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教会に置き去りにされた花嫁

作者:

紫色のリングピロー。その上の結婚指輪に手を伸ばしたまま、新郎のダニエルは手を止めている。

どうしたのかしら。

視線をたどると、目の前にいるシスターを見つめている。あら?打ち合わせの時はリングボーイだったような気がするのだけど。神父様も怪訝そうな顔でシスターを見ている。


不自然な間に、私が小さな声で名前を呼んだ瞬間、彼はピローを持つシスターの手を掴んだ。



指輪が落ち、カランと音を立てた。

一つは転がって、私の靴に当たって止まった。


私は、慌てて指輪を拾ったけれど、もう一つはどこに転がったのか見当たらない。ふと見上げると、祭壇の前で二人は情熱のこもった眼差しで見つめ合っている。

ウエディングドレスの私の隣で。


混乱しつつ立ち上がった時には、二人はしっかりと手を繋ぎ、バージンロードをドアに向かって走りだしていた。


参列者達も口を開けて二人を目で追っている。

ステンドグラス越しの柔らかな光に包まれた二人は、神の祝福を体いっぱいに纏っているように見えた。

きれいだな、と思った。そして、ちょっと、羨ましいなと思ってしまった。



政略結婚の婚約者と会ったのは数回のみ。家格その他が釣り合い、お相手に会ってみて嫌ではなかったので決めただけだ。

婚約者様は侯爵家嫡男のダニエル様。23歳。

お茶には砂糖を入れない。

釣書に書かれた事以外で知っているのはそれだけ。


留学から帰ったばかりで早く妻帯したいので、婚約期間を設けず結婚まで進めたいという話だった。

私は気が弱く、社交の場にもあまり出ておらず、婚約者もいないまま19歳になっていたので、両親はこの話に大乗り気だった。


ダニエル様に会ってみると、思っていたよりずっと素敵な男性で、どうにも自分と釣り合う気がしなかった。だが、私がおたおたしている間に話はまとまったのだ。

数少ない友人からは、素敵なお相手で羨ましいと言われたし、私もそう思うのだが、全くもって現実味がない。


そんな結婚だったので、驚いているし、困っているけど悲しくはない。まるで。



ドアがバーンと開かれ、青い空と明るい日差しの中に2人が走り出る。

シスターがウィンプルをかなぐり捨て、金色の髪が風に舞った。

と、白い鳩とバラの花びらが舞い始める。

そして教会の鐘の音がカラーンと響き渡った。

それらが完璧過ぎて笑いそうになってしまった。


外で準備していた人達も、まさか新郎が別の女性と出てくるなんて、考えもしないだろうし。

それにしても素敵な演出だわ。

ドアから見える素敵な結婚式風景が、舞台上のお芝居のようで見入ってしまった。


ゆらゆらと揺れていたドアがパタンと閉まった。

その音に気づいたかのように、観客もとい、参列者の皆様の目が私に集まる。


皆様、目がキラキラしていらっしゃる。

期待の目だわね。

そういえば、私はこの寸劇のサブヒロインなのかもしれない。いや脇役なのかしら。

先程までどこか他人事のように考えていたのが、全員の視線の矢で当事者だと突きつけられる。

それも、一人取り残されたこの場所では、悲劇のヒロイン役?・・・喜劇かも!


私にできることは失神するか、泣き崩れるか、逃げるかだけど、上手に失神するフリなんてできそうもないし、泣き真似も下手すぎて白けさせてしまうと思う。


逃げるとしても、二人と同じバージンロードを一人で走るなんて到底無理。

追いすがる花嫁を演じる自信はないし、退場し遅れたエキストラに見えるほうにかけるわ。

きっと馬鹿みたいに見えるはずよ。

こんな困った状況に陥れるなんて、今になって、本当に腹が立ってきた。


誰か助けて、と思いながら見回すと、最前列に新郎の両親である侯爵夫妻がいた。

が、他の参列者と同じく、ぽかんとしてこちらを見つめている。


通路を挟んで反対側には、私の両親である伯爵夫妻がいるが、こちらも同様だ。

固まった首をギギギッと無理やり動かし後ろを見る。

神父様も同様だった。まだ、手に聖書を広げ、少し前のめりの姿勢のまま止まっている。

むむむっと念じてみたが、神父様も私を見つめるだけだ。


え、私なの?

私のアクション待ちなの?

呆然としたが、そのようだ。私は目をつむり、自分に問いかけてみる。


私は、私は、どうしたいのかしら。

小心者の私は目立つ事が大の苦手だ。だから、逃げたい。このしんとした衆人環視の状態から身を隠したいのだ。


何か手は、と必死に考えていると、閃きが訪れ、目をパチッと大きく開けた。

この祭壇の後ろ側に神父様の控室があるのだ。

よし、そこに逃げ込もう。


花婿が上げるはずだったベールを自分で頭の後ろに上げた。目の前がクリアになる。

ありふれた茶色のおくれ毛がはらりと下がって、先程のシスターのきれいな金の髪と比較して軽く落ち込んだが、今はそれどころではない。


ゆっくり大きく息をし、そして 「後のことはよろしくお願いします」 の気持ちを込めて、侯爵様の目をじっと見詰めた。

しばらく見つめ合った後、侯爵様が小さくこくりと頷いた。

私も小さくこくりと頷いた。


同じように自分の両親にもアイコンタクトし、最後に後ろを振り返り、

「神父様、控室をお借りします」と小声で言うと、ゆっくりと祭壇から降りた。

高いヒールを履いた私を、神父様が慌ててエスコートしてくれた。


祭壇から少し歩いたところで何かを踏んだのでドレスの裾を上げて見ると、指輪が落ちていた。

ここまで転がったのねと思っただけで、もう拾う必要もないのでそのまま歩いた。

その際、ヒールがひっかけたようで、リングがからからと、また転がっていった。


あちこちから低く、おおーっと声が上がる。


目の端に、侯爵夫妻が立ち上がる姿が見えた。

良し、これで私はお役御免だ、とホッとしつつ祭壇を回り込み、横の小さなドアにたどり着いた。


神父様が鍵を開け、ドアを開いて私を通してくれる。

ありがたい。


と、その後ろに続いて、なぜか侯爵夫妻が入ってくる。またその後ろに両親も続いている。

しんとした教会内で、侯爵の妹である叔母になるはずだった婦人たちが、小さな声で話すのが聞こえた。

とてもひそやかに話しているのに妙によく聞こえる。


「ねえ、指輪をわざと踏みつけていきましたわよ。

あれはきっと、ダニエルの指輪よね。冷たい目で指輪を見つめる様子、ゾクッとしましたわ」

「ドレスの裾を上げて、見つめてからもう一度踏みつぶしていたわね。

ダニエルの指輪よ。絶対」


「そうよ、それに蹴り飛ばしたわよね」三人とも、高揚した感じでなぜか楽しそうに見える。


(え、わざとじゃないわ。2回も踏んだりしてないのですけど?)


「まさか、こんな刺激的な式になるなんて。私、お友達を招いてお茶会を開かなければ」


「そうよね、演劇の舞台を見るより10倍は興奮しましたわ」


(広めるの?勘弁してよ)


私の従妹のメリーとマリサの声が聞こえた。

「ねえ、自分でベールを持ち上げたとき、ドキッとしたわ。私だったらベールを上げる勇気なんてないわ」

「なんだか、恰好良かったですわね。ルイスってあんな性格でしたっけ」


(それって、普通はみじめねって言われるのでは??)


「ダニエルとシスターの走る姿、ものすごくロマンチックだったわね。憧れちゃうわ」

「まあっ、だめよ、そんなこと言っちゃ!

でも、愛の逃避行っていうの?詩人が歌を作りそうな一幕よねえ。うふふ」


(あら、ダニエル様の妹さんとそのお友達ね。私もそれ同意見よ)


「ルイス嬢がこんなにしっかり者だなんて知りませんでしたわねえ」

「無駄な言葉を一言も発しない。すごい胆力だし思慮深い。わが教え子ながら全く!」


(家庭教師の先生方、何を言って...。 思慮も何も、必死で何も考えていないわよ)


そのうち声が大きくなっていき、重なり合って、誰が何を言っているのかわからない状態になった。

がやがやと言い合う声のいくつかが耳に入ってきたが、まさか、これは私のことを言っているのでしょうか。


「あの侯爵様を目で従わせるなんて、普通の人間にはできないぞ。怖いような迫力だったな」

「侯爵夫妻、伯爵夫妻、神父様まで引き連れて、大した貫禄だ。うちの息子の嫁に欲しいな」

「甥は、少し弱気なところがあるのよ。あんな娘さんなら安心ね」

「いや、しっかり者でなければ、太刀打ちできないだろう。部下にいい男がいるのだが」



最後に神父様が入室し、ドアが閉められると、外の声が全く聞こえなくなった。

すると部屋の隅の布の山から、唸り声が聞こえてきた。

慌てて布をどかすと、少年が縛り上げられていた。


神父様が少年の戒めを解きながら言った。

「今日のリングボーイです。

壇上で急に見知らぬシスターに代わっていたので、不安に思っていたのですが。

申し訳ありません。教会にも責任の一端がありそうです」


「まことに申し訳ないことをした。ルイス嬢。全面的に我が家に非がある。


隣国で息子に恋人ができた。平民の女性で、それだけならまだしも、あの巨大なカンザス商会の一人娘で、嫁にはなれない、婿に欲しいと言われた。ダニエルは我が家の嫡男で一人息子だ。

あれは、悩んだ末に彼女と別れることを選んだ。気持ちを切り替えるために早く結婚して身を固めようとしていたんだがな。


まさか、彼女自身が単身で、しかも結婚式に乗り込んでくるとは」


苦虫を噛み潰したような顔で侯爵が言った。


でも、その瞳に少し違うものが混じっていることに、私は気付いた。


「敵ながら、あっぱれ。ですか」


侯爵の眉間のしわが深くなった。


しまった。変な事を言ってしまったわ。

侯爵は難しい顔のまま私を見つめた。高位貴族の、しかも剛腕で名を馳せるバーンズ侯爵の表情は全く読めない。


「君を娘にできなくて、まことに残念だ」


いえいえ、お構いなく~と言いたかったが、雰囲気的にどうもダメそうな気がする。


「ありがとうございます」

と言っておいた。


5人の年長者に囲まれ、私は仕方なく言った。


「今から皆様方で、参列者にお詫びと、速やかにお引き取りくださるようお話しください。

その他のことは後日、日を改めて話しましょう」



この日を境に、私の社交界での評価は全く変わったのだった。



FIN


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