【第7話】『旅立ちの準備』
夕暮れ時。
アリストは結界の袋を返す為、教会への道を歩いていた。
「ありゃアリストさん、今頃返しにいくのかい?」
頭頂部が禿げている猫背のおじいさん、普段は温厚だが酒を飲むと怒りっぽくなる癖がある。
「はい、大分道草を食ってましたので」
「かっか、お主のとこで採れる野草はおいしいものが多いからの!」
「今度おすそ分けしますよ」
いつもの勢いで言ってしまったが、今度なんてないことに気が付いた。
作り笑いを浮かべて立ち去る。
「あらアリストさん、今日は畑に出てなかったですね」
世話焼きで綺麗好きなおばさん、彼女の淹れるお茶はおいしいと評判だ。
「どうもです、たまにはサボって息子たちと遊びますよ」
「レオくん大きくなりました?」
「ええ、レオもヴィンもこんなですよ」
「まあ、きっとお父さんよりも大きくなりますよ」
息子たちが大人になるまで、自分の力で守り抜くことができるのだろうか。
作り笑いを浮かべて別れる。
「やあアリストさん、南の森で何かあったのかい?」
岩のように逞しい体のおじさん、村の治安は保安隊長の彼が守っている。
「いえいえまさか、うたた寝したらこんな時間になってしまっただけですよ」
「はっは、またマリーさんに叱られますよ」
「父の威厳を思い出して欲しいものです」
「それならカッコいいところを見せないといけませんね」
子供達よりも動揺し、変化に怯える自分の姿にカッコいいところなんてあるのだろうか。
作り笑いを浮かべて別れる。
「いかんなぁ、弱気になっちゃ」
どうも衝撃的な事が多すぎて悲観的になっているが、自分の頬を叩いて気を引き締める。
これから神官に会うのだ。
不審に思われるようなことは避けなければいけない。
教会の前に辿り着く。
石造りの壁は高く、村の中で最も立派な建物だ。
正面には両開きの扉があり、入れば立ち並ぶ長椅子が目に入る。
教会の最奥には神官の立つ台と、その後ろにはアデスを象った石像が置いてある。
神官の姿は見えない、となれば最奥左手に見える扉の奥にいるのだろう。
神官の部屋であり、結界の札はここで作られている。
部屋の奥にはさらに扉があり、どうやら地下室へ続く通路のようなのだが、中がどうなっているのかは誰も知らない。
部屋をノックすると、神官が出てきた。
「神官様、お借りした結界を返しに来ました」
「神の子よ、今日は随分と遅かったですね」
「そうでしょうか?いえ、そうですね、申し訳ありません」
「何かありましたか?」
ドキリと嫌な鼓動が鳴る。
全身から汗が噴き出そうだが、絶対に冷静さを保たなければならない。
今疑われれば、一家共々悲惨な末路を辿ることになる。
自然に、あくまで自然に、言葉を続けなくては。
「息子達が結界付近で遊んでおりまして、説教していたら長引いてしまいました」
「そうでしたか、それは言い聞かせなければなりませんね」
怪しまれた様子はない、であれば会話を終わらせるべきだろう。
しかし、アリストは確かめたい気持ちに駆られた。
アメリアの言っていたことが本当なら、目の前にいる神官は人間じゃない。
裏から人間を支配する、ノーマンという新人類だ。
あの話は本当なのだろうか。
「あの、神官様」
「何ですか、神の子よ」
流石に、「あなたはノーマンですか?」なんて聞けるわけがない。
あくまで自然な会話の中で、正体を掴むよう探るべきだ。
「私も未だに気になる時があるのですが、結界の外はどのくらい広いのでしょうか?」
「知識欲は三禁則に反しますが、あなたの想像もつかないくらい広いとだけ言っておきましょう」
「私達のような村人は一生、その世界を見ることは叶わないのでしょうか?」
「あなたは外の世界へ行きたいのですか?」
これは危険な質問だ。
迂闊に答えれば怪しまれる原因になる。
何と答えるべきだろう、あまり間を開けるのは良くない、とはいえ出まかせは言えない。
アリストは人生で一番、頭を回転させた。
「……いえ、私は満足しています。ですが例えば、北の大山脈から見下ろす世界はどんなものだろうと、考えることがあるのです」
「大丈夫ですよ。深い信仰心を捧げていれば、望みが叶う日は訪れます」
何とか誤魔化せたようだった。
この流れならば、もう少しだけ続けられると判断して質問を重ねる。
「望みの叶う日というのは、いつなのでしょうか?」
「神の子よ、忘れてはいけません、人生というのは修行です。神の教えを守って死んだ者こそが、真に自由の身となって世界のどこにでもいけるようになるのです」
何と都合の良い言葉なのだろうか。
生きるのは修行、死んだ後に自由になる。
人間を支配したいというノーマンの目的に照らし合わせれば、実にしっくりくる説教だ。
死人は何もできはしない、そんな死後に希望を持たせるなんて、卑劣だ。
アリストはアメリアの話が一層、真実味を帯びたように感じた。
「どうしましたか?具合でもわるいのですか?」
神官が微笑みながらこちらを見つめる、アリストは焦った。
態度に出てしまっていたのだろうか?怪しまれてしまっただろうか?
前々から思っていたが、この人は察しが良いというか、勘が鋭すぎる。
これ以上は会話をするべきじゃないだろう。
アリストは切り上げることにした。
「いえ、自分の未熟さを実感してしまっただけです。今日は私のような者に、ご慈悲あるお言葉をありがとうございました」
「そうですか、何かあればいつでも私を頼ってくださいね」
神官がニコリと微笑む。
以前なら心の温まる優しい表情だが、今は仮面のように見えた。
*
外は夜。
他の村人たちは寝支度を始めているであろう中、アリスト達一家は一人の女性の前に集まっていた。
「アメリアさん、私達はあなたが回復するまで匿った後、一緒に村を去ります」
教会から戻ったアリストは家族と話し合い、自分達の結論をアメリアに伝えた。
「わかりました、ありがとうございます」
「新しい場所で、アメリアさんと共に村の皆を助ける道を探したいと思います」
「はい、よろしくお願いします」
アメリアは丁寧に頭を下げた。
「ですが目的地にはどうやって辿り着くんですか?外には死の天使がいますよ」
「説明します、私のリュックを持ってきて頂けますか?背負い袋のことです」
「わかりました」
リュックと呼ばれた入れ物はズッシリとしており、中には道具が色々入っているようだった。
この中に、死の天使から生き延びる未知の手段でも入っているのだろうか。
両手でリュックを手渡すと、アメリアは慣れた手つきで幾つかの道具を取り出した。
アメリアは最初に一枚の紙と平べったい円柱の金属を見せた。
「これは地図、どのように進めば辿り着けるかわかります。こちらはコンパス、針の赤い方が常に北を向くので方角がわかります」
「すげーな、何だこれ」
「回しても同じ方を向いているね」
レオとヴィンが興奮の色を滲ませて言った。
アリストもコンパスという不思議な道具に驚いていた。
「地磁気というものを利用した道具なんですが……ゴホン、ともかく、道のりはこれでわかります。あとは死の天使への備えですが」
アメリアは続けて二つの瓶を手に持った。
左の瓶には白くて丸い粒が、右の瓶には黒くて丸い粒のようなものが沢山入っている。
彼女はそれを、しっかり見えるようにこちらに向けた。
「これは精神緩和剤、プテポリプスのサイコウェーブから精神を守れる薬です」
「サイコウェーブ?」
「えっと、あなた達はなんて言うんでしょうか、奇妙な音を聞くと身体を動かせなくなる攻撃なんですが……」
「絶望の唄ですか!聴いた者の精神を蝕んで動けなくするという!」
「そうです、これを飲めば一時的ですが、絶望の唄への耐性を得ることができます」
「すごい……」
「そしてこちらは予防解毒剤、プテポリプスの毒ガスを吸っても多少なら死にません」
「毒ガスというのは、猛毒の霧のことですか……!」
「そうだと思います。本当はガスマスクの方が良いんですけど、無くしちゃ……無いのでこれを使います」
「つまり、それらの薬があれば死の天使から身を守れると……?」
アリストは思わず興奮して息が荒くなった。
彼女の取り出したものは衝撃的に過ぎる。
死の天使に対抗する手段があるなんて、結界以外に聞いたことは無いし、想像したことも無い。
過去に討伐に向かった戦士たちも、この薬があれば死ななかったのではないだろうか。
子供達が奇妙な薬を食い入るように見ていた。
「過信は出来ません、これらはあくまで生存率を上げるだけだと思って下さい。プテポリプスの吐き出す強酸は浴びれば死にますし、火炎放射やレーザー、叩きつけによる攻撃も受ければ死にます。最善は見つからないことです」
「見つからない為には、どうすればいいのですか?」
「私の外套にはプテポリプスの感知器官を誤魔化せる、熱電磁迷彩加工が施されているのですが、一人分しかないので基本的に森や地下通路を使って移動します」
「は、はあ」
アメリアは地図という紙を広げる。
アリストには読み方がわからないが、様々な場所の位置関係を示しているというのはわかった。
そして少し感動する、自分たちの知らない世界がこんなに広がっていたのかと。
「村がここですよね、そしたら南の森に入り、西の廃都市に入りましょう。地下通路を使ってできる限り北上し、北の大山脈に出られれば何とかなります」
「よくわかりませんが、地面の下を移動するということでしょうか?」
「そうです。古代人は地下にも網のような通路を作っているので、そこに入ればプテポリプスに襲われる心配はありません」
迷う心配はありますけど、と彼女が心で呟いたことは誰も知らない。
「アメリアさんはどうしてこんなものを?どうしてそんな知識を持っているのですか?」
「それが神ではなく、知識を信じるということです」
その言葉を聞いてハッとしたのはアリストだけではない。
レオもヴィンも、マリーでさえも、彼女の姿は眩しく映った。
彼女は抗っているのだ。
支配された世界の中であっても、彼女は屈することなく立ち向かっている。
知るな、創るな、憶えるな。
神であるアデスを信仰する誰もが守るべき戒律。
その全てを否定して、人間として輝く存在。
―――智者「アメリア」はここにいた。
「お姉ちゃんかっけぇ」
「ぼ、僕もアメリアさんみたいになれるんですか?」
「なれますよ、その為には沢山勉強をしないといけませんが」
レオとヴィンは興奮している。
地獄と教わった外から来て、神の怒りと言われる存在に立ち向かう彼女の姿は、憧憬の念を抱くには十分だったのだろう。
「それで、私たちに準備できることはありますか?」
「では保存食が欲しいですね。五人を一週間賄える量があれば心強いのですが」
「食料は村の貯蔵庫に納める決まりなので、すぐに手に入れるのは難しいですね」
「最低でも五日分は必要です、何とか手に入れられませんか?地下では確保できないので生命線になります」
「では配給される保存食を蓄えておいて、出発までは野草と木の実で凌ぎましょう、二週間もあれば五日分くらいは用意できますよ」
出発に向けた具体的な話が進められていく。
村を去ることに不安は多い。
それでもこれは、千載一遇の好機だと思えた。
驚きの数々を齎す彼女の住む場所は、一体どんな世界なのだろう。
一家は不安と同じ以上には、期待に胸を膨らませていた。
*
――――出発まで残り十日。
「うぐ、うぐ」
「グス、まだ落ち込んでいるのか?」
「グスは私達の大事な息子だよ」
岩のような身体を持つ父親は、息子を抱きしめる。
恰幅の良い母親も、息子を抱きしめる。
グスの心は折れ、今はトボリとマキラの二人としか会っていない。
頬からは涙が流れ落ちる。
身体の傷は治った。
だけど、心の傷は塞がらない。
振られてしまったのだ。
村一番の美少女に。
グスが最も愛した女に。
テレサに。
「おれは、おれは生きてぢゃいけないんだぁあぁぁ」
「そんなことは無いぞグス!お前は私の誇りだ!」
「これからまた積み上げていけばいいのよ!」
「うおおおおおおおおおお」
グスは両親の胸で涙の雄叫びを上げた。
*
――――出発まで残り七日。
誰もいない南の森の中で、二人の少年は言い争っていた。
「ヴィン、やっぱりテレサにだけは話すべきだ」
「駄目だよレオ、いくらなんでも事が大きすぎるって」
支配されていたという事実。
いつ終わるかも知れない仮初めの平和。
残酷な現実を、友達であるテレサに伝えるべきなのか、二人は揉めていた。
「いいのか!テレサがノーマンに殺されても!」
「良くないよ!でもテレサに言って、秘密が洩れたら僕ら全員終わりなんだよ!?」
「テレサは秘密を漏らしたりしねぇよ!」
「家族が勘付くかもしれないじゃない!父親は保安隊副隊長のラウスさんだよ?“最高の目”が娘の隠し事に気づかないわけないよ!」
「それなら出発ギリギリで持ち掛ければいいだろ!置いてくのだけはできねぇ!」
「勝手だよ!家族と離れ離れにさせる権利なんか僕らには無いでしょ!」
二人の少年は息を切らしながら睨み合った。
「テレサは親も周りも全部嫌いって言ってただろ!テレサには俺らだけなんだ!俺らがいなくなったら嫌いなもんしか残んねぇじゃねぇか!」
「それでテレサが良くても、テレサを大事な皆が悲しむってわかってるの?!」
「ああ、そうだな、だが俺はテレサを見棄てる気はねぇ、テレサが構わないって言うんなら迷わず連れ出す」
「そんなの……勝手だよ」
新しい友達のテレサ。
同じ悩みを持ち、二人以上に苦しんできた女の子。
最近は三人で過ごす時間も多く、すっかり馴染みになっている。
そんな彼女だからこそ、二人は何としても助けたい。
本音を言えば、一緒に付いて来て欲しいと思っている。
しかし、事はそう簡単ではない。
真実を伝えるということは、もう元には戻れないということ。
つまり、彼女に村を棄てさせるということだ。
そんな選択を強いる権利が、自分達にはあるのだろうか?
それでも、彼女は行きたいというかもしれない。
だけど親はどうだろうか?
親子を引き剥がす権利が、二人にはあるのだろうか?
わからない。
ただ二人は言い争い、頭を悩ますしかできない。
「なぁヴィン、黙っていなくなったら、それこそテレサが悲しむぞ」
「そうだね、だけど知らない方が良い事もあると思うよ」
「俺は嫌だ、友達見棄てて生きていくなんて絶対に嫌だ」
「それはレオのわがままだよ」
「はぁ?ヴィンだってそうだろうが!」
「違うよ!」
「違わねぇよ!俺もお前も!テレサのことを大して知らねぇ!テレサに直接聞かない限りは!どっちもただの我が儘だろうが!」
「でも聞くってことは、巻き込むってことになるでしょ!それはできないよ!」
「ああああくそ!どこまでも平行線だな畜生が!」
「はぁ、不毛だよこんなやり取り」
二人は溜息をついて黙る。
今は木々のざわめきさえ、悩む自分達を冷かしているようで腹立たしい。
気まずい時間が流れて、何度目の風が吹いたかわからなくなる。
何枚も木の葉が落ちてから、ようやくレオが重々しい沈黙を破った。
「テレサを見捨てたい訳じゃないんだろ?」
「当り前だよ……」
「俺らは真実を知った。それなのに力がないから皆を助けられないんだ」
「そうだね」
「テレサの親も、他の大人も、子供も、まとめて助けることはできない。でもテレサだけならどうだ?テレサだけなら助けられるんじゃないか?」
「助けたいっていうのは僕たちの気持ちで、テレサの本当の気持ちはわからないよ」
「じゃあこうしないか?テレサにそれとなく確認するんだ、俺らとそれ以外のどっちを選ぶか」
「……どんな風に?」
「どっちかしか守れないとしたら、どっちを助ける?みたいな質問とかさ、あんだろやり方は」
「それで僕たちの方を選んだら、本当のことを教えるってこと?」
「ああ、迷ったりするなら真実は話さない。でも迷わずに俺らを選ぶなら、伝えないのは不誠実だ」
「悪くはないけど、遊びと思われたら真剣に答えるかわからないよ」
「そこは俺達で、真面目に答える雰囲気を作るんだろ!」
「わかったって、じゃあいつ仕掛ける?」
「情報が漏れないように、なるべくギリギリを狙うしかねぇだろうな」
「それなら、アメリアさんにもちゃんと相談しないとね」
「はぁ、友達助ける為に根回ししなきゃなんねぇなんてな、恨むぜノーマン」
「全くだね」
*
――――出発まで残り五日。
テレサは元気なく食事をとっていた。
目の前には父親のラウス、横には母親のファムが座っている。
三人は黙々と食事を行っていた。
味は感じない。
味が無いという意味ではなく、味を意識することができない。
テレサは最近悩みを抱えており、それが頭から離れない。
レオとヴィンは、自分にとって初めて友達と思えた存在だ。
二人といる時間は楽しいし、ありのままの自分でいられる。
村のことは何もかも嫌いだけど、あの二人がいることだけが救いだ。
だけど、最近様子がおかしい。
二人して何かを隠してる。
それが何かはわからないけど、とても悪い事だというのだけはわかる。
どうして私に隠すのか。
一体何を隠しているのか。
信頼されて無いということなのだろうか。
それはそれで仕方がないのかもしれない。
自分だって周りには隠し事ばっかりで生きているのだから。
それでも、二人には心を開いていたつもりだったから悲しい。
私が何かしてしまったのかな。
二人に嫌われてしまったのかな。
もしそうなら、仲直りはできるのかな。
私は、どうしたらいいの……。
頭の中でぐるぐると、結論の出ない問いが廻り続ける。
そうして悶々と悩み続けているところに、聞きたくない声が割り込んできた。
保安隊副隊長のラウス、父親の声だ。
「テレサ、最近元気がないじゃないか」
「そうかな、普通だと思うけど」
「何かあったのか?」
「うーん、何となくそういう気分なだけだと思う」
少し抜けた声を装い、何でもないような表情で返事をする。
すると横から、耳障りな母親の声が割り込んできた。
「そういえば、最近アリストさん家の子と仲が良いそうじゃない?」
「そうかな、他の子とも遊んでるけど」
「レオは百歩譲って良いとしても、ヴィンと遊ぶのはやめなさい。彼の血には過ちを犯した両親の血が流れているんだから」
この婆は何を抜かすのか。
私の友達をそんな風に言うなんて許せない。
喉元を掻き切ってやろうか。
内心に憎悪を抱きつつも、意外だったかのような表情を浮かべて返事をする。
「そっかぁ、気をつけます」
「そうしなさい」
今度は入れ替わるように父親の声が聞こえてくる。
ただひたすらに苦痛の時間だ。
「最近元気が無いのは、レオやヴィンが原因か?」
図星を突かれ、心臓が悪い音を立てた。
ラウスのきつい目つきがさらに細まるのを感じる。
動揺したのが僅かに表情に出てしまったかもしれない。
気持ちを隠すのには自信があるが、この男はそれ以上に目敏い部分がある。
そういう所も含めて、全部嫌いだ。
テレサはすぐに表情を隠し、呆けた声で返事をした。
「レオとヴィン?なんで?」
「なんとなくそんな気がしてな」
「考えてもいなかったけど」
「そうか」
そういって父親は私のことをじっと見る。
気持ち悪い目線だ。
私の心を見透かそうとしている目が嫌いだ。
感情の変化を出さないように抑える。
やがて父親は目線を逸らし、お椀を置いた。
「まあお母さんの言う通り、ヴィン達には深入りしないことだ、ごちそうさま」
そういって父親は立ち上がる。
「良い子だから、あまりお母さん達を心配にさせないでね、ごちそうさま」
そういって母親も食べ終わる。
腹が煮えくり返りそうだ。
何も見ていない、話にもならない、最低な存在だ。
そうしてテレサもお椀を置く。
少し困ったように微笑んで。
「心配かけちゃってごめんね、ごちそうさま」
*
――――出発まで残り二日。
「レオ、ヴィン、話って何?」
テレサは不安そうな顔をして隣に座る。
少し肌寒くなり始めた曇り空の下、三人は南の森で集まった。
「なんつーか、その……」
「最近ずっと様子がおかしかったけど、それと関係ある?」
口ごもるレオに被せるように、テレサは切り込んだ。
隠していたつもりではあったが、流石はというべきか、とっくに見抜かれていたようだ。
不安と追求の視線を向けられ、レオは腹を決めた。
これからテレサを巻き込むかどうかの判断を行う。
「ちょっと変な質問をするけど、真剣に答えて欲しい」
「……わかった」
レオとヴィンのいつもと違う真剣な雰囲気を感じ取り、テレサは肩に力が入った。
「もしさ、俺達二人か、テレサの両親か、どっちかしか助けられないとしたらどうする?」
「レオとヴィンを助けるよ」
一瞬の迷いもなく返事が返ってきたので、レオとヴィンは呆気にとられる。
「即答かよ……」
「この質問、何の意味があるの?」
「いや、まだ待ってくれ、次の質問だ」
レオは咳払いをして気を取り直す。
本当に確かめたいのは次の質問だ。
鋭い眼光を向けて尋ねた。
「俺達二人か、村の全部、どっちかしか選べないならどうする?」
「村の全部って、親とか大人とか子供とか?」
「それだけじゃない、家も寝床も持ち物も、村にある何もかも全部だ」
テレサは少し考えていた。
流石に二人の子供と、それ以外の全部なんて、釣り合いが取れるわけがない。
そんなことは、レオやヴィンもわかっている。
だから村を選んでも責める気は無いし、そうなれば二人は真実を告げる事なく二日後に去るだけだ。
何度も話し合ってそう決めた。
それでも、自分達を選んでくれるかもしれないという、微かな期待を消すことはできなかった。
覚悟と諦観と緊張が入り混じる中で、二人はテレサの答えを待つ。
一分ほど経ち、テレサの口が開いた。
「レオとヴィンを選ぶ。村が無いなら生きていけないけど、死ぬまでは二人といる」
帰ってきた答えは、予想外の答えであり、内心では期待していた答えでもあった。
「……そんなに僕らって、テレサの中で大きいの?」
「大きいよ」
ヴィンの恐る恐るの質問に、テレサははっきりと答える。
「もしさ、俺とヴィンが村から突然いなくなったら、テレサはどうするんだ?」
「なんでそんなこと聞くの?」
悪戯に嫌がる質問をしているのかと、テレサはレオを責めるように睨んだ。
しかし、レオは切実で真剣な態度を崩さない。
「頼む、本当に真剣な質問なんだ。テレサに意地悪したい訳じゃねぇ」
「……いなくなったら、探しに行くよ」
不安げにテレサは、想像したく無い状況でどうするか語る。
「絶対に見つからないとしたら?」
「ねぇ、やめて、私の傍からいなくならないで、お願い」
救いのない質問を被せられ、テレサは反射的にレオの袖を握った。
綺麗な瞳は潤み、少年達の心に罪悪感を芽生えさせる。
「……そんなに、いなくなったら嫌か?」
「嫌だ!嫌だよ!」
少女は涙目になって叫んだ。
悲壮の迫力に面食らってしまい、すぐに言葉を出せない。
「レオとヴィンと友達になれて本当に良かったって思ってるのに、いなくなったりしたら、私……」
力強さは尻すぼみになり、そのまま泣き顔を隠すように下を向くと、ぽろぽろと雫が落ちていった。
袖を掴む手は震え、足はへたり込みそうなほど弱々しい。
これほど必死に縋られるほど、彼女の中で自分達の存在が大きいことを実感し、二人の胸が締め付けられる。
「テレサ、ごめん」
「僕達が悪かったよ」
テレサの姿を見て、二人は真実を告げるかどうか決めた。
告げればどうなるかはわからない。
責任の取れないことをするのかもしれない。
それでも、彼女には告げるべきだと思った。
二人の少年は顔を見合わせて頷く。
「ついて来てくれ、合わせたい人がいる」
*
「それで、この子が例のテレサちゃんって訳ね」
ここは南の森に程近いアリストの家の中。
簡素な室内の寝室で、アメリア、レオ、ヴィン、マリー、そしてテレサがいた。
主人であるアリストは、まだ外で村の仕事をしている。
主人不在の中、室内は緊張感が漂っていた。
「えっと、はじめまして、テレサです」
「初めまして、私はアメリアです」
藁の寝床の上にはアメリアが座り、向かい合うように土の床にテレサが座る。
アメリアの眼光は鋭く、警戒心がありありと見えるようだ。
対してテレサは悪意のない無表情を浮かべている。
他の皆は壁際で様子を見守っていた。
村の外へ出て行かざるを得なくなったという事情は道すがらで聞いていたが、待ち受けていた人が「外から来た神印の無い女」というのは知らず、テレサは内心で驚いた。
しかし同時に、全てが繋がったような納得感も覚えていた。
「改めて確認するけどテレサちゃん、本当に覚悟はできてるのね?」
「はい、私も行きます。レオとヴィンがいないなら、村には何の価値も感じません」
本来であれば、アリスト一家だけで完結する筈の脱出計画だったが、レオとヴィンの働きかけにより特例的にテレサが呼ばれた。
これはテレサが村を棄ててミストゾーンへ移住する資質があるかどうかを再度確かめる為の面談だ。
「ご両親にも、他の友達にも、ずっと住んでいた家にも、二度と戻れないし会えないのよ?本当に本当にいいの?」
「いいです」
テレサは一切の迷いもなく答える。
「……随分はっきり言うのね、テレサちゃんは村が嫌いなの?」
「そうですね、親も、大人も、子供も、神官も、アデスも、全部嫌いです。いっそ燃えれば良いと思います」
さらりと言われる過激な発言に、アメリアは目を丸くして戸惑う。
想像していた無垢な少女像とは、かけ離れた少女が目の前に座っているように感じたからだ。
「あ、あなたはまだ十一歳よね?色々と憎むには早すぎる年だと思うんだけど」
「アメリアさんの言う通りですね、私も自分が悲しいです」
十一歳とは思えない知的さを感じられるが、それがいいのか悪いのか、正直わからない。
予想の斜め上に行かれたことだけは間違いないが。
アメリアは、半ば助けを求める視線をレオに向けた。
「うーん……そうかぁ……ねぇ、レオくん、この子本当に大丈夫?」
「テレサは俺の友達だ」
聞いたのが間違いだったという気分になる。
「あ、うん……ヴィンくんに聞いてもいいかな?」
「それだけ大変だったんだと思います」
どうやら子供達にとっては、テレサの感性はアメリアが思っているよりは常識外れではないらしい。
納得はできないが、当面の問題とは関係ない不安なので一先ず飲み込む。
「そう、かしらね、う~ん、まぁ、わかったわ、とりあえず覚悟はできて……」
「私は何を準備すればいいですか?」
即答というよりは若干被せ気味に質問され、アメリアの調子が完全に狂う。
「早い~、早いよテレサちゃん、他に色々説明することあるからちょっと待ってね」
「わかりました」
かなり調子を狂わせられながらも、一先ずは旅立つ覚悟があることは確かめられた。
この後にすることは、アリスト達にも伝えた“真実”の説明だ。
ノーマンによる支配の話は口頭だけだと理解させるのは困難なので、アメリアは電子パッドを取り出して先日した説明を繰り返す。
テレサは驚きと興味の感情を見せながら話を聞いたが、終始取り乱すようなこともなく冷静だった。
驚くほど飲み込みが早く、前回の半分の時間も使わずに一通りの説明が終わる。
「……というわけなんだけど、わかったかしら?」
「要するに私達はノーマンの家畜で、いずれ屠畜場送りにされるって話ですよね?」
かなり衝撃的な事実の筈なのに、あっさり纏められると逆に不安になってくる。
「そう……だけど、随分冷静ね」
「なおさら村にいる理由が無くなりました」
テレサは純粋に迷いのない視線をアメリアに向ける。
アメリアが咄嗟に目を逸らしてしまった理由は、本人でもよくわからなかった。
「とりあえず死にたくなければ、この事は一切口外禁止よ。わかってるわね?」
「わかっています、日が落ちてきたので家に帰りますね」
「あっ……そうね、気をつけて帰ってね」
「はい、二日後の夜に抜け出して合流します」
テレサはアメリアにお辞儀をし、皆に手を振って家を出る。
そして茜色の空の下、自分の家へ向かって歩き去っていった。
「なんか、凄い子ね」
アメリアは誰に言うでもなく呟いた。