金色カタツムリかく語りき
しとしとと降る小雨に傘を差し、緑の中を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
振り返るとそこにはカタツムリがいた。
世界のことは何でも知っていると評判の金色カタツムリだ。
「……うん、そうだなあ。
まず君は、自分が夢を見ていることぐらいは分かってるよね?」
「ええまあ、一応は」
答える僕は知らず敬語になっていた。
金色カタツムリは満足げに触覚をひょこひょこ動かしながら僕に並び、そのまま歩き(歩き?)出す。
「……けれども、どうしてここへ来て、ボクに会ったかは分からない」
「ええまあ。どうしてですか?」
「君が夢を見るからだよ。そしてここが夢だからさ。
……いやまあ、君らが夢と一括りにしちゃうものにも、そりゃあもうこちらから見れば君らが思っている以上に色んな種類があるわけで……何でも見ればいいってわけじゃないんだけどね。
君らが定義する夢ってやつに一番近いものを、敢えて君らに合わせて夢と呼ぶなら……君はそれをよくよく見るから、ってわけさ、取り敢えずの説明としては。
――分かるかな?」
触覚をしゅっと立てて、金色カタツムリは得意げに語る。
僕は思わず、首をかくんと縦に振った。
「ええまあ」
「それにしても……君はよく見るよねぇ、色々と」
「ええまあ、色々と」
「……穴が開いてるのかな。
いやいや大丈夫、だとしても支障は無いよ、あんまりね。
それにボクとしても、お客が多い分には賑やかでいい。
君だって嫌いじゃないよね?」
「ええまあ、一応は」
「ああ、なるほど。穴じゃなくて割れたのかな?
それともくるりと返った?
……まあいいか、どれにしたって支障は同じようなものだし、現実の。
でもそんなだと、いわゆる、そう……何て言えばいいのかな、そうだ、良い夢!
良い夢なんてほとんど見ないよね?」
「ええまあ、ほとんど」
「やっぱりねえ! ああ、良かった良かった」
「良かった? どうしてですか?」
「そりゃあそうだよ、当然だよ」
片側の触覚が、くるくると二度ほど円を描く。
「良い夢なんて見るもんじゃないね。
目が覚めたときどうするんだい?
ただでさえ億劫な現実に戻ってきたことを、なおさら憂鬱に受け入れる必要が出てくるんだよ?
自分が見るものなんだから、自業自得の自傷行為かも知れないけど。
……え? そんなのじゃなくて励みにしたりする人もいるって?
あはは、それは君、君だから言ってあげるけど、騙されてるだけだよ。
自分の脳みその……そう、脳の中のある一ヶ所の、ちょっととんがったところにね。ころりとね」
もう片方の触手も、くるくると――こちらは逆回転に――円を描いた。
「だからね、夢見……でいいかな、君ら風に言えば。
夢見ってのは、悪ければ悪いほどいいんだよ。
限度を超すと触れられちゃって夢じゃ済まなくなるけど、まあ、基本的には悪夢が一番さ。
――君なら経験あるよね?
目が覚めたときの『ああ、夢で良かった』って感覚。
いかに現実に絶望していたって、少なくともその瞬間だけはくすんだ現実が何よりも輝くんだよ? 素晴らしいね。
……まあ、この括り方も、正直真理とはちょっとズレてるって言うか、上手く言い表せていないところがあるんだけど……君らの言葉って少ないからなあ。
まあとにかく、見るなら悪夢ってことだよ」
「ああ……まあ、分かるような気もしますが」
「あ、ただ君みたいに、穴か割れか返りか、そういったところのある人は、その『限度を超す』可能性が案外高いから……あんまり勧めちゃマズイかなあ」
「はあ。気を付けます、付けられる範囲で」
「そうだね。それがまあ、いいね。
……さてと、それはともかく――いやいや、それも含めて、かな」
触覚は二つともが動きを止めると、背筋を伸ばすようにぴんと立った。
「何にしろ君は夢を捉えられるようだ。
結構なことだよ、見込み通り。
ようやくボクは、ボクだけが知ってる世界の秘密を、隅から隅まで、もう洗いざらい話すことが出来るってわけだね」
「……僕に?」
「そう、君に。何せ君には無限の時間があるからね。
どれだけじっくりとっぷり話し込んでも大丈夫ということだよ。
ただ君は、膨大なその秘密のうち、何一つとして現実には持って帰れないけれど。
……まあ、君らからすると定義上は夢だからね。
君は確かに夢を捉えるけど、そもそも流れる無限の時間がさ、惜しいかな、すべてこう、ゴミ箱のようなものに向かって流れ込んでしまっているからさ……。
だからこそ無限なわけだけど、まあ、それについては追々話せばいいか。
時間の有機性というのは実に良いテーマだしね。
――とにかく、君はボクから何を得ても、何も得られないんだ。
でもまあ、話し込むのはいいことだよ。
ボクはそもそも誰かに話してあげたかったわけだし、君だって、何も残らないけどムダにはならないんだから」
「ああ、そうですね。それはきっとそうだ」
小雨はしとしとと静かに穏やかに降り続ける。
僕は、必要ないだろうな、と思いながらも……。
話はうんと長くなりそうなので、金色のカタツムリに傘を差し延べてあげた。