「多文化共生」で「クリスマス用語」が世界で変化しつつある件について
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
普段は季節感を全く感じさせない僕のエッセイですが、今回は「クリスマス」の呼称が欧米で危ぶまれている件について話していこうと思います。
えっ……日本でも12月24日がイブで25日がクリスマスの当日でお子さんがプレゼントを貰う。
そんな風習が定着しつつあるような気がしたんですけど……。
どうやら世界ではイスラム教などがキリスト教文化に反発する風潮があり、
「祝う気が無い人たちを強制するな!」という理論で持って大きく反抗しているようです。
そのために
クリスマスツリー は エバグリーンツリー へ
ジーザスクライシス や メリークリスマス は ハッピーホリデー へ
クリスマス休暇 は ウィンター・ブレイク へ
と呼ぶように変化している地域もあるようです(全然変わっていない地域もあります)。
実際にアメリカの有力な調査機関(Pew Research Centerなど)のデータでは、
「店舗での挨拶の好み」 「店舗は『メリー・クリスマス』と言うべきだ」と答える人は、2005年頃には約43%でしたが、近年(2017年以降)の調査では32%まで低下しました。
こういう呼称変更をしなければイベントそのものが中止に追い込まれてしまうことを恐れてのことでしょうね。
日本では元々が海外の文化なので挨拶に深い意味を考えませんでしたけど、
「メリークリスマス」というのはイエス・キリストの誕生を祝うという事のようですから、
一神教の宗教観が違う人から見たら耐えられないのかもしれませんね……。
日本では多神教で寛容度が高いですからね。「ビジネスになる」と思えばドンドンと海外宗教の風習を取り入れるイメージがありますね。
でも、今後は密かに呼称変更が行われていくかもしれませんね。
昔は「看護婦」と言われていたことが「看護師」になったり、「スチュワーデス」が「CA」や「客室乗務員」などジェンダーレスな名称に名前が変わっていきましたからね……。
そのような呼称変更は起こりうるという事ですか……。
◇日本の文化も「怪しくなる」ことは容易に想像がつく
ある種、アフリカなどを蹂躙してキリスト教を押し付けた側が名称変更を強いられつつあるというのは何とも皮肉な話なのですが、
これについては日本も「他人事」ではないように思います。
どういうことなんですか?
例えばとある寺に対して「除夜の鐘がうるさい!」といった苦情が来てその後やられなくなったといったことがありました。この苦情が日本の方から来たのか外国の方からかまでは分かりませんが、こういった動きは全国各地で見られつつあるようです。
「虫の鳴き声の音色」や「鐘の音」といった音声を日本人は「風流」と感じる方が多い中、
外国では実はそうは思わないという方も多いのです。
そのために、ゆくゆくは「外国の方に配慮」をし続けた結果、「除夜の鐘が日本中から無くなる」といった事態にもなりかねないのです。(年が変わるタイミングではやらずに昼に除夜の鐘を鳴らすなど工夫をする寺もあるそうです)
なんと……日本では江戸時代から多くの寺院でやるようになったそうですが、
それが無くなるかもしれないだなんて……。
今後どうなるかまでは予測がつきませんが可能性としてはあり得ます。
世の中では「声の大きい少数派」として「ノイズィー・マイノリティ」などと呼ばれることもあるようです。
外国の方は流石に少数派ということで当面の間はあり続けると思いますが、
こうした歴史や文化の側面から「ねじ伏せてこよう」とすると思います。
思うんですけど、「多文化共生」ってどうしてか「今いる現地の人たちが我慢する」のが主流みたいになっているのはどういうことなんですか?
本来であれば、いったいどのような日本の歴史や文化に不満を持っているのかリサーチして対話を行い、外国の方に理解をしてもらって受け入れてもらう――
こういう流れが「共生」だと思うんですけどね。
ところが政治家や大企業からしてみれば「弱者保護」の「大義」で新しい権利や補助金を出すことが利権になり、自らのお友達にお金を流すことができるので、「今いる日本人たちを変容させる」ことがとても「有意義」なんだと思いますよ。
ある意味「政治的主導」で文化が破壊されていくんですね……。
ゆくゆくは埼玉県の一部の市が「クルド人自治区」みたいになっているように、
外国の方ばかりが集まる場所が全国でドンドンと増えていくと思います(日本人が流出している面も強いですけど)。
しかし、その流れも「政治的主導」によって行われていくのだと思います。
ある意味彼らにとっての「効率」を重視しているのだと思いますね。
呼称変更や文化の話からそんなところまで行きつくだなんて……。
根っこのところでは繋がっていますからね。マスコミなどを活用して「変容」を狙っているのだと思います。
日本国民からすると、このような未来はたまったものではないので、
「日本人の側が変容を強いられる多文化共生」と言うのは全力で反対したいですね。
という事でこのような政治や外国人問題について個人的な意見を述べていこうと思いますのでどうぞご覧ください。




