したたかと強いは似ている
婚約破棄の要求に応えるべく、まずはアンナの身辺調査をするように命じたアルベルトは、眉をひそめて報告書に目を通した。
「……日常的に虐待があったのか」
報告書を差し出したテオは、目を伏せて肯定した。
美しいという言葉が似合うアルベルトと違い、テオは茶髪に茶色い目と平凡な容姿をしている。それが親しみを感じさせ情報収集に適しているので今回も任せたが、心優しいテオにはつらかったようだ。
「……火傷跡はギュンター・ゲーデルの魔法か。道具を使った傷は母と姉、打撲はゲーデル。……アンナ嬢の歯がないのは?」
「使用人いわく、ゲーデルに殴られたときのものだと」
「まともな神経をした使用人は辞めていったんだな。残っているのはララというメイドか」
か細い声で、必死にすがってきたアンナを思い出す。
「どうか、どうか婚約破棄をする前にわたしに褒美をください。そして、我が家のララというメイドに渡してほしいのです」
褒美をすべてか、と聞いたアルベルトに、アンナは迷いなく頷いた。
「すべてです」
そのあと自分自身はどうする、と問いたかったが、口をつぐんだ。
「アンナ嬢の体調は?」
アンナが王城に来て10日たっていた。アルベルトは休む間もなく働いていて、グラツィアーナも根回しなどに忙しい。
「かなり回復しております。アンナ様は……気高く向上心の強いお方です。ひどい目に遭われたのに、それを感じさせず日々精力的に動かれております」
テオの言葉に、アルベルトは微笑んだ。
「悲劇の姫君かと思いきや、中身はしなやかで強い。だからこそ耐えられたのだろう」
自身の境遇を嘆き、枕を濡らす……アンナはそんな人間ではなかった。
たっぷりと寝て好きなものを食べ、回復魔法を浴びたアンナはみるみる元気になっていった。
日に一度は訪れるグラツィアーナとも仲良くなり、昨日はこんな話をしたと聞いた。
「ララがいるから耐えていましたし、嫁いだらクソやろ……あら失礼、人間と名乗るにはおこがましいモノを葬ろうと思っておりました。そのままゲーデル家を乗っ取るか隣国へ行こうと」
「そんなことを考えてらしたの?」
「グラツィアーナ様も、わたしの傷をご覧になったでしょう? 誰でも逃げますよ。わたしの属性が火魔法だったら、ゲーデル家とワーズワース家の屋敷を燃やしていたのですけど、土魔法だったので……」
「まあ……」
「屋敷の下の土を抜いておきました! わたしの魔力で保っていますので、魔力を送るのをやめたら屋敷は地下に沈み崩壊します!」
「まあ……」
グラツィアーナからこの話を聞いた時、アルベルトは久々にお腹を抱えて笑った。
「そろそろ大丈夫そうだね。明日、グラツィアーナと一緒にアンナ嬢を訪ねるとしよう」
午後のお茶の時間に訪ねてきたアルベルトとグラツィアーナを、アンナは初めてベッドから出て出迎えた。いままでグラツィアーナの命でベッドから出られなかったが、そろそろリハビリを始めていいと言質をもぎとった。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
テーブルには軽食やお菓子が並べられ、紅茶の香りが部屋に満ちている。
外は暑いが部屋の中は涼しく一定の温度で保たれていて、アンナの顔色もいい。
「体調はよくなったようだね」
「貴重な回復魔法をかけていただき、ありがとうございました。古傷も治りまして、あとは体力をつけるだけにございます」
「よかった。褒美の一部として、先にアンナ嬢に会わせたい人がいるんだ」
テオがドアを開く。その先に立っている人物を見て、アンナは思わず立ち上がって駆け寄った。
「ララ!」
「お嬢様! ご無事で……!」
「ララこそ怪我はない? 食事はちゃんと食べたの? ああ、こんなに痩せて……!」
「お嬢様を心配してのことです。お嬢様がひどい怪我を負って意識が戻らないと聞いて、どんなに心配したか……!」
涙をこぼすララを抱きしめ、アンナは熱くなった目をぎゅっとつむった。
「わたしはいいのよ。ララが無事であれば」
「馬鹿なことを言わないでください! お嬢様がいるからこそ耐えられるのです」
むせび泣くララを抱きしめたまま、アンナはアルベルトを見上げた。夜明けを連想させる薄青の瞳は、しっとりと潤んでいる。
「王城にメイドとして入るのならば、ワーズワース家との契約を終え、王家と契約しなければならない。ララはワーズワース家から解放された。弟君も王城へ移っているよ」
「ありがとうございます……! どうお礼を申し上げればいいか……」
「エレナ・リドマンの証言をしたアンナ嬢への褒美だ。遠慮せず受け取るといい」
アンナをいじめる時、エレナはよく自身の計画を語っていた。誰がどのような過去を持ち、どういう言葉をかければいいかわかっていると、それはもう自慢げに。
アンナの耳元で喋っていたため、エレナを見張っている者も聞き取れなかったそれを、アンナは証言した。
獄中にいるエレナがどこまで人の弱みを握っているか把握する、大事な証言だ。
アルベルトは微笑んだ。
「ここからが本題だ」