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 仮想世界に閉じ込められて出られなくなる……というのは、創作ではありがちな話だが現実に観測事例は無い。昨日までは。

 私の眼前に広がる光景はそんなファンタジーな出来事が具象化している様を雄弁に物語っているのだが、大半の人間が困惑している様子だ。それもそのはず、彼らには現実の生活が有るのだから。もちろん私もその例に漏れないのだが、私の場合、現実は実質的に機能不全に陥っているので、悲観するどころかむしろ楽観している。私は自分のやりたくないことをするくらいなら死んだ方がマシだと思っているし実際に自決を試みたこともあるのだが、苦しくてやってられなかったので親の脛を齧りながら生を持続してきたことが要因と言える。現実が低い位置に存在していたわけだから、仮想世界に囚われることはプラスでしかないのだ。あの陰鬱とした現実から解放されるのだから。そう考えると「天国や地獄は人の心にある」なんて聖書の言葉に信憑性を感じずにはいられないが、聖書やその他全ての宗教の教えは下らん戯言や神話という名の欺瞞に満ちているので、善導を意図した一部の道徳的教訓だけを参考程度に活用するのが一番安全かつ妥当、合理的と思う。「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」などの孔子の言葉が語り継がれてるのは、こういった背景があるのだろう。ま、儒教は無神論だから宗教と言えるし宗教でないとも言えるんだが。そう考えると「自分を愛するように隣人を愛せよ」なんて誰でも聞いたことあるような聖書の記述を取り上げるのが妥当と言えるか。

 そこら辺で泣き喚いてる連中が居るが、放置しておくことにする。こういう直情的・非理知的な人間の心は欲望に支配されているので、哲学的な教訓を説いたところで感情的な反発によって憎しみを抱き感情論/詭弁を量産するマシーンとしての側面が表面化するので救いようがない。連中は「共感/刹那的な快楽」を求めているのであって「哲学/長期的な幸福」を得たいとは微塵も思っていない。彼らは魚を無限に持ってきてくれる奴隷を望んでいるのであり、魚の釣り方を教えてくれる指導者を憎んでいるのだ。多分、暫くは苦しみの原因が自分にあることを悟ることはできないのだろう。まさに自業自得と言える。こういう連中に優しくするのは、善に使うべき時間を浪費することになるので悪だ。……とはいえ、哀れではある。

 私はこの初期位置の広場から離れた位置にある屋台で買った魚の塩焼きを、遠距離から連中に放り投げた。無論、人混みがあるので誰が投げたかは知られないだろう。

 連中は困惑した面持ちで魚の塩焼きを手にした。システムが匿名でのアイテムプレゼントを認識してダイアログでその旨を開示した。連中は安心したのか涙をこぼして、今度は悪くない、美しき涙――嬉し涙を流して頬張った。さっさと涙を枯らして、立ち上がれ。今よりずっと弱かった、昔の私のように。

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