【第25話】『中立都市・上』
移動を開始してから二日目の夜、レオ達は初めて見る光景に瞳を輝かせていた。
廃墟となった古代建築物の森を掻き分け、彼方に見えるのは無数の光。
地平に広がる星空の如く、中立都市は生命の灯りを宿している。
あの光の世界に、自分達は明日飛び込むのだ。
「こんな場所まで来たんだな」
「本当にあったんだね、人の住む世界が」
「綺麗……」
「君の瞳に乾杯なのですっ」
四人は感動に言葉を漏らす。
長らくコロニーで過ごしてきた彼らにとっては、目の前に広がる世界はあまりにも幻想的だった。
どれほどそうしていただろうか、この場所が危険な世界だと忘れかけた頃、背後から足音が聞こえてくる。
振り返れば、仲間であり先輩のエルヴィスが立っていた。
「みんなー、隊長がそろそろ戻れって言ってたよ」
「おお、兄ちゃん」
「わかりました」
彼は自分達と同じ元アデス教徒の男だ。
訓練の際には非常に助けられたし、それからも何かと頼りにしている人だ。
そんな彼に、テレサが首を傾げて尋ねる。
「エルヴィスさんは、アメリアさんがいなくて寂しくないですか?」
「うん?寂しくないよ。アメリアはコロニーにいてくれた方が安心するし」
「そうですか。今は何してると思いますか?」
「どうだろうね、熱心に勉強でもしてるんじゃないかな?彼女は真面目だから」
「結婚とかはしないんですか?」
「け?!し、しないよ!アメリアは僕にとっては妹みたいなもので」
慌てるエルヴィスに、テレサはニコニコと問いかける。
そんな彼女の姿を、レオは呆れながら眺めていた。
人が動揺するところを眺めて楽しむのは悪趣味ではなかろうかと思うが、小悪魔的な彼女の一面も不思議と不愉快ではなかった。
ふと視線をずらすと、奥にいたニマと目が合う。
やれやれと肩をすくめると、凄い勢いで目を逸らされてしまった。
「ん?なんだ?」
何かしたのかと不安になるが、破天荒なニマのことだ。
文句があれば暴力で教えてくれるだろう。
レオは深く考えるのをやめ、もう一目テレサを見て、歩行戦車の待機場所に踵を返す。
先日の緊張感を乗り越えた反動か、久々にちゃんと姿を見たからか、胸の奥はテレサへの気持ちで焼けるようだった。
見るたびに感じていた胸のざわめきは、今では自分自身を騙せないほどに大きくなっていた。
「はぁ、困ったな……」
誰にも聞こえない声で呟き、胸の奥にしまう。
少し余裕ができれば人間の心とは呑気なものだ、今では毎日彼女のことが頭に過る。
この気持ちを何と呼ぶのか、わからないほど馬鹿では無い。
自分は彼女に『恋』をしてしまったのだ。
(かわいいよなぁ……結婚かぁ……俺もいつか……)
「いやいや、こんなこと考えてる場合かよ!」
不可視化の能力を持つ恐ろしい化け物が現れ、いつ終わるとも知れない世界の真実を知り、ノーマンの強大さを思い知らされたばかりだというのに、愛だ恋だなどと言っている暇がどこにあるのか。
それでも思春期というのは恐ろしいもので、理性で必死に言い聞かせても、すぐに心に巣をつくる。
気付けば彼女のことを考えている始末だ。
「あー!後だ後!全部後で考えるッ!」
レオは頭を掻きむしり、思考を振り払う。
伝えるにしても時と場合を選ばなければいけないし、今は集中しなければいけないことが他にあるのだ。
対症療法だとしても、今は理性で抑えるしかない。
歩行戦車に入ると、質問リストの乗った電子パッドを片手に持つヴィンが、ノーマン研究者であるクリスティと向かい合っていた。
奥には隊長のギルバが腕を組んで座り、操縦席からはスヴェンが身を乗り出して見ている。
最後に入ったレオが座ることで、ヴィンが口を開いた。
「それじゃあ今日もいいですか?博士」
「ダメって言って断れるならダメです。断れないなら無意味な質問をしないで下さい」
挨拶代わりにのような無礼を受け流し、ヴィンは質問係としての仕事を始める。
「では今日もよろしくお願いします」
「はいはい、早く終わらせてください」
今回の質問は、ノーマン研究者の彼女には難しいかもしれない。
何せ彼女には関係の薄い質問だからだ。
例え答えられなくても、仕方ないと思っている。
「マッコス・ディランドという人物をご存知ですか?」
「あー、ちょっと待って下さい」
しかし、返ってきた反応は予想外のものだった。
クリスティは少しの間固まり、すぐに目を開けて答える。
「わかりました。アレイク人類基地連合の産業機関に登録されたディランド社の現社長です。市民IDは上級国民で、年齢は三十八歳。趣味は美術品集めに美術展やコンテストの開催、社長としての評判は良好で目立ったスキャンダルは無し。有能な人物みたいです」
「やけに詳しいですね。その『ディランド社』というのはどういう組織なんですか?」
「ディランド社は中立都市で幅を利かせてる交易業の会社です。主にコロニーと人類基地連合の間の物流を担うここら辺の大手ですね。多くの交易所はディランド社と契約を結んでいます」
「……あの、どうしてそんなに細かく知っているんですか?」
まるで関係者のように詳しい口ぶりに、ヴィンやレオは驚いた。
博識な理由を、彼女は相変わらずの態度で説明する。
「私の人工脳にデータがあるからに決まっているでしょう、アホですか」
「人工脳……」
ミストゾーンのリーダーであるオースティンも、確かそんなものをつけていたと思い出す。
とはいえ、それが何なのか詳しく教えて貰ったことは無かった。
「一体どういうものなんですか?」
「人工脳は平たく言えば第二の脳です。思考能力を拡張し、色んなデータをインストールして本物の脳と相互通信ができるようになります。あなた達みたいに無駄な質問や勉強で人生を費やす必要が無くなるというわけですね」
口こそ悪いが、彼女の話している内容には感動する他ない。
そんなものがあるなら、一体どれだけの時間を短縮できるだろうか。
「……すごい、僕も欲しいです」
「まあ、あなた達コロニーの蛮人ごときがつけられる代物ではありません。付けられたとしても怪しい場所で粗悪品ぶち込まれて脳味噌を壊すのが関の山です。憧れるだけ無駄ですよ」
どうやら簡単に手に入るものではないらしい。
現実の厳しさに肩を落としたあたりで、ギルバの苛立たし気な声が飛んできた。
「話が逸れ過ぎだ」
「あ、ごめんなさい。戻します」
ヴィンは再び電子パッドに視線を落とし、本来の質問を再開する。
「ノーマンによる一連のコロニー襲撃を食い止める為に、『ビッグツリー』というコロニーが僕達に依頼をしてきました。そして『ビッグツリー』に依頼を出した大元が『マッコス・ディランド』という男性らしいです。彼は三十億ベア以上をコロニーの救済資金として提供したとのことですが、それは事実でしょうか?また、そんなことは可能でしょうか?教えてください博士」
「はぁ、少し待って下さい……わかりました。昨年度時点でディランド社の特別支出に三十億ベアがありました。そして純資産は四百億ベア以上あります。救済資金として十三分の一を吐き出すくらいはできるんじゃないんですか」
「なるほど、ありがとうございます」
大企業というのはそれほど金を持っているものなのかと驚く一方、ギルバが横から付け加えるように質問を重ねた。
「もう一つ教えろ。ディランド社は毎年コロニーとの取引でどれだけの利益を得ているんだ?」
「そんなデータは持ってませんが、中立都市で行なっている事業の売り上げは全体の二十五パーセント以上で、五百億ベアにもなります。ディランド社が中立都市でやってることなんて、大抵はコロニーとの取引に当たるんじゃないんですか?知りませんけど」
「なるほどな、三割近くともなればコロニーが潰されたら困る、というのにも納得がいく。信頼していいのか」
「はぁ、人生で一番実りのない時間です。他に何かありますか?面倒くさいんで早く言ってください」
自分達のしていることは裏取りだ。
多角的な情報を集め、罠に嵌っていないか、悪事に加担していないか確かめる必要がある。
本来は中立都市に辿り着いてから行うことだったが、クリスティ博士が予想外に博識な為に急遽調査が行われることになった。
彼女はうんざりしているだろうが、それからも様々な質問が行われた。
*
翌日、一行は遂に目的地へ到着する。
『不干渉区域』に近い為か、上空にプテポリプスなどの影は一切ない。
「スヴェン運送をご利用いただきありがとうございました。終点、中立都市です。とかなんとかいっちゃってーイェイイェイ!」
「やべぇ、やべぇよ!」
道中見てきたのはボロボロの廃墟と食い込んだ自然ばかりであった。
しかし、ここには今まで見てきたどんな景色とも違う世界が広がっていた。
「おいヴィン!街が生きてるぞ!」
「すごいね!人の姿もあるよ!」
綺麗に整備された道や建物が並び、脇には様々な格好をした人がチラチラと見える。
別の歩行戦車とすれ違い、道の端ではメンテナンス用のロボットが動き回っていた。
大きな道を進んでいくと次第に乗り物の数は多くなっていき、連なった列に紛れて奥へと進んでいく。
「うおー!めっちゃいる!」
「うわー!これ全部現実?!」
二人の興奮とは対照的に、爪切りをしているクリスティの声は冷たい。
「こんな腐った街に来て喜べるなんて、コロニーの蛮人は幸せな頭してますね」
「全くだ。お前ら気を緩めるな」
油断ならない場所だというのは何度も聞かされた。
それでも、二人の青年は始めての世界に心を躍らせてしまう。
やがて、都市の奥に聳えている巨大な壁が見えてきた。
真っ黒な壁の上部には、等間隔で巨大な砲台が設置されている。
境界砲と呼ばれるそれは、プテポリプスすら撃ち抜いて破壊可能な代物らしい。
「うおおおお!本物でけえええ!」
「あの向こう側に、人類基地連合があるんだ!」
残念ながら自分達が行けるのは手前までだが、いつかは向こう側の世界も見てみたいものだ。
その為には、沢山の時間とお金が必要らしいが……。
「ところで、どこまで行くんだ?」
「そういえば、街の雰囲気も悪くなってきたね」
手入れされた入り口の街並みとは打って変わり、奥に進むほど淀んでいくような感じがした。
建物はひび割れ、道にはゴミが散らばっている。
二人の疑問にギルバは答えた。
「この先はヒューマンサイドと呼ばれるエリアで、人間が管理している。降りるのはそこの一番奥まで行ってからだ。入り口の街並みは整備されているがノーマンの管理しているエリアだ。何が起こるかわからんから近づくな」
「え、中立都市ってノーマンも住んでるのか?もしかして、入り口で見かけた人達ってノーマンなのか?!」
「さあな、だが見かける奴は大抵人間だろうよ。ノーマンサイドの交易所は交換レートが高いからな」
「どういう意味だ?」
「早い話が儲かるんだよ、ノーマンが運営する交易所で取引すればな。だが、金にしろ物にしろ、奴らと取引すれば人類の資源が奴らの手に渡る。利用者は一旦は儲かるかもしれないが、将来は人類全体が苦しむことになる」
「……そうか、俺らが集めた資源は人類基地連合に届かなきゃ意味がないのか」
「そうだ、そうすれば資源は有効利用され、俺らはハイテク製品を中立都市を介して手に入れることができるようになる。取引はヒューマンサイドでやるのが常識だ。ノーマンサイドをうろついている人間はそれを知らない馬鹿か、知ってて金欲しさに利用するクズしかいない。悲しいことに、そういう奴は案外いるみたいだがな」
ギルバが吐き捨てるように語った。
人類基地連合にとってコロニーとの接点である中立都市は、自分達を潤す場所でありながら、ノーマンの干渉を許す諸刃の刃なのかもしれない。
気づけば歩行戦車の周囲を武装した飛行ドローンが飛ぶようになっていた。
ギルバが釘を刺すように、操縦士に告げる。
「スヴェン、わかってると思うが道を外れるなよ」
「もちっすよ大将。俺っちだってミンチになるのは御免っす」
「道を外れたらまずいんですか?」
「歩行戦車は兵器だからな、規定のエリアから出たらレベル5違反になる。ちなみに中立都市でレベル5違反ってのは即時射殺って意味だ」
ただならぬ会話に、ヴィン達は蒼ざめた。
幸いミンチにされることはなく、一行は専用の駐機場に到着する。
二台の歩行戦車が保管施設に預けられ、ギルバ班とブライズ班が合流した。
聞き入る面々に対して、ギルバは強い口調で言う。
「集まったな。これからヒューマンサイドで必要なものを揃え、コロニーに帰還する。お前ら、ここでのルールを忘れてないだろうな」
「単独行動はしない、マスクは外さない、絡まれても無視する、暴力行為をしない、セキュリティには逆らわない、何かあれば即時連絡。ですよね」
ヴィンが完璧に答えれば、ギルバが頷いた。
暗唱できるようになるまで復唱させられた一文なので、忘れろという方が難しいだろう。
「ルールには細心の注意を払え。徘徊しているセキュリティドローンは対象者の行動だけを見て制裁を行う。つまり違法と知らなかろうが、正当防衛だろうが、冗談だろうが関係ない。見かけたときに犯罪行為を犯していたら容赦なく制裁を下す。そういう存在だ」
道中のミンチの話といい、何とも機械らしいというか、融通の利かない治安維持システムだと思う。
しかし、郷に入っては郷に従えだ。
守らなければならないだろう。
「中立都市では班を増やす。団子になって行動するのは効率が悪いからな」
「はいはーい。ニマはすぐに手を出す癖があるので、隊長が見た方が良いと思いまーす」
「テレテレ!それはニマちゃんに対する愚弄ですかっ!」
「一理あるな。お前は俺と来い」
「ひょえええ?!」
そんなこんなで中立都市での役割が決まった。
ギルバ、レオ、ニマは情報収集と報酬の一千万ベアを受け取りにいく班に。
エルヴィス、ヴィン、テレサは交易所で物資などの売却や購入をする班に。
操縦士であるスヴェンとマテューは、歩行戦車の保守をする班だ。
「あとはブライズだな。お前はクリスティをゲートまで送れ、その後、保守班に合流して歩行戦車を守れ」
「了解だ」
「待って下さい!」
話が終わりかけたところで、声を上げたのはノーマン研究者である、クリスティ・ラックバーンだった。
「私はもう少しここに居させて下さい。その間にも情報提供の協力はしますから」
「俺らが帰る時には問答無用で置いていくぞ」
「構いません」
このまま戻っても研究チームが解体されるだけだと言っていたので、どうにかしたいと考えているのだろう。
助けてあげたい気もするが、レオは自分ではどうしようもないことだと思い諦める。
「ではブライズ、お前は出立までクリスティの護衛を担当しろ。細かい裁量は任せるが、面倒事だけは起こすな。何かあれば連絡するように」
「了解した」
副隊長のブライズがクリスティの警護兼見張り役になったところで、中立都市での役割分担が決定する。
「各員行動開始!無駄な時間を使うな!」
「「はい!」」
*
他の皆と別れ、レオとニマはギルバの後ろについていった。
広い空の下、知らない人間があちこちを歩いているというのは新鮮な光景だ。
この景色だけを切り取ってしまえば、人類が支配されていない世界の体現にも思える。
はぐれないように歩いていると、少し後ろから声が聞こえた。
「れ、レオちん、今日は、よろしくなのですっ」
オタオタと話しかけてくるニマ。
マスクをつけているので表情まではわからないが、少し俯いているようだ。
いつものニマらしくない。
「大丈夫か?腹でも痛いのか?」
「大丈夫なのですっ!前見て歩くのですっ!」
「おお?変な奴だな」
初めての中立都市に緊張しているのかもしれない。
何かあれば手助けできるようにしなければと、レオは気を引き締めた。
数分ほど歩いてから、ギルバが飛んでいく物体を指差して言う。
「セキュリティドローンが徘徊しているから大通りは比較的安全だが、裏通りには入るなよ」
「ああ、わかってるよ」
「みなまで言うななのですっ」
注意されてから十秒後。
雑踏の向こう側で銃声が響く。
悲鳴が聞こえ、辺りは静まり返った。
「安全じゃねぇのかよ!」
「嘘つきなのですっ!」
思わず口に出した二人を誰が責められようか。
流石のギルバも予想外だったのか、やれやれと肩を竦める。
「ルールを守っている限りは安全だ。守らなきゃ知らん、ここの治安維持システムに容赦は無いからな」
ゾっとした思いで歩いていくと、銃声の現場に辿り着いた。
セキュリティドローンが複数飛行し、数人の人物を取り囲んでいるようだ。
辺りは銃痕と血で染まり、一人だけ息のある女性が怯えた様子で両手を上げていた。
女性は涙を流し、裏返った声で叫ぶ。
「私は被害者よ!撃たないで!」
すると、ドローンの一機が機関銃を向けたまま近づいて行き、機械音声で喋りかけた。
『中立都市法に基づき対処します。網膜スキャンと写真撮影をしますので、顔を出して待機してください。命令違反の場合はレベル5違反行為に該当します』
「わ、わかったから、お願い」
ドローンの先端部分が輝き、青い線状の光を出して女性の顔を撫でる。
読み取り終わってから、女性は眩しさで目を擦った。
『スキャン完了、登録データあり。あなたには説明義務があります、状況を説明して下さい。尚、虚偽の申告はレベル5違反行為に該当します』
「私が娼館で働いてるからって理由で、そいつらに絡まれたのよ!でも店の外で身体を売ったりなんかしないって突っぱねたら、逆上して襲ってきたの!私は何もしてない!ただ助けを呼んだだけ!」
『状況を把握しました。今回の件であなたは被害者の為、罰則はありません。ただしあなたには三日前に一件のレベル3違反の嫌疑がかけられています。重要参考人として協力的なご同行を願います』
「え?!まって、何かの誤解よ!」
『拒否した場合、有罪が確定した際にレベル5違反行為として処理されます』
「わ、わかった!わかったから!もう、今日は最悪の日ね!」
機関銃を突きつけられて連行されていく女性。
残されたのはピクリとも動かなくなった数人の遺体だ。
レオとニマはあまりの出来事に身震いした。
「この人たち、殺されたのか……今」
「ザップザップタウンなのですっ」
「こうなりたくなきゃ、セキュリティには従え」
最初に街を見た時は心踊ったものだったが、今では全く逆の気持ちだ。
ここは理想卿ではない。
機械の暴力によって支配された、偽りの自由の街だ。
何度も聞かされた言葉が、ようやく実感としてのしかかる。
嫌な余韻を引きずりながら歩いていくと、大通りの傍らには様々な商売をしている人たちが目に入った。
『スクラップ交換所』、『天然素材レストラン』、『携行装備専門店』、『調査事務所』。
それぞれが売り子を立たせ、客を入れる為に大声で宣伝している。
そのどれにも用はなく、通り過ぎるだけの景色に過ぎない。
しかし、『労働力販売所』と書かれた看板の近くでレオの足が止まった。
そこには小太りの男が椅子に座り、横には鎖で繋がれた人々が力なく立っている。
大人から子供までいる彼らは、一様に同じ服装をし、死んだ目でこちらを見つめていた。
「……あの人達は何してんだ」
「見ればわかるだろ、奴隷だ」
「同じ人間なのに、売られてるのか」
「そうだ」
人が人を物として販売する、奴隷。
セキュリティドローンはそんな光景を素通りして飛んでいく。
中立都市では認可さえあれば合法らしい。
ここが優しい場所ではないと理解したばかりなのに、まだ認識が甘いと言われているようだった。
彼らを見回し、レオはさらに衝撃的な事実に気づいてしまう。
「おい、あの人……」
自分の足が止まったのは、無意識にそれを見つけたからかもしれない。
並べられた奴隷の一人に、アデスの神印を刻まれた人がいたのだ。
「おやおやお客様、気になりますか?」
ショックで言葉を失っている姿を興味と捉えたのか、小太りの男が立ち上がり、手を擦り合わせながら話しかけてきた。
「彼はアデス教徒ですが健康な肉体を持っています。チップなどももちろん埋め込まれていませんし、言葉も簡単なものならわかるように教育済みです。どうですか?お安くしておきますよ」
レオは小太りの男に問いかける。
問いかけずにはいられなかった。
「……いくらなんだ」
「本来なら四十万ベアのところですが……どうでしょう、お客様は初めての方とお見受けしますので色を付けて二十万ベアでは」
視線を落とすと、左手首に巻きつけられたホロウォッチが目に入った。
この時計は十万ベア程度の価値があると教えてくれたのは、確かヴィンだったか。
「時計、二個分なのか」
「レオちん……」
「悪いが間に合っている。いくぞお前ら」
ギルバに背中を叩かれ、その場を離れた。
胸の奥から沸き立つ言い様のない哀しみと怒りは、彼らを救えない自分に対してか、世界に対してか。
「わかっただろう、ここは綺麗な場所なんかじゃない」
レオは気づけば左目の下を触っていた。
ミストゾーンで消した刺青。
隠した方がいいと言われてきた過去。
多くの人がアデス教徒に抱いている認識。
頭でしか理解していなかった現実を、まざまざと叩きつけられたようで、気分が悪くなる。
世界は優しくなんかない。
異質なのは、ミストゾーンの方だったのだ。
「助けることは、できないのか」
「わかりきったことを聞くな。奴隷は幾らでもいるし、俺らには損得勘定が必要だ」
ギルバの言うことは至極当然だ。
あの人を助けても世界は変わらないし、ミストゾーンの力にだって限界はある。
悔しくて俯く姿に見かねたのか、ニマの声が聞こえてきた。
「レオちんは、優しい人なのです」
「……俺は、何も出来ねぇ奴だよ」
「それでも、優しいのは大事なことなのです!」
「……お前、慰めてくれてるのか?」
「ち、違うのですっ!でもレオちんのしょんぼり顔は良くないのですっ!しょんぼり顔はニマちゃんが粛清ビームして消し飛ばすのですっ!それがニマちゃんの使命なのですっ!」
「それ、苦痛で顔が歪んでるだけじゃねぇのか……」
「うるさいのですっ!粛清ビームッ!」
早口から繰り出される、ニマのチョップが顔面に当たる。
慣れたと言えば慣れたが、結構痛い。
それでも、彼女なりに元気づけようとしてくれているのだろう。
「……ありがとな、ニマ」
「ふん、いっぱいニマちゃんに感謝すればいいのですっ!」
今すぐ現実を変えることはできないが、世界は醜いだけではない。
自分を心配し、慰めようとしてくれるニマ。
同じ村で育ち、今日まで生き抜いてきたヴィンやテレサ。
コロニーで待っているアメリア、兄貴分のエルヴィスや隊長のギルバ。
彼らは自分にとってかけがえのない存在であり、家族だ。
そんな彼らやミストゾーンを守っていかなければならないと、レオは密かなる決意を固めた。
それから十秒後。
『レベル2違反行為を発見。両手を上げてその場で待機しなさい』
機械音声が割り込み、目を向ければ半身程の大きさの物体が迫ってきていた。
この都市を警備している、セキュリティドローンだ。
「な、なんですかっ?!」
「……ちょ、今のがアウトなのか!?」
突然の出来事に困惑する他ない。
ドローンの両側には機関銃が備え付けられ、照準はニマに向けられている。
「動くなお前ら!絶対に何もするな!」
ギルバの怒号がなければ、何をしたらいいかわからなくなっていただろう。
二人は散々教えられたことを思い出し、息を飲んでその場で待った。
彼らは対象の行動のみを見て制裁を下す。
先程の遺体が脳裏によぎり、嫌な汗が頬を伝った。
『中立都市法に基づき対処します。網膜スキャンと写真撮影をしますので、顔を出して待機してください。命令違反の場合はレベル5違反行為に該当します』
「早く顔を出せ馬鹿ッ!死ぬぞッ!」
「ひ、ひょえええ?!」
ニマは慌てた手つきでマスクを脱ぐ。
瞳には明らかに怯えの表情が出ていた。
当たり前だろう、彼女も自分も悪気など何もなかったのだから。
セキュリティドローンがゆっくりと近づき、青い線状の光を出してニマの顔を読み取る。
ピピピと鳴ったと思えば、続けて機械音声が問いかけた。
『スキャン完了、登録データなし。名前、性別、所属先を答えてください。尚、虚偽の申告はレベル5違反行為に該当します』
「に、に、ニマ・ミスト・スタンシャなのです!性別は女で、み、ミストゾーンに住んでいるのですっ!」
命の危機を感じたニマは、呂律を怪しくしながらも大きな声で答える。
もしここで怯えて言葉が出なかったら、命令違反に該当してしまうのだろうか。
幸い、彼女の発言はきっちりと聞き届けられたようだった。
『人物登録を完了。前科一件として記録しました。罪状に対する罰則を適用します。一ヶ月の労働力提供、又は十万ベアの罰金支払いのいずれかを選択してください。支払い能力がない場合は、自動的に労働力提供として即時連行となります』
「え、えと、ニマは、あの」
「待ってくれ!さっきのは冗談みたいなもので、俺は何とも思ってない!ニマは何も悪くない!」
レオは咄嗟に割り込むが、帰ってきたのは人情味のない機械音声だった。
『脅迫されている可能性も考え、被害者の弁明は無効です。頭部への手刀という行為は軽傷害罪であり、レベル2違反行為に該当します』
「違うんだって!確かにチョップはされたけど――――」
「黙れレオ」
ギルバが割り込んで声を上げた。
「ギルバ・ミスト・ダグラス、こいつの責任者だ。代わりに罰金を支払う」
『網膜スキャンをします、その場で待機していてください』
セキュリティドローンは向き直り、再び青い線状の光をギルバに当てた。
それから機械音を鳴らし、結果を告げる。
『完了、ギルバ・ミスト・ダグラスの指定口座から十万ベアが引き落とされました。今後は違反行為の無いようご注意下さい。法律に関しては各種公的機関または歩人組合にて参照、データの受け取りが可能です』
そう言い残し、ドローンは何処へと飛んでいく。
嵐が去った後のような静けさが訪れた。
「ったく、注意したばっかだろうが」
ギルバは溜息をつきながら振り返る。
ニマは腰が抜けたのか、その場に膝をついてレオに縋っていた。
「う、うわあああレオちん、うわあああ」
「お、おい、大丈夫かニマ」
「ご、ごめんなさいなのですっ、ごめんなさいなのですっ!」
「とにかく無事でよかったけど、マジで気をつけろよ」
「気をつけるのですっ、うわあああ」
中立都市。
この混沌とした街から、無事に帰ることはできるのか。
レオの胸の奥で不安が募った。




