フィリップ・フィアラーク3
あまりに軽いアンナを客室へ運んだあと、フィリップは青ざめて横たわる少女を見下ろした。
フィリップは養父と養母に多大な恩義を感じており、脇目も振らず己を鍛えてきた。いままで女性にうつつを抜かすどころか、ふたりきりになったことさえ数える程度しかない。
フィリップは多少眼光が鋭いものの整った顔立ちをしていたし、周囲も美しい顔を褒め称えた。
鬱陶しい異性も、いくら冷たくしても寄ってくる。
だからフィリップは、アンナは自分との婚約を喜ぶと思っていたのだ。
(まさか、魔力暴走するくらい嫌だったとは……)
多少、結構、かなり落ち込んだフィリップは、慌ただしく侍医がやってきて診察するのをぼうっと眺めていた。
「命の危険はございません。アンナ様の空となった体に魔力が満ちるには、一週間から10日ほどかかると思われます。ゆっくりと魔力を取り込んでおりますので、無理に動かしたり魔力を注入しようとせず、自然と目を覚まされるまでお待ちください」
ほかにも細々としたことを挙げた侍医は、礼をして去っていった。
ララが泣きそうな顔でアンナの世話を始める。着替えをすると言われ、フィリップはおとなしく部屋を出た。
「フィリップ、あなたとアンナは仮とはいえ婚約者です。本来なら本人に承諾を得てからがいいでしょうけれど、あなたは読んだほうがいいわ」
グラツィアーナから渡されたの紙の束を受け取り、ぱらぱらとめくってみる。
「これは……!」
「いままでアンナがどのような扱いを受けてきたかが記されているわ。小さいころから行われていて、わたくしたちでも全てを知ることはできなかったの」
グラツィアーナのあたたかな茶色の目に、心配が詰まっている。
「アンナは、あなたが嫌うような人間ではないわ。もし……アンナが婚約を続けたいと言うならば、謝罪する機会もあるでしょう」
去っていくグラツィアーナに言える言葉は、なにもなかった。
(きっと彼女は、婚約はやめると言うだろう)
王城に与えられた自身の客室へ行き、じっくりと報告書を読む。
記されているのは、奴隷のような生活の日々だった。
アンナのつらい生活を追っていくうちに、平民にしては美しく字が読めるララが雇われてアンナの世話をするようになると、意外なことにほっとした。
そこには、ララがアンナの支えになっていることが書かれていたからだ。
ララは病気の弟がいてワーズワース家に人質とされていた。弟が患っているのは完治する病なのに、症状が悪化したときのみ薬を飲ませ、ララを縛り付ける。
アンナはララとその弟のために、自ら地獄にいることを選択した。逃げればララが殺されると知っていたのだろう。
「……強い少女だ……それなのに私は……」
貴族であるというだけで今まで接してきた女と同じだと思い込み、ひどい態度をとってしまった。
アンナは、家族と同じく傷つけるだけの人間だとフィリップを認識しただろう。
それから鍛錬の合間に毎日、日に何度もフィリップはアンナの元を訪れた。
そのたびに、コルセットが必要ない細すぎる体と、傷ついているであろう心を痛々しく思う。
アンナが目を覚ましたのは、倒れてから12日後だった。