七話 笑いと幸せ、そして夢を追い求める人生
笑いと幸せについて考えると、私たちは自然と「喜び」や「生きる意味」に思いを巡らせます。
会社員時代の私は、月末が近づくたびに売り上げ予測が立たず、ストレスが積み重なり、心身ともに疲れ果てていました。ついには神経性胃炎を患い、医師からこう言われました――「笑いが一番の薬ですよ」。
もともと私は、笑うことがあまり得意ではありませんでした。しかし、その言葉に背中を押され、漫才やコメディ番組など、意識的に笑いを取り入れるようになったのです。数ヶ月が経つと、まるで体の中で何かが変わり始めたかのように感じました。「笑い」が血液を浄化し、ストレスや不安を洗い流してくれる。そんな実感を持つようになりました。
笑うことで心が軽くなり、穏やかな幸福感に包まれていく――その感覚は、まさに人生観を変えるものでした。
同時に、私は「幸せとは何か?」についても考えるようになりました。
現代の便利さや忙しさに振り回されていると、自然や静寂の中にあるささやかな幸せを見落としてしまいます。いつの間にか、外側の価値に心を奪われ、内なる豊かさ――つまり笑いや心のゆとり――に目を向けることを忘れていたのです。
しかし、笑いがもたらす幸福感に気づいた瞬間、私の価値観は大きく変わりました。
絶望的な状況に追い込まれたときこそ、笑うことの大切さを痛感し、以降、どんなに辛く悲しいときでも、私は笑いを取り入れて乗り越えてきました。
どれほど家の中に物があふれていても、そこに「愛という名の笑い」がなければ、どこか寂しいものです。
笑いは、人生をポジティブに変えてくれる、人間だけに与えられた素晴らしい特権なのです。
そして――
人生には、必ずいくつかの分岐点が訪れます。ときに試練を突きつけられ、そのときこそ選択を迫られる瞬間です。
そんな人生の分岐点が、純次郎にも訪れたのでした。
レストラン「純連」のオーナーとして、純次郎は数多くの人々と出会ってきました。中でも忘れがたい客がいます。黒河内寿一──通称、黒さん。彼は古き良きアメリカに心を奪われ、とりわけルート66のロマンに深く魅了されていました。荒れ果てた舗装路、朽ちかけた橋、草むらに埋もれたモーテル。そんな荒涼とした風景の中に、黒さんはアメリカの原風景を見出し、心の奥底で何かに触れるように旅を重ねていたのです。
私が脱サラして店を始めたことを知ると、黒さんは、ある人物──「ヤマさん」について熱く語ってくれました。鼻に酸素吸入の管をつけながらも、語る口調はいつもと変わらず、熱を帯びていました。
「ちょっと歩くと息切れがするんだよ」
「だったら、無理しないでくださいよ」
「いや……一期一会ってやつさ。もしかしたら、これが最後になるかもしれないだろ」
もうアルコールは受けつけない身体になっていましたが、黒さんはむしろ清々しい顔で、こう続けました。
「悔いはないよ。ルート66を横断したし、キーウエストにも行った。もう、やりきった気分さ」
「ルート66かあ……僕も、いつかは行ってみたいですね」
「“いつか”じゃダメだよ。ルート66は男のロマンなんだ。思い立ったら吉日。勇気を出して踏み出さなきゃ、きっと一生その道を走れないよ」
そして、黒さんはそっと言葉を添えました。
「それとね……もし機会があれば、マイアミでレストランをやってるヤマさんに会ってきてほしい。彼は本当にすごい人だよ」
「会ったことがあるんですか?」
「もちろん。俺が旅の終点に選んだのは、実は彼に会うためでもあったんだ」
成田空港から飛び立った黒さんを乗せた飛行機は、太平洋を越えてロサンゼルス国際空港(LAX)に降り立ちました。そこから、彼の長年の夢が始まります。借りたレンタカーのハンドルを握り、カリフォルニアの青空の下、車はゆっくりと東へ進み始めました。
アリゾナの砂漠、ニューメキシコの平原、テキサスの大地──彼は古びたダイナーに立ち寄り、旅人たちと語らい、町の空気を肌で感じながら、時間に縛られない旅を続けました。
やがて、ルート66は州を越え、大西洋を目指して延びていきます。フロリダキーズへと入り、黒さんはセブンマイルブリッジに差しかかりました。果てしない海と空の青、吹き抜ける風、揺れるヤシの木……その瞬間、彼の胸は高鳴り、夢が現実になったことを静かに実感したのです。
「感動したよ。あの海を越える橋を走った瞬間は涙が出た。でも、それよりも感動的だったのは……マイアミでヤマさんと再会できたことだったな」
そう語る黒さんの目は、旅の終わりではなく、何か新しい始まりを見据えるように輝いていました。
黒さんは、いつも自分の話ばかりするタイプでした。聞き役は苦手で、話が止まらなくなることもしばしば。でも、そんな彼が、ヤマさんの話になると終始聞き役に徹していたというのです。それだけ、ヤマさんの言葉や生き方に圧倒されたのでしょう。
ヤマさん夫妻は、不屈の精神でアメリカに挑みました。四十二歳の時、家族と犬一匹を連れ、未経験のレストラン経営に踏み出したのです。夢に満ちた船出。しかし現実は甘くはなく、開店から数ヶ月で資金難、文化の壁、従業員との衝突……様々な問題が立ちはだかりました。
リース契約の交渉の行き違い、株式をめぐるトラブル、ライセンスの突然のキャンセル。さらには従業員の無断欠勤、ドラッグや泥酔運転による交通事故、売上金の盗難といった事件まで──。異国の地で、次々に押し寄せる困難に、英語ができないヤマさん夫妻は戸惑いながらも、身振り手振りで立ち向かいました。
まさに、生きることそのものが闘い。異国の厳しさを、彼らは身をもって知ることになったのです。
何度も心が折れそうになったといいます。それでも、家族の励ましに支えられ、ヤマさんは再び立ち上がりました。肩書も過去の経験も捨て、厨房の一兵卒として未経験の料理に挑み始めたのです。
「ヤマさんが言っていたよ。その厳しい環境があったからこそ、家族愛が芽生えたんだ」と、黒さんはしみじみ語っていました。
一年が過ぎ、二年が過ぎ──。レストランは次第に軌道に乗り、少しずつ繁盛し始めました。しかし、それに比例するかのように、次なる試練が容赦なくやってきます。危機のたびに、家族は一致団結して立ち向かい、必死に店を守り抜いたのです。
そんな苦労の最中、周囲ではこんな噂が囁かれていたそうです。
「きっと日本で何か問題を起こして逃げてきたんだ。じゃなきゃ、家族全員で渡米なんてあり得ない」
今となっては笑い話のように語るヤマさんでしたが、その笑顔には、過去の困難を乗り越えた者だけが持つ静かな強さがありました。黒さんはその姿に、「この人はなんて前向きな人なんだろう」と感嘆したと言います。
「英語も話せないのに、ヤマさんが成功したのは、まるで奇跡のようですね」と黒さんが何気なく言ったとき、ヤマさんは少しも誇張することなく、こう答えました。
「奇跡でもなければ、偶然でもありません。努力と決意の積み重ねです。逃げずに立ち向かい、不屈の精神で進んできたからこそ、家族の絆も築けたんです」
その言葉が、黒さんの胸に深く刻まれたといいます。
そして黒さんは、ふとこんなことも語ってくれました。
「大変だったと思うよ。だけどヤマさんは、普通の人ができない貴重な体験をしたんだ。後悔のない人生を歩んでる。そう思えば、これ以上の幸せはないよね」
私は、その言葉を今でも忘れられません。
私から見れば、黒さんもヤマさんも、まさに“男のロマン”を生きているように思えます。でも、それが可能だったのは、何より家族の理解と支えがあったからこそです。夢を追う姿に反対するのではなく、共にその夢を生きようと決意する家族──。
特に驚いたのは、ヤマさんの奥さんの決断です。渡米当時、彼女は大手銀行で役職に就いたばかり。仕事に充実し始めた矢先でした。そんな時期に、夫の夢を支えるために退職し、異国の地での新たな挑戦に身を投じたのです。そして、まだ幼い息子たち二人を連れてアメリカへ。どれだけ大変な覚悟だったことでしょう。
異国で生きることの厳しさと、家族の絆の尊さ──。純次郎は、この二人の人生を通して、その意味を深く感じ取っていました。
本当に、黒さんもヤマさんも、幸せ者だと、私はそう思うのです。
「久々に食べた日本食は、本当に美味しかったなあ。あの味、今でも忘れられないよ」
「どんなものを食べたの?」
「寿司と刺身、それにね、彼が考案した巻物があったんだ。あの巻物は、日本人の発想じゃ生まれてこないような、いかにもアメリカ的な味付けだった。でも、驚くほど美味しくてさ」
黒さんは、懐かしむように目を細めながら続けた。
「でも、一番心に染みたのは、帰り際に握ってくれたおにぎりだった。『長旅になるでしょう』って手渡してくれてね。あの小さな心遣いが、胸にぐっときたんだよ。ヤマさんの優しさが、まるで舞うように伝わってきて……」
そう語る黒さんの瞳に、かすかに光るものが見えた気がした。
ヤマさんのレストランを後にし、私たちは夕暮れが迫るマイアミの空を背に、I-95を北へと走らせた。スプリングフィールドではエイブラハム・リンカーンの面影に触れ、ミズーリ州セントルイスを抜け、やがてシカゴへ。
「逆ルートを走るのも悪くないな。なんだか味があるよ、まさに人生の回顧録だ」と笑う黒さんの横顔が、なぜだか切なくも、まぶしく思えた。
黒さんは、人生において「長さ」ではなく「深さ」を選んだ人だった。病魔に蝕まれながらも、旅に出ることを恐れず、自分の魂の声に従って歩き続けた。彼にとってその旅は、単なる移動ではなく、自身と向き合い、確かめるための「内なる旅」だったのだと思う。
「俺があっちの世界に行ったらさ、遺灰をルート66のバグダッド・カフェに撒いてくれないか」
酒を飲みながら、そんなことを冗談めかして口にしていた。仲間たちは笑って受け流していたけれど、彼は本気だったのかもしれない。
夜が更け、砂漠の空に無数の星が瞬いていた。焚き火の炎が静かに揺れ、ギターの音色が夜風に乗って遠くまで響いていく。
その場にいた仲間たちは、言葉を交わさずとも、一人ひとりが黒さんのことを想っていた。
彼の生きざま、彼の言葉、彼が遺した一瞬一瞬の記憶が、それぞれの胸の中で静かに再生されていた。
バグダッド・カフェで過ごしたその夜、黒さんの魂は、きっとあの星空に溶け込んだのだろう。そして今も、ルート66のどこかで、旅人たちを見守りながら静かに笑っている気がしてならない。
黒さんは、自己を貫きながらも他者を思いやる、不思議なバランスを持った人だった。誰かの目を気にすることなく、自分の信じる道を迷いなく歩んできた。けれど、決して独りよがりではなかった。他者との共感を忘れず、人の痛みにも敏感だった。
私たちは、そんな彼から多くを学んだ。夢を持ち、信念を曲げず、人を大切にすること。その生き方が、どれほど人の心を動かすかということを。
ところで、黒さん。
そちらの世界にも、あのルート66は――
果てしなく、どこまでも続いているのでしょうか。