【第20話】『愛に捧ぐ』
「失礼いたします」
絵画や美術品などがずらりと並んだ部屋に、無骨な旅装をした男が立ち入る。
男は緑色の髪に屈強な身体をしており、その姿から数々の修羅場を潜ってきたことは想像に難くなかった。
机を挟んだ向かい側には、もう一人別の男が立っていた。
背丈は先ほどの男とさほど変わらないが、醸し出す雰囲気は全く異質なものだ。
彼の立ち姿は優雅だが繊細であり、夕暮れの湖面に佇む鶴のような印象を与える。
嫌味なく着こなされた仕立ての良いスーツは、如何に彼が争い事から無縁の場所にいるのかを証明しているようだった。
「これはガーウィルさん、良く来て下さいました。どうぞそちらに座って下さい」
屈強な来訪者に気付いた彼は、眺めていた絵画から視線を外してゆるりと振り返った。
見た目は三十代を思わせる若々しさだが、優しさと貫禄のある笑みは彼の内面を四十代にも五十代にも思わせる。
いずれにせよ彼の振る舞いは優雅で紳士的であり、害意を感じる要素はどこにもない。
しかしながら、訪問者ガーウィルは眼前に佇む男に緊張していた。
一つ唾を飲み込むと、片手に握っていたジュラルミンケースを机の上に差し出す。
「こちらはビッグツリーの代表から預かっている品になります。どうぞお納め下さい」
「これはこれは、有難く頂きましょう」
優雅な男は少しばかり目を丸くするが、ケースの中を見て顔を綻ばせる。
入っていたのは翡翠を削り出して作られた『大木』の彫刻だ。
ガーウィルの所属する『ビッグツリー』コロニーのシンボルをモチーフにした美術品である。
男は繊細な手つきで彫刻を取り出し、ゆっくりと回しながら鑑賞した。
「ここには沢山の美術品がありますが、私の自慢のコレクションがまた一つ増えましたね」
「喜んで頂けたのでしたら、我々も感無量です」
優雅な男は満足げに頷き、彫刻をそっと机の上に置く。
そのまま後ろ手を組んで部屋を見回しながら語り始めた。
「美しいものは良いですね。作品自体の魅力もさることながら、それを作るに至るまでの努力、才能、時間、運。そういったものを乗り越えて初めて生まれたのだと考えると、尚更輝いて見えてきます。特にこんな時代で芸術を極めようとする人々がいるというのは、それだけで感動に足るものです。私はね、そういう美しいものが大好きなんですよ。頂いた翡翠の彫刻は素晴らしい一品でした」
男はそう言いながら、壁に掛けられている女性の絵画に触れた。
「ですが時々、美しさは呪いだとも思うのです。真に美しいものというのは人を狂わす魔力を秘めている。それを手に入れる為ならば、どんなことでもやろうとしてしまう。例えそれが叶わぬ願いだとわかっていてもね。人間とは何とも不合理で、罪な生き物だとは思いませんか?」
ガーウィルが何と返事をしたものかと迷っていると、男は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「はは、退屈な話をしていまいましたね。『美』の話になると無駄話が過ぎるのは私の悪い癖です。さてさて、お茶でも味わいながら本題に入りましょうか」
男が綺麗な音で指を鳴らすと、部屋の扉がゆっくりと開いた。
白黒のメイド服を着た女性が、二人分の食器を乗せたプレートを抱えて入ってくる。
スイーツの乗った小皿やカップが置かれ、鼻腔をくすぐる茶葉と甘味の香りが立ち上った。
ガーウィルが思わず喉を鳴らすと、優雅な男は微笑まし気な表情を浮かべる。
「さあどうぞ遠慮なさらずに、自慢の一品です」
男はカップを持ち上げ、軽く乾杯の動きをしてから口をつけた。
ガーウィルは目の前の男と、自分の下に置かれた紅茶を見て難しい顔をする。
これが素晴らしいものだという事は味わわずともわかるが、例えどんな高級品であっても職務上は口をつけることは許されない。
何が入っているかわからない以上、身を守るために持参したもの以外は口に入れてはいけないと厳命されているからだ。
相手が自分達と同じ『コロニー』の人間であれば、どれほど信頼を寄せていても絶対に手は付けないだろう。
しかし、今回ばかりは例外であった。
ガーウィルは染み付いた警戒心を取っ払い、紅茶の香りと熱を舌の上で転がす。
長らく忘れていた奥深い味わいで、脳髄に衝撃が走った。
「どうですか?本物の茶葉の最もいい部分を使っている贅沢品です。私のこだわりはストレートですが、ミルクもありますのでお好みに合わせてどうぞ」
「……こんなに美味しいものは久しぶりです。ありがとうございます、ディランド様」
ディランドと呼ばれた男が、優しくも困ったように微笑みを浮かべた。
「マッコスでいいですよ。私は確かに『人類基地連合』の人間ですが、だからといってビッグツリーの方よりも偉いというわけではありませんからね。人類基地連合とコロニーは対等な関係にある。つまりは、私と貴方も対等な関係なんです。そう、友達だと思って欲しいのですよ」
「わかりました。ですが我々はマッコス様から多くの恩を受けている身です。ビッグツリーの使者として、あるべき態度を取ることをお許しください」
『マッコス・ディランド』
彼は人類基地連合に所属する人間でありながら、自分達のようなコロニーに多大な援助をしてくれた大恩人だ。
彼から提供された情報や金銭のおかげで、ノーマンの手に落ちつつあったコロニーの数々は手を取り合って身を守る見通しができた。
もちろん、マッコス自身も利益があるからこそ手を差し伸べてくれたのだろうが、こちらの頭が上がらないことに変わりはない。
「それで、例の件はどうなりましたか?私達の支援した三十億ベアが役に立っていると嬉しいのですが」
「はい。ビッグツリーの地上部隊により、既に三十のコロニーへ情報共有を完了しております。今後は彼らも動くことで、ノーマンの侵攻を迅速に食い止めることができるでしょう」
「それは良かった、上手くいっているのですね」
マッコスは胸を撫で下ろして頷いた。
「コロニーは人類基地連合にとっても重要ですし、ディランド社にとっては片割れも同然の存在です。心から成功を期待していますよ」
「お任せくださいマッコス様。必ずや我々が、やり遂げてご覧に入れましょう」
それから雑談を交えた近況報告を行い、二人の食器はすっかり空になった。
マッコスは外行きのコートと帽子を身に着け、ガーウィルは至福の味に満足感を覚えながらも彼の後に続く。
芸術品に飾られた部屋の出口で、二人は別れの挨拶を告げた。
「さて、私は約束があるので行くとします。愛する人を待たせるわけにはいきませんからね」
「奥様とのご約束ですか?」
「いえいえ、いずれは妻に迎えたいですが、今はまだ親睦を深めている最中ですよ。彼女に見合う男になれるよう、私も頑張らなければなりません」
「左様でしたか、ご健闘お祈りします」
マッコスはにこりと笑ってから背を向けて歩き出したが、何を思ったのか途中で足を止めた。
そして、感情の読めない声で尋ねてくる。
「……ガーウィルさん、この世で最も美しいものは何だと思いますか?」
唐突で漠然とした問いかけに、ガーウィルは豆鉄砲を食らったような顔をした。
一体何の意味があるのか勘繰るが、少し頭を悩ませた末に一つの結論を導き出す。
恐らくこれは、自分という人間を知ろうとする質問なのだ。
言わばその人の価値観を知る為の問いかけに過ぎない。
ならばと、ガーウィルは深読みすることなく頭に浮かんだものを答えた。
「愛、でしょうか」
その答えに、マッコスは微笑む。
正解か不正解かを語ることは無かったが、彼は片手を上げて去っていった。
「美しいものは素晴らしい。それではまた」
小さくなっていく背中が見えなくなった頃、ガーウィルは一つ溜息を吐く。
底が読めない人と接するのは、精神的に疲労が溜まるものだ。
「美しいもの、か……」
独り言をつぶやきながら、思い出したように首にかけていたロケットを取り出す。
この中には一枚の写真が入っている。
自分と一人の女性、そして小さな女の子を二人写した、ありふれた家族の写真だ。
それを愛おしそうに指先で撫でてから、再び胸元に仕舞った。
美しいものを守るために、やるべきことは沢山残っている。
*
ギルバが二つ目のコロニーと対談をしている間、レオとヴィンは歩行戦車の中でウンウンと唸っていた。
電子パッドに表示された気の遠くなるような観測データの羅列に、どういった意味を見出すべきか悩んでいたのだ。
「うーん、やっぱり天気とか気温とか記録しても、ノーマンに繋がる情報は見えてこないね」
「くそ~、もっとこう、『太陽の光を浴びると死ぬ!』みたいな分かりやすい弱点はねぇのかよ」
「……ないでしょ、吸血鬼じゃないんだから」
レオが背伸びをして後ろに倒れる。
ヴィンはそれを一瞥しながらも、思考を回し続けていた。
ギルバがコロニーへ向かってから、かれこれ三時間はこうして過ごしている。
「はぁ〜、人間なら誘拐して情報を吐かせるとか、弱み握って裏切らせるとかできるけど、あいつらには意味ないだろうしなぁ。本当に弱点なんてあんのか?」
「神様って訳じゃないし、付け入る隙はある筈だよ。今は分からなくても、地道に調べて考え続けるしかないって」
そう言ってヴィンは電子パッドを弄る。
今まで集めた情報を見比べたり、考えたことを書き込んだりしていた。
レオもそれを見て座り直し、頬杖をついて考える。
「思念波っつうの?ノーマンの意識を共有する能力が無線通信みたいなもんならさ、電波として受信したり解読したり出来ねぇのかな」
「それっぽいものは観測は出来るらしいよ。ただ僕たちにはノイズにしか見えないし、解読に成功したって文献は見たことないけど」
ヴィンは電子パッドの情報を切り替え、歩行戦車に取り付けた受信機の記録を表示して見せてくる。
そこには様々な電磁波の波長が延々と綴られていた。
深い知識と洞察力があれば何かが分かるのかもしれないが、あいにく二人には何の意味もないデータにしか見えなかった。
「駄目だ、さっぱりわかんねぇ。野草なら見れば食えるかどうか分かるんだけどなぁ」
「分析しようにも知識がないからね。勉強するにしたって時間はかかるし、何を学んでいくのが近道なのやら」
「やっぱ地道に調べていくしかねぇか……人生一周で足りるのかなぁ」
「それでも、やるしかないよ」
静かな声で、ヴィンは言った。
それからも時は流れ、思い出したようにレオが呟く。
「つくづく思うけど、俺達の戦いって地味だよなぁ」
「どうしたの?」
「いやぁ、映画とかゲームならもっと派手に戦うじゃんか。凄く強い主人公が銃弾飛び交う戦場を紙一重で駆けまわってさ、敵をバッタバッタなぎ倒して最後にはハッピーエンド!みたいなさ」
「まぁ、そうかもね」
「それに引き換え俺達のやってる事って、地道に情報を集めたり、隠れながら知り合いに危険を知らせるだけだろ?イマイチ戦ってるって感じがしないんだよなぁ。現実はそんなもんなのかもしれねぇけど」
「……レオは命がけの戦いをしたいの?」
「んなわけねぇよ。殺されるとかマジで勘弁」
「じゃあ何が言いたいの?」
レオは少しばかり逡巡するが、溜めていたものを吐き出すように答えた。
「手応えが無いからさ、時々不安になってくるんだよ。四年間ずっと考えて行動して頑張って来たけど、俺達のやってることに意味あんのかなって」
「…………」
「周りのコロニーに危機を知らせたって、データを集めたって、世界中にいるノーマンやプテポリプスの数が減る訳でもない。減らすには力が要るけど、俺たちにそんなものはない」
「…………」
「昔は今よりも沢山の人が居たはずだし、凄い人もいっぱい居たはずだろ。そんな人達が負け続けた結果が、今の俺たちの立場なんだ。今さら多少の筋肉をつけたって、多少の知識を得たって、勝ち目なんか無いんじゃないかって思うんだ」
「……やめてよ」
「地を這う蟻が、象の群れをどうにかしようとしてるみたいなもんじゃねぇのかなって。無駄な努力なんじゃねぇかなって」
「やめてよ!」
叫び、ヴィンは立ち上がった。
肩は怒りに震え、拳は固く握られ、両目の端には涙の粒が浮かんでいる。
漠然と抱き始めていた不安を晴らしたかっただけのレオは、彼の苛烈な反応に度肝を抜かれた。
「な、なんだよ。そんな怒んなくてもいいだろ……」
「怒るよ!象だの蟻だの!無駄な努力だの!僕たちの過ごして来た日々をなんだと思ってるの!」
「……っ、大事だよ!でも不安だろっ!愚痴ぐらい言ったっていいじゃねぇか!」
「良くないよ!愚痴なんか何にもならない、僕たちはやるしかない。勝てなくても、無駄に思えても、やるしかないんだよッ!」
レオは何も言えなかった。
いつも落ち着いているヴィンが、人違いかと思うほどに激情を出している。
「僕はレオと出会って、テレサやアメリアお姉さんや、ニマやミストゾーンの皆と出会って、本当に良かったって思ってる。皆との日々が続いて欲しいって思ってる。でもノーマンはそれを許してくれない。あいつらは表情一つ変えずに、何もかも奪いに来るんだ。だから戦うしかない、立ち向かうしかない。そうだろ!」
「ヴィン……」
「……だから無駄な努力とか、言わないでよ」
「悪かったよ、俺が悪かった」
ヴィンは糸が切れたように座り込み、項垂れた。
その姿を見たレオは、自分の軽率な発言を悔いる。
彼は自分以上に不安を抱え込んでいたのかもしれない。
それなのに、愚痴や不満なんてほとんど漏らさず努力していた。
一度も寝坊することなく、一度も揉め事を起こすことなく、真面目に、真剣に、今日まで生きてきた。
その反動が今になって出てきてしまったのだろうか。
だとしたら、自分は何も見えていなかったのだろう。
彼が過ごしてきた四年間の気持ちを、一番近くに居ながら、何も。
重たい空気に気まずくなったのか、操縦席にいるスヴェンは陽気な音楽を流し始めた。
曲名は知らないが、キラキラの衣服を着て星型のサングラスをつけた黒人が、踊りながら歌っていそうなメロディだ。
弾むような歌声と共に、スヴェンは探るような声色で話しかけてくる。
「あぁ~、ちょっと換気がてらハッチ開けるっす。散歩とかトイレなら今の内っすよ~」
彼の言葉に甘え、レオとヴィンは歩行戦車の外に出た。
言葉を交わす事なく歩き、広い廃墟の屋内をうろつく。
ボロボロの配管や割れたタイル、水溜まりや蔦などを通り抜けると、大きな窓のある場所に出た。
周囲の建物のおかげで見渡しが良いとは言えないが、空の色と幾らか遠くの景色を拝むことはできるようだ。
夕暮れを過ぎた廃都市の街並みは、深い闇に飲まれようとしていた。
何もない床の上に座り、二人は遠くの空を眺める。
「さっきは、ごめんな」
「いいよもう」
消えかかった太陽に照らされながら、二人は顔を見合わせることもなく言う。
ふてぶてしさは残っているが、もうすっかり落ち着いたようだ。
思えば喧嘩をしても長々と引きずることは殆どなかった。
結局、根底に抱く思いは一緒だからかもしれない。
「頑張ろうな」
「うん」
そうして少しの時が経ち、帰ろうとした時だった。
――――彼方の空が、眩く光った。
「おい、ヴィン、あれ」
「まさか、いや、間違いない」
二人はその光景に目を見張った。
先ほどの些細な喧嘩など、脳裏から消し飛ぶほどの衝撃だ。
忘れる筈のない迸る光。
あれは雷でもなく、神の通り道でもない。
二人の人生にとって最も強烈な光であり、絶望の象徴だ。
あの光の柱は――――




