【第24話】『ノーマン研究者』
「おかーさーん!」
小さな少女の声が響く。
彼女は裕福な家庭に生まれ、安全な場所で育った。
生きる上で何一つ不自由になるようなことはなかった。
「何か御用でしょうか、お嬢様」
「あのねあのね、今日お庭に出て気になったんだけどね」
それでも、少女が幸せな幼少期だったのかは定かではない。
彼女が母と呼びかける姿に温もりは無かった。
仮に内部の発電機や中央処理装置の発生させる熱を『温もり』と呼んでも良いのならば、話は別だが。
「お空って何で青いのー?」
少女の疑問に母親は答える。
合成音声は優し気な響きを持っているが、人のそれとはまったく異なる無機質さを内包していた。
「空は必ずしも青くはありません。観測地点や観測方法によって結果は変わります。青く見える場合、その要因は太陽光の青い波長が大気中で散乱しているからでしょう。青い波長は可視光の中でも短く、短い波長は長い波長と比べて粒子にぶつかり散乱を引き起こしやすいのです。太陽光が大気を通り抜けて地表まで到達する距離が短い昼間では、青い波長は大気中で散乱し、その他の波長は散乱が少ない為に空が青く見えます」
それは人工知能を搭載したアシスタントロボットであり、少女にとっては母親代わりだった。
少女に母親がいなかったわけではない。母も、父も、少女にはいた。
しかし少女の両親は忙しく、彼女に構う暇がなかった。
代わりに高価なロボットを買い与え、忙しい自分達に変わって育てさせたのだった。
いつしか少女は、そのロボットを『お母さん』と呼ぶようになった。
「お母さんの言葉、難しくてわかんない」
「それではよりわかりやすく説明を――――設定時刻になりました。フードメーカーが食事を用意しましたので、キッチンルームに行き食事を開始して下さい。本日のテイストは南食風、447キロカロリーになっています。残さず食べて下さいね」
「……はぁーい」
数日後、家に少女とは別の人間が入ってくる。
少女は隠れたくなる気持ちと、飛び跳ねたくなる気持ちで混ぜこぜになりながら、その人物を迎えた。
家族全員が揃うことは年に一度あるかどうかだったが、月に一度か二度は、父親か母親のどちらかが帰って来た。
今回帰って来たのは母親の方のようだ。
「おかえりなさい、お母様」
少女は丁寧にお辞儀をする。
どう接するのが正解なのかはわからないが、人間では無い『お母さん』に聞いた通りにしているので失礼はないだろう。
頭を下げる少女の姿を見ても、実の母親は何も言わない。
ただ横を素通りしていくだけだ。
少女はそれが嬉しかった。
ごく自然なやり取りだからこそ、自分は怒られることもなければ、褒められることもないのだと思ったのだ。
やがて母親は、こちらを見ることなく話しかけてきた。
「勉強はしていますか?」
少女は待ち侘びていた瞬間に歓喜する。
実の両親とどんな会話をするのか、どんな返事をするのか、毎日寝床で考えるのはそんなことばかりだった。
それが少女にとっての、楽しい想像だったのだ。
日頃のシミュレーションのおかげか、母親の質問につっかえることなく答えることができる。
「はいお母様、毎日スケジュール通りに勉強しています」
「ならいいわ。あなたは必要な知識を身に着け、上級国民になるのです。そうすれば人工脳もつけられますし、人の上に立って安泰な人生を送ることもできます。知識を分け与えるのは知識人の義務です。憶えておきなさい」
「はいお母様、一生懸命に頑張ります」
それだけを交わし、母親は部屋の奥に向かった。
何も言わなければ、次の会話は一カ月後か、二か月後だろう。
少女はそれが嫌だと感じた。もう少し話をしたいと思った。
だから、何度も寝床で想像したやり取りを思い出して声を掛ける。
「お母様、あの、次はいつ――――」
「そうそう、今月分のお小遣いを振り込んでおきました。ルールの範囲で好きに使って下さい」
「……わかりました、ありがとうございます」
結局尋ねることができないまま、自動ドアの閉まる音と共に母親の背中は消えた。
十分ほどドアの前で立ち尽くしてから、少女は自分の部屋に戻っていく。
その気持ちを『寂しい』と表現するとを知ったのは、もっと後のことだった。
少女は成長し、学校に通うようになった。
通うと言っても、実際に足を運ぶわけではない。
家の中から機械を通して登校する、バーチャルリアリティだ。
少女は周りと比べて勉強が得意だった。
自分よりできる生徒は数えるほどしかいなかった。
だけど、少女には上手くできないことがあった。
自分が上手くできていないと気づくのにすら時間が掛かり、気付いたところで、そればっかりはどうしたらいいのかわからなかった。
ある日、いつもの如く少女は『お母さん』に質問をした。
その質問は、少女の人生の中で最も重要な質問になった。
「ねぇお母さん、どうして私には『友達』ができないんですか?」
「わかりかねます。お嬢様の『友達』の定義について教えて下さい」
「私もわかりません、『友達』って何なんですか」
「人類基地連合の辞典データベースによれば、お互いのコミュニケーションがお互いの幸福に寄与していると感じ合える関係。その中でも、対等な目線を持ち、恋愛感情を抱いていない関係。と定義されています」
「そんな人どこにいるんですか?みんな違う人間で、誰も対等なんかじゃない。誰も私と同じじゃない。そんな人、いない」
「最も対等な関係を構築している存在はノーマンと思われます。ノーマンは地球の至る場所に存在する、ヒューマンとは異なる人類です」
「……ノーマン?ノーマンってどんな人なの?」
「ノーマンとは――――」
少女、『クリスティ・ラックバーン』がノーマン研究者になったのは、それから十年後のことだった。
*
コンパクトに足を畳まれた歩行戦車に、両腕両足がサイボーグの男が乗り込む。
唯一開かれていたハッチが閉じてしまえば、まるで巨大な箱だ。
土や瓦礫が無造作に被せられているおかげで、一見周囲の廃墟と見分けはつかない。
こんなことをするのも、全ては恐るべき『敵』の目を逃れる為だ。
「定時連絡はどうでしたか?」
「ブライズ班も監視が解けるまでは待機するそうだ」
機内で黒髪の青年ヴィンが尋ねれば、隊長のギルバが答える。
『ブライズ班』は救出作戦の陽動を手伝いに近くまで来てくれたもう一つの仲間の班だが、彼らも監視から隠れる為に歩行戦車を動かせなくなってしまった。
全ては隊長であるギルバがいない間に、自分達が行った行動の結果だ。
「僕達が我が儘を言ったばっかりに足止めを食ってしまい、ごめんなさい」
「全く以てその通りだが、起っちまったもんは仕方ない。これからやれることを考えろ」
「はい」
「それで、奴については何かわかったか?」
『奴』というのはギルバが遭遇した化け物のことだ。
二メートルほどの人型をしており、肌は硬くて黒い。
言葉を話せる知性があり、恐るべき怪力に、高度な不可視化能力までもっているらしい。
情報と対策は生存率に直結するので、ヴィンもレオもスヴェンも、持っているだけのデータから必死に調べていた。
しかし、未だに同一と思えるものは見つけていない。
ギルバの質問に対し、三人は難しい表情で首を横に振るしかなかった。
「……そうか、なら一先ずは俺らの知る範囲の知識で対策を立てるしかないか。面倒な奴が出てきたもんだ」
「状況的に、ノーマン側の兵隊なのはほぼ確実なんすけどねぇ」
「見えない相手にどう立ち回ればいいんだ?粉でもかけるか?」
「とりあえず、部分的でも一致する情報のリストは作っておきました」
「ご苦労、女の様子はどうだ?」
ギルバの目線の先には、寝袋の上に横たわっている女性の姿がある。
彼女はクリスティ・ラックバーンという、人類基地連合に所属するノーマン研究者だ。
ここへ来る道中で気絶してしまい、生きてはいるようだが目を覚ましていない。
「どうしますか?揺すった程度じゃ起きなくて」
「乳首つねるのはアレだし、こちょこちょでもしてみるか」
「鼻に水を流し込むのはどうっすか!絶対起きるっす!」
「フン、そんな面倒なことしてられるか」
三人の言葉を跳ね除け、ギルバは彼女の脇腹を蹴り上げた。
ゴロゴロと狭い機内を転がり、壁にぶつかる。
「ぐヒィっ!」
「起きやがれ、いつまで寝てんだ!」
やり方が乱暴でレオやヴィンは引くが、効果はあったようだ。
クリスティは呻き声を上げ、小さな目を見開く。
「……はっ、N-BOXは!ノーマンの生体はどうなったんですか!」
真っ先に心配する辺り、彼女にとっては本当に重要なものだったのだろう。
必死な声には鬼気迫るものがあった。
しかし残念ながら、その目的を達成するのは不可能だと、ギルバ達は知っている。
「諦めろ、ノーマン共はこの近辺を暫く監視するつもりだ」
外の状況は悪化してしまった。
初めに三体だったプテポリプスの数は、現在では十体にまで膨れ上がっている。
ポリプの数に至っては千体近くいると予想される。
この監視下で警戒区域から棺桶大の物体を運び出せる者など、ここにはいない。
身を隠すだけで精一杯だ。
「そ、そんな!あの箱の酸素ボンベは十時間程度しか持ちません!それ以内に運び出さないと、生体が死んでしまいます!」
「その生体が死体になるまで釘付けにするのが奴らの目的なんだろうよ。諦めて次の計画でも立てろ」
「次の、計画なんて……」
クリスティは絶望に表情を固め、肩を落とした。
いたたまれない空気に気を使い、レオが水筒を持ってやってくる。
「とりあえず飲めよ。何も飲んでないんだろ?」
「毒ですか、別にいいですよ、飲んでやりますよ」
「穿ちすぎだろ、ただの濾過した水だよ」
「なんだ、つまらないですね」
クリスティは水筒をもぎ取り、一息に飲み込む。
大きくげっぷをしてから、カランコロンと投げやりに落とされた音が響いた。
「何はともあれ、クリスティさんが無事でよかったです」
横から話しかけたヴィンの声に、クリスティはハッとしたように振り向いた。
「……もしかしてあなた、ドローン越しに話してた人ですか?」
「あ、そうですよ。僕はヴィンっていいます。クリスティさんが自殺しようとしていた時はどうなるかと思いました」
彼女は何を言うまいか口をもごもごとさせたが、やがて目を逸らして溜息をついた。
「命があったって意味ないですよ。何もかも失敗したんですから」
「命があるだけいいじゃないですか、死んだら終わりですよ」
「あなたみたいな子供にはわからないでしょうね、大失敗の後は生きていたって仕方がないんですよ」
そうは思わなかったが、彼女の境遇を知るわけでは無い。
何も言えずにいると、クリスティは呟いた。
「なんで私を助けたんですか」
「あなたがノーマンと戦っていたからですよ」
「戦っていません、捕獲しようとしただけです」
どうにも捻くれた人だなとヴィンやレオは思ったが、それを口に出すことは無い。
彼女が置かれていた状況を考えれば、精神的に余裕が無くなっていても仕方がないからだ。
ヴィンはなるべく優しく、不安を抱かせないよう声を掛けた。
「そんな計画を実行できる人というだけでも、僕たちには動く価値がありました」
「はっ、なら見たでしょう、大敗北です。私は能無しです、何の価値もありません」
「ありますよ。クリスティさんはノーマン研究者なんですよね」
「ええ、基地連合に戻れば解体されるであろう研究チームの研究者ですよ。凄いでしょう」
「凄いことだと思います、僕達のコロニーにあなたのようなことをしている人はいません」
「はっ、なら私が何の取り柄もない人間だったとしたら、あなた達はどうしたんですか?」
ヴィンには答え辛い質問だった。
もちろん助けられるのなら助けたいと思うだろう。
しかし正直なところ、彼女が自分たちにとって何の価値もない他人であれば、あそこまで身体を張ることはできなかったのも事実だ。
何故なら自分達には力がない。
損得勘定で動かなければ、自分自身すら守ることが出来ないほどに余裕のない存在だ。
それを悪だとは思わないが、偽善だと言われれば返す言葉は無かった。
沈黙の意味を察したのか、クリスティは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「フン、当たり前のことですよね、人間なんてそんなもんです」
「……でもクリスティさんは、特別な人です」
何が面白かったのか、彼女は包帯で固定された左手を眺めながら自嘲気味に笑った。
彼女の人生を何一つとして知らない。
そんな彼女に、自分達は縋るしかない。
「お話しを聞かせては貰えませんか?僕達は知りたいんです、ノーマンのことを」
「……知識を分け与えるのは知識人の義務、ってやつですか」
クリスティは歩行戦車の無骨な壁に寄りかかって宙空を眺める。
どこか遠いところを見つめながら、独り言のように呟いた。
それが何を思い出しての言葉なのかは分からなかったが、レオとヴィンは胸に響くものがあった。
クリスティはゆるりと顔を向け、諦観の眼差しで口を開く。
「いいですよ。何を聞きたいんですか?」
*
外の監視が解除されたのは、それから五日後のことだ。
幸か不幸か、ギルバが隠した最後のN-BOXはノーマンに見つかっていなかった。
その為、『ギルバ班』と『ブライズ班』は、合流してN-BOXの回収に向かった。
箱の中にはノーマンの腐乱死体が入っており、漏れた大便や小便も相まって酷い臭いを撒き散らしていたという。
実際に回収されたのは、汚れまみれの『箱』と、腐乱死体の『頭』だけだった。
『身体』は使い道が乏しい上に、邪魔になるということでその場に棄てられたようだ。
「ガキ共、仕事だ。この汚い箱を綺麗にしろ。それが終わったら積み込んで出発する」
目の前に運ばれた箱は、話に聞いていた通り真っ黒の棺桶のようだった。
開けられた蓋の中は地獄絵図と表現するほかない。
興味本位でガスマスクを外したレオとニマが顔を顰める。
「ここにノーマンの死体が入ってたのか……うげぇ、マジでひでぇ臭いだな」
「うんちより臭いのですっ!うんちより臭いのですっ!」
「うんちうんち言うな、そして俺を叩くな」
「うんちうんちうんちうんち!」
テレサとヴィンは清掃用具を取り出しながら話をしていた。
「みんな無事でよかったけど、凄く心配したんだからね?」
「うん、ごめん。テレサ達も無事でよかったよ」
「もう危ないことしないで。あの変な博士よりヴィンとレオの命の方が大事なんだからっ」
「う、うん、気をつけるよ」
箱の内部は爪で引っ掻いたような傷が無数にあり、排泄物の他にも血痕が至る所に残っていた。
中に閉じ込められていたノーマンはさぞかし苦しんだのだろう。
「……そういえば博士が言ってたな、孤立したノーマンは人間と大差なくなるって」
「そうらしいね。この中に閉じ込められたら、思念波を遮断されるらしいし」
それはつまり、誰とも意識を共有できないということ。
自分達と同じで、自分には自分の意識しかないということだ。
ノーマンが一人の時に何を考えているのかなんてわからないが、死にたくないと思ったからこそ爪の跡があったのだろう。
その事実に思い至り、レオの心は少しばかり締め付けられた。
「怖かったのかな、こいつは」
「仕方ないよ、ここにいたのはノーマンなんだから」
人間がノーマンを苦しめずとも、ノーマンが人間を苦しめる。
ならばヴィンの言う通り、仕方がない。
ノーマンは自分達の、そして人類の敵なのだから。
「何の話ですかっ!ニマちゃんにもわかりやすく説明するのですっ!」
「例の博士の話?私も聞きたーい」
ニマとテレサが興味津々に詰め寄ってくる。
彼女達に伝えるべきかどうか、二人は悩んだ。
この五日間でクリスティ博士から聞いた様々な話は、どれも衝撃的なものだったからだ。
初めてアメリアと出会い、真実を聞いた時のようだった。
思えばあの時も、テレサに真実を伝えるかどうかで悩んだものだ。
「ヴィン、隠し事はなしにしよう」
「わかってるよ、どの道知ることになるだろうしね」
「うほほ!洗いざらい吐くのですっ!ニマちゃんが聞いといてやるのですっ!」
「わくわく」
家族に隠し事はしたくない。
四人で箱の掃除をしながら、この五日間で起きたことを伝え合った。
*
衝撃的だった話はいくつもある。
その中でも特に衝撃だったのが、ノーマンの強大さについてだった。
自分達は彼らを見誤っていたのだ。
「……つまり、ノーマンに勝つ方法は無いということでしょうか?」
息を呑んでヴィンが質問すれば、クリスティは台本でもあるかのように即答する。
「勝つの定義次第でしょうが、ノーマンを絶滅させるという意味ならできると思ってる方が狂人ですよ。あなた宇宙って知ってます?」
「僕達のいる地球の外側に、無限に広がっている空間のことですか?……未だに信じ難い話ですが」
「別に無限でもないですが、それは置いておくとして。その広大な宇宙に、ノーマンは既に進出しています」
「宇宙に、進出……!?」
あっさりと告げられた途方も無い話に、眩暈を覚えずにはいられない。
「あなたが本当の意味でノーマンを絶滅させる気なら、彼らの繁殖力以上のペースで宇宙中を探し回って消し去る必要がありますね。それができるなら可能だと思いますよ」
「そ、そんなの……」
薄々気づいてはいたのかもしれない。
衛星兵器なんてものを使っている時点で、宇宙に関わるだけの科学力があるのは間違いなかった。
であれば、広大な宇宙に旅立ち生き残る術があってもおかしくはない。
ただ自分達は心のどこかで、地球上にいる全てのノーマンを殺せば終わりだと、そんな風に思っていた。
そう思わなければ、立ち向かう心が折れるとわかっていたのだろう。
「……できないって、ことじゃないですか」
「俺達は空すら飛べないのに、宇宙なんてどうしろってんだ……」
「それが現実です」
強大過ぎるノーマンの話に、ショックを受けて項垂れる二人。
その後ろから、隊長であるギルバの声が飛ぶ。
彼だけは動揺することなく、冷静に次の質問を投げかけていた。
レオとヴィンは肩を落としながらも、彼らの会話を静聴する。
「なら、どうすればノーマンの支配から抜け出せるんだ?」
「支配とは何を示すのか、抜け出したい人数や期間、そういったことを具体的に言ってくれなければ示しようがありません」
「百名規模のコロニーが百年間、ノーマンやプテポリプスからの干渉を恐れずに生きていく方法はあるのか」
「それぐらいなら、人類基地連合に移住すればいいんじゃないんですか?一介のコロニーごときが市民IDを得るのは大変でしょうけど、不干渉区域の内側で生活できれば人類基地連合が滅びる日まで安泰ですよ。きっと」
「……人類基地連合、やはりそうなるか」
支配から逃れる方法がある、という事実に安堵する一方、不安も感じた。
人類基地連合なる場所について、ずっと疑問に思っていたことがあるからだ。
先ほどのショックを引きずりながらも、最初に尋ねたのはレオだった。
「人類基地連合には数百万人もの人間が住んでるって聞いたけど、どうして無事でいられるんだ?襲われたりしないのか?」
「……あ、それは僕も不思議に思ってた。不可侵条約が結ばれてるからってお姉さんは説明してくれたけど、ノーマンがそれを守る理由がずっとわからなかった」
「うわぁ、コロニーの連中はそんなことすら知らないんですね。上級国民の間じゃ公然の秘密みたいなものなんですが」
逃げて隠れるくらいしかできない自分達とは違い、人類基地連合の人々は地上に住んで堂々と生きながらえているという。
クリスティはその理由を、さも面白い話であるかのような口ぶりで言った。
「――――爆弾ですよ」
「……爆弾?」
すぐに理解はできなかった。
爆弾が何なのかは知っている、だがそれが話とどう結びつくかはわからない。
ただ、これも先程のように驚愕に値する話なのだろうということは直感した。
「ええ、どえらい爆弾です。惑星爆弾とか言われてますけど、要はこの地球を破壊する威力があるって言われている爆弾です。それを持ってるから、人類基地連合は攻撃を受けないんです」
レオとヴィンはかつて村で見せられた映像を思い出した。
この世の全てを破壊する力。
人が持つにはあまりにも恐ろしい力、核爆弾、中性子爆弾、反物質爆弾。
――――そして、惑星爆弾。
だがわからない。
いや、わかってはいけない気がした。
どうしてそれがあると、ノーマンは襲ってこないのか。
嫌な予感を覚える二人に対し、クリスティ博士は邪悪に口角を吊り上げて答えを聞かせる。
「簡単な話でしょう。『これ以上人類を脅かすなら爆発させる』って、偉い人たちが脅しているんです。ノーマンも地球ごと吹き飛ばされるのは損失が大きいから、妥協点として手を出さない区域を作ったんです。その区域中にあるのが『人類基地連合』。んで、その境界線に集まって勝手に商売してるのが『中立都市』。さらにその外側で勝手に生きてるのが、あなた達『コロニー』です。ちなみにノーマンは地球のほぼ全土を『地球国』として宣言していて、あなた達コロニーは『地球国』の領土に不法滞在する犯罪者。というのが彼らの言い分です」
静寂が場を支配した。
レオは一分ほど経って、ようやく自分の口が開きっぱなしになっていたことに気づく。
与えられた情報を、どう飲み込めばいいのかわからなかった。
頭が真っ白になって何も言えない。
先にそれを乗り越えたのは、ヴィンだったようだ。
「そ、そ、それって、人類基地連合の人々が生き延びている理由は、“地球全体を人質にとっているから”ってこと、なん、ですか?」
「そういうことですね。もちろん基地連合だって容易くは起爆できませんから、ノーマンもじりじりと追い詰めに来るわけですよ。最近コロニーを乗っ取ってるっていうのも、間接的な攻撃の一つなんじゃないんですか?私はノーマンじゃないので彼らの真意なんて知りませんけどね」
「……もしかしたら、ある日急に世界が滅ぶかもしれない、ってことなんですか?」
「何かあればそうなるでしょうね。平和なんてそんなもんですよ。それを踏まえた上で考えれば、不干渉区域内の人類基地連合に移住するのが一番安全に生きられるって話になる訳です。その安全が百年後も続いているのか、今日突然終わるのかは神とノーマンと基地管理者のみぞ知るってところでしょうけどね。アッハッハ、『知識人の義務』なんで知識を分け与えてあげましたよ、感謝して下さい」
知らない方がいいことを教えた愉悦感か、クリスティ博士は意地の悪い声で笑う。
今や神を信じない二人からしても、彼女の姿は悪魔に見えた。
*
「……最悪なのです」
「聞かなきゃよかった」
話を聞いた二人の仲間、ニマとテレサは蒼ざめている。
彼女達の反応は痛いほどわかる。
レオとヴィンも、初めて聞いた時は開いた口が塞がらなかったものだ。
それでも、真実を告げたことに後悔はしていない。
「はは……、ショックな話だよね」
「ではこれからどうするのですか!皆で人類基地連邦とやらに引っ越すのですかっ?!」
「それも聞いたけど、すぐにできるようなものでもないらしいよ。お金も時間も凄く必要なんだって。あと連邦じゃなくて連合だよ」
「細かいのですっ!粛清ビームッ!」
ヴィンの頭にニマのチョップが炸裂する。
「はぁ、私達これからどうすればいいの?」
「今は当初の予定通り任務をこなすしかないんじゃねぇか。あとは世界が滅ばないことを祈りつつ、ミストゾーンの皆で人類基地連合に行けるような方法を探すしかねぇよ」
「……めんどくさい話だなぁ。おうちでごろごろしてたいよ」
「気持ちは痛いほどわかるけど、頑張ろうぜ、テレサ」
一通り話し終わる頃には、信じられないほど汚かった箱もすっかり綺麗になっていた。
今やガスマスクを外しても、強烈なまでの悪臭は漂ってこない。
「箱の掃除、終わりました」
「よし、積み込め。出発するぞ」
ヴィンがギルバに報告をすると、スヴェンやエルヴィス達が出てきて箱を運んでいった。
彼らの作業眺めながら、テレサが腐ったように言う。
「突然終わるかもしれない世界で生きるなんて、馬鹿みたい」
彼女の言葉には同意するが、レオはギルバが言っていた言葉を思い出した。
隊長である彼の性格には疑問を呈したい部分が幾らかあるが、それでも尊敬に値する人物だと感じる時も多い。
先日の彼の言葉がまさにそうであった。
『くだらん。世界がいつ終わるかで頭を悩ませるのは馬鹿のすることだ。未来は続くものと考え、行動しろ』
『隊長は怖くないのかよ!どれだけ頑張ったって、明日には死んでるかもしれないんだぞ!』
『そんなのは人生の基本だろうが、今さら何を抜かしてんだ』
あの彼の言葉が無ければ、今でも危うい世界の均衡に震えていたかもしれない。
もちろん絶望的な状況に変わりはないし、恐ろしさも感じてはいるのだが、今なら少しは飲み込んで前を向ける気がしている。
だからこそ、自分が勇気づけられた言葉を彼女にも伝えたかった。
「隊長は滅茶苦茶だけど迷いが無いっていうか……まあ、その言葉で俺はいくらか楽になったんだよ」
「ふーん、そう」
テレサにはあまり響かなかったようだ。
レオは他人と共感するというのは一筋縄ではいないと思い知る。
気恥ずかしい気持ちになり逃げ道を探していると、良いタイミングで歩行戦車の中から声が飛んできた。
出発の時間になったようだ。
「じゃ、じゃあ別々の班だし、また後でな、テレサ」
「あ、うん。気をつけてねレオ。もう無茶なことしたら駄目だからね!」
「お、おうよ!テレサもな!」
「背後からレオちんバイバイまたねキーック!」
「グハッ!」
歩行戦車に乗り込み、久々に本領発揮の駆動音が鳴り響く。
操縦席からは「いくぜアラネアちゅわぁぁぁん」という奇声が聞こえるが、今では気にならくなった。
隊長であるギルバが機内の中央で声を上げる。
「予定より遅れちまったが、これより中立都市に向かうッ!ブライズ班とは少し距離をとって進めッ!レオ、ヴィン、外の監視をしろッ!」
「「はい!」」
「おい、起きろクリスティ!お前には聞きたいことはまだまだあるぞ!」
「ギャン!何で蹴るんですか!この野蛮人!」
偵察ドローンと連携したゴーグルを装着し、歩行戦車は動き出す。
もう一機の歩行戦車が青い光を点滅させているのを見ながら、レオは共に監視をしているヴィンに向かって話しかけた。
「知り合いのコロニーに危機を知らせるって仕事は終わったけど、これでコロニー全体が救われたことになんのかな」
「救われた瞬間なんてそうそうわかるもんじゃないよ。でもやれることはやった」
「……そうだな、あとは信じて待つしかないか」
「目の前の仕事を終わらせよう。僕達は地上調査隊として、コロニーで待ってる皆に物資を届けないといけないんだから」
静かになった廃都市の道路を、歩行戦車は走り抜けていく。
目指すは中立都市。
コロニーと人類基地連合を繋ぐ、境界線の街だ。




