【第4話】『小さな戦い』
西の原っぱには草原と岩と、一本の大きな木があった。
今日はここで、子供たちの大会が開かれるのだ。
「よぉし!それじゃあ競争をするぞ!まずこの位置からスタートして、あの木にタッチして戻ってくる、そしてテレサの持つ花を最初に受け取った奴が勝ちだ!」
「「おおおおお」」
二十数人の男の子が大木を見据えて横一列に並ぶ。
端の方は木との距離が増えて不利ではないかと思ったが、文句を言える人間はいない。
レオとヴィンは一番端でやる気なく準備する。
グスは当然ながら真ん中で気合十分に身体をほぐす。
「よし!インチキしたらぶっ殺す!それじゃあテレサ、合図を頼むぜ!」
「はいはい」
男子の殆どが真剣な眼差しを以て構える。
そして、晴れ空に舞う花の香りのように心地いい声が合図を切った。
「それじゃあみんな、よーいドン!」
「「うおおおおお」」
「おでがテレサちゃんとデートするんだぁ!」
「がははは!ガバオの走り方きめぇえ」
「せっかくだし、目立たない程度に本気出してみっか」
「そうだね、走るの得意じゃないけど僕も頑張ってみようかな」
それぞれの思惑を載せて競争が始まった。
往復で二百メートル程度の距離。
最初の五十メートルで、ある程度の差が開いていた。
先頭を行くのはグス、その後ろにガバオ、その後ろにレオ、いじめられっ子のフォイと続く。
ホアッタやグスの取り巻き、ヴィンは後ろの方で頑張って走っていた。
「みんなー、がんばってー!」
「ガキ大将になんか負けるなー!」
「あれってレオくん?影薄いけど足速いんだね」
「ガバオくんの走り方うける~」
テレサは柔らかな微笑を浮かべながら、花を指で弄って競争を見守る。
間もなく百メートル、大木の折り返し地点だ。
「おっしゃ!待ってろよテレサ!」
グスが気合たっぷりに大木に飛び掛かり、足で蹴り返して一気に反転する。
「邪魔だ!」
グスはすれ違い時に左にいたガバオを、ラリアットをかまして吹っ飛ばした。
「ひどーい!」
「インチキしたらぶっ殺すんじゃないのー!」
「クズー!クズー!」
グスはお構いなしにゴールへ向かう。
視線の先にいるのは村一番の美少女テレサ、ただ一人だ。
ガバオがよろよろと起き上がっている間に、レオとフォイは折り返してグスへ続く。
「やっぱグスって汚ねぇなぁ……」
ガキ大将の後ろ姿を見て、レオは思った。
すぐ後ろではフォイが顔を真っ赤にして走っている。
残りは五十メートル。
あと数秒で決着がつく。
そんな時に悲劇は起こった。
「おわああああ!」
グスが足元にあった石に躓いて転んだのだ。
「きゃー!やったー!」
「悪い事するからそうなるのよ!べーっだ!」
「後ろの子、抜いちゃえー!」
黄色い歓声を聞きながらも、後ろを走っていたレオは地獄の選択を迫られる。
おいおいおいふざけんなよグスの野郎、何で転ぶんだよ。
これじゃ俺が一番になっちまうじゃんかよ。
かといって立ち止まったらそれはそれで不自然だし。
くっそ、やばい、勝ったら間違いなく面倒臭い。
あああああ、どうする、あ、そうだ!
「おわ~~~」
レオはグスの横の、何もない所で派手に転ぶ。
数秒は起き上がれないという雰囲気を醸し出し、痛々しい装いで蹲る。
グスはしめたという表情で笑う。
「きゃー!そんなー!」
「あそこら辺あぶないんじゃないの?」
「諦めないで~!」
レオはさも苦痛で動けないかのようにのろのろ起きながら、周囲の様子を見た。
グスが必死に立ち上がり、走り直し始めた。
これならもう起きても大丈夫そうだ。
後ろを振り返ると、ヴィンが折り返し地点を通過したところのようだ。
その後ろを数人が追いかける。
最下位は免れたようなので安心した。
「はい、一位おめでとう」
テレサは一着の男子に花を渡す。
こんなのはどうせ出来レースだ。
勝っても碌な目に遭わないのだから、グスが一位に決まっている。
「や、やったあー!」
「フォイくんすごーい!」
「足速いんだね!」
「グスに勝ってくれてありがとう!」
フォイは嬉しそうに後ろ頭をさすりながら、貰った花を大事に持っていた。
「まじか」
まさか勝ったのはグスではなく、いじめられっ子のフォイだった。
後ろの男子たちも驚愕の視線を向けている。
そしてグスは、憤怒と憎悪の炎が見えるのではないかというくらいフォイを睨んでいた。
今にも殴り掛かりそうだが、それをやれば流石に顔が立たないと思ったのか踏み留まる。
その代わり、フォイに何かを耳打ちしていた。
嬉しそうな表情が一転、フォイの身体は震え上がっている。
「うっわぁ、後で酷い目に遭うんだろうなぁ、まあ関係ないけど」
「はぁはぁ、レオ速いね!」
遅れてヴィンがやってくる。
「ナイスファイト」
二人は拳の挨拶を交わし、呼吸を整えるべくその場に座り込む。
そして最後の男子が到着する。
ドンケツは序盤二位だった筈のガバオだ。
どうやら勝利が絶望的になったと知り、泣きながらとぼとぼ帰ってきていたのだ。
「おわあああ、おで、おでがんばったのにいいいい」
「よぉしよぉし、お前は頑張ったよガバオ」
ホアッタは何故か、一本の指だけでガバオの頭を撫でている。
彼らとは仲良くも何とも無いが、ガバオは悪くなかっただけに同情の念が湧く。
「まぁ転んじまったから仕方ねぇ、レオも転んでたしな、残りの二試合で勝利したらいいんだ」
グスは怒りを抑えるように眉間をつまみ、フンと鼻息を出して次の競技を告げる。
「次は木登り対決だ。あの大木の天辺まで登り、最初にテレサに手を振った奴が勝ちだ、いいな」
「「おおおおお」」
子供達はぞろぞろと木の根元まで集まっていく。
レオとヴィンはやる気なさそうに後ろの方からついていった。
「確かに大きい木だけどさ、普通に考えて二十数人も同時にできないだろ……」
「せめて試合を分けないと公平じゃないよね」
「そうだよ、早く終わって欲しいから別にいいけどさ」
全員が根元付近に到着したのを確認すると、グスはテレサを見て合図を促す。
テレサは口を手で覆いながら欠伸をし、雑に合図を出した。
「よーいどん!」
「「うおおおお」」
男子たちが必死の形相で登り始める。
先頭はやはりグス、そしてグスの取り巻きやガバオ、ホアッタ、フォイなどが必死になって幹にしがみついている。
まるで蜜に群がる虫のようだ。
他にも上ろうとする男子はいるが、人数の割に幹の幅が足りてないので開始すらできない者も結構いた。
レオとヴィンは登らずに眺めている。
「危ないしやめとこうぜ」
「そうだね、上の方から突き落とされたらたまんないよ」
二人は呑気に寝っ転がり、流れる雲と必死に木登りする男子たちを眺める。
気にする者は誰もいない。
いてもいなくても変わらない、そういう存在なのだから。
いや、村一番の美少女だけは二人を見ていたのだが。
「うわああああ」
木の上からホアッタが落ちてきた。
草や茎がへし折れ、鈍い音を立てて土に埋もれる。
「いてぇよ、グスの野郎ぉ、ひでぇよぉ」
そして豪快な歓喜の声が木の上から聞こえた。
どうやら頂上へ辿り着いたのはグスのようだ。
「あんな喜んでるグス見たことねぇな」
「実はテレサに嫌われてるって知ったらどうするんだろう」
「うわあ、大災害だな」
グスが失恋したらどうなるのだろうか。
村最強の子供の八つ当たりを想像し、身震いする。
男子達は木を降りて集まってきた。
「よぉし!最後は格闘試合だ!二人一組になって殴り合え!倒れた奴が負けだ。勝った奴が勝った奴と戦い、最後まで勝ち続けた奴が勝利だ!」
「「おお……おお……」」
盛り上がりが悪い。
当たり前だろう、子供とは思えない体格のグスと殴り合いたい奴なんていない。
競争や木登りは努力次第で勝てるかもしれないが、殴り合いは体格差が圧倒的なハンデになる。
それにグスは保安隊長ゴードンの息子なのだ、戦闘技術だって色々と教わっている筈。
痛めつけられるだけの戦いをやりたがる奴がどこにいるのだろうか。
しかし、反対できるような奴もいない。
「というわけで、俺の最初の相手はフォイくんに決めたぜぇ!」
「そ、そんなぁあぁ!」
わざとらしく肩を組んで絶望するフォイを睨む。
どう考えても、最初に負けた腹いせをするつもりだろう。
「フォイくん可哀想だね」
「だけど、助ければ俺らがあの役回りに戻るんだぞ」
「強い人が優しくないなら、この世は地獄だよ」
「痛みを知らないと、優しくもできないしな」
「グスも痛みを知るべきだと思う?」
「皆でボコボコにすれば少しはマシになるかもな、そんな流れにはなりそうもないけど」
中々対戦相手が決まらない子供に対し、グスが近寄って強制的に組ませる。
「おめぇはこいつとやれ、てめぇはあいつとだ、早くしろ!殺すぞ!」
半ば強引に二人一組のペアができて、試合開始の準備が整う。
「それじゃあテレサ、頼むぜ」
「ほどほどにね、みんなー第一回戦スタート!」
透き通った綺麗な声が響き、殺戮のゴングが鳴らされる。
広い原っぱには一本の大木、そして殴り合う少年達。
正に青春であった。
「おらー」「うわー」
開始一秒でヴィンが尻餅をつき、レオが勝利する。
それからあちこちで勝敗が決しているようだった。
「がんばれー」「痛そう~」「あんなのよくやるよね」
女子達も思い思いに観戦している。
そんな中で、中々勝敗の決まらない戦いが一つあった。
いや、それは戦いというよりは拷問と言った方が良いかもしれない。
「おら!よくも!俺を!出し抜いたな!この!クソ野郎!」
グスがフォイの胸倉を掴んで持ち上げ、殴り続けている。
降参をしようにも、絶え間なく殴られて声が出せない。
倒れようにも、掴み上げられているせいで倒れられない。
顔には痣ができ、鼻血も出ている。
「うっわぁ、よ、容赦ないじょ」
「ひでぇなぁ、なむなむ……」
「競争でグスを抜いちまったからなぁ」
「ああ、可哀想なり」
他の少年たちが手を合わせ、哀れな少年の無事を祈る。
誰も止めることはできない。
止めれば自分達も同じ運命を辿るとわかるからだ。
「ガキ大将やりすぎ!」
「ちょっと酷いよ!」
「フォイくんかわいそうー!」
しかし、女子陣からは非難の嵐が飛び始める。
声は次第に大きくなっていき、全ての女子が暴行を責め立てた。
流石に空気が悪くなったと思ったのか、ガキ大将の動きが鈍る。
「フン、まあこの辺にしといてやる、二度とあんな真似は許さねぇからな、これで終わりだ!」
グスが渾身の一撃を以て試合を終わらせようとした時、フォイが叫んだ。
「があああああ!」
「な、なんだ?!」
グスの腕に噛みつき、引き千切らんばかりに力を入れている。
「ぐぐぐぎぎぎ!」
「いてぇな!この!クソが!」
フォイの頭に容赦のない拳骨を浴びせ続ける、それでもフォイは噛むのを止めない。
「てめぇ!死ね!死ね!」
屈強なグスの拳骨が何度も何度もフォイの脳天を叩く、それでもフォイはやめない。
グスの腕から血が流れ出る。
まさかの展開に周囲の少年達も熱くなる。
「「うおおおお」」
「あのフォイが反撃した!」
「グスが血を流しているぞ!」
誰もが目の前の“非日常”に瞠目し、息を呑んでいる。
自分達を抑えつける圧倒的な強者、それに反撃する弱者。
自分達の心を代弁するかのように、弱者は強者に必死で喰らいついている。
この場にグスを応援する者はいなかった。
「フォイくんがあそこまで抵抗するなんて、凄いねレオ」
「なあ、ヴィン」
レオの瞳には善からぬ閃きの色が宿っていた。
「な、なに?」
「今グスに殴り掛かったら周りも参戦するんじゃねぇか?」
「え、皆でボコボコにしたらマシになるかもを、本当にやるつもり?」
村の子供達とは仲が良い訳じゃない。
二人は空気みたいな存在だし、自分達以外が虐められていても自分を犠牲にしてまで助けようとは思わない。
それでもこんな光景は見たくないし、二人はこれからも村で生きていかなければならない。
大人になっても“グス”という存在に怯えながら生きるのか、それとも別の手段を取るのか。
レオはこの様子をチャンスと見て、後者を選んだ。
「冷静に考えてみろ、村の子供でグスに勝てる奴はいない、だからあいつも調子に乗る」
「そ、それはそうだけど」
「だけど今、フォイは抵抗している。フォイほどじゃなくてもグスに怯えてる奴は大勢いる筈だ」
「物騒だよレオ、やめようよ」
ヴィンは怯えている。
レオほど血の気は無いし、諦めていた部分もあったのだろう。
「ヴィン、ずっとこのままでいいのか?フォイを助けたいんじゃないのか?」
「それは……!いじめられる辛さは知ってるし、何とかしたいよ、でも……」
「確かに一人で助けに行けば矛先が向くかもしれない、だけど皆で助けに行けば、誰も不幸にならないんじゃないか?」
ヴィンが生唾を飲み込んだ。
復讐するにしても相手が一人なら簡単だろう、しかし大勢なら難しくなる。
この状況は正に、それを可能にするかもしれない。
「強い奴を倒すのは更に強い奴、さもなきゃ団結した大勢の弱い奴らだ」
「やるの?本気?」
「これを見過ごせば、フォイはまた虐められて、皆もグスに怯える生活が続くだろ。戦うなら今なんだよ、ヴィン!」
ヴィンはフォイを見る。
痣だらけになり、それでも抵抗するフォイを。
もう何度殴られただろう。
それでも腕に喰らいつき、遠目でもわかるほどの血を流していた。
このまま放って置けば、決着はつく。
グスという強者に、フォイが一人で敵うわけがないのだ。
今日の出来事は、ちょっとした反抗で片づけられてしまうだろう。
ヴィンは殴られ続けるフォイにかつての自分を重ねた。
昔を思い出し、フォイの気持ちを想像し、胸の奥が熱くなっていく。
「わかった、グスを倒そう」
二人は拳の挨拶を交わし、レオが観客の中から飛び出る。
勢い良く走って行き、グスのわき腹に飛び蹴りをかます。
グスはよろめいて倒れる。
「な、なんだぁ?!」
突然の出来事に混乱しきっているようだった。
一緒に倒れたフォイですら、困惑の表情をしている。
周囲もレオの行動に驚愕する。
何がどうしてそうなったのかわからないようだ。
だが、レオは声を張り上げた。
「グス!てめぇよくも昔ヴィンをいじめてくれたな!二度と同じことができねぇようにボコボコにしてやる!フォイ!俺も手伝うぜ!」
それを聞き、痣だらけで腫れ上がったフォイの顔が緩んだ。
ずっといじめられてきた、誰も助けてくれなかった。
だけど今日初めて、自分と共に戦ってくれる人が現れたのだ。
「おうおういい度胸じゃねぇか!トボリ!マキラ!この二人を再起不能にしてやれ!」
「は、はいグス様!」「あいさですグス様!」
グスの取り巻き二人が、迷いながらも観客の中から飛び出す。
今までグスの圧倒的な力を近くで見てきた。
今回もグスが負ける筈はない、ならば強者に付くのが賢い選択だ。
だが、レオは退かない。
「皆!このクソトリオを!今日!懲らしめるぞ!もう二度と好き勝手させるな!」
その声に何人かがピクリと反応した。
しかし、動く者はいない、迷っているのだ。
今まで散々虐げられたせいで、勝てるイメージが湧かない。
自分達では敵わないと思っている相手に、挑む勇気は無い。
それでも、全員でかかれば、勝てるかもしれない。
迷う、迷う、迷う。
迷いを断ち切ったのは一人の少年だ。
「うおおおお!」
観客の中からヴィンが飛び出す。
両親を追放されて以来、のけ者にされてきた少年。
虐げられてきた少年。
それが今、声を上げて立ち向かう。
ヴィンの拳がグスの屈強な背中に当たる。
大して効いてはいなさそうだ。
それでもヴィンの一撃は、迷いの堤防を打ち砕くのに十分だった。
「おでも!おでもやるぞおおお!」
怒りの濁流として噴き出したのはガバオだ。
競争の時にラリアットをかまされた記憶が蘇る。
「ば、ばかやろう!おま、おれは、あ?まぁいいや、俺もいくぜええ!」
次に飛び出したのはホアッタ、木登り対決で突き落とされた記憶が蘇る。
「グス様ぁ!こいつら!増えていきまっせ!」
「な、なんだと!てめぇらタダで済むと思ってんのか!全員ぶっ殺してやるぞ!ぐは!」
グスの顔ががくんと揺れる。
遠心力を用いた渾身のパンチが顔面に当たった。
「タダで済まねぇのはテメェだ大将様よぉ!この際だから世直ししてやるぜ!」
更なるレオの一撃がグスのみぞおちにめり込む。
「ふ、ざけんなごらぁああ!」
グスの強烈な蹴りがレオに直撃し、土埃を巻き上げながら後ろへ転がっていく。
正に怪力、一人で立ち向かえば絶対に勝てないだろう。
だが今は、皆がいる!
「頑張れ男子!」「ガキ大将を倒して!」「懲らしめてやれー!」
女子達も今日一番の歓声と応援を向ける。
吹っ飛んだレオを埋めるようにガバオが入り込み、気持ち悪い動きでグスの鼻に指を突っ込む。
「おわああっちょおおああ!」
「いっでぇ!てめぇ!この!」
グスの右フックがガバオを吹っ飛ばす、しかし交代するようにホアッタが飛び掛かる。
「ほあったあああああ!」
「ぐはっ!」
ホアッタの蹴りがグスの脛に炸裂する。
大きくよろけながら脛を抱える。
「いてぇ!いてぇじゃねぇかよぉ!」
気づけば十数人近い男子が参戦し、グス、トボリ、マキラの三大巨悪へ波状攻撃を仕掛ける。
溜まっていた鬱憤、押さえつけらていた憤懣、全てのエネルギーが集中砲火を浴びせる。
一撃一撃は弱くても、積み重ねた無数の攻撃はガキ大将の身体をボロボロにしていった。
「なんでぇ、なんでぇ俺様がこんなめにっ!こんな目に遭うんだよぉおぉぉぉおぉ!」
グスの嘆きなど誰の心にも響かない、皆が心に抱く思いは一つ。
「「てめぇが言うな!!!」」
どれほどの時間が経ったかはわからないが、西の原っぱには三人の少年が倒れていた。
身動き一つも取れない程にボロボロになっている。
そんな元ガキ大将の上に、一人の少年が両手を上げて立っていた。
「勝った!僕たちは勝ったんだああああああ!」
フォイ少年が勝利の雄叫びを上げ、周りの男子も女子も怒涛の喝采を浴びせた。
男子は皆、体中傷だらけだ。
だけど誰一人欠けることなく、勝利を得ることができた。
レオとヴィンがフォイの前まで行き、声をかける。
「おめでとう、フォイ」
「レオくん、ヴィンくん、うっうっ、ありがとう、本当にありがとううううう」
フォイの両目からは大粒の涙が零れ、二人に抱き着いた。
レオはフォイの背中をトントンと叩き、ヴィンはフォイの頭を撫でる。
周りの男子達も目頭が熱くなっていた。
「お前の勇気に、俺達は動かされたんだぜ」
「フォイくん凄いよ、あのグスに立ち向かったなんて」
フォイは首を振る。
言葉にならない言葉を紡ぎ、皆へ感謝を告げる。
「僕だけじゃ、ぐすん、勝てなかった、みんなのおかげだよ、みんな、ありがとう」
「いいんだじぇフォイくん!俺ら友達だぁ!」
「ばっかだなおめぇ!わはははは!」
「やったな!やったなぁあ!」
歓喜感涙喝采、大団円のどんちゃん騒ぎ。
その空間に、村一番の美少女がするりと入ってきた。
皆、瞳に涙を浮かべ勝利を祝しながら彼女の足取りを眺める。
そういえば、グスとテレサはよく話している。
もしかしたら自分達のしたことは、テレサに嫌われてしまう行動だったのではないか、という一抹の不安がよぎる中、テレサは倒れるグスの前に腰を下ろした。
「……て、ぇさ」
グスは腫れ上がり、血の流れる口を動かす。
僅かな意識の中で、目の前に来た少女を見る。
きっと自分を心配してくれているのだ。
村の子供が敵に回ろうとも、テレサさえいればどうでもいい。
最強の男は、最も優しく、最も美しい女と結婚する、それが当たり前なのだから。
テレサは口を開いた。
「私、あなたが嫌い」
―――この日、一人のガキ大将の心が折れた。
*
三人は赤く染まった空を眺める。
点々とした雲は黒く染まり、一日の終わりを告げる。
夕暮れ時、レオとヴィンと村一番の美少女のテレサが座っていた。
「怪我は大丈夫?」
「こんぐらい何ともねぇよ」
「はは、結構痛いけどね」
体中に巻いてある包帯が痛々しい。
大喧嘩のせいで男子の殆どは包帯姿だ。
グス達はしばらく動けない程に痛めつけられ、療養所の一室で仲良く転がっている。
寄ってたかって三人を血祭りに挙げたのは怒られたが、経緯を話した結果、全員が悪いということで終わった。
大人達もグスに粗暴な面があるのは知っていたので、良い薬だとしか思っていないようだった。
「もしあの時、誰も加勢しなかったら二人はどうしてたの?」
テレサが興味深そうに聞く。
皆が戦ってくれなければ、フォイとレオとヴィンだけで勝つことは不可能だっただろう。
「僕はすぐに逃げて大人を呼んだ、かな。あの状況じゃグスといえど大目玉だったと思うし」
「俺もそうするかな。あとは神官様にチクったり、フォイや女子達を引き入れてグスの悪事を村中に言い触らしたり、悪い印象を植え付けて戦うしかねぇ」
「そうなんだ、色々考えてたのね」
レオの作戦にヴィンの顔が若干引き攣ったが、何故かテレサは嬉しそうに微笑んだ。
彼女がそんなことを気にする理由が全くわからなかったので、何となく居心地が悪くなる。
「というかテレサ、話したい事って何だよ」
レオとヴィンは、伝えたいことがあると言われテレサに呼び出されていたのだ。
「うん、それは、あのね」
テレサは口ごもりながらも透き通った瞳をこちらに向け、血色のいい唇で微笑む。
子供とは思えない色気に、少年達の心拍数は上がった。
「私、二人と仲良くなりたい」
二人は困惑した。
自分達は子供の輪から外れた日陰者で、相手は子供の輪の中心にいる美少女。
友達はいくらでもいる筈、テレサと関わりたくない人間なんて振られたグスぐらいのものだろう。
そう思っているからこそ、なぜ彼女が自分達と仲良くなりたがるのかわからなかった。
レオは驚きながら尋ねる。
「ど、どうしたんだよ急に」
「前から興味はあったけど、今日話してわかったの。二人はやっぱり他の子と違う」
「僕たち仲間外れにされてただけだよ?」
「ううん、二人は話が合わない皆を避けてただけって知ってるよ」
レオもヴィンも驚いた。
誰にも言っていない事なのに、少し接しただけのテレサが見抜いたのだから。
「……まさか、テレサもなのか?」
「うん、私はただ周りに合わせているだけで、友達と思える人は一人もいないの」
テレサは誰からも好かれる村一番の美少女。
そんな彼女が誰も友達と思っていなかったなんて驚きだし、自分達と同じ悩みを持っていたなんて信じられなかった。
「私ね、この村が嫌い。頭の悪い子供も、頭の固い大人も、賢い人を排除しようとする三禁則も、神官も、アデスも、全部嫌い」
テレサは喋る。
今まで溜めていた黒い気持ちを全て吐き出すように。
「だけど二人は違う。二人は皆と離れて生きて、皆と違う人になってた。賢い人に」
自分を賢い人と言うのは抵抗があるが、周りの子供達を賢いと思ったことは無かった。
「私、二人が羨ましかった。私も普通に話のできる友達が欲しかった。そして今日、やっと私を縛り付けていたものが切れたの」
一人のガキ大将を思い出す。
「グスか」
「そう、だから二人には感謝してるの、ありがとう」
グスはもう、好き勝手にはできないだろう。
今回の出来事で自信をつけた子供たちは、次にグスが誰かを苦しめた時、今日と同じ目に遭わせると結託したのだ。
一人では誰もグスに勝てないが、グスでは団結した皆に勝つことはできない。
暴君はもう、いないのだ。
「気にするなって、俺は自分達の為にやっただけだ」
「グスにはまぁ、悪い事をしちゃったしね」
村一番の美少女に感謝されて照れたのか、二人はむず痒そうにした。
「ねぇ、レオくん、ヴィンくん、私と仲良くしてくれる?」
テレサは初めて不安そうな表情をした。
触れば壊れてしまいそうな弱々しい姿だ。
だが、レオとヴィンは迷うことなく答える。
彼女の気持ちを知った今、それ以外の答えなんて頭の片隅にもない。
「勿論だ、テレサ」
「僕たちで良ければ、これからよろしくね」
「……ありがとう!」
美しき少女は笑った。
非の打ち所のない綺麗な笑顔を浮かべ、いつも通りの眩い輝きを見せる。
そうなると思っていた。
二人の少年も、本人さえも。
笑顔から雫が流れ落ちた。
それが“涙”だとすぐに理解できなかったのは、彼女からは想像もできない姿だったからだろう。
「だ、大丈夫か、テレサ?」
「あれ……なんで私泣いてるんだろう」
笑顔になろうとすればするほど、涙は強く流れ出てきた。
自分を守ってきた仮面を壊すように、心の内に溜まっていたものが流れ出していく。
「テレサ?ぼ、僕なんかしちゃったかな」
違う、ヴィンは悪くない、自分でもわからない。
そう返事をしようにも、泣き声が混ざりそうで声を出せない。
彼女は顔を覆い、静かに泣き出す。
耳が赤くなり、肩を震わせ、鼻をすする音が聞こえる。
微笑みの似合う少女はもういない。
彼女は静かに泣いていた。
レオとヴィンは涙の理由を考える。
何か傷つくことを言ってしまったのだろうか。
それとも、別の理由であろうか。
「テレサ……」
二人は先ほどの言葉を思い出した。
頭の悪い子供も、頭の固い大人も、賢い人を排除しようとする三禁則も、神官も、アデスも、全部嫌い。
周りに合わせているだけで、友達と思える人は一人もいない。
私、二人と仲良くなりたい。
テレサは自分達のように周りと違うことを考え、それを隠してきた。
だけど、彼女に仲間はいたのだろうか?
レオにはヴィンがいた。
ヴィンにはレオがいた。
二人には家族がいた。
色んな話ができた。
色んな悩みを伝えられた。
でも、テレサには誰もいなかった。
陽だまりだと思っていた彼女にとっては、自分達こそが陽だまりに見えたのだろう。
誰からも好かれる少女は、ただ好かれているというだけで、誰からも理解されてはいなかったのだ。
だから泣いてしまった。
初めてできた“友達”の存在に。
「うぅ……ごめ、なさぃ」
他の子供はぎゃんぎゃんと泣き喚くのに、テレサは静かに泣く。
きっと、その姿は見せちゃいけないと思ってきたのだろう。
心配させるから、誰にもわかって貰えないから、神の教えに反するから。
静かに、独りで、音も立てずに泣いてきたのだ。
弱々しい少女の思いを想像し、二人は胸が締め付けられた。
「大丈夫だ、テレサ」
レオはテレサの背中をポンポンと叩く。
「もう一人じゃないよ、僕たちがいる」
ヴィンはテレサの背中に手を添えた。
二人の優しさのせいで、彼女の最後の理性は消えてしまった。
「うわぁぁあぁん」
孤独だった少女は、気づけば声を上げて泣いていた。
村の子供と同じように、子供らしく泣き喚いた。
溜めていた全てを、苦しみの全てを流し出すように、涙は止まらない。
二人の少年はそれを見守った。
笑いもせず、怒りもせず、見守った。
――――そうして“三人”は友達になった。