unityとギター
放課後の教室は、夕日で机の角だけがオレンジ色に光っていた。窓の外では運動部の掛け声が遠くに揺れている。その中で、カズマは机の上にノートPCを開き、もう一人はギターを抱えて座っていた。
「それ、またやってるのか」
ギターを持つユウトが、弦を軽く鳴らしながら言った。カズマは画面を見たままうなずく。
「Unity。ゲーム作るやつ」
画面の中では、四角いキャラクターがジャンプして、トラップに当たるたびに消えていた。まだ完成とは程遠い、何度も失敗するだけの箱庭だった。
ユウトはギターの弦を一本だけ弾いた。
「俺のギターと同じだな」
「どこが」
「最初、全然音出ないし。指も痛いし。意味わかんねぇし」
カズマは少しだけ笑った。
「それはギターでしょ。俺のはゲーム」
「一緒だよ」
ユウトはそう言って、コードを押さえようとして指をずらした。ジャーン、と濁った音が鳴る。
「ほらな。今の、ただのノイズ」
カズマは画面を止めた。
「でもそれ、練習したら曲になるんだろ」
「なる」
ユウトは即答した。
「じゃあUnityも同じだよ。今はキャラが死ぬだけだけど、作れるようになったらゲームになる」
ユウトは少し黙ってから、ギターのネックを軽く叩いた。
「でもさ、どっちも途中でやめるやつ多いよな」
その言葉に、カズマは画面の中の“ゲームオーバー”の文字を見つめた。
確かに、ただ死ぬだけの画面を何十回も見ていると、意味が分からなくなる瞬間がある。何が面白いのか分からないまま、同じエラーを直し続ける時間。
「俺さ」
ユウトがぽつりと言った。
「昨日やっとコード押さえて、CとGだけで音鳴ったんだよ。たったそれだけなのに、ちょっと曲っぽくなってさ」
「それ、すごいの?」
「すごいとかじゃなくてさ。なんか、“できた”って感じ」
カズマはその言葉を聞いて、少しだけキーボードに手を置いた。
Unityの画面を開き直す。キャラクターを置く。重力を設定する。ジャンプさせる。
今度は落ちないように、床を少し広げてみた。
キャラは落ちなかった。ただ、ちゃんと立っていた。
ユウトがそれを見て笑う。
「ほら、今のちょっとゲームっぽいじゃん」
「まだ全然だよ」
「でも一歩目だろ」
ギターの弦がまた鳴る。今度はさっきより少しだけまともな音だった。
夕日はさらに傾いて、教室の影が長く伸びる。
カズマは画面を見ながら思う。Unityもギターも、最初はただのノイズだ。意味のない動きと、意味のない音。
でも、そのノイズが少しずつ形になっていく。
ユウトが言った。
「どっちもさ、才能より“続けるやつが勝つ世界”だよな」
カズマはキーボードをもう一度叩いた。
画面のキャラがジャンプする。
今度は、ちゃんと戻ってきた。
放課後の教室は、昨日と同じ夕方の色をしていた。ただ違うのは、机の上にあったノートPCとギターが、少しだけ“慣れた距離”で並んでいることだった。
「昨日さ」
ユウトがギターをケースから出しながら言った。
「家帰ってからもずっとCとGやってたわ」
「それだけ?」
カズマはUnityのプロジェクトを開きながら聞いた。
「それだけ。けど、昨日よりマシな音になった」
ユウトは弦を押さえて、ゆっくり鳴らす。昨日より少しだけ丸い音がした。
カズマは画面を見たまま、キャラをジャンプさせる。昨日は落ちていた穴を、今はギリギリで越えられるようになっていた。
「俺もさ」
カズマが言った。
「トラップの当たり判定、ちょっとだけマシになった」
「何それ」
「当たった瞬間に死ぬやつ。昨日は変なとこで死んでたけど、今はちゃんと当たった時だけ死ぬ」
ユウトは吹き出した。
「それ改善なん?」
「ゲーム的には重要」
ユウトはギターを膝に乗せたまま、少し考えた。
「なあ、これさ。どっちもさ」
「うん」
「昨日と今日で、ほとんど同じことやってるのに、ちょっとだけ変わってるよな」
カズマは少し黙った。
確かにそうだった。キャラをジャンプさせる。弦を押さえる。ただそれだけの繰り返し。でも昨日と同じではない。
「それが上達ってやつじゃね」
カズマが言うと、ユウトはうなずいた。
「でもさ、たまに思うんだよ」
ギターの弦を軽く弾く。
「これ、いつ“曲”になるんだろって」
カズマはUnityの画面を見た。まだ完成していないステージ。まだ敵もいない。まだゲームと呼ぶには弱いもの。
「俺も同じ」
「ゲームになる前に飽きるやついるよな」
「多分それが一番多い」
ユウトは天井を見た。
「でもさ、昨日よりちょっとマシってのが続くと、やめるタイミングなくなるんだよな」
カズマは少しだけ笑った。
「それ、罠じゃん」
「いい罠だろ」
ギターがまた鳴る。昨日よりほんの少しだけ音が安定している。
カズマはキャラを動かす。昨日よりほんの少しだけ正確にジャンプする。
窓の外では、部活の掛け声が少しずつ遠くなる。
「なあ」
ユウトが言った。
「これさ、いつか“ちゃんとしたゲーム”と“ちゃんとした曲”になる日くると思う?」
カズマは画面から目を離さずに答えた。
「来るかは知らん。でも今は、昨日よりマシだろ」
ユウトは笑って、もう一度弦を押さえた。
その音は、昨日より少しだけ“曲に近かった”。
教室はもう、あの頃のままじゃなかった。机も椅子も変わっていないのに、そこにいたはずの“放課後の空気”だけが、きれいに抜け落ちている。
窓の外は社会人の街だった。スーツ姿の人間が駅へ急ぎ、夕焼けはもう「帰る時間」ではなく「終わらせる時間」に見える。
カズマはノートPCを開いたまま、モニターの前に座っていた。画面にはUnityで作られた小さなゲームのタイトル画面が映っている。派手ではない。むしろ地味だ。でも「開始ボタン」がちゃんと存在していた。
その横で、ユウトはギターケースを床に置いた。
「結局さ」
ユウトが言った。
「お前ほんとにゲーム作る側行ったな」
カズマは少しだけ笑った。
「お前もギターやめてないじゃん」
ユウトは肩をすくめる。
「やめる理由なかっただけ」
ギターを取り出す。もう昔みたいに毎日練習しているわけじゃない。それでも、手はちゃんと覚えていた。
弦を鳴らす。
音は、あの頃のノイズじゃない。
「でさ」
ユウトは言う。
「これ、売れんの?」
カズマは少し黙った。
「分からん。でも出した」
画面のゲームは、シンプルな2Dアクション。昔ここで作っていた“死ぬだけのキャラ”はもういない。ちゃんと敵がいて、ちゃんとクリアがある。
ユウトは笑った。
「昔さ、俺らここで“いつか曲になるのかな”とか言ってたよな」
カズマはうなずく。
「言ってたな」
ユウトは軽くギターを鳴らす。
「曲にはなったわ。ちゃんと」
カズマはモニターから目を離した。
「ゲームもなった」
少しの沈黙。
窓の外では、あの頃とは違う時間が流れているのに、教室の中だけは不思議とあの頃と同じ“途中の匂い”が残っていた。
ユウトはギターをケースに戻しながら言った。
「でもさ、結局わかったことあるわ」
「何」
「ギターもUnityも、“才能あるやつが始めるもん”じゃなくてさ」
少し笑って続ける。
「“やめなかったやつが勝つもん”だった」
カズマは小さくうなずいた。
「それ、最初から気づいてたら楽だったな」
「気づいててもやめてたと思うけどな」
二人は同時に笑った。
外はもう完全に夜だった。
カズマはPCを閉じた。もう開かないわけじゃない。ただ、今日は閉じるタイミングだっただけだ。
ユウトはギターケースを肩にかけた。
「じゃあな」
「おう」
扉の前でユウトは一度だけ振り返る。
「なあ」
「ん?」
「これさ、終わったんじゃなくね?」
カズマは少し考えてから答えた。
「たぶん、続いてるだけ」
ユウトはそれを聞いて、軽く笑った。
「だよな」
扉が閉まる。
残った教室には、もうギターもUnityもない。でも、確かに“何かを作っていた時間”だけが、まだそこに残っていた。




