【第26話】『中立都市・下』
一方、エルヴィス、テレサ、ヴィンの三人は、必需品を購入するべく行きつけの店の窓口に立っていた。
残念ながら万事順調、というわけではないが。
「値上げとは、どういうことだ」
エルヴィスがカウンターを叩き、静かな威圧感で問いただす。
対応するのは髭の濃いおじさんだ。
店主である彼は、申し訳なさそうに肩を竦める。
「悪いな銀髪のアンちゃん。あんたらはお得意様だし悪いようにはしたくねぇんだが、どうしようもねぇ事情がこっちにもあんだよ」
「何があったんだ」
「最近は商品を大量に買っていくコロニーが多くてね。それで品薄になるのはこっちとしちゃ有難いことなんだが、そのコロニーの裏にいるのがノーマンって噂があんだよ。おかげでお偉いさんの方から輸出制限がかけられちまって、品薄とのダブルパンチでどこも値上がりだ」
ノーマンのコロニー侵攻はこんな場所にも影響が出るらしい。
確かに人類基地連合がコロニーに道具や物資を与えれば、それを使って資源や情報を持ってきてくれるだろう。
だが相手がノーマンであれば、人類基地連合は自分達の資源を吸われるだけだ。
情勢を考えれば、取引に制限をかけて被害を抑えようとするのは合理的な判断なのかもしれない。
「それにしても倍額は高すぎるだろう、もう少し安くならないのか」
「倍程度で売るんだから感謝して欲しいもんだな。アンちゃん達がお得意様じゃなかったら五倍じゃなきゃ売らねぇぜ」
店主はため息交じりで突き放す。
他の店でも値段は上がっていたので、実際にどうしようもないのだろう。
無理を言って関係を壊すのも愚かな話なので、エルヴィスは渋々な様子で矛を収める。
「……そうか。ならその条件で手を打ってもいいが、いつもの数量はあるんだろうな?こっちは百数十名分が必要なんだ」
「ああ、そこは心配しないでくれ。お得意様の分はちゃーんと確保してある。まぁ値段については勘弁してくれな。こっちも生活がかかってるんだ」
行きつけの店を出てから、また別の行きつけの店を目指して歩く。
食用増殖細胞に使う栄養剤や、様々な部品、使い捨ての道具、薬剤など、コロニーで必要なものを全て揃えるには複数箇所を回る必要があるので大変だ。
一日中を歩き回り、大体の取引が完了した頃にはヴィンもテレサもヘトヘトになっていた。
「買い出しも結構大変なんですね……」
「もう疲れたぁ~」
せめてもの救いは、購入した物品を持ち運ぶ必要がないということだろう。
量が量なので、荷物は歩行戦車の場所まで届けて貰えることになっているのだ。
「頑張って二人とも、あと少しで終わりだから」
先頭を歩くエルヴィスが、疲れの滲む二人に励ましの言葉を送る。
残る仕事はデータの売却だ。
地上調査隊の仕事の一つは情報収集であり、歩行戦車にはその為の観測機器が色々と取り付けられているのだ。
「情報がお金になるって、凄いですよね」
「人類基地連合だけじゃ外のことは調べられないからね。最新の地図とか、どこでどんなことが起きたとかの記録は、常に需要があるから助かってるよ」
村では必要以上の知識を得ることは禁忌だったので、知識を売り物にするなど考えたこともなかった。
そもそも商売という概念すらなかったので、初めて知った時は驚いたものだ。
「そういえば、お兄さんが翻訳したアデス語もここで売ったんですか?」
「ああ、そうだね。当時の僕は地上調査隊じゃなかったけど、かなりの金額になったみたいだよ」
言語の金額なんて想像もつかないが、ヴィンはエルヴィスに尊敬の念を抱く。
もし自分が彼の立場だったとして、果たして同じことができただろうか。
たった一人で、『文字の無い言語を、知らない言語に翻訳する』などということが。
「……すごいです、本当に」
「ありがとう。数少ない僕の自慢話かな、はは」
褒められ、照れくさそうに笑うエルヴィス。
彼の偉業のおかげで、自分達はミストゾーンの人達と会話をすることができ、生き延びることができた。
その価値に値段をつけることなんて不可能だろう。
彼は大恩人だ。
なのに、自分は彼の努力を無償で享受してきた。
その上、受けた恩に報いるようなことは全然できていない。
申し訳なさで、とても頭が上がらない。
「ごめんなさい、いつか必ず恩返しします」
「恩とか、そんなの気にしないでいいんだよ。ヴィンくんは僕にとっても大事な家族だ」
「ありがとうございます。でも、いつか必ず……」
頭を下げ、目を伏せる。
自分には何もかもが足りない、未熟者だ。
そんな自分自身に腹が立つ。
未熟者だから恩を返せない。
未熟者だから両親を二度も失った。
そして未熟者のままなら、今ある大切な居場所さえも失ってしまうのだろう。
そんなのは、絶対に嫌だ。
ヴィンは唇を噛みしめ、何千何万回と言い聞かせてきた言葉を、再び心の中で反芻する。
――――努力。
必要なのは努力だ。
自分にできるのは努力しかないのだ。
努力して、努力して、望む結果が出るまで、努力する。
恩に報いるにしても、敵に報いるにしても、やれることはそれだけだ。
努力、努力、努力、努力、努力。
努力して強くなり、努力して賢くなり、努力して皆を守り、努力してノーマンを殺す。
その為には立ち止ってなんていられない、まだまだ到底足りない。
何度も何度も、自分にそう言い聞かせた。
そんな事を考えていると、突然左手が何かに触れる。
ハッとして目を向ければ、隣にいたテレサが手を握っていた。
ゴワゴワとした手袋の肌触りの奥から、微かな温もりを感じる。
「どうしたの、テレサ」
「ううん、少し心配になっただけ」
「僕、なんかしちゃったかな」
「してないけど……、一人で遠くに行かないでね」
それがどういう意味なのかはわからないが、彼女の声は少しだけ不安そうに聞こえた。
なのでヴィンは、テレサの手を優しく握り返す。
「いかないよ、家族なんだから」
「うん、信じてる」
そうして暫く歩いていると、サイレンの音が通りの向こうから鳴り響いてきた。
何かあったのかと足を止めると、脇道から人型の武装ロボットが現れる。
さらにその後ろには、輝かんばかりに磨かれた小型の装甲車が追従しており、上空には十機近い飛行ドローンが展開していた。
過剰な武装をした集団の進行に、ヴィンやテレサは思わずたじろぐ。
「なんですかあれ」
「うわぁ、いっぱいいる」
「上級国民だよ、二人とも両手を上げて道を開けて」
エルヴィスに引っ張られ、建物際まで下がる。
言われた通りに万歳の格好をし、動向を見守った。
武装ロボットや装甲車が目の前を通り過ぎていく。
「上級国民の通行妨害はレベル3違反行為だから、気をつけないといけないんだ」
「手を挙げたのは敵意が無いと示す為ですか?」
「そうだよ、手荷物を武器と誤認されて射殺された人もいるらしいからね」
「……とんでもない話ですね」
あまりにガバガバなセキュリティに怖気を覚える。
レオとニマは大丈夫だろうか。
ギルバがいる以上は大丈夫だと思いたいが、少しばかり不安だ。
やがて通りには静けさが戻り、テレサが溜息をつく。
「嫌な街だなぁ、早く帰りたい」
ヴィンも、彼女の言葉には同意しかない。
ここがどういう場所かは知っていた筈なのに、いざ訪れてみて失望してしまうというのは、心のどこかでは期待していたのだろう。
誰にも支配されない、個性と自由の溢れる街。
この街にそんな理想を重ねるのは、無茶な話だったようだ。
「人類基地連合ってところも、ここみたいな感じなのかなぁ」
「どうだろう、博士の話ではもう少しマシらしいけど」
この世界の均衡と安全を考えれば目指すべき場所だとも思うが、理想の世界なんてものはどこにも無いのかもしれない。
少なくともこの街を見る限りでは、そう思ってしまうのも仕方がないだろう。
沈んだ気分になっていると、テレサが何かを見つけて指を差した。
「あ、ヴィンみて!綺麗だよ!」
そこにあったのは、十二月の今頃に咲き誇っている小さな花だった。
中央は黄色で、花びらは白い、可愛らしい花だ。
テレサは道端に駆け寄り、その中の一つを根元からむしり取る。
もがれた小さな花を指先で回しながら、明るい足取りで舞い戻ってきた。
「これは、“クリサンセマム”だったかなぁ」
「すごいねテレサ!花の名前を憶えてるの?」
「えへへ、ヴィンにあげる」
「わあ、ありがとう」
受け取ったはいいものの、花をどう仕舞えばいいのかわからない。
ポケットに入れたら潰れてしまいそうだし、丁度いい入れ物もない。
リュックを探せばあるかもしれないが、移動中なので手間がかかる。
悩んでいると、テレサがマスク越しでも伝わる笑顔で言った。
「街は汚いけど、お花はどこでも綺麗だね~!」
「えっと……うん!そうだね!」
ヴィンは考えるのをやめ、花を片手に歩くことにした。
*
陽も傾き空に陰りが現れる頃、無駄に高い建築物は地上を塗りつぶさんばかりに影を落とす。
ギルバ達は報酬を受け取るべく、指定の窓口に向かった。
中立都市に存在する、ディランド社の窓口だ。
「話は『ビッグツリー』から聞いてるだろ。俺らの分の依頼は終わらせた。報酬を受け取りたい」
ギルバは外套の内側を弄り、一枚の黒いカードを受付に出した。
これは簡単に言えば、10,000,000ベアという大金が入った金庫にアクセスできる『鍵』のようなものだ。
もっとも、鍵を捻るのには『使用パス』というのが必要になる。
依頼が終われば伝えるという約束だったので、今まさに教えて貰おうとしているわけだ。
機銃付き防犯カメラや、セキュリティロボット達が見守る中、受付の女性はキーカードを受け取ってホログラムを展開し、内容を確かめる。
優しそうな垂れ目をした美人だったが、返ってきた反応は淡白なものだった。
「わかりました。事実確認が取れ次第、使用パスをお伝えさせて頂きます。数日ほどお待ち下さい」
「すぐには受け取れないのか」
「情報を伝えた先のコロニーから連絡が入り次第、依頼完了と見做しております。ミストゾーンの担当分は五ヶ所、現在二ヶ所と確認が取れていますので、残りは三ヶ所になります」
仕事が完了したのに報酬が受け取れないという事態に、ギルバは眉を顰めた。
苛立たし気な手つきで外套の内側を探り、指先ほどの記憶デバイスをテーブルに叩きつける。
「ここに対談の録画がある。証拠ならこれで十分だろ」
「申し訳ありませんが、受け渡しの条件範囲外となっておりますので」
「おいおい勘弁してくれよ。もし何らかの都合で他のコロニーが来なかったら、俺たちの報酬はどうなるんだ」
「依頼は部分的失敗とし、報酬から割り引かれることになっています」
その内容にはギルバも我慢ならなかったようだ。
隠しきれない不満を声に乗せ、異を唱える。
「それはおかしいだろ。伝えた時点で俺らの仕事は完了している。その後そいつらがヘマをこいたところで、こっちの落ち度にはならねぇ筈だ」
「情報を正確に伝えていれば、問題が起きる可能性は低いかと思います。それに録画映像は技術的に偽造が可能な為、有効な証拠にはなり得ません。何卒ご理解下さい」
「俺らがインチキして金をくすねようとしてるってのか?随分と丁寧なカスタマーサービスじゃねぇか!」
今にも掴みかかりそうな迫力で、声を大にするギルバ。
レオとニマは周囲のセキュリティが動き出さないか冷や冷やしている。
すると、背後の自動ドアが開く。
誰かが振り返るよりも先に、紳士的な男性の声が聞こえてきた。
「おや、あなた達はコロニーの方ですね?」
振り返れば、そこには仕立てのいいスーツを着た男がいた。
立ち姿は優雅であり、見るからに高貴な人間という印象だ。
オースティンとも通ずる部分があるが、彼よりも身体の線は細く、鶴のような雰囲気を纏っている。
窓口の女性が慌てて頭を下げていたので、『偉い人』というやつなのだろう。
「融通が利かなくて申し訳ありませんが、彼女は私の指示通りに仕事をこなしていただけです。どうか許して頂きたい」
「……ここの社長さんか?」
ギルバが問えば、男は大袈裟に手を叩いて感心の態度を示す。
「おお!よくわかりましたね、流石コロニーの方は感性が磨かれています。特にミストゾーンの地上部隊隊長、ギルバ・ミスト・ダグラス殿ともなれば一層のこと」
社長だというのも驚きだし、今入ってきたばかりの彼がこちらのことを完璧に言い当てたのにも驚きだ。
思わず声を上げるレオやニマを無視し、彼は丁寧な仕草で名乗り出た。
「申し遅れました、私はディランド社の代表取締役、マッコス・ディランドです。以後、お見知りおきを」
「ご存知のようだが、ミストゾーンの地上部隊代表ギルバ・ミスト・ダグラスという。こちらこそよろしく頼む」
ギルバが手を差し出すと、マッコスはゆるりと握り返す。
彼の身体は強そうには見えないが、滲み出る言い様のない迫力はギルバにも引けを取っていなかった。
只者でないことを予感させるマッコスは、好意的な声で語りかける。
「コロニーはディランド社にとって重要な取引相手ですからね。なるべく顔と名前は憶えるようにしているのですよ。ダグラス殿は有名ですから、すぐにわかりました。直接お会いするのは初めてですが」
「そんなに目立っているつもりはなかったのですがね」
「実力者というのは滲み出てしまうものですよ。それはさて置きレイナ君、彼らに使用パスを渡しなさい。もちろん全額分だよ」
「は、はい社長!」
窓口の女性に呼びかけると、すぐにカードに記入をしてギルバに手渡す。
あれだけ揉めていた話が、こんな簡単に終わるとは拍子抜けも良い所だ。
ギルバでさえ目を瞬かせ、呆気に取られていた。
「……よろしいのですか」
「ええ、私の知る限り、あなた達は信頼できる方々だと思っています。ならば支払いを渋るのは経営者としての美徳に反します」
「感謝します。ですが録画データはお渡ししておきましょう。依頼を受けた者の責務として」
「ダグラス殿は非常に好感の持てる方ですね。もう少し怖い方だと思っていましたよ」
「時と場合を選ぶだけです」
「はは、それでは私は大事な面会があるので失礼しますね。良ければ客室にご案内しますので、お茶でも飲んで行って下さい。自慢の美術品もご覧になれますよ」
「そこまでして頂くわけには参りません。仲間達も待たせていますので、私共も失礼させて頂きます」
「そうですか、残念ですが仕方ありませんね。待たせるわけにいかない気持ちは、私もよく分かりますから」
柔らかな笑みに見送られ、ギルバ達は建物を去る。
外はすっかり夕暮れ時になっていた。
レオは慣れない緊張感から解放され、一息をつく。
「あー、偉い人って見るだけで緊張するんだなぁ」
「うちのリーダーみたいな雰囲気だったのですっ!」
「でも良い人で良かったな、報酬もちゃんと貰えたし」
「嘘つきだったら粛清ビームだったのですっ!」
話す二人を無視しながら、ギルバは黙々と進む。
いつもならば何か言ってきそうなものだが、あまりにも何も言わないのでレオは不審に思った。
「どうした隊長、だんまり決め込んで」
「いや、根拠のない勘に過ぎん。話すようなことじゃない」
「んな風に言われたら気になるじゃんかよ」
「隠し事にはキンタマキックなのですっ!」
「……ひとつだけ言わせてもらうなら、簡単に他人を信用するなってことだ。偉いのに親切な奴なんかは特にな」
先ほど出会ったマッコス・ディランドの姿が浮かぶ。
レオの記憶の限りでは、とても悪人には見えなかった。
それ故に、ギルバが何を不審がっているのが理解できない。
「良い人だったと思うけど、何が気に入らないんだよ」
「勘だっつってんだろ。強いていうなら、クリスティと同じ臭いがしたってだけだ」
「……それ、どんな臭いなんだ」
「自分さえ良けりゃいい、腐った人間の臭いだ」
そんな臭い、レオにはわからない。
だからこそ首を傾げる他なかった。
「隊長が捻くれ過ぎなんじゃねぇか?報酬だってすぐにくれたし、笑顔とか丁寧さとかも全然違ったぞ」
「……ならいいんだがな」
引っかかりを残した様子のまま、話は終わる。
黙して歩くギルバの背後で、レオはニマに向かって肩を竦めた。
「隊長ってよくわかんねぇよな」
「えっ?!あ!そうなのですっ!」
*
陽もすっかり落ちてから、ミストゾーンの面々は一堂に会していた。
大量の物資を歩行戦車の中に詰め込みながら、今日の出来事を語り合う。
「俺らはそんな感じだったよ。報酬も貰えたし、社長が良い人で良かったぜ」
「そっか、僕達の方も買い出しは終わったよ。値段が上がっててちょっと苦しかったけど、買取金額も上がってたからまだマシだったね」
「そういやニマがやばかったんだよ!俺にチョップしたらセキュリティが来てさ!」
「れ、レオちん!それは秘密なのです!一生の不覚なのですっ!」
「ええ?!危なかったね、何ともなかったの?」
「へぇ、吊り橋効果?ニマもやるじゃん」
来ている分を全て詰め込み終わったところで、エルヴィスがギルバに報告する。
「とりあえず四人分で今夜の宿を取りました。大通り沿いなんで少し高いですけど、揉め事は滅多に起きない場所みたいです」
「ご苦労、残りの連中は歩行戦車で寝て貰うとしよう。本当は宿泊施設なんて信用ならんが、荷物が邪魔で全員は寝れないからな」
「帰りは狭っ苦しいでしょうね」
「いつものことだ、それよりこいつを片付けなきゃならん。おいクリスティ!起きろ!」
ギルバは機内に乗り込み、サイボーグの手でシートを被せられたN-BOXをバンバンと叩く。
作業を手伝うわけでもなく、機内の隅っこで丸くなっていたクリスティ博士が顔を上げた。
「明日には別の荷物が届く。このクソ邪魔な箱を持ってとっとと帰れ」
クリスティは神妙な面持ちで自分達を見回した。
もう彼女の私物を保管しておく余裕はなくなる。
タイムリミットだ。
博士は視線を浴びながら立ち上がる。
任務を失敗してしまったのは可哀想だが、命があればやり直しはできるだろう。
レオやヴィンは彼女と過ごした数日間の記憶を思い出しながら、彼女が新たな一歩を踏み出せるよう祈った。
変わった人だったが、クリスティ博士と出会えたことは大きな収穫だ。
またいつか、話ができたらいいなと思う。
そうして見守っていると、クリスティ・ラックバーンは意を決したように喋り出した。
「……皆さん、私と取引をしませんか?」
どうやら彼女は、諦めていないようだ。
時間が欲しいと言っていた時から何かあるかもしれないと思っていたが、やはりタダでは帰れないのだろう。
話だけは聞いてみようという雰囲気で、全員が耳を傾ける。
「皆さんにとって二度と訪れない好条件の取引になることを約束します」
「御託はいい、簡潔に話せ」
ギルバに催促され、クリスティは言葉を詰まらせる。
不安、希望、自信、恐怖。
瞳の奥で様々な感情を揺らし、その色が一点に集約した時、彼女は告げた。
「依頼内容は中立都市にいるノーマンの捕獲。報酬は皆さんのコロニーにいる住人全員分の市民IDの発行。つまり、『人類基地連合への移住権』です」
―
――
―――
――――え?
言葉を聞き取り、意味を理解し、その価値を考えた時、初めて驚愕が湧き上がってくる。
自分達全員の気持ちを代弁したのは、地上調査隊の隊長であるギルバだった。
「……ここでノーマンの捕獲?住人全員分の移住権?本気で言ってんのか?」
「ええ、仮にも私は上級国民です。この作戦が成功すれば、私の権限を使って百名分の移住権を確保することは可能です。とはいえ、研究チームが解体された後じゃ遅いですが」
突っ込みどころは色々と浮かぶが、一言で言えば『荒唐無稽』な話だ。
ギルバは頭を抑えながらも、否定の材料を洗い出していく。
内容が破綻していれば断るつもりなのだろう。
即座に否定できないのは、利益が自分達にとってあまりに大きいからに他ならない。
「報酬が払えるとしても、仕事が成功しないんじゃ意味がない。散々準備したお前の部隊が全滅したばかりなのに、付け焼刃の俺達でどうやってノーマンを捕獲するんだ?ここにはセキュリティの目もあるし誰がノーマンかもわからねぇ」
「それについても可能な限り考えました。先の失敗は極めて重要なサンプルです。使わなければただの無駄に終わりますが、今回に活かすことで成功率を大幅に上げることが出来ます。どうですか?それでもやりませんか?」
クリスティは本気の目で訴える。
この空間で横槍を挟めるような人間はいなかった。
誰もがクリスティ博士と、ギルバ隊長のやりとりを注視している。
暫しの沈黙が流れ、ギルバは再び問いかけた。
「なぜ俺達なんだ、他の奴を使えば良いだろう」
「時間があればそうしますよ。ですが現状、ノーマンに感知されずにあなた達の代わりを探すのは困難です。それぐらいわかるでしょう」
「駄目だ、危険すぎる」
「危険なのは当たり前です。ですがあなた達では百年掛かっても用意できないであろう住人全員分の移住権を、この依頼が成功するだけで手に入れることができるんです。命を賭ける価値は十分にあるとは思いませんか?」
完全な否定はできない。出来るわけがない。
依頼内容は考えるまでもなく危険だが、報酬はミストゾーンの未来を決めると言っても良い内容だ。
吊り合いで考えれば、利益の方が大きいとすら思える。
ギルバはこめかみを摘まんでから、静かに言った。
「……計画を話してみろ。やるかどうかはそれから決める」
クリスティの説明を要約すると、以下の通りだ。
先日失敗した捕獲作戦の件については、間違いなくノーマン全体に知られている。
それを利用し、ノーマンの生体が中立都市で取引されるという情報をちらつかせる。
あれだけ奪われないように行動していた以上は、接触してくる可能性は高い。
現れたノーマンを逆に捕獲し、一気に人類基地連合に逃げる。
それが今回の『捕獲作戦』の概要だ。
「つまり、囮の情報でノーマンをコントロールし、奇襲地点までおびき寄せるって訳か。確かに奴らは、箱の中身が死んでいる確証など持っていないだろうしな」
「加えて言えばここは国境の街。ノーマンが『地球国』としての体裁を守るならば、衛星兵器やプテポリプスは飛んできません。おびき寄せる方法があるならば、廃都市で奇襲を仕掛けるよりも中立都市で仕掛ける方が成功率は高いでしょう」
「だがここには人目がある。法律がある。セキュリティがある。それらを誤魔化してどうやって成功させる気だ?ブラックリスト入りは御免だぞ」
「ヒューマンサイドのセキュリティは人類基地連合が干渉できるので、私が裏から掛け合って対処して貰います。研究機関は高位の組織ですし、特別任務の為だと言えば消極的な協力は得られるでしょう。恐らくは特定エリアのセキュリティを理由をつけて遠ざけるぐらいでしょうが」
「敵のノーマンが複数で来たらどうする。集団で展開されれば奴らには勝てん。透明の化け物だっているかもしれんぞ」
「それはノーマンの性質を利用して対処しましょう。不可視の敵に関しても万全とは言えませんが対策を練ってみました」
この短期間でずっと考えていたのだろう、彼女の計画は綿密と言っていい程度には練られていた。
しばらくの質疑応答を続けた後、粗探しを終えたギルバが自分達に尋ねてくる。
「お前ら、どう思う?」
「俺はやるべきだと思う」
「僕も賛成です。作戦は悪くないですし、これ以上の報酬は存在しないと思います」
口々に賛成の声が上がる。
確かにリスクは存在するが、論理的に否定しきれるほど計画に粗はなかった。
賭ける価値のある作戦だと、誰もが思った。
「本来ならオースティンに確認するべき話だが、ここからじゃ通信は届かねぇからな……俺らで決めるしかない」
「なら早く決めて下さい、やるんですか?やらないんですか?」
ギルバは催促するクリスティを睨みつける。
いつも猛獣のように鋭い眼光をしているが、この瞬間の圧力は別格だ。
本気の威圧、殺意、敵愾心。
端から見ているこちらですら、呼吸が止まりそうになる視線を突き刺す。
「ひぅ」と小さな悲鳴を上げるクリスティに、ギルバは唸るような声で問うた。
「最後の確認だ。お前が約束を守る保証はどこにある」
その問いかけに、クリスティは俯く。
彼女には難しい質問だったのだろう。
苦しそうな声で、消え入りそうな声で、彼女は答えた。
「……ありません。信頼して下さい、としか」
「自分が信頼を得るに足る人間だと思っているのか?」
「……いいえ、ですが」
クリスティが両手を床につき、頭を下げて平伏する。
それは、高慢な彼女からは想像もつかない姿だった。
「信頼して下さい、お願いします」
「お、おい、マジかよ」
「まさか、あの博士が」
レオもヴィンも、彼女を知る誰もが動揺する。
それは服従の証明であり、人によっては最大限の屈辱でもある格好だ。
そんな姿のまま、人類基地連合の上級国民であるクリスティ・ラックバーンは微動だにしない。
こちらが何か言わない限りは、ずっとそうしているつもりに違いなかった。
「……お前にとって、ノーマンとは何だ」
「私の人生を、賭けるに値するものです」
彼女が人間として信頼できるかはわからない。
だが、彼女が全てを投げ打ってでもやり遂げようとしているのだけは、誰の目にも明らかだった。
ギルバは鬼をも殺すような威圧感で、クリスティに告げる。
「もし裏切ったら、壁を越えてでも殺しに行くからな」
「あなたなら本当にやりかねないですね……」
震える彼女を尻目に、ギルバは立ち上がって全員に目配せをする。
地上調査隊の面々は、それぞれの顔を見合わせた。
誰も反対意見のある者はいないようだ。
満場一致を見て取ったギルバは頭を掻き、やれやれとでも言いそうな雰囲気で平伏している彼女の肩を叩く。
「頭を上げろ、ミストゾーンはお前の計画に乗ることにした」
クリスティが顔を上げる。
その表情には安堵と歓喜が滲み出ていた。
他のメンバーも彼女の気持ちが伝染したのか、思わず頬を緩める。
副隊長のブライズが発端となり、一同は拍手を以て交わされた契約を祝った。
「ノーマンの捕獲か……やるしかねぇな!」
「かなり危険だけど、それだけの価値はあるよね」
「人類基地連合かぁー、綺麗な場所だといいけど」
「家が二つとは贅沢なのですっ!快適な方に住むのですっ!」
期待感と自分達への鼓舞で盛り上がる。
ミストゾーンの行く末は、これからの行動にかかっているのだ。
「絶対に失敗はできん、計画を練り込むぞ」
「「はい!」」
利害の一致した研究者と地上調査隊。
それぞれの未来を賭けた『捕獲作戦』が、始まろうとしていた。




