【第8話】『脱出前夜』
――――出発まで残り一日。
“最高の目”であり、保安隊副隊長であり、テレサの父親でもある「ラウス」は考えていた。
「何かあるな」
最近、娘の様子がどこかおかしい。
断言できるほどの変化を感じ取ったわけでは無いが、親だからこそわかる違和感を覚えたのだ。
思い返せば、ヴィンやレオと遊ぶようになってからのように思える。
レオもヴィンも、無口で影の薄い子供だ。
父親のアリストや、母親のマリーに恨みはないが、あの子供達はどうにも辛気臭くて好きになれない。
娘が関わるには、相応しくない相手と言わざるを得ないだろう。
特に問題なのはヴィンだ。
彼は両親が三禁則を犯して追放された過去がある。
彼に罪は無かったとは言え、罪を犯した両親の子供である以上、善くないものを受け継いでいる可能性は高い。
それを育てているアリスト一家も、毒されているかもしれないのだ。
どういう経緯で、娘が彼らと仲良くなったのかは知らないが、近づいて欲しくないのが本音だ。
「全く、テレサも心配を掛けさせてくれる」
ラウスは頭を抱えて溜息をついた。
娘はあまり物事を考えていないというか、抜けているところがある。
賢くなって欲しい訳じゃないが、変な輩に毒されないかが心配だ。
特に、レオやヴィンのような暗い子供に、純粋な娘が影響されて欲しくない。
その辺の危機感が本人に足りていないから、父親としても冷や冷やしてしまう。
「今日は一つ、テレサの安全確認でもしてやるか」
娘は昨日も遊びに行ったようなのだが、何処で誰と遊んでいたのか聞いても、忘れてしまったようなのだ。
娘には友達が沢山いるし、憶えていないのは仕方がないが、危ない事をしていたら見過ごす訳にはいかない。
娘の一日に問題はないか、世界の記憶に尋ねるとしよう。
ラウスは自宅の前まで来て、腰を下ろした。
「さてさて、様子はどうかな」
地面に目を凝らすと、様々な凹凸が見つけられる。
風が吹いた跡、草木が盛り上げた跡、そして足跡だ。
雨の日や、風の強い日の後は分からなくなるが、そうでなければ足跡から行動を予測できる。
「これは俺ので、こっちはファムのだな、となると、この小さいのがテレサか」
慣れていなければ気づかない程度の変化が、世界には溢れている。
足跡を始め、野生動物の生活や、植物の群生地、空模様、水の流れ、季節、匂い、音。
その多くは注意して意識を向け、観察を続けることで変化を見極めることができるようになる。
そしてそれらの変化は、日々の出来事を事細かに知るのにも役立つ。
「これは家に帰って来る時の足跡だな、村の中心ではなく、南の方に続いている。まさか森にでも行ってたのか?」
ラウスは、娘の帰宅時の足跡を遡るようにして歩く。
注意深く周囲を観察し、何があったのかを知ろうとする。
「この辺の足跡は深くて歩幅が広くなってるな。小走り、急いで帰ろうとしてたのか?そういえば、昨日は少し遅く帰ってきたとファムが言っていたな、何をそんなに楽しんでたんだか」
足跡は村の中心から外れ、さらに南へと向かっていく。
「ここは歩く順番が変になってるな、土の抉れ方も奇妙だ、これは、スキップしてたのか?いや間違いない、あいつスキップして帰ってきたんだ」
娘の一日を追跡するのは時々やるが、スキップをしてるところは初めて見たので驚いた。
一体どんな良い事があったのだろうか。
足跡はまだまだ南へと続いていく。
ラウスは嫌な予感がした。
この先にあるのは南の森と、何軒かの家だった筈だ。
まさかあの少年達と三人で遊んでたのだろうか。
そんな馬鹿なことは無いと思うが、事実なら止めなくてはならない。
「全く、あれだけ注意しておいたのに」
言い付けを守れない娘が嘆かわしい。
それとも、ヴィン達がしつこく娘を誘っているのだろうか?
だとしたら、彼らにもしっかり言っとくべきかもしれない。
そんなことを考えながらラウスは更に歩みを進める。
「足跡が他にもあるな、子供に、大人のも。恐らくここら辺の住人の足跡だな」
遠目には簡素な家が見える。
ラウスの記憶が間違っていなければ、あれはアリストの家だ。
娘の足跡はそこに続いていた。
「まさか、テレサはあいつらの家に行っていたのか?……これは厳しく言っておかなければ」
少々荒くなった足取りで家の方に進んでいくと、ラウスは奇妙な違和感に襲われた。
そして動揺する。
「なんだ、これは、嗅いだことのない臭いが僅かに混じってる、まさかあの家からか?」
*
アメリアの身体は回復し、旅の準備も殆ど終えていた。
順調に行けば、明日の夜中に村を出ることになっている。
小さな家の中には、アメリアと家族全員が揃っている。
「僕たち、新しい場所で本当に受け入れて貰えるのかな」
ヴィンが不安そうな声で、細い道具を取り出しているアメリアに声をかけた。
「大丈夫よ、ミストゾーンにはヴィンくんのような境遇の人もいるの、すぐに受け入れて貰えるわ。村の生活よりは忙しくなるかもしれないけどね」
この十数日、アメリアから沢山の話を聞いた。
世界の事、神官の事、昔の事、アメリアの住むミストゾーンというコロニーの事。
そんなミストゾーンを支える一人に、元々アデス教徒だった男がいるという。
彼は家族も友人も殺され、たった一人だけ生き延びてしまったのだという。
レオやヴィンよりも不幸な境遇だったのかもしれない。
そんな男がいるからこそ、ヴィン達の居場所はきっとある。
ヴィンは来るべき日に思いを馳せていた。
「ていうか姉ちゃん、この臭いはいつ消えるんだよ」
レオは自分の指の臭いを嗅いで顔を顰める。
「変異生物用の忌避スプレーが簡単に落ちる訳ないじゃない、あと一日は残るわよ」
「うげぇマジかよ!試したいとか言うんじゃなかった」
「あはは、その辺の葉っぱに付けるべきだったわね」
レオ達が嗅いだことのない奇妙な臭気が部屋に広がっている。
悪臭と言えば悪臭なのだが、糞尿のような分かり易い悪臭ではない。
色んな薬草を混ぜた果てに、強烈な部分だけを限界まで引き絞ったような臭いだ。
ほんの少し付けただけでこれなのだから、体中につけたらどうなってしまうのか。
「変異生物って、北の森に住む“人喰らいの化け物”のことですよね?この臭いを付ければ本当に寄り付かなくなるんですか?」
仕事から帰り、くつろいでいるアリストが問いかける。
手にはスプレー缶が握られていて、缶に描かれている絵や文字を不思議そうに眺めていた。
「“人喰らいの化け物”が何かはわかりませんが、ノーマンが森に放っている変異生物達はこの臭いを嫌います。もちろん過信は禁物ですが」
アメリアの住むミストゾーンに行くには、どうしても北の大森林を抜ける必要がある。
そこには大人が十人いても危うい、人喰らいの化け物がうろついている。
過去に肝試しをした子供達が襲われ、保安隊長が単独で撃退して助け出したのは有名な話だ。
アメリアの持つ忌避スプレーというのは、その化け物への対策の一つらしい。
「科学技術というのは、どんな問題も解決してしまうのですね」
母親のマリーは晩御飯を準備しながら言った。
今までどうしようもないと思っていたことを、アメリアの持つ“テクノロジー”はことごとく覆し、解決の道筋を示してきたのだから当然の感想だろう。
しかし、アメリアは自嘲気味に笑って否定する。
「そんなことはありません、科学技術自体が一つの大きな問題ですから」
マリーは広大な大地に大穴を空けた、破壊兵器の映像を思い出す。
様々な困難を解決する一方、新しい困難を齎してしまう。
それが、アメリアの信じるテクノロジーというものなのかもしれない。
「ともあれ、アメリアさんの力があれば、旅はできそうですね」
どんな問題があるとしても、村の危機を抜け出す為にはアメリアの力が必要だ。
アリストが当面の先行きを前向きに語ると、アメリアはにっこりと笑った。
「はぐれないように付いてきて下さいね」
*
「はい皆、今日のごはんは鶏肉と豆と野草のシチューに、パンですよ~」
「今日もありがとう、マリー」
「久々に豪華なごはんだー!」
「最終日だし、旅の蓄えも終わったからね」
「マリーさん、私の分までありがとうございます」
マリーが木のお盆にシチューとパンを載せてやってきた。
机で食べるという習慣が無いので、お盆はそのまま床に置かれる。
囲炉裏を囲む形で座り、村で最後の夕食が始まる。
「食事の前の祈りは……要らないのよね、なんか変な感じだわ」
マリーが合わせかけた手を止めて、慣れない様子を見せる。
「ずっとしてきたことだからな、やめるとなると気持ち悪いな」
アリストも同調する。
アデスの村では、食事の前に神と神官に対して感謝の祈りを捧げなければならない。
しかし、アリスト達は真実を知ってしまったので、偽りの神に祈りを捧げるのは憚られる。
それでも、長年続けてきた習慣を急に止めることもできず、気持ち悪さだけが残っていた。
「姉ちゃんは食事の前にどうしてるんだっけ?」
「私達は特に何もしないわね、大勢で食べるときは仲間たちに感謝して食べるけど」
レオが尋ねると、アメリアは早速シチューを口に運びながら教えた。
「じゃあ、家族に感謝の祈りを捧げて食べれば良いんじゃない?」
ヴィンの提案にアリスト達は頷き、手を合わせる。
「それでは家族に感謝を捧げて、いただきます」
「あっ、私勝手に食べ始めちゃって、ごめんなさい」
四人が手を合わせる中、一人だけ鶏肉を頬張るアメリアがおろおろする。
「気にしないで下さい、お代わりはありませんけど、いっぱい食べて下さいね」
「ごめんなさい!おいしいです!ありがとうございます!」
アメリアはマリーに手を合わせて頭を下げた。
「姉ちゃんってもしかして、食い意地すごいの?」
「や、そんなことはっ!」
「僕の鶏肉あげましょうか?」
「やめて!私はそんなに卑しくないわ!」
レオとヴィンに弄られながらも、食事は和やかに進んでいった。
*
食事も終わり、一家は一日の終わりを感じながら過ごしていた。
カチャカチャと、アメリアの手元から音が鳴る。
歪な形をした黒色の石のようなものを分解し、組み立てているようだ。
「それ何だっけ、銃?」
レオが近づいてきて作業風景を眺める。
「そう、ハンドガンっていう小型の銃器で、火薬の爆発力を使って弾丸を高速で撃ち出す武器よ」
「くしゃみで唾飛ばすみたいなもん?」
「それならショットガンが近いけど……じゃなくて汚いわね、例えが」
アメリアが苦笑いを浮かべる。
「そんな小さいのに弓より速いんでしょう?テクノロジーってのは凄いですね」
アリストが荷物を縛りながら横目で話す。
「これだって前時代的な武器ですよ。最先端ならやっぱりレールガンとか、エネルギーライフルとか、いや、バイオランチャーとかも凄いって聞きますけど」
一人で興奮して語り出し、今度はアリスト達が苦笑いを浮かべる。
「姉ちゃんって時々何言ってるかわかんないよな」
「えっ?!」
「確かに、一人で勝手に喋ってたりするし」
「それは!癖というかなんというか!」
「外の人って皆変わってるのかしら」
「や、やめてー!」
明るい笑い声が部屋の中で木霊する。
最初はお互いに緊張していたが、しばらく生活する内にすっかり打ち解けていた。
「それにしてもアメリアさんって――――」
アリストが話しかけたのを遮り、アメリアが立ち上がる。
先ほどまでの和気藹々とした表情ではなく、警戒心を剥き出しにした表情で。
「ど、どうかしましたか?」
「今誰かに見られていたような……」
「え……?!」
「わかりません、気のせいかもしれませんが」
家族に不安の色が滲む。
もし見つかってしまったら大変なことになる、アメリアを匿っているのは村では大罪なのだ。
「いや、私が辺りを見てきましょう」
アリストが立ち上がり、農具を手に取って外へ出る。
「あなた、気をつけてね」
「もし見られてたらすぐに出発しましょう、面倒なことになります」
アリストが外へ出て、しばらくの時が流れる。
アメリアは全ての装備を身に着け、警戒態勢だ。
部屋はとても会話する空気ではなく、皆、息を潜めて主人の帰りを待った。
そして遂に、アリストが戻ってくる。
「周囲を見てきましたが、誰もいませんでしたよ」
はぁ、と部屋中に脱力と安堵の息がこぼれる。
「姉ちゃん神経質すぎんじゃねぇの?」
「しょ、しょうがないでしょ私の立場じゃ!」
「僕、心臓飛び出るかと思った」
「ごめんヴィンくん……」
「アメリアさん、あまり脅かさないで下さい」
「まあまあ、用心に越したことはないのだし良いじゃないか」
笑い声が響き、部屋には再び和気藹々とした空気が戻っていた。
出発は明日。
何も大したことはないだろう。
千人いる村の中で、平凡な一家が姿を消すだけなのだから。
*
――――出発当日。
朝の肌寒い空気が、村人達を夢の世界から呼び覚ます。
夏が終わりを告げ、寒い冬が近づいてくる前兆だ。
そんな中、南の森の近くに住む一家は既に目を覚ましていた。
熟睡できた者はいなかっただろう。
何せ今日が、自分達の運命を大きく変える日なのだから。
囲炉裏を囲み、一家の主人が真剣な面持ちで口を開く。
「いよいよ今夜決行する」
レオ、ヴィン、マリー、そしてアメリアが頷いた。
「今日は今までで一番、目立たないようにするんだぞ」
「任せろ父ちゃん、影の薄さにゃ定評があるぜ」
「僕も隅っこの方で大人しくしてるよ」
「私も家で薬草磨り潰しときます」
「私も装備を整えて待機しています」
これから教会に行き、朝の祈りを済ませる。
それからは各々が目立たないように過ごし、夜中に荷物の袋を背負って出発する。
失敗は許されない。
「アメリアさん、身体の方はもう大丈夫ですか?」
「おかげさまで全快です、ウォーミングアップして待ってますよ」
そう言って、アメリアは腕を十字に組んで身体を捻る。
準備運動をする姿を見て、アリスト達は心強さと共に決意を固めた。
部屋の隅の方には布が被せられて隠された背負い袋が置いてあり、中には旅に必要な食糧や防寒着などが入っている。
これらを持ち出し、人目の利かない今夜抜け出すのだ。
「よし!皆行くぞ!」
一家が気を引き締めて出ようとした時、ヴィンがレオを呼び止めた。
「待って!レオ、指見せて」
「ん?指?」
とぼけたレオの手を取り、ヴィンは臭いを嗅ぐ。
その仕草に、周囲も昨日の事を思い出して理解の色を示した。
「うん、レオは体調が悪いことにして家に残った方が良いね。まだ臭いよ」
「え、マジかよ」
ヴィンの言葉を聞いて、アリストやマリー、アメリアも続々とレオの指の臭いを嗅ぐ。
「ヴィンの言う通りだな。私達は鼻が慣れたから気にならないが、他の皆は気づくかもしれない。危ない所だった」
「言われてみればそうね、一晩寝てすっかり忘れてたわ」
「私が一番注意しないといけない立場だったのに、気付かなくてすいません」
アメリアが肩を落とすが、アリストが気にしなくて良いと肩を叩いた。
「わーったよ、荷物の見張りでもしてるから、みんな気をつけろよ」
レオが不貞腐れて座り込むと、アリスト達は小さく笑いながら家を出る。
レオとアメリアに見送られ、アリスト、マリー、ヴィンの三人が朝の祈りへ向かった。
*
教会には沢山の人が訪れる。
村の一日は毎朝の祈りから始まるのだ。
教会の中では村一番の美少女が祈りを捧げていた。
彼女の場合は祈りというより、決意と言った方がいいかもしれないが。
「私も行くよ、何が待ち受けていようとも」
村人であるアリスト達も当然、朝の祈りには参加している。
とはいえ教会に千人も入らないので、溢れた分は手前の広場に集合する。
アリスト達はその一角で祈りを捧げるポーズをしていた。
アリストは思う。
いよいよ今夜か、絶対に家族を守らなくては。
マリーは思う。
どうか神のご加護を……あ、神はいないんだっけ、じゃあえっと。
ヴィンは思う。
向こうに付いたら色んな人から話を聞いてみたいな。
信仰心の欠片も無いが表情はとても真剣なので、端から見れば熱心な信徒に見えたこと間違いなしだろう。
レオはここにはいない、体調が悪いということにして家の見張りをして貰っている。
今日は村で過ごす最後の日だ。
アリスト達は三十年住んできて、ヴィン達は十一年住んできた世界が、今日で終わる。
最後だからと言って特別なことはできない。
寧ろ今までで一番、目立たないように過ごすつもりだ。
祈りの時間が終わり、戻ろうとしたところで声をかけられる。
「アリストさん、少し良いですか?」
村の治安を守る保安隊。
神官により定められた服装の上に、革の鎧を着ることを許された者達。
屈強な肉体を持つ男たちの手には槍や棍棒、腰には短剣がぶら下げられている。
そして、その副隊長たる男“ラウス”が、アリストに声をかけた。
よく見れば十数人程の保安隊が、アリスト達を取り囲むように立っている。
嫌な予感がした。
「なんでしょうか?」
「おや、今日はレオくんは来ていないのですか?」
「ああ、体調が悪いので家にいますが……」
「そうでしたか」
ラウスが鋭い眼光で睨むと、保安隊達は一斉に両手で構えてにじり寄ってきた。
まずい、これは非常にまずい。
バレたのか?どうする、逃げるべきか。
「ではここにいる三人で構いません、ついて来ていただけますか?」
「今すぐじゃないといけない話でしょうか?」
「はい、今すぐ来て下さい」
何ということだ。
情報が洩れたのは間違いないだろう。
逃げるべきだが、周りは十数人にも及ぶ屈強な保安隊で囲まれている。
少しでも不審な動きをすれば、いつでも捕らえに来る様相だ。
この場から逃げるのは不可能に近い。
ならば、一先ずは言うことを聞いて向こうがどの程度知っているのか探った方がいい。
一時的にでも解放されたなら、その隙に逃げられる。
それしかない。
アリストは頭の中で最善と思われる行動を決め、マリー達を見る。
「何だろうね、とりあえず行こうか」
「え、ええ……」