家族団欒
「何か欲しいものはあるか?」
ベルナルドにそう問われた時、キュルスは真っ先に兄を思った。ベルナルドには全てを話していた。自分が兄に対して異常なまでの愛を抱いていること、兄を安全圏から見つめるために此処へ来たこと。
しかし、兄はきっとこの施設に来ることは無い。殺してでも連れてくることは可能かもしれないが、死人を生き返らせる技術はまだ無いのだ。
死_____。
「母を」
キュルスはベルナルドの目を見た。冷たい目に、自分が映っている。彼の何処か虚ろな目にキュルスは時々母を感じた。
「......薔薇を植えて欲しいんです」
あの美しい庭のある家で過ごした日々が、遠い昔のように感じる。兄が居て、母が居て、庭師のオーケンが居た。自分にとって最高の幸福が詰まっていた。美しさが、彼処にはあった。
「薔薇か」
「母が好きだったものですから」
「手配しよう」
腕が回る。また横になった。兄のベッドとはまた違う香りがする。
*****
「冬に咲く薔薇は綺麗だね」
ナッシュは、目の前の弟に向かって微笑んだ。狐につままれたような顔をして、立ち尽くしている。手には煙草。背景には薔薇の育つ温室。
薔薇は自分たち兄弟の代名詞のようなものである。何をしたって、あの植物に母の面影を感じずにはいられないのだから。
煙草は、気づいていた。弟がどんな反応を欲しがっているのかも。敢えて反応をしなかったのは、兄の意地悪であった。
弟は薔薇の方をチラリと見た。
「兄さんは、兄さんはまだ......B.F.に居たいと思ってるの?」
ナッシュは目を細めた。
「彼処にはどうしても捨てられないものがあるんだ」
「大事なものってこと?」
「うん、そう」
僕より、と弟の口が僅かに動いたのを、ナッシュは見逃さない。彼の心の中で強い嫉妬心が生まれているのはよく知っている。
「知ってるよ」
弟は今度は睨んできた。
「でもだからってあんな場所にいる必要は無いんじゃないか」
「あんな場所?」
「ああ」
弟の語調は強まった。彼もまた、自分の表情を確認しようとしている。よく似た兄弟である。
「最近増えているんでしょ、死人が」
それは、彼なりに酷い言葉を選んだ結果だった。ナッシュは「ああ」と目を伏せた。一瞬だけ、瞼の裏に弾ける二人の助手の姿があった。一人は最近亡くなったのだ。
「そうだね。実験で亡くなった命は戻ってこないさ。ベルナルドの言葉にも一理あるよ」
永遠の命。人間がどれほど欲していたのか分からない。永遠という言葉は魅力的で、それでいて恐ろしい。永遠に死ぬことが出来ない、永遠にこの世に閉じ込められる。死とは怖いものでありながら、それと共に美しく、温かいものだ。
「人間は死なない」
「夢を持つことは素晴らしいことだ。でもそれを断言するのは研究が終わってきちんと結果が出てからだ」
兄の言葉に、弟はジリジリと後退した。唇を噛んでいる。もっと言いたいことがあるのだろう。最も彼が言いたいことは、自分と一緒に居て欲しいという言葉だけだろう。彼は永遠にそれを望んでいる。
「兄さん、いつか覚悟を決めてもらうから」
彼は再び強い目で見てきた。
「殺してでも兄さんを連れ戻して見せるから」
「楽しみだね」
ナッシュは笑った。彼が敵対視しているのは、自分の親友や助手たちだ。そして、そこから離れない自分を、殺したいほど憎んでいるのだ。
弟は知ってしまっている。死の美しさを。母の棺桶を前にした彼が、吸い込まれるようにそれを見ていた。死とは美しく、人を狂わせるものである。それは愛によく似ている。
「僕はあの子たちを置いては出ていかない。彼らが死ぬなら僕も彼処で死ぬつもりだよ」
それは、あの会社だからだ。妻が残した、青空に消えた妻が名付けた、あの会社だからだ。妻を知る仲間と育てた会社だからだ。その会社で育った血の繋がらない息子達が居るからだ。
そんな彼らを傷つけた奴らのもとへは、死んでも行くわけない。
伝えたいことを伝えると、弟は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
純粋なものを知るべき彼に、世界の闇を見せてしまったのは、兄の責任だ。自分たち兄弟は、少なくても弟は、真っ直ぐ世界を見ても良かった。別れて暮らすよう伝えたことには、そんな意図もあった。
なのに、これである。ナッシュは苦笑せずに居られない。兄弟の血というのは、憎いほど同じ場所に行きたくなるらしい。
母の血が共に流れている証拠だ。
愛おしい弟の髪に、ナッシュはそっと手のひらを乗せた。
*****
作戦は半分失敗した。人質は一人残らず回収され、エスペラントの壁には憎い大穴が空いた。
ベルナルドに頭を空にされたネズミの研究員たちも、何かしら勘づいたに違いない。命に変えてでも助け出したいという強い意志を持つ彼らが現れて、この会社の異常さを垣間見たかもしれない。
しかし、そんなことに気づいてもまた頭を空にされて終わりなのだ。此処はそういう会社なのだから。
ベルナルドの手元に残ったのは、研究員たちの私物の他、ファイルと携帯電話だけである。ファイルには有益な情報があったそうで、ベルナルドはそれを調べることに時間を費やした。
彼らとの接触は、ベルナルドにとって刺激になったらしい。より研究に力が入るだろう。また新たに大きな作戦を起こすとのことだった。
会社を継続していくために必要な経費は、エスペラント軍が調達してくる。マヌエルはベータチームと共に何度も戦地に赴いていた。
ゾーイのアルファチームは、Black Fileとの接触時にゾーイの暴れ様がマイナスに働いたようだ。ペナルティーとして、少しの間はキュルスがアルファの面倒を見ることになった。
「何でお前の言うこと聞かねえとならねえんだよ」
「マヌエルさんにお願いされたんです。マヌエルさんたちが戻ってきたら、彼らに主導権は譲る予定ですよ」
「あいつ、前の俺の活躍見てなかったのかよ。サングラスなんかしてるから見えてねえんだろうがっ!!」
「ゾーイさん、お仕事に戻ってください。次は射撃練習です」
「てめえ、覚えてろよっ!! 偉そうに!!」
胸ぐらを掴まれかけたが、彼は他のアルファチームの兵士に連れていかれる。キュルスは苦笑し、チェルシーとの練習に戻った。彼女の腕も順調に上がってきた。
「キュルスさん」
彼女は気づいて、銃を構えるのを止めた。
「上手になっているね、チェルシー」
「ありがとうございます」
チェルシーは微笑んだが、その顔に影がさす。
「あの......」
彼女は言いづらそうに、目を伏せた。どうしたの、と声をかけると、その口が開いた。
「お兄さんと、再会できましたか?」
それは、あの日のことだった。あまりにも派手な救出劇を見せられて、眩しく感じたのだ。彼らを互いに繋ぐ鎖の厚みと頑丈さに、嫌気がさしたのだ。億劫だった。羨ましいと思った。兄もあの鎖を持っているからだ。
だから逃げたのだった。母の場所へ、薔薇の香が漂う安息地へ。まさか、兄が自らそこへ会いに来てくれるとは思わなかったが。
「......うん。相変わらず頑固者だったよ」
あれから、モニター室には行っていない。時々ベルナルドから誘いが来るが、様子を聞くだけだ。もう全てが目に浮かぶからだ。どんな表情をしてモニターに居るか、見なくても分かるのだ。
どうせ、あの顔だ。優しい顔をしている。自分には向けてくれなくなった顔だ。
「もうきっと、僕のことなんてどうでもよくなっちゃったかもね」
チェルシーはハッと目を逸らした。いつの間にか声色が変わっていた。キュルスは我に返った。そして、静かに反省した。
ドンッ。
背中に強い衝撃があった。驚いて振り返ると、そこにはゾーイが居た。射撃の用意が整ったのである。拳銃を二丁構えていた。他の兵士はまだ準備に時間を費やしているようだ。ゾーイは我先にと射撃場にやって来たのである。
ぶつかってきたのは、場所を開けろということだったのだろう。キュルスは何も言わず横にずれる。
ゾーイは構えるや否や遠くの的を次々に撃ち落とした。マヌエルも認める射撃の名手だ。チェルシーも息を飲んでそれを見守っている。
現在出ている場内の的を全て撃ち落としたゾーイは、弾を装填するために銃をいじり始める。
「くそ、何で俺がお前に命令されないとならないんだよ」
「ですから」
「うるっせ! マヌエルに言っとけ! 次の作戦の時はサングラス外せってな!」
まだ的も出ていないのに、ゾーイは壁に穴を開けた。チェルシーが小さく悲鳴をあげる。キュルスは「そういうところですよ」と目を細める。
「キュルスさん、おまたせしました」
射撃場にアルファチームが次々に入ってくる。
「お疲れ様です、皆さん。一時間練習したら、昼食とって、実戦練習に移ってくださいね」
「はあい」
「てめえらっ、リーダーは俺だ!!」
キュルスはチェルシーを移動させる。此処も時期に銃弾の雨である。
「あ、キュルスさん。お兄さんと再会できて良かったですね」
すれ違う兵士がそう言って微笑んだ。トラックが突っ込んできた時に抱えて助けてくれた兵士である。キュルスは気恥しかったが、微笑んで「ええ」と頷いた。
「俺知ってる。そういうの、ブラコンって言うんだろ」
すかさず背中にゾーイの言葉がかけられる。
「あ、ゾーイさん。またそういう言葉使って。影響されやすいお年頃なんですから」
「誰がガキだっ」
笑いが起こる。チェルシーも、いつの間にか笑っていた。
ああ、とキュルスは目を細めた。自分に兄たちの見えない部分があるように、兄たちにもまたこの会社の見えない部分があるのだ。それは闇ではない。
キュルスは、この会社に時折さす光が好きだ。
それは、エリゼやベティがもたらしてくれたものに似ている。この軍の雰囲気もそうだ。
ネズミと言われても、ただの会社の部品に過ぎずとも、彼らが持つ温かさと小さな物語が、キュルスは好きだった。
悪い会社だと決めつけるのはどうだろう。兄も此処に居たら、あの助手たちの存在など1ミリも知らなければ_____少しぐらい、この会社が好きになったろうに。
同じ血が流れているのだ。体の中にも。そして、会社にも。
まだ鎖は切らせない。兄とは、まだ強い何かで繋がっているはずだ。
「行こうか」
「はい」
チェルシーの肩を抱いて射撃場を後にした。後ろでは、銃弾の雨が降っていた。
今夜は、モニター室に行ってみようか。
キュルスは自分の髪をそっと触った。兄の手の重みが、まだじんわりと残っている。




