【第22話】『意志と屍』
『だ、誰ですか!』
「僕達はミストゾーンというコロニーの地上部隊です。あなたこそ何者ですか?」
『はっ、ミストゾーン?聞いたこともありませんね!どうせ私を騙す為の嘘なんでしょう?!信用できません!』
光の柱を見たレオ達は調査を行い、この女性へと辿り着いた。
彼女が何者なのかは定かではないが、重要な情報を知っていると予想される。
しかし、彼女は追い詰められているようで、精神的に不安定な状況だった。
「今は信用して頂けないかもしれませんが、僕達は人間です。あなたも同じ人間であるなら、味方として助けたいと思っているんです」
『ならとっとと助けなさいよっ!すぐそこに敵が来てるんですよ!』
「できる限りの援護をします。まずは落ち着いて状況を教えて下さい」
『見えない化け物がいるんです!ああ、もう駄目だ、やっぱり死にますさようなら!』
「待って下さい!僕達が気を引きます、どうか諦めないで!」
ヴィンはドローンを前進させ、死に急ぐ彼女の頭に体当たりをして止めた。
状況を把握しきれていないが、何やら『見えない敵』が迫ってきているという。
事実であれば、彼女を助ける猶予は少なさそうだ。
「レオ!何とかできる?!」
「わかんねぇけど、やってみる!」
見えない敵の気を引く為に、レオはドローンを女性のいる位置から離れた場所へ移動させた。
そして、自爆ボタンを押す。
後方で爆発音が鳴り響き、その隙を突いてヴィンが動いた。
何故かスヴェンが悲鳴を上げたが、理由は定かではない。
「女性の方、僕が指示しますからその通りに走って下さい!地下へ避難できるよう案内します!スヴェンさんは有効なルートの割り出しをお願いします!」
『それなら早くして!早く助けて!』
「この女……!自爆に見合う価値がなきゃ許さないっすよ……!」
地図は自分達で調査したり、既に調査されたものを買い取ったりして入手できるが、データが古ければ実際には通れなくなっていたりもする。
その為、ヴィンはマップ通りに案内する係をし、スヴェンは通れなかった場合の別ルートを探し出す係をした。
レオは新たなドローンを放出して、見えざる敵の注意を引く係を担当する。
「そこを右に曲がると古い地下街に繋がる道がある筈です」
『はぁ、はぁ、あった……!あったけど、崩れてて通れそうにないですよっ。ああ、終わった。終わりましたよ、ええ、死にます』
「ヴィンくん、こっちに通れる道があるっす!ちょっと足元は悪いけど」
「道を見つけました。もう一度外に出て右に曲がり、百五十メートル先の階段を下りてください」
『あいつが、あいつが来ちゃう、ここで死ぬんだ、私はもう終わりだぁ、ああ、ああああ』
絶望しながらも女性は走った。
ヴィンは彼女を観察し、何者なのかの仮説を組み立てていく。
態度は傲慢、体格は小柄、運動慣れしているようには見えず、服装は戦闘に向かない。
衛星砲で火の海になった現場の近くにおり、見えない敵に気づいた上で逃げ延びていた。
情報を統合すると、一つの像が浮かび上がってくる。
「あの女性、僕の予想ではノーマンの研究者だと思うんです。それも結構偉い立場の」
「だとしたら凄いけど……そんな人が何してんすかねぇ」
「どっちにしろ見捨てるわけにはいかねぇだろ。絶対に逃がして、後で全部聞き出すぞ」
夜闇の中を人と機械が駆け抜ける。
ドローンが先導しているといっても、足元は全く覚束なかった。
女性は何度も転び、その度に泣き言を漏らしながら逃げ続けた。
「地下に入ったらライトを最大にしますから、それまでは足元に気をつけて進んでください」
『はぁ、はぁ、なんで私がこんな目に、はぁ、はぁ、あわないといけないのよ』
レオの陽動、ヴィンの案内、スヴェンの偵察、そして女性の懸命な運動が功を奏したのか、遂に地下街への入り口を見つける。
「周囲に警戒しつつ降りてください。そこであればノーマンの手は及びにくいはずです」
『ぜぇ、ぜぇ、そりゃあ、あなた、思念波の強度は落ちますけどね、地下には地下で変異生物や、偵察ロボットが徘徊してたりするんですよ、ぜぇ、はぁ』
女性は文句を垂れながらも地下へと降りていく。
見えざる敵は一先ず撒けたようだが、地下に潜ったことで新たな問題が発覚した。
『次は……に行け……ですか』
「もしもし?感度が悪くて聞き取りづらいです。身を隠せそうな場所はありますか?」
『え?!……って言って……ですか?!』
「身を隠せそうな場所はありますか?繰り返します、身を隠せそうな場所はありますか?」
音声だけでなく、映像や操作にもノイズが入り始める。
地下に入ったことで、電波が届きにくくなっているのだ。
このままでは彼女との連絡が取れなくなるだろう。
「どうするっすかヴィンくん!」
「女性の方、身を隠せそうな場所に立て籠もって下さい。後ほど救助に向かいます。繰り返します、身を隠せそうな場所に立て籠もって下さい」
『どこ……立て籠も……って言う……ですか!水も食料も私は……いんですよ!どれだけ待てば良い……すか!』
「ドローンさえ抱えていてくれれば後から見つけ出せます!ライトはつけておきますから、とにかく安全な場所で身を隠してください!」
『無……で……よぉ、ローラー作戦……対に見つかっちゃ……すぅ』
「希望を捨てないで下さい!必ず助けに行きます!」
『……う、駄目……あぁぁ』
通信は途切れ途切れだ。
彼女がもう少し地下へ行ってしまえば、連絡は取れなくなるだろう。
「ヴィン、俺達が近づけば感度も戻るんじゃないのか?」
「そうだけど、あの近辺は凄く警戒されていると思う。今出るのは危険すぎるよ」
「ほとぼりが冷めてから助け出すのはどうだい?バッテリーは十分あったし、座標もわかってるっすよ」
「長期戦は……あまりやりたくないですね。僕達はまだしも、彼女は水や食料を確保できない可能性があります。そうなると、三日生きられるかどうか」
「ドローンに括りつけて届けりゃいいんじゃねぇのか?一人分ぐらいなら、まあまあの量を載せれるだろ?」
「……なるほど!流石だよレオ、それで行こう」
「あぁ~……それもちょっち厳しいかも。とんでもない奴がお出まししたっす」
スヴェンが冷や汗をかきながら精神緩和剤の入った瓶を差し出してきた。
彼の見たものを確認し、レオやヴィンも固唾を呑む
巨大な支配者の輪郭が、夜空の向こうから迫って来ていたのだ。
「やばい、プテポリプスだ!急げヴィン!」
「数は何体ですか?!位置は?!」
「現時点で三体!位置は、例の女のいる地点を囲み込もうとしてるみたいっす!」
確認をするのも束の間、一斉にサイコウェーブが放たれる。
本能に訴えかける不快な旋律が心を抉ってきた。
すぐに薬を飲んだことと、自分達は距離が離れていたこと、そして歩行戦車の装甲に守られていたことも重なって、こちらへの影響は軽微で済んだ。
しかし、あの女の人に回避する術はあったのだろうか。
「まずいぞ!早く助けに行かねぇと、連れ去られちまう……!」
「女性の方!大丈夫ですか!?動けますか?!」
『……で……は……しょ……』
「聞こえますか?!応答してください!」
『………………』
遂に画面は消え、一切の通信が届かなくなってしまう。
「おいヴィン、どうする」
「……ノイズだらけで断言はできないけど、走るような音は入ってた。彼女が対抗手段を持っていて、急いで地下に駆け込んだんだ可能性を信じるしかないよ」
「希望的観測っすね」
三人が神妙な面持ちで悩んでいると、レオのドローンが新たな展開を映し出した。
「そりゃ、そう来るよな。クソッ」
空にはあの日とよく似た光景が広がっていた。
天を舞う巨大なプテポリプスから、小型の機械生物であるポリプが、パラパラと落ちていく。
三百体はいるであろう小さな天使達は、朽ち果てた文明の隙間に潜り込み、落し物を探し始めた。
その中の幾つかが、こちらの『目』に気づいてしまう。
「あ!」
画面に閃光が迸り、強いノイズを走らせてから信号が焼失した。
レーザーか何かで撃ち落とされてしまったようだ。
スヴェンが涙声交じりに絶叫する。
「ああっ!アエロちゃんとオキュペテちゃんまでっ!」
「偵察が難しくなっちまったな」
「というか、ドローンにまで名前つけてたんですか……」
レオが新しい偵察ドローンを放出し、遠目から現地の様子を観察する。
「凄い量だな、下手したらこっちまで来るぞ」
「僕達も身を隠した方がいいかもしれないですね。逃走できそうなルートも調べておかないと」
「ううっ、ケライノちゃん……アエロちゃん……オキュペテちゃん……」
絶望にうずくまっているスヴェンの後頭部を、レオがはたく。
「起きろスヴェンさん!ドローンはまた買えばいいだろ!」
「とにかく今は身を隠しましょう!スヴェンさんの力が必要なんです!」
「き、君達には!機械を想う心というものがないのかっ!」
三人は歩行戦車を廃墟の奥に押し込んだ。
どの程度有効なのかはわからないが、瓦礫や土を被せて目立たなくもした。
時刻は気づけば深夜を回っている。
「嫌な長期戦になっちまったな……」
「あの中に物資を届けるのは困難だね。三日以内にいなくなってくれたらいいけど」
「大将が戻ってくるまで待機するっすよ……、俺っちは犠牲になった彼女達に黙祷を捧げるっす……」
涙を流しながら手を合わせるスヴェンに若干引きながらも、三人は機内で静かに過ごした。
それから三時間後、センサーが一人の人間を感知する。
サイボーグの腕と足を持つ、地上調査隊の隊長、『ギルバ・ミスト・ダグラス』が帰還したようだ。
「おいおい、随分賑やかなことになってんじゃねぇか」
*
彼は相変わらずの猛獣顔で、機内に腰を下ろした。
どうやら他のコロニーに危機を喧伝するという任務は無事に終わったようだ。
「どでかいクソ共が浮いてるせいで、帰るのに手間取っちまったじゃねぇか。こりゃどういう状況だ?説明しろ」
レオやヴィンは光の柱が落ちたことを始め、今までに調べたことや起きたことを説明した。
ノーマン研究者だと思われる謎の女性を、助けるべきだと論理的に語る。
ギルバは相槌も何もせず、ただ話を聞いていた。
「そういう訳なんですが、隊長はどう考えますか?」
「ハァ、クソが……」
聞き届けたギルバは溜息をつき、隣にいたスヴェンを引っ叩く。
自分に暴力が及ぶなど思ってもみなかったスヴェンは、呆気にとられて情けない声を上げた。
「痛い!え?!なんすか大将!?」
「お前の監督不行き届きだぞスヴェン」
ギルバは冷静ではあるが、態度の奥には静かな怒りが燻っている様だった。
「お前ら何か勘違いしてないか?クソの役にも立たない使命感で役割を履き違えやがって」
「……そりゃ、どういう意味だよっ!」
レオが食って掛かろうとしたところを、ヴィンが後ろから引っ張って止めた。
「俺たちの仕事はコロニーに必需品を届けることと、近所に情報を共有することだ。素知らぬノーマン研究者とやらを助けるのが仕事じゃねぇ」
「ですが、助ければミストゾーンにも大きなメリットがあるかもしれません」
「なかったらどうする。何もない上に俺たちがくたばっちまったら、お前はどう責任を取れるんだ?ヴィン」
「それは、その……」
「お前らの行動はミストゾーンを危険に晒している。実際こうなる前に離脱するべきだったが、もう手遅れだ。この監視の中で、歩行戦車を引きずって逃げるのは危険がでか過ぎる。やむを得ないが長期戦で耐えるしかない。全く、クソみてぇな状況を作りやがって。反省しろ」
「……リスクを負う価値は無い、ということでしょうか?」
「そうだ、謎の女がノーマン研究者だって話も、助けられるかどうかって話も、助けた後に見返りがあるかどうかって話も、何もかもお前らの妄想だ。確実性の無いことにリスクは犯せない。当たり前だろ」
「うっ……」
ヴィンが言葉に詰まる。
彼の意見にも一理あり、それを否定できるだけの材料を自分は持っていないと気づいたからだ。
「女は助けない。俺達は身を隠し、安全を確保してから脱出する。いいな?」
「わかったっす、大将」
「……はい」
スヴェンは了解し、ヴィンも仕方なく頷いた。
しかし、レオはうつむいたまま返事をしなかった。
「どうしたレオ、返事をしろ」
「……嫌だ」
「あ?」
ぼそりと零れた否定の言葉に、ギルバの顔が変わった。
猛獣の顔に、冷たく悍ましいものが流れ込んでくる。
それでもレオは顔を上げ、恐ろしい表情に睨み返した。
「返事はしないッ!隊長は間違っている!」
「ほう、口答えする気か」
「レオ、やめようよ」
ヴィンの言葉を振り切り、レオは一歩前へ出る。
拳一つ分目線の高いギルバに、負けじと胸を張って語る。
「敵を知ろうともせずに、敵に勝とうともせずに、いつまでも逃げ続けろっていうのかよ!それが正解だって言うのかよ!」
「正解だ。そんなことも学べなかったのかお前は」
「そんなのは正解じゃねぇ!そうやって逃げ続けた先に、未来があるとは思えねぇ!」
目にも止まらぬ速さでギルバの手が飛んでくる。
レオは胸倉を掴まれ、衝撃で苦しそうな声を上げた。
「あまり馬鹿なことを言って、俺を怒らせない方がいいぞ」
「あんたは、それで、いいのかよっ」
片手で身体が宙に浮く。それでもレオは降参しなかった。
サイボーグの手に爪を立てながら、苦しそうに声を上げた。
「そんな、やり方でッ、俺達は笑って、死ねるのかよ!」
「……なんだと?」
レオの言葉に、ギルバの動きが止まる。
「何も知ろうとせず、戦いを避け続けて、それで安心して暮らせるのかよ!笑って死ねるのかよ!逃げ続けた先に、空を気にせず歩ける未来が来るのかよッ!」
「……そんなものは来ない。俺達はとっくに負けたんだ。お前の『理想の未来』なんてものはどこにもない」
「勝手に決めるんじゃねぇ!」
レオは重心を急激に動かし、足を引っかけてギルバを投げた。散々ニマから教わった体術だ。
狭い歩行戦車の壁に、大人の身体がぶつかる。
ギルバは突然のことに目を丸くしていた。
スヴェンとヴィンも、レオの反撃に目を見張る。
「俺はヴィンと決めたんだ、出来る限りの足掻きをするって。例え途中でくたばることになっても、絶対に諦めねぇ!ミストゾーンの皆が、地上で昼寝できるような世界を作るッ!例えあんたが諦めても、やめろと命令してきても、それだけは譲らねぇ!」
「その結果、何もかも失ったらどうするつもりだ」
「じゃあ協力してくれよッ!あんた強いんだろ!」
レオの叫びは次第に、懇願へと変わっていった。
何をどう言ったところで結局、決定権を持つのは隊長だ。
その現実を理解しているからこそ、未だ力のない自分を悔やみながら訴えるしかないのだった。
「失敗したら俺はクビでも何でもいい、だけどこの機会は絶対に逃すべきじゃない。女の人を助けるだけだ、不可能なことじゃねぇ筈だろ。だから頼むよ、隊長」
「……ハァ、ったく」
サイボーグの男は座席に座り、うんざりした顔で頭を掻いた。
「馬鹿が、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。現実が見えてねぇから無謀な未来を夢見るんだ」
苛立たし気に足を揺らし、レオやヴィン、スヴェンに目線を移していく。
その度に眉間の皺を深め、足の揺れも早まった。
「レオだけじゃねぇ、ヴィンも内心では同じことを考えてやがる。スヴェンもガキの吠え事に心揺らしやがって。なんだその目は、キラキラさせてんじゃねぇぞ」
「た、大将、俺っちはべつに!」
「お前らだけじゃねぇ、ウチの連中はどいつもこいつも夢見がちのメルヘンばっかりだ。何人失っても気づかねぇ、だから奴隷を助けたり孤児を拾ったりアデス教徒を連れて帰ったりするんだ。今度はノーマン研究者の女か?笑わせるぜ」
ギルバは光の柱の落ちた方角を指さして言った。
「一度だけ試してやる。駄目なら俺達の脱出を優先だ、いいな?」
「じゃ、じゃあ!」
「ありがとうございます、隊長!」
「勘違いするな。その女に価値がありそうだから動くだけだ。俺らは正義の味方でも何でもねぇ。そのことを忘れるな」
「「はい!」」
かくして隊長の許可の下、謎の女性の救出作戦が始まった。
*
作戦はこうだ。
ヴィンはドローンを抱えて安全圏まで走り、仲間に定時連絡で自分達の状況を伝える。
レオとスヴェンは散開して敵の注意を引き、監視の数を分散させる。
その間にギルバが突入し、女を見つけて戻ってくる。
「僕は一番どんくさいんだ、気を引き締めて行かないと」
ヴィンが隠れながら進んでいく。
胸にはドローンが抱えられ、背中には機材が詰め込まれている。
結構な重量があるが、鍛えてきた彼にとっては何の問題もない。
幾度にも重ねたシミュレーション訓練を思い出し、確実に歩を進めていった。
別の地点では、レオやスヴェンも行動を開始していた。
敵の気を引きつけなければいけない上に、爆発物を背負っているので危険は大きい。
「うっかり花火になっちまわねぇように、気をつけねぇとな……」
何個もの時限爆弾を抱え、二人は夜の廃都市を走った。
敵の注意を逸らす為に行われる作戦はシンプルなものだ。
爆弾を設置して離脱し、時間経過で爆破する。
見え透いた陽動かもしれないが、敵も確認しないわけにはいかないだろう。
それを何か所にも仕掛けることで、中心部にいる敵の数を減らす算段だ。
「よし、できた。スヴェンさんより早く終わらせるぞ」
一つ目の爆弾を設置し、レオは再び走り出す。
幾許かの時が流れ、至る所から爆発音が鳴り響いた。
中心に集まっていた機械生物たちは、四方八方へと散開していく。
今ならば監視も手薄になっているだろう。
ギルバは荷物を背負い、立ち上がった。
「いい塩梅だな、行くか」
彼の人ならざる硬質な手足が躍動し、常人では到達しえない身体能力で駆けだす。
塀を飛び越え、壁を蹴り、階段を一息に飛び降り、跨ぎ、潜り、滑り込み、進んでいく。
その身のこなしを見るものは誰もいない。
あらゆる視線を瞬時に把握し、常に死角を維持し続けて移動する。
一体どれほどの訓練を積めばこのような神業ができるのか、他に見る者がいれば驚いたことだろう。
彼は難なく地下街への入り口に辿り着いた。
「ここから入ったのか、中でくたばってなきゃいいが」
真っ暗な階段を降り、ライトも点けずに通信の途絶えた地点に向かう。
彼がサイボーグ化しているのは、手足ばかりではなかった。
「やはり奥に行ったようだな、どこに隠れてやがる」
暗視機能を備えているサイボーグの眼球が、階段の終わりを映す。
その先は古代の地下街へ繋がっているようだったが、出入り口には何かが佇んでいた。
ギルバは音を立てず、光も出さず、顔だけ出して『それ』を確認する。
そこにいたのは人間では無かった。
白い体を持つ機械生物が、その場でじっと浮かんでいたのだ。
「ッチ、ポリプが封鎖してやがるのか。見つかれば厄介だな」
一体、二体を片づけるのは簡単だが、そうなれば敵に居場所を教えるようなものだ。
逃げ道の限られる地下街の中、大量に押し寄せてきたらどうしようもない。
ギルバは慎重に引き返し、現状を整理する。
「別のルートで行くか。奴がいるということは、女はまだ捕まってない筈だ」
踵を返し、他の入り口から地下街へと向かう。
しかし、どの出入口にも監視の目は留まっていた。
「丸ごと封鎖してやがるのか、流石に手が速いな」
ギルバは再度地図を確認し、目的地まで辿り着く方法がないか思案する。
他にも道はあるが、主要な部分は全て封鎖されているだろう。
地図にある道を見つからずに進むのは難しいかもしれない。
「ッチ、汚ねぇが仕方ねぇ」
ギルバは天井にある蓋をこじ開け、狭いダクトの中に潜り込んだ。
換気機能が停止している為、空気は停滞している。
埃っぽさを吸い込みながら、苔と虫で湿ったダクト内を進んで行った。
ダクト内を通ることで、ギルバは監視の目をすり抜けて地下街に侵入することができた。
そして進んでいくと、金網の下の通路に真新しい痕跡を発見する。
「あれは、血か」
ずぶ濡れになった者が歩いたかのように、床にはいくつもの赤い斑点が続いていた。
出血量から考えれば、この跡を残した主は相当な深手を負っている。
駆け付けたところで、助かる傷ではないだろう。
「無駄足だったか」
ギルバは天板を外し、下の通路に降りる。
血の主が探している女だとすれば、見つけたところで無意味だろう。
冷たくなっているか、運が良くても虫の息だ。
しかし確認しないことにはわからない。
跡を辿っていくと、血の臭いが次第に強まっていく。
気配を消して覗き込むと、奥には一人の男が倒れていた。
身体のあちこちに傷を負い、脇には黒い棺桶のような巨大な箱が転がっている。
「探していた女じゃないな。女の仲間か、或いはノーマンか。あの箱は何だ?」
彼は最後の力を振り絞ると、謎の箱を担いで立ち上がった。
それから一歩二歩と歩き、圧し潰されるように倒れた。
足が砕け、血と金属の骨が飛び出す。
もはや一歩も動けなくなった男は、悔し気に独り言を零すばかりだ。
「すま、ない、博士、俺はもう」
ギルバは少しばかり悩んだが、彼の前に姿を現すことにした。
「おいあんた、何をしている」
「だ、誰だ……」
男は震える手で銃を向けてくる。
しかし、ギルバは構うことなく彼に近づいた。
「俺は人間だ。お前も人間だろう?何があった、説明しろ」
「お願いだ、これを、博士の元まで届けてくれ……他の箱は、壊されてしまった……」
満身創痍の男は、震える手で隣にある大きな黒い箱を叩いた。
硬質な金属を叩くような音と、空洞音が同時に響く。
「なんだそれは、お前の棺桶か?」
「ノーマンを捕獲してある、箱だ……、博士に、届けてくれ……」
「おい待て、そこにノーマンが入ってるのか?なんてもんを入れてやがるんだ、奴らが押し寄せてくるぞ」
「大丈夫だ、ここに入れられたノーマンは、孤立する」
「なんだと?」
「頼む、クリスティ・ラックバーン博士に届けてくれ、私は、失敗してしまった」
「その博士とやらは何者だ?今どこにいる?」
「人類基地連合の、研究員だ……、今はもう、逃げた筈だ……」
「人類基地連合だと?!なるほど、そういうことか」
男は血の咳を吐いた。
目の焦点は合わず、意識も朦朧としているようだ。
持ってあと数分といったところだろう。
ギルバは目を細め、死に行く彼を痛ましげに見つめた。
「大体の事情はわかった。箱は余裕があれば届けてやる。期待はするな」
「ああ、頼む……。見えない、化け物に、気をつけろ……」
「お前、名前は」
「……フレッドだ」
「そうか、ゆっくり休め」
それ以上、彼から返事が返ってくることは無かった。
ギルバは一つ息をつき、腰を下ろす。
横にある黒い棺桶を見つめ、手を触れた。
「……悪いなフレッド、俺に大したことはできねぇ」




