19.決心と睡眠
「──それで…君は記憶を失ってしまったと思われる…その後の事は幾らでも手は打てたはずだったにも関わらず俺が楽観視していた所為で君を傷付ける言動をする者が出て来てしまった。恐らくこれからも人間の君に苦言を呈する者は出てくる可能性は十分あると俺は思う」
つまりウィンロードであるウィンダム王子に馴れ馴れしくした私に怒ってウィンニャム王子が私を害そうと刺客を送った、と。思わず両肩を抱きしめた。私はあの日殺されかけたって事?その後の秘密裏に行われた制裁を不当だと周りが不満に思っている事も知ったのだ。だから『発端』なのか…
気やすさが原因で、とも思うが私の認識が甘かったのだ。彼は王族で魔法使いのウィンロード。平民ではないとは言えこの国では何の力も持たない人間の私。分かっていたのだ。でも…迂闊だった。
「ごめんなさい、ごめんなさいウィンダム王子…私…こんな事になるなんて…すぐにでもバムダから出て行きますっ」
「違う!コリーン違うんだっ。最初に言っただろ?君の所為ではないしこれは俺の不手際だ。謝るのはこちらなんだ…だから」
そう言うとウィンダム王子は立ち上がり私の座るソファの前で跪いた。周りの獣人達が慄然とする中、私の強張った手を取り両手で握りながら頭を付けてこう言ったのだ。
「コリーン…身内の暴走に気づかず貴女を危険な目に遭わせてしまった。記憶を失うほどの恐怖を与えてしまった。害する者を不用意に近づかせ貴女を怯えさせてしまった。バムダ王国を代表し貴女との約束を違えた事、心から謝罪する。もちろん命を危険にさらし謝って済む事ではないのも分かってる。偉そうな事を言っておきながら力足らずで本当に申し訳なかった」
「お…王子…」
「コリーン…もう一度チャンスをもらえないだろうか?頼りなく思うだろうがどうかこの先俺に君を護らせて欲しい。二度とこんな事が起こらないよう命をかけると約束する」
ぐっと握られた私の手が小さく感じられた。彼の手が大きくて力強いのもあるがそれだけではない。力に対して対抗できる術を私は持っていない。小さな毒虫に刺されれば痛みで泣き毒で呆気なく動けなくなるだろう。些細な争いも多く腕力も脚力も敵わず病原菌にも侵されやすい。対して獣人には多少の抗体ができており滅多に命の危険にさらされないと聞く。身体の構造一つ取っても脆弱でいきなりこのバムダで生きていくには弱過ぎるのだ。
人がバムダで暮らせない理由は私達がそんな些細な日常茶飯事に対抗できないから。生きる為にはこの島から出ていかなくてはならないのだ。私達人間はなんとちっぽけなのか。
でも…でも…私は…
この国で貴方の傍にいたい。
どうにもならない思いを抱えて生きる事になっても…毎日会えなくてもいい。
初めて自分から何も返してくれなくてもいいと思うほど大事に思える人ができたのだ。元婚約者に対して思っていた事とは違う。未来の幸せや保身や安寧を欲しいのではない。自分の価値を分からせたいのではない。
私はこの人を……
こんな顔をさせ悲しませたくないのだ。
「ウィンダム王子…私は弱いです」
重ねられた彼の手をやんわりと外し、代わりに彼の手を私の小さな両手で包み直す。
「コリーン…?」
「でも…強くなります。身体的には無理かもしれませんが知略を巡らせ回避する事なら私にだってできます。もちろん情報が必要だし、城に籠ってばかりではいけなくなるでしょうし空回りする事も沢山あるでしょう。でも負けません。私はいままで沢山の事業を立ち上げ大きくしてきました。良い事ばかりしてきたわけではありません。同業を欺き利用し抜け駆けを指示し優位に立つ事など私の世界では日常茶飯事でした。ですがそれは戦略です。勝つ為に私が費やした日々を貴方に捧げましょう。ウィンダム王子。これはきっかけです」
人間の私が少しでも貴方のそばにいられるように…
私は私を利用するのだ。
「改革しましょうウィンダム王子。目指すは観光事業の拡大による種別差別の緩和です!」
「………ふ…っ」
「あの…私がんばります…よ?」
「は、はははっはは──っ」
跪いたままウィンダム王子が壊れたように笑い出した。大きな口を開けそれは可笑しそうに。
周りに居た近衛の獣人、ララさんや侍女達。そしてソファの上にいるオーキッドのウサギまでキョトンとしている。
「……はぁ、は……ぁ、俺はな、コリーン、君を護ると言ったんだ。君を護るべき弱い女性だと勝手に判断して周りを力で押さえつけようとさえ思っていた。でも俺は君を侮っていたんだ…君は護られるだけでは嫌なんだな」
「……私は…貴方がこうやって笑って過ごせる日々が、穏やかに過ごせる日々が続いて欲しいです。それが私がいる事で憚られるならば今すぐにこの国を出ます。でも貴方は私を命を賭けて護ると言ってくれました。なら、私に出来る事を貴方にお返しします。…おかしいですか?」
「コリーン」
そう私の名を呟いた後、彼は私の素手に深くキスをしたのだ。
「──!」
「そうだな…これはきっかけだ。目が覚めたよコリーン。もっと根本の原因を解決しなくてはいけないよな。君の言い分はもっともだ。但し、獣人の選民思想を緩和し且つ好意的に持っていくには中々骨が折れそうだぞ?」
「あ、えっと、その点は皆さんに多大な協力を仰ぐ事になりますが案はあります。私の知識を総動員します。まだ確定ではありませんが検証の価値はあると思っています」
「分かった、協力、いや、一緒にやろう」
そう言ったウィンダム王子がニカッと笑った。
私はこの人のこの顔が好きだ。愛しい。ずっと見ていたい。
だから頑張れる。
「はい!」
そうして私達は小さな改革を起こす為に動き出したのだ。
***
「ああ、ちょうど良かったです。この書面を見て頂きたいのですが──」
その後四日間、ミミルキー調査の合間に彼女は取っ掛かりの目玉を中期、長期の二つの案を文章化した。元々頭の回転が速い上、それを的確に文字に起こせる技量があり、要点を分かりやすく且つ何をどうすれば結果へ導き出せるのか。調査人員の指示内容、その為の予算は元より情報不足は否めない状態だったがウィンダムの申し出により情報収集、随時情報提供を受け、たった四日間ではあったが思ったより短期間で構想をまとめられた。
コリーンの集中力、的確な指示書作成に穴のない準備への抜かりなさは周りの獣人も舌を巻くほどでまるで元より長年取り組んできた計画のようにスムーズだった。
一人で最終的に三十以上の事業を扱い、負債は一切なく引き際さえ戸惑いなく切り、だが次策に繋げていく先見の目を持っていた彼女。だが常にON状態で、湯浴みや食事など侍女達が甲斐甲斐しく世話を焼いているが、その間書類を手放す事は無かった。もちろんその事はウィンダムに報告されている。
そして四日目の今日。時刻は夜の九時を回り湯浴みを済ませたコリーンは再び図書室に舞い戻り書物を読み始めてしまう。が、様子を見に来たウィンダムに捕まり、ならばと今までの進歩を報告しようとしていたが…
「ちょ、ちょっと待ってコリーン。…俺分かったかも。君さては合間にOFFがないな?頑張ってくれるのは嬉しいんだが、まず睡眠時間を削るのは良くない。寿命を縮める行為はダメだ」
そう言って遮られた。
「? 睡眠?ああ、大丈夫ですよ、生きる為のお世話は侍女さん達がしてくれてますし、以前ならこれすら自分でやるしかなくて二十日くらい連続で座りながら寝てしまったりしてましたし。あ、でも今はベッドに運んでくれるので椅子寝はしていません」
「!? うん…これは確実に仕事病だ。ははっ重症だな
……イヤイヤイヤイヤッ!」
頭に手を当てながら首を振るウィンダム。
「報告にあるこの三日間の睡眠時間が一日平均二時間ってどういう事だ?今後こんな無茶な事をするなら俺にも考えがあるぞ?」
「ふふ、ご心配なく。こんなくらいで死にませんよ~。大丈夫ですって。十分頭を切り替えられる睡眠時間は取れてます。それにやる事はまだまだありますから」
「……コリーン、正直に言ってくれ。過去このような無理なスケジュールで日々働いていたって事で間違いないかな?」
「睡眠は…そうですね。一日二時間から三時間というところでした。でも慣れていますし寝る事ができない日もあったので…」
それを聞いたウィンダムは「はぁぁぁあ~~…」と深い溜め息の後、腰に手を当てガックリと下を向く。
「…あの…呆れられている事は分かっています。でも結果が早く欲しくて…でないと…」
「許せない…っ」
「え?」
「君を利用して来た奴らが許せない!そして俺も大馬鹿野郎だっ」
「ふぇ?」
ウィンダムはコリーンの肩に手を置くとパチンッと指を弾く。
次の瞬間、コリーンが目にしたのは見覚えのある天蓋。羽ペンを持ったままの状態で寝室に戻されていた。
「え~、なぜぇ?」
ウィンダムに持っていた羽ペンをヒョイっと取り上げられそのままベッドに押し倒される。
「……!?」
「コリーン。君が常識だと思ってきた事は常識ではない。落ち着いて聞いてくれ。睡眠は大事だ。最低でも七時間は連続して取ってくれ。君はまだ若いし無理もできるだろうが、これは命を縮める要因になり得る。それに…目の下、クマができてるぞ?」
「!」
驚きパッと顔を手で覆い隠すコリーン。
そんな姿も可愛いと思いながらもウィンダムは続けた。
「やる事は確かに多い。でも君が一人で背負わなくて良い。情報を共有すれば周りも動ける。君は優秀だが俺達だって馬鹿じゃないよ?一人で抱え込む必要はもうないんだ。助け合えるんだよ」
「……はぃ…」
ベッドに流れる銀の長い髪。部屋の四隅にある蝋燭台から消え入りそうな暖かい色の灯火に反射して時折揺らいで見える。
彼女は十代の後半を二時間の睡眠で乗り越えてきたのだ。狂った常識。精神を病んでもおかしくない状況下で心の支えだったのは何だったのか。
「……もう無茶な事はやめてくれるな?三食きっちり食事をしてゆっくり身体を癒して連続して寝る。これが出来ないならもう何もさせないぞ」
「…わかり、ました」
シン…と静まった寝室の中、手を顔を覆い固まっているコリーンと彼女に覆い被さっているこの状況に彼はあっと気付いたが、なぜかニヤッと小さく笑い、そのまま腕の力を緩め自分の身体でコリーンを閉じ込めた。
「じゃあこのまま寝てくれ。ちゃんと寝るまでそばにいてやるから。隠れて書類作ったり資料見たりなんてさせないからな?これからは毎晩寝室に強制連行するぞ?あ、子守唄なんてどうだ、ずっと耳元で歌ってやろうか?」
「ひぃぃ~~っ無理ぃ~」
コリーンがプルプルと震え出しきゅっと身体を縮め、小さくなる。
自分の腕の中にすっぽり収まってしまう彼女を力一杯抱き締めてしまいたい衝動と戦いながらウィンダムはグッと目を閉じて堪えた。
彼女が受けて来た待遇もそれに従わなければならなかった状況も、それに応えようと必死に生きて来た彼女もウィンダムには与り知らない別の国での関係ない時間で過去の事だ。
でもそれが許せなかった。胸の中がジワジワと不快で熱く沸々としたもので悔しさが込み上げる。
「コリーン…『言わなくても分かる』は理解を装う怠慢だと俺は思う。言ってくれないと分からない事の方が多いのも事実だ。目を離した間に君の身体が壊れたりしたらきっと俺は俺を許せないよ…だからちゃんと会話をしていこうな。俺だけじゃなく周りを頼るんだ…君を思っている皆の為にもな」
「は、い…」
「うん」
その後、ウィンダムはモジモジとしながらも動けないでいるコリーンの甘い熱を感じながらその初心な態度に頭ホワホワで愛でていたが
バタ───ンッッ
と寝室の扉が開かれ、無の表情をしたララがシュルシュルと蛇の警戒音を鳴らしながら近づいて来たのを見て慌てて身体を起こす。
「うぉ!ラ、ララ!」
「未婚の抵抗できないか弱い女性になんという暴挙…このような行為は誰が赦そうともわたくしが赦しませんよ!」
「い、いや…何もして…」
「言い訳は結構です。コリーン様ご無事ですか?」
「はっはひっ…だ、大丈夫…です?なにも…」
その返答を受け、ララの尾がゆらりと持ち上がり…と思ったらウィンダムの胴に高速でビュルッと巻き付き、グンッとベッドから持ち上げた。
「ぐぇっ」
「では後ほど温かいハーブティーを用意させます。貴女達コリーン様のお側に」
と綺麗な一礼をし、ララはウィンダムを引きずって連れて出て行ってしまったのだ。それと入れ替わりバクと犬侍女がテテテと室内に入って来て「大丈夫ですか?心配しました!」「王太子ってば順序がバグってます~」などと言いながら涙目で抱きついていた。
どうやら資料を放って図書室から突然姿を消したコリーンを何かあったのかと侍女達は探し回っていたらしいが、移動したはずの匂いが忽然と無くなっている事からウィンダムの転移動が関わっているのでは?と推測し王太子の部屋を探したがおらず、まさか寝室に…?とララを引き連れ匂いのするこの王太子妃の寝室に突入したとの事だった。
「何か大変な騒動になるところだったわ…」
コリーンはお茶の支度をしてくれている犬侍女や夜着の用意をするバク侍女に感謝の言葉をかけつつ、ふとサイドテーブルにウィンダムに取り上げられ置かれた羽ペンを持ち上げる。
「みんな心配してくれてたんだな…これくらい…平気…」
ではなかった。だが削れるのは睡眠時間しかなかったのだ。慣れれば平気だと感情もコントロールしただけだ。逃げ出したあの日もフラフラの頭を奮い立たせ長い廊下を歩いていた。それがあの白く眩しく幸せ溢れるバレリオと着飾った知らない女性を見た瞬間、後の事などどうでも良くなって身体が動いていた。そう思い当たりコリーンは納得したのだ。ああ、あの時が限界だったのだと。
そしてあの場面が今となっては遠く感じる過去であり、悲しみも胸の痛みも不思議と感じなくなってきている事にも気づき始めていた。
「ふふ…怒られちゃった。…そうね、ちゃんと睡眠を取らないとダメね。それと明日ちゃんとララさんに弁解しておかなくちゃ。ウィンダム王子大丈夫かな?」
そう呟きつつ、この温かい縁をくれた彼を思いながらコリーンの意識はベッドに深く沈んでいった。




