフッと消える障壁と入れ替わる
ように、再び兵士らへと襲い掛かっていた。
仮の二刀を振るい、相手の予備動作と死角を巧みに突いては斬り伏せていくジークを先頭
にして、前線のメンバーは一気に兵士達を押し切ってゆく。
「くぅ……っ」
「お、応援だ! 応援を呼べ!」
「は……はいっ!」
そんな初手の勢いに任せた強襲に、ややあって衛兵らは真正面から応えるのは得策でない
と判断したらしい。仲間からの要請を受け、兵士の一人が対峙の場から抜け出し、駆け去ろ
うとする。
だがジークはその動きを見逃さなかった。
既に交戦していた、押しの優勢にあった兵士らを元・囚人らの戦力組に任せ、彼は一人抜
けて駆けるとこの若い兵士の背後から壁を蹴って中空を跳び、その前に立ちはだかるように
着地する。
「……ッ!」
兵士は一瞬躊躇ったが、それでも次の瞬間には手にした銃剣の刃を突き出してきた。
しかし相手は青年ながらも──むしろ己の意思で──何度となく魔獣を屠る実践を積んだ
冒険者だ。はっきり言えば、有事の経験値が違い過ぎた。
ジークはその迷いの混じった刃を立てた刀身で軽々と受け流してみせると、もう片方の刀
でその銃剣を半ばから一気に切断、そしてひるんだ彼の喉元にくるりと身体を一回転させた
先の剣先をぴたりと突き立てる。
「……諦めな。別に俺達は“取る”ことが目的じゃねぇんだ」
ガコンと、緊張で固まった若い兵士の手から半壊した銃剣がこぼれ落ちた。
その後方ではレジスタンスのメンバーを中心とした戦力組(と階下から空いた崩落穴から
ずっと経過を見下ろしているファヴニール)が残りの兵士達を倒した所であり、この場の勝
敗は明らかだった。
肩越しにその状況を把握し、再びこちらを見遣ってきた彼にジークは問う。
「おいお前。王の──いや、武器庫は何処にある?」
「え。そ、そんな事」
「ふぅん……? いいんだぜ? だったらそこでノビてるてめぇの先輩連中と同じ目に遭わ
せてやるまでだが」
答えに躊躇した彼に、ジークは少し悪人面を装って追撃の一言を。
(本当にこいつ衛兵か? まぁまだ若いっぽいし、自分だけ残されちゃ仕方ねぇか……)
王宮の兵士なのだからもっと気の強い連中かと思っていたが、新兵一人だけになってしま
えばこんなものらしい。
こんな相手なら、手っ取り早く王座──アズサ皇の居所を訊こうとして止めておいたのが
失敗だったかもしれないとジークは思った。
だが王の間ともなれば彼女も精鋭の兵を警備に当たらせている筈だ。どちらにせよ現在の
その場しのぎな、地下牢で拝借してきただけの間に合わせの武装だけでは心許ない状態には
違いない。
「い、一番近いのは西棟の地下だ。詰め所が真上にあるが……」
「まぁそうだろうな」
一番利用するであろう者達が近くにいなければ、武器庫もただの物置でしかない。
ジークはふむと頷くと、一見してそのままこの兵士の横を通り過ぎていくように思えた。
しかしそれはフェイントであって、ジークはすれ違うその瞬間に、がら空きになっていた
彼の腹へと剣の柄による一撃を叩き込んでいた。
顔を歪めて「ぐっ!?」と唸った兵士はそのままドサリとその場に倒れて“落ちた”。
そしてそんな彼の倒れた姿をちらと見遣ってから、
「ファヴニール!」
ジークはサッと手を向けると、再びこの大蛇の使い魔に突撃で以って何階か分のフロアを
ぶち抜かせていた。
ガラガラと堅い筈の建材が崩れていく音がする。上階から兵らの慌てふためく声が遠巻き
に聞こえてくる。
ズズ……と身を除けて戻ってくるファヴニールに、ジークは「ご苦労さん。一旦戻れ」と
労いの言葉を掛けてやると、それまで召喚しっ放しだったこの使い魔を魔導具への帰還させ
ていた。
「お、おい。あっちは西じゃないぞ? 詰め所を先に潰すつもりじゃあそれは」
「いや。そん時はまたコイツを呼ぶさ。さっきのは囮みたいなもんだよ。真逆の方向に騒ぎ
を起こしておけば、暫くは俺達の進行方向を騙せるだろう?」
「ああ……。なるほど」
流石にマナの消耗にはまだ慣れないらしく、ジークは何気に肩で多少なりとも息を整えな
がら、元・囚人らに何の気なしを装って説明している。
確かに座学の勉強は苦手だが、戦場での振る舞いならば相応の経験値としてこの身に染み
付いている。
行きずりの仲間達にひらひらと手を振ると、ジークは一人のそりと廊下を進み始めた。
「んじゃ、早いとこ装備の調達といこうか。城の中に詳しい奴がいたら道案内も頼む」
「──よし。これだけあれば充分か」
暫くしてその王宮西棟の武器庫。
兵士が話していたように真上の詰め所からは兵士がわらわらと沸いてきたが、そこは休憩
を挟み一旦戻しておいたファヴニールが一撃でフロアごと薙ぎ払ってくれた。
そして詰め所から鍵を拝借し、武器庫の中で自分達の追加武装を新調すること暫し。
ジーク達はたんまりと保管されていた武器を手に取り、試すがめす感触を確認しつつさて
いよいよという段階にあった。
(流石に六華は無かったな……。まぁこればっかりはアズサ皇に直接訊くでもしねぇと。大
方何処か別の所に隠してあるんだろうけど……)
より普段の感触に近い──とはいっても、本来の六華に比べれば似て非なるものでしかな
いが──重量感の二刀に持ち替え、ジークは内心そんな思考を巡らす。
本当はもう、せめて彼らだけでも外に出してやりたいのだが……結局、彼らはずるすると
自分について来てしまっている。
曰くアズサ皇への意趣返しだの、助けてくれた恩義だの。
予定は色々狂っているが、それでも一応ここまでは結果オーライとすべきなのか。
「さてっと……。そろそろ行くぞ、ちんたらするほどこっちが不利になる」
応ッ! と脱獄仲間たちが各々に新調した武装を手に応えた。
そんな彼らを苦笑して見遣りながら、ジークは自身も鞘に収めた二刀を腰に差す。
(馬鹿みたいだよな。あれだけおっさんに文句言ってた癖に、今は俺が先頭に立って王宮の
中で暴れてるなんて……)
だがそれでも、動かなければ何も変わらない。
ジークは内心の自嘲を振り払うように軽く頭を振ると、皆と共に武器庫から出て……。
「そこまでよ。脱獄者達」
取り囲まれていた。
ジークらは一斉に得物を構えようとした。それでも待ち構えていたらしいこの追っ手の集
団は、すかさず一糸乱れぬ動きで銃口をジーク達──いや、この脱獄の一団のリーダー格と
なっていたジークへと向けてくる。
「チッ……」
「……」
そんな威圧に負けじと睨み返すジークに相対する、この一個小隊のリーダーは。
何故か、何処か見覚えのある、一人の女性将校で。
「──予想通り、厳重……だな」
すっかり夜闇の中に沈んだ草木の陰から、ダン達偵察班は遠巻きながらに夜のソサウ城砦
を窺っていた。
黒い闇の中にどっしりと建ち、浮かび上がらせるようにその随所から灯りが漏れている。
その多層に設えられた城壁の外部通路を、防寒着を纏い銃剣で武装した兵士達があちこち
で警戒に当たっているのが分かる。
今でこそ遠巻きから眺めているだけだが、不用意に砦に近付こうとすれば警報とスポット
ライト、そして何より銃撃の雨霰が待っていることは想像に難くない。
ただでさえ、今はアズサ皇の勅命で自分達を掃討しようと躍起になっているのだ。
将校も末端の兵士も、平時以上の緊張感の中にある筈だ。
「当然でしょうね。あそこを突破されればあとは城下街と王宮を残すのみ。皇国軍の最大に
して最終の防衛線ですから」
「仲間達の調査だと、現在は普段の三割増──十万近い兵力が集まっているようです」
「……敵の守りは、堅い?」
「だな。だが私達はあれをどうにかして崩さないといけない。できる限り早い段階で。別に
全滅させなければならない理由は──そもそも余力もない訳だが、これは厳しいな……」
随行してきたレジスタンスの面子数人と、ミアやリンファはぶつぶつと呟いては思案顔を
している。
「……。まぁその作戦云々は一旦戻ってからにしようぜ? どう足掻いてみたってこの人数
であの城砦に突っ込むなんざ、自殺行為だろうよ」
そんな仲間達を横目にやんわりと制止を入れつつ、ダンはそっと片膝を突いていた格好か
ら立ち上がっていた。
内心は確かにジークが心配で焦っている。だが行動までも同じにしてはいけない。
あくまで今回は偵察、敵となるであろう者達の確認なのだ。
それも、予想していたよりもずっと厳重な姿を目の当たりにして。
「戻ってサジさん達と合流しよう。何にせよこっちも相応に兵力が揃わなきゃ──」
「ッ!? 皆、避けろ!」
しかし、それはちょうどそんな時、突然にやってきた。
城砦の方に目を向けていたリンファが逸早くその異変に気付き、叫ぶ。
面々が半ば反射的に、弾かれるようにその場を飛び出したのと、狙い済ました鋭利な刃の
ような衝撃波──斬撃が地伝いに飛んできたのは殆ど同じタイミングだった。
周囲の草木が何本も、地面ごと抉られていた。
ズンッと、バランスを失った木々が倒れる。ごくりとダン達が息を呑む。
城砦から警報が鳴り始めていた。
スポットライトがこちらを探すように忙しくなくあちこちを照らし始め、その城壁にうろ
のように開いた通用口から銃剣を携えた兵士らの小隊が一つ、また一つと姿を見せる。
「……気付かれた? 何で」
「知るかよ。それよりも今は逃げろ! 応戦できる兵力じゃねぇ!」
ミアが怪訝に呟く通り、それは紛れもなくこちらに気付いた証であり、追撃が始まる合図
でもあった。
ダンは皆を誘導するように駆け出しながら叫び、再び地面を抉った巨大な一撃の跡に眉を
顰める。リンファもその疑問は同じだったようで、腰の長太刀に手を掛けつつも、やはり気
になって地面に目を落としている。
「……。これは、トナン流の……」
そして皆が急いで逃げようと駆け出す中、リンファはその顰めた眉の皺を一層深くして呟
いていた。
バッと地面に落としていた視線を、顔を上げる。
城砦が点す闇の中の灯り達を逆光に、一人の剣士がこちらに向かってゆっくりと歩いてく
るのが見えた。
黒髪・黒瞳に、自分と同じヤクラン──女傑族の民族衣装。
その上から羽織り、バサバサと時折の夜風に揺れているゆったりとした上着。
何よりも、彼の者がだらりと片手に握っている、その下弦の月のような黒刃の長太刀。
「……まさか」
リンファは一人驚愕に目を丸くしていた。
背後からダンらの怒号に近い叫び声が聞こえてくる。
「まさか、あの方は……」
しかし彼女は唖然として、この近付いて来る剣士の姿から目を離せない。
「……レジスタンス側の大物と聞いていたのに。ハズレね」
じっとジークを値踏みするように睨んでいた女性将校が、ふとそんな呟きを漏らした。
そんな反応に、思わずジークは不機嫌に彼女を睨み返す。
だがそれでも状況は限りなく不意打ちに近い。彼女の左右に並んだ兵士らは隙無く銃口を
こちらに向けており、下手な動きをすれば間違いなく腹に穴が開くだろう。
少なくとも後ろの連中には、魔導の使える面子が障壁を張ってくれるだろうが……。
(だったら──)
先に動いたのはジークだった。
片手を腰の刀の一本に、もう片手の指先を同じ手の指に嵌めた魔導具の縁に添えて。
「薙ぎ払え!」
指先で弾くようにその指輪型の魔導具を押し出し宙に放ちながら、マナを込めて術式を展
開させながら、叫ぶ。
つまりは自ら囮となり、突っ込む。
同時に、あわよくばこのまま彼女達を倒せれば御の字。
実際はたとスローモーションになり出す世界の中で、ジーク達は目の当たりにしていた。
中空で召喚され、重力によって地に着かされる前から放たれるファヴニールの尾の一閃。
それらを数テンポ遅れに釣られて見上げ、巻き込まれて爆音と共に総崩れとなる兵士達。
一方でその中空からの援護を仰ぎ見ることもせず、ジークは最初の片手を、そして魔導具
を弾き投げたもう片方の手も腰の刀に添え、一気に抜き放ちながら一人突撃する。
「──ッ!」
だが、崩れる地下階の土埃から殺気が飛んできた。
振り下ろしたジークの二刀。それを先程の女性将校が同じく猛然と突っ込んできて受け止
めてみせたのだ。
しかも……“一見得物を持っていない”ような、握り締めた両手で以って。
ジークは目を丸くし、そしてすぐに眉根を寄せた。
相手の得物が、見えない。
だが間違いなくこの感触は、刀剣同士が鍔迫り合いをする際のそれだった。
ギリギリと、数秒間の力の押し合いを経て、二人は弾かれるように互いに飛び退いた。
彼女の側では、ファヴニールの一撃で仲間の兵士らが全滅とは言わずとも大きく体勢を崩
して土煙の中でふらついており、ジーク達の側ではズンと着地したファヴニールと、交戦が
始まった際に反射的に(ジークの期待通りに)障壁を張って身を守っていた面々がおずおず
と今起こった状況に忙しなく目を遣っている。
ヒュンと、中空に投げていた魔導具が落ちてきた。
ジークは彼女との離れ気味の間合いを保ったまま、その場でこれをキャッチし、どうやら
一筋縄ではいかないらしいこの追撃者の動向を注視しようとする。
「……見えない剣、か。また厄介なモンを持ち込んできやがって」
ジークは悪態よろしく吐き捨てたが、当の彼女はむしろこの一瞬一撃だけで見破られた事
に少々驚いたように、心なし小首を傾げながらジークを見返していた。
そしてもう隠しても意味が無いと悟ったように、彼女はその“見えない剣”を正眼に構え
て直してくると、言った。
「……貴方、一体何者?」
「自分から名乗れよ。それが剣士の流儀ってもんだろう?」
ガチャリと重なる、刀の金属音の小気味良い響き。
更に両者は、短く交わす言の葉を。
「──おいリン! 何してる、早く逃げろ!」
「……。間違いない」
「あん? 何がだよ?」
ダンは叫び、仲間達が不安そうに振り返っている。
それでもリンファは、ゆっくりと逆光の中で歩いてくる彼への動揺が止まらない。
追討に現れた彼女は一瞬眉根を寄せ、そして凛と。
思わぬ人物をみた彼女は驚愕に振るえ、そして確信へと。
「……私はユイ・キサラギ。トナン皇国軍少尉よ」
「リオ様だよ。リオ・スメラギ……人呼んで“剣聖”リオ──」
伸ばそうとしても届かぬ、彼らの手。
その体現者となろう者達は自ら名乗り、或いは気付かれていたのだった。




