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二話 春の軌跡振り返る桜の下で   

 春の風景が広がる車窓からは、雪が溶け始めた地面と新緑が目に映る。その美しい風景は、発車のベルが鳴り響くことさえ忘れさせるほど心を打つ。それは、日常から一歩離れ、自身をリセットするための旅の始まりを告げている。映画「男はつらいよ・車寅次郎」のように、純次郎は長い休暇を利用して一人旅に出ている。


 彼の旅は、特定の目的地を決めず、ただ列車に乗り、何もない駅で長時間待つこと、風景を眺めること、駅のベンチで昼寝をすること、地元の人々と同じように立ち食うどんを楽しむことで、時間や予定に縛られず、風に身を任せて旅をする。その自由な時間が心地よい癒しとなっている。列車が静かに動き始めると、朝の光に照らされた静かな田園風景が窓の外に広がる。鈍行列車の揺れるリズムは心地よい。車内の乗客に目を向けてみると、それぞれが自分自身の世界に閉じこもっていて、会話はない。


 本を手に取り、読書にふけることもある。窓の外をただ見つめることもある。その顔には静かな微笑みが浮かび、その瞳には旅の喜びと冒険の期待が宿っている。そんな彼の心は自由そのものである。


 時々、停車駅のアナウンスが聞こえてくるが、駅名は気にならない。気に入った駅であれば下車し、そこで新たな体験を楽しむからである。しかし、そんな目的のない旅は長くは続かなかった。根っからの仕事人間として、彼の心は休息を許さない。どうしても考えてしまうのである。列車の窓から見える風景が変わる度に、心は遠くの景色とは別の現実に引き戻される。あの案件はどうなっているのか、きちんと部下たちは対応しているのだろうか、売上は目標達成したのだろうか。外見は『男はつらいよ・車寅次郎』のようになっているが、頭の中は仕事モードのままで、悲しいサラリーマンの性である。


 潜在意識なのか、未練なのか、旅の風に身を任せて、気づけば純連が生まれ育った街に足を踏み入れていた。あの時の彼女の溢れんばかりの涙は、どれだけ時間が経っても、心から消え去ることはなかった。彼女が去ったあの日の自分の無力さ、そして言葉にできなかった想い。あの時もっと素直になれたら、あの時もっと伝えられたら――。順次郎は心の中でその問いを何度も繰り返すが、答えはどこにもない。


「どうして、あんな風に終わってしまったんだろうか。」


 過去の自分と向き合うたびに、後悔と悔しさが胸を締めつける。しかし、彼は気づく。過去を悔いていても、失われた時間は取り戻せないことに。もう一度あの時に戻れるわけでも、あの人を再び手に入れることもできない。それでも、このままでは終われない。


 街を歩きながら、ふと立ち止まる。目の前に広がる風景の中に、確かに過去の自分と向き合うことの大切さを感じつつも、前へ進まなければならないという思いが湧き上がる。あの時の自分にしがみついていたら、何も変わらない。痛みを抱えながら、それでも進むこと。それが自分の人生を取り戻す唯一の方法だと、彼は心の中で決意する。


「過去に縛られていても仕方ない。未来に向けて踏み出さなきゃ。」


 その瞬間、彼は胸の奥から湧き上がる力強い感情に気づく。どんなに過去が重くても、それを背負ってでも前に進まなければならないと、彼は心から思うようになった。これからの自分を作り上げるために、何が待っていようと、恐れることなく進む覚悟が固まった。過去に引きずられていた自分を捨て、今、未来に向かって歩き出すのだと決意する。


 再び列車に乗ると、彼の心は少し軽くなったように感じる。あの時の失敗や後悔も、確かに自分の一部であり、そこから学んだことも多い。だが、今はそれに固執している場合ではない。自分を取り戻すためには、前を向いて歩き出すことが必要だ。


 列車が進んでいく。その車窓には新たな景色が広がり、純次郎の心もまた、新たな一歩を踏み出す準備を整えているようだった。彼はもう過去にしがみつくことはない。未来に向かって、しっかりと踏み出したその足音が、彼の中で力強く響いていた。



 純連は幼少期に父親を失い、母子家庭で育った。自分が味わった父親のいない孤独さを愛する純次郎の子供に味合わせたくはなかった。辛くて寂しい別れであっても、純次郎の前から姿を消した。それに、そのまま純次郎の近くにいては、理性を失い、嫉妬に囚われた女性になってしまうことを恐れたのだった。いつまでも純粋で愛らしい自分でありたかった。だからこそ、彼女はすべてを捨て、生まれ育った故郷に戻り、叔母の勧めで見合いをした。純次郎を忘れることができれば、相手は誰でも構わなかった。そんな打算的な結婚であった。


 純連が嫁いだ先には、明治時代の風情を色濃く残す姑が待ち受けていた。姑の視線は常に厳しく、一度その視線に捉えられると、冷たい氷のように身に染みた。純連は家政婦のように扱われ、時には冷酷な支配を体感する日々を送った。最初の半年間は、私に対して「可愛らしいねえ」や「同居してくれてありがとう」という言葉で気遣ってくれ、寝坊をした時でも「疲れているんだからゆっくり寝なさい」と許してくれた。しかし、そのような寛大さは最初だけで、その後の姑の振る舞いは徐々にその本性を現していった。


 姑は冷酷な支配者のように振る舞い始め、「私が死ぬまで、この家を支配するのよ」「ここをもっと掃除しなさい」「こんな料理、しょっぱくて食べられないわ。私を殺す気なの?」これで洗濯したの?ここの汚れ取れてないけど。洗い直しして」と、その言葉は常に厳しかった。


 純連も誠心誠意、尽力して生活を送ろうと心掛けたが、家庭の風味や生活習慣、味覚、金銭感覚など、非常に多くの「違い」が存在していた。初めは些細な違和感でしかなかったが、時間が経過するにつれ、その違和感は溝となり、反感や不満が募り、憎しみや恨みにつながっていった。


 そんな状況下で、純連は子供を授かった。子供の誕生は新たな絆が生まれるかもしれないという期待を胸に秘めていたが、現実は程遠いものであった。


 それは三人目の子供を授かった時である。「うちの家系では子どもは二人までよ」と冷たく言われ、その言葉は精神的にも肉体的にも痛みをもたらし、その精神的ダメージで、切迫流産で緊急入院。そんな危機に直面した時でさえも、「無駄な金を使って」と容赦のない言葉が続いたが、純連は希望を捨てずに生き続けた。生きることが彼女の人生そのものであり、母親への恩返しでもあったからだ。


 純連が聡明な女性に育つことができたのは、幼少期から母の背中を見てきたからだ。母はどんなことがあっても、弱音を吐くことはなく、人を恨むこともなく、明るくほほ笑み周囲を楽しくさせる太陽のような存在だった。母が描く希望と夢は、自分だけが楽しく何不自由のない生活を送ることではなく、ともに良くなっていくように努力することで、他者に安心をもたらす仏の慈悲の働き、「抜苦与楽」のような姿だった。


 以心伝心なのであろうか。どんな意地悪なことをされても笑顔で接していると、お義母さんが変わっていった。優しくなったのだ。人には増悪の心もあるが、仏のように暖かく包み込む心もあるのだと感じた。自分が変われば、相手も変わってくれる。そう実感した。そのようなお義母さんも5年前に旅立った。その7年後、二人の子供が結婚し、孫の顔を見ると安心しきった顔で、夫も旅立った。もともと病弱な夫だった。医者からは「よくここまで長生きできました」と言ってくれた。


 今年も桜が咲く季節がやってきた。桜が満開に咲き誇り、そしてなごり雪のように桜が散っていく。そんななごり雪のような桜吹雪を見上げると、思い出す。あの若き日のことを。そして胸がキュッと痛くなる。私が愛した山宮純次郎さん、今はどこで何をしているのだろうか。まだあの会社で頑張っているのだろうか。それとも定年退職して、奥様と幸せに暮らしているのだろうか。


 煌々と降り注ぐ陽光が美しい半島を包み込み、微かに香る潮風が心地よく、空気は清々しく暖かさが広がり、青空にはゆらゆらと浮かぶココナツの実が目を楽しませる。ホワイトクリスマスイブとは対照的に、短パンとTシャツで心地よく過ごせる。この街が、純連の生まれ育った街だ。


 出世街道を捨て、純次郎は会社を退職しました。彼は「純連」というレストランを開業し、いつか訪れてくれるという夢を胸に店をオープンしました。新しい道を歩むことの難しさを知りながらも、彼はその道をしっかりと踏みしめていきました。


 店内にはジャズやボサノバ、クラシックなど、心を落ち着かせるメロディーが流れ、穏やかで癒やしの雰囲気が漂っています。外観は淡いベージュと白を基調にした小さな木造の建物で、庭には色とりどりの花々が咲き誇り、訪れる人々を温かく迎え入れます。


 レストラン「純連」の扉を開けると、木の香りとアロマキャンドルの微かな香りが広がり、落ち着いた照明が優雅なダイニングエリアに暖かな輝きを添えます。窓辺の席からは、青い海と真っ白な砂浜が一望でき、夕暮れ時には美しい夕日を眺めることができます。


 レストラン「純連」では、美味しい料理だけでなく、落ち着いた雰囲気と息をのむような景色も楽しめます。訪れる人々は、日常の喧騒から解放され、心身ともに癒やされ、至福のひとときを過ごせるでしょう。


 メニューには、地元の漁師が毎朝獲ってきた新鮮な海の幸が並び、シェフの繊細な技術で、アジアンフレーバーとヨーロピアンのエッセンスが見事に融合したフュージョン料理を楽しめます。熱々のパスタやスープがテーブルに運ばれると、その香りが空間を包み込みます。食材はできる限り地元の漁師や農家から仕入れられ、シェフの独創的なアイデアと組み合わせて、新しい料理が生まれています。


 この街に住み始めてから、純次郎は物事を「ほどほど」にすることの大切さに気づきました。成功を追い求めても、欲望は永遠に満たされることはない。出世や名誉、物質的な欲求を追い求めることが、本当に価値のあることなのか疑問を抱くようになりました。彼には、バランスの取れた生き方がぴったりだと感じています。


 ある日、純次郎のレストランに常連客の鈴木恭介が訪れ、「シェフを募集していませんか?」と言ってきました。インドネシア生まれ、日本育ちの恭介は、純次郎の情熱や創造力に感銘を受けて、ここで働きたくなったのです。恭介は斬新なアイデアを次々と生み出し、新しいメニューを開発し始めました。


 その中でも特に印象的だったのが、「ルート66」というロール。海苔をインサイドアウトで巻いた巻物の中に天ぷらエビ、アボカド、カニカマを入れ、上にはウナギが乗っています。これは他の寿司店では味わえない「純連」のオリジナルメニューとなりました。


 さらに、「ハート・オブ・ジャパン」というロールも登場しました。白身魚とカニカマ、マヨネーズのマリネを巻物の中に入れ、上にマグロをのせて、ハート型に仕上げました。その名の通り、ダイナミックで魅力的な味わいを感じさせる一品です。


 これらの新メニューがレストラン「純連」を繁盛させましたが、競争が激しくなり、近くに大手のレストランがオープンしました。これにより「純連」は厳しい挑戦に直面します。売り上げが半分以下になり、経営が困難になった時、純次郎は諦めかけました。「もうやるべきことはやった。悔いはない」と感じたその時、恭介はこう言いました。「純次郎さん、諦めるのはまだ早いです。原点に帰りましょう」。


 二人で朝まで知恵を絞った結果、勝機は「機動力」にあることに気づきました。「純連」には大手にはない柔軟さとスピードがあり、それを活かすことで勝てると確信したのです。接客を充実させ、味とボリュームを向上させ、付加価値を提供しました。特に、丁寧な接客が強みとなり、それを最大限に活かしました。


 日々の積み重ねが功を奏し、ビジネスは徐々に好転しました。成果は一夜にして得られるわけではありませんが、地道に努力を重ねることで、少しずつ結果が出てきました。これこそが挑戦を恐れずに続けた結果です。


 恭介と過ごした時間の中で最も大きな収穫は、価値観を共有し、強い絆を築いたことでした。その絆がレストラン「純連」の基盤となり、新たな挑戦に立ち向かう力を与えてくれました。


 そして、どんな困難が待ち受けているのかは分かりません。それでも、私は前を向き続けます。戦いは続きますが、前向きに進んでいくつもりです。


 今も純連のことを思い出します。あの時の別れはとても辛かったですが、いつかもう一度共に過ごせたらと思います。そして、レストラン「純連」の名前が広まり、誰もが知る日が来ることを願いながら、今もレストランを盛り上げ続けています。純次郎は再び歩みを進めました。どんな困難が待ち受けようとも、彼の目は決して揺るがない。あの時の決意を胸に、何度倒れても立ち上がり、どんな逆境にも屈しない。彼が選んだこの道は決して平坦ではないが、その先に見える光が彼の力を引き出します。

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