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第一話

いつもと変わらない朝だった。

昼前に目を覚まし、明日からの出社を思うと、じんわりと憂鬱がこみ上げてくる。とりあえずSNSを開いた。


今日はゴールデンウィークの最終日。

一年でいちばん体がだらける日かもしれない。

それでも明日には、会社に行かなくてはならない。

――社会人とは、つくづく不自由な生き物だ。


トレンドには「退職代行」の文字が並んでいた。


「なんか、最近よく見るよなー。俺もこの会社、辞めたいかも。なんか向いてない気するし」


独り言をつぶやきながら画面をスクロールしていると、ある広告が視界をひときわ強く引いた。


『“向いてない自分”と、ちゃんと別れよう。

転才代行、アラタニ』


「転才代行……?」


聞き慣れない言葉だった。

でも、なぜか胸の奥が軽くざわつく。興味――いや、ほんの少しの期待が混じった好奇心かもしれない。


予約ページを開いてみると、今日の枠だけがぽっかり空いていた。

駅から徒歩五分。相談は無料。

なら、とりあえず行ってみても損はないだろう。



「初めまして。私、転才代行アラタニで代表をしております、新谷と申します。本日はよろしくお願いします」


店に入ると、そう声をかけてきたのは、短髪にメガネをかけた青年だった。

年齢は二十五歳前後だろうか。もっと変わった人物を想像していたが、意外にも普通で親しみやすい印象を受けた。


「お客様の場合、現在は経理職に就かれてますね?

ただし、保有されている才能は、“即応的な判断力”や“臨機応変な対応力”など、状況に応じて動く仕事に強い傾向が出ています」


「たとえば営業、カスタマーサポート、運用管理。そういった、現場対応の多い仕事の方が、今のあなたの才能とは噛み合いやすいです」


「……」


たしかに、予約時に名前と生年月日くらいは入力した。

でも、それ以外の情報は入れていない。職種も性格も、何も聞かれていない。


「なんで……そこまでわかるんですか?」


新谷はにこりと笑って、さらりと答えた。


「当社では“才識反応”を取得しています。

予約完了と同時に、現在の職務適性や未活性スキル領域がこちらに届く仕組みです。

もちろん、利用規約の末尾に明記しておりますよ?」


「……あの長ったらしいやつ?」


「ええ、スクロールするのが面倒で読まれないことは、想定済みです」


――この男、確信犯だ。

しかも、悪びれる様子すらなく、どこか楽しんでいるようにさえ見える。


「……たぶん就活では、“安定してそう”とか“とりあえず内定出た”とか、そんな理由で選ばれたんでしょうけど。

才能から見ると、ちょっともったいないですね」


「え、そこまで見えてんの?」


「はい。そういう傾向も、データに出ています。あなた、“やってみてから違和感に気づくタイプ”ですね」


図星だった。

完全に。


たしかに、自分は“安定してそう”という理由だけで今の会社を選んだ。

やりたいことなんて、特になかった。

というより、何が向いているのかなんて、就活のときに分かるわけがない。


でも――それを、こんなにあっさり言い当てられると、なんだか悔しい。


俺自身よりも、この男のほうが俺をよく知っている気がして、腹の奥が妙にざわついた。


「このまま働き続ければ、どこかで限界が来るでしょう。

でも、給料も悪くない。福利厚生もそれなり。

辞めたところで、次に何をしたいかも分からない――そんな人は多いです。だからこそ、うちの出番なんですよ」


まるで雑談でもしているかのように、自然な口調で新谷は続けた。


「私たちが提供しているのは、“転職”でも、“適職診断”でもありません。

それから、“生まれ変わり”のような奇跡でもない。

もっと静かに、もっと本質的に。

――“才能”そのものの形を、変える。

それを、私たちは“転才”と呼んでいます」



思わず息を呑んだ。

「才能そのものを変える」――そんな話、まともに信じられるわけがない。

そもそも、どうやって変えるというのか。

頭では否定しているつもりだったのに、新谷の言葉一つひとつが、妙に腑に落ちてしまう。


たとえ自分の才能が分かったところで、今さら何かをしたいわけでもない。

でも、もし――もしそれが、今の仕事にぴったり合ったものだったとしたら?

努力なんてしなくても、評価されて、昇進して、尊敬すら得られる――そんな現実があるなら。


まるで小学生の妄想だ。

それでも、心のどこかが「信じてみてもいい」と囁いていた。


「……才能を変えるって、一体どうやってやるんですか?

もし本当に変えられるなら、費用はどれくらいかかるんですか?」


新谷は少し肩をすくめ、事もなげに答える。


「私たちが開発――というよりは、まあ企業秘密なんですが。

“才能”を一度、具現化して、それを手動で変形します」


「手動で……?」


「はい。元の才能と、目指す才能との距離が遠ければ遠いほど、変形量も増えます。

そのぶん“才能の絶対量”は減りますが、より向いている方向に調整されるんです」


しばらく言葉を失った。


新谷は続ける。


「費用はプランによるのですが……

一番お安いプランですと、ご自身の才能を“原料”とする形式でして。

手間賃として、だいたい五万円ほどですね。

それともう一つ、“破片”の回収費が加わりまして、合計でおよそ八万円、いただいております」


「破片……?」


「ええ。才能を変形させる際に、どうしても不要になる部分――“変質前の断片”が出てしまうんです。

とはいえ、実質的にはゴミのようなものですし、お客様に影響はありませんのでご安心を」


さらりと、そして当然のように言い切る。

その声色に、迷いは一切なかった。


「ちなみに――今日であれば、施術が可能です。

ただ、次の予約枠は……最短でも六年四ヶ月後になりますね」


「……は?」


聞き返した声が、自分でも情けないと思うほど小さかった。


「“転才処理”は非常に繊細な調整を必要とするため、装置の稼働に大きな制限があります。

一度使用すると、完全に冷却・沈静化するまで再利用できません。

その間に、予約はどんどん埋まってしまうんです」


――つまり、今日を逃せば、次に“自分を変えられる機会”は、いつ来るか分からないということ。


不安、不信、迷い。

いろんな感情が頭の中を駆け巡るはずなのに――不思議と、心だけは静かだった。


「……やります」


気がついたときには、言葉が口をついて出ていた。


「ありがとうございます。では、こちらの誓約書にご署名を。

記入が終わりましたら、処置室へどうぞ」


今まで、何かに真剣に向き合ったことなんてなかった。

それでも――これから、自分の“持っていた才能”が変わる。

その事実だけで、胸の奥がざわついた。


不安と高揚が、複雑に混ざり合って、鼓動を強く打つ。


「それでは、転才処理に移りますね。処置には2〜3時間ほどかかります。

才能を具現化している間は、軽い眠りについている状態になります」


新谷は淡々とした口調で、手続きを進めていく。


「では、重要事項についてご説明しますね。まず――」


新谷は手元のタブレットを操作しながら、淡々と話し始めた。


「一度才能を変形いたしますと、元の才能に戻すことは極めて困難です。

また、変形後の才能はあくまでも“その人にとっての最適化”であり、他者と比較して優れているとは限りません。

さらに、処置後数日間は性格に軽微なズレが生じる場合があり、違和感を覚えることもございますが、通常は数日以内に馴染みますので、ご安心ください」


――が、もう説明なんてどうでもよくなっていた。

俺はただ適当に相槌を打ち、どこか遠くを眺めていた。

そして、いつの間にか――意識が遠のいていた。



目を覚ましたときには、すでに施術は終わっていた。

あっけないほど、簡単だった。


会計を済ませて店を出ると、夕方の風が心地よかった。

ふと、ラーメンが食べたくなった。


いつものラーメン屋に向かおうと歩いていると、途中で新しくできた店が目に入った。

普段の自分なら、迷わずそちらに入っていたはずだ。

でも、今日はなぜか――足が止まらなかった。


行きつけの店に着くと、新作の限定メニューが掲げられていた。

それにも惹かれず、いつもの定番を注文していた。


湯気の立つラーメンを見下ろしながら、ぼんやりと考える。


――何かが、違う。


明確に言葉にできるほどではない。

けれど、ほんの少しだけ、何かが変わっている。

その違和感が、心の奥で沈殿していた。


朝、目が覚めて出社の準備をする。

いつもなら、スーツに袖を通すころにはじわじわと気分が重くなってくるのに――今日は、不思議とそれがなかった。


会社に着き、デスクに向かう。

隣の席の先輩がこちらを見て声をかけてくる。


「おはようございます」


「おお、おはよう。……あれ? なんか今日、テンション低くない? ま、GW明けだもんね〜」


その言葉で、ようやく自分の表情に意識が向いた。

疲れているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。

なのに、なぜか周囲との温度差だけが浮き上がっていた。


タスクに取りかかる。

経費入力、月次報告の下書き、資料の更新――これまで何度も後回しにしてきた作業たち。

だが今日は、手順が頭の中に勝手に浮かび上がるように、次から次へと片付いていく。


気づけば、未処理の山はきれいに消えていた。

最後の資料を課長に送信し、声をかける。


「課長、ご確認お願いします」


「はーい……って、え? これ全部、今日作ったの?」


画面を覗き込んだ課長の眉が上がる。


「めちゃくちゃ整ってるな……数字も合ってるし、グラフの色使いも見やすい。フォントも統一されてて、資料の流れも自然……ほんとに、今日?」


「はい」


課長が何度もスクロールして確認しているのを見て、ようやく少しだけ実感が湧いてきた。


――今までの自分では、考えられなかったことが、起きている。


三年後。

昇進を果たし、課長となった。最年少ではないが、同期の中ではかなり早い方だった。


――この才能で、どこまでも上に行ける。


そう信じて疑わなかった矢先のことだった。


「課長! 本部から連絡が……今朝提出した月次レポート、数字が一部ズレてるって……!」


部下が駆け込んでくる。

手には赤ペンで修正された紙。顔には動揺が浮かんでいた。


「このあと全体会議で使う予定なんです! このままだと、うちの課の信頼が……!」


頭が真っ白になった。


数値のミス。修正、再集計、報告。

やるべきことは山ほどあるのに、何も浮かばない。


これまでなら、才能が先に動いてくれていた。

考えるより先に、最適解が脳内に展開されていた。

だが――今は、何も出てこない。


「課長……どうしましょう。

先輩たちから、課長って咄嗟の判断がすごいって聞いてたのに……」


部下の声が遠のく。

脳の中が空っぽのまま、ただ時間だけが流れていく。


――このミスは、取り返せなかった。


部下に謝罪し、関係部署に頭を下げ、本部にも説明に回った。

数字を直し、資料も差し替えた。

それでも、会議は予定どおりには進まず、課全体の信頼も確実に削られていった。


その後、俺は課長職を外された。

正式な降格ではない。だが、実質的にはそうだった。

責任あるポジションから外され、現場仕事に戻された。

空気も、周囲の視線も、一段階重くなっていた。


それでも、もう一度上を目指そうと思った。

いつか、また昇進レースに乗り、取り戻すことができるはずだと。


だが、まもなく思い知らされることになる。


――この“今の自分”には、それを実現するだけの才能は、もう残っていない。


正確性はある。

業務遂行能力も悪くない。

けれど、それだけだ。


突出していない。

際立っていない。

“誰よりも優れている”と評価されるほどの才は、もうなかった。


あのとき手に入れた“最適化された才能”は、

組織の中で失敗しないように設計されたものだった。

けれど――一度失敗した自分を、もう一度這い上がらせるほどの力までは、備えていなかった。


そうだ。

こんな才能じゃなくていい。元に戻してもらおう。

あのとき手放した、粗削りなままの才能のほうが、まだ大きかったはずだ。


そう思って、俺はもう一度アラタニを訪ねた。


だが――あの店は、跡形もなく消えていた。


店があったはずのビルには、「空きテナント」の札。

ネットで検索しても、SNSを探しても、連絡先ひとつ見つからない。


“転才代行アラタニ”という存在そのものが、最初からなかったかのように、

この世界から――きれいさっぱり、消えていた。


とある街角。

転才代行〈アラタニ〉の看板は、今日も変わらず、淡い灯りをともしている。


店主の新谷は、窓際のカウンターで湯気の立つカップを手に、スタッフとゆったりと笑っていた。


「才能って、不思議なもんですよね」

彼はゆるやかに語りはじめる。


「どれだけ優れた才能を持っていたとしても、本人が気づかなければ、花は咲かない。

逆に、どれだけ平凡でも、丁寧に向き合えば、それなりに実ることもある」


そして、ひと呼吸置いて、声を落とす。


「――だからこそ、人って面白いんです。

自分が持っていたものの価値に気づくのは、たいてい……手放したあとなんですけどね」


彼はカップを置き、片手を軽く振った。


「さあ、余った破片を集めておいてください。

ええ、使い道はいくらでもありますから」


外の通りを、誰かが静かに通り過ぎていく。

次の“転才”を求める誰かが、今日もまた――この扉を叩くのかもしれない。

読んでくださってありがとうございます。感想やご意見、ぜひお聞かせください!

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