【第18話】『運命を変える訪問者』
『ブーブー』
けたたましい警戒音が鳴り響く。
ミストゾーンに於いて、緊急事態を知らせる放送の合図だ。
『えー、地上区域の検査施設に訪問者が来てます!これからリーダーが応対しまーす!非番の方も含め、全ての情報班と警備班の方は仕事してくださーい!連絡のある方は放送室のキャロルまで!』
もう一度、同じ内容が繰り返されて放送が終わる。
訪問者が来る機会は多くはない。
平時は月に一度もないだろう。
さらに急な訪問となれば、年に一度あるかどうかだ。
何か重大な話が行われるのは容易に想像できる。
「はーん、他所からの客か。俺らも応対とかすんのかねぇ」
「検査所での駐在は地上調査隊の仕事だからね。関係は出てくると思うよ」
「はわぁ〜、ねむ」
レオとヴィンとテレサが、呑気に毛布の中に潜りながら話す。
訪問者が来たと言っても、今の自分達がやることは何もない。
地上調査隊の仕事はまだ始まっていないし、情報班でも警備班でもないからだ。
せいぜいやる事といえば、対談の動画が公開されたら確認をするくらいだろう。
今度の訪問者はどんな人なのだろうか、それだけは少しばかり気になるが。
「いけない!仕事じゃないっ!」
瞼を閉じ、夢の世界へいざ行かんとした時に、アメリアが飛び起きた。
遅刻寸前の学生のように、急いで上着を羽織っている。
「どうした姉ちゃん、関係あんの?」
「ええ、皆の教育がひと段落したから、ロビンの手伝いを始めたのよ。情報班として行かなきゃいけないわ」
そう言い残し、アメリアは鉄砲玉のように飛び出していった。
扉が音を立てて閉まり、部屋には静けさだけが残る。
「姉ちゃんも大変だなぁ」
「他にも色々と勉強してるみたいだし、凄いよね」
「すやぁ~」
アメリアを心から尊敬しているが、忙しくしている姿を見ると心配にもなる。
身体を壊すようなことにはならないで欲しい。
そんなことを考えながら再びベッドに潜ると、乱暴に扉がノックされた。
そして入り口から、聞き覚えのある二つの声が聞こえる。
「おいお前ら!起きろッ!」
「レオちん!ビンビン!テレテレ!起きるのですっ!情報室に行くのですっ!」
ただならぬ気配を感じて部屋を出ると、そこには地上調査隊の訓練で世話になった『ギルバ』と、共に訓練を乗り越えた友達の『ニマ』がいた。
「急にどうしたんすか」
「黙って来やがれッ!」
「社会科見学なのですっ!首脳会談なのですっ!」
有無を言わさぬ雰囲気なので、仕方なくギルバに続く。
後ろでは、テレサがニマに引きずられていた。
「ねてたのにぃー」
「今夜はもう寝かせないのですっ!」
*
個室のモニターにはミストゾーンのリーダーである、オースティンの顔が映し出されている。
それと向かい合うように座るのは、緑色の髪を持つ長身で壮年の男だ。
身体には力強さを感じるが、瞳には英知の光を宿していた。
謎多き訪問者は、視線の先にある画面に語り掛ける。
「オースティン・ミスト・フランツ殿、まずはこの場を設けてくれたことに『ビッグツリー』を代表して感謝申し上げる」
「こちらこそ、ガーウィル・T・ドラックスさん。名高き『ビッグツリー』の方とお会いできるとは、光栄の極みです。私の事はどうぞお気軽に『オースティン』とお呼びください」
「では私の事は『ガーウィル』と呼んでいただこう」
ガーウィルと名乗った緑髪の男が挨拶をすると、画面に映ったオースティンの顔が微笑んだ。
今、ミストゾーンから少し離れた場所にある検査施設には、近辺で最大の人数を誇るコロニー『ビッグツリー』の使者が訪問している。
対話の様子は情報室に中継されており、そこでは数人の情報班が手を動かしていた。
一番後ろの列では、邪魔にならないようギルバ達が座って見ている。
「勉強だ、よく見ておけ。ただし騒いだらぶん殴る」
「すげぇ、こうなってんだな」
「画面がいっぱいあるね」
情報室の奥には巨大なスクリーンがあり、いくつも並んだ机の上には据え置き型のモニターや箱が置かれていた。
情報班の面々は片耳用のヘッドセットをつけ、手元にある機器を忙しなく操作している。
その中には、この部屋の室長であるロビンや、先ほど部屋を飛び出したアメリアの姿もあった。
「ビッグツリーねぇ、五千名規模の大御所さんが一体何の用なんだかぁ」
「良い予感はしないわね」
ロビンとアメリアが軽くやり取りをしながら、画面の中を注視している。
五千名も抱え込める実力のコロニーが、わざわざ百名規模のコロニーに出向くとなれば、些事でないのは間違いない。
少しの時間が経ち、訪問者の個室にお茶が運ばれた。
何の違和感もなく眺めていたレオ達を見て、ギルバが教えを説く。
「ポイントその一、出されたものを警戒しろ。あのお茶には、口を滑らせやすくする薬が入っている。あいつがまんまと飲むような馬鹿なら有難いな」
「マジかよ!ミストゾーン汚ねぇな!」
「綺麗な方だ。他所じゃもっと汚いのが出てくるぞ」
ギルバの説明に、レオ達は血の気が引いた。
ここにいると忘れがちになるが、外の世界は容赦がないようだ。
それが例え、同じ『人間同士』であったとしても。
それはさて置き、『ビッグツリー』の使者、ガーウィル・T・ドラックスは出されたコップの中を見る。
湯気の立ったお茶は、寒い今の季節にはとてもおいしいものだが、彼は手をつけようとしない。
鼻で一度笑うと、端にどけて話を始めた。
どうやら彼は、『まんまと飲むような馬鹿』ではないようだ。
「持参したもの以外は口に入れるなと厳命されている。申し訳ないが、気持ちだけ受け取っておこう」
「いえいえ、お気になさらずに」
お互いに意味深な笑みを浮かべるが、お茶の話題はそこで終わった。
オースティンが本題に入るよう切り出す。
「それで、こんな寂れた場所に何の御用でしょうか?よもや椅子に座る為に来た訳ではないとお見受けしますが」
「現在、多くのコロニーにノーマンの手が伸びている、というのはご存知かな?」
「さて、いつものことのように思いますが」
「その様子じゃ知らないか。ホワイトスターがノーマンに乗っ取られた件については知っているか?」
ガーウィルの発言に情報室はざわついたが、オースティンは少し目を見開いた程度だった。
あくまで冷静な態度は崩さず、訪問者へ尋ねる。
「初耳です。『滅ぼされた』のではなく、『乗っ取られた』のですか?」
「そうだ、今までは見つけ次第に殲滅されることが多かったが、最近はやり方を変えたらしい。いや、『戻した』と言った方がいいか。奴らは歴史の中で何度も同じ手を使っているからな」
「それで、どうしてホワイトスターが乗っ取られたとわかったのですか?」
「我々が調査し、証拠を掴んだからだ」
只事じゃない話が始まり、レオ達が食い入るように画面を見る。
一つの言葉も聞き逃すまいとしていると、ギルバが水を差すように助言した。
「ポイントその二、相手の話を簡単に信じるな。人間は幾らでも嘘をつく」
「……あの人が嘘ついてるっていうのか?」
「違う、疑ってかかれという事だ。相手の目的や利益を想像し、嘘と真実を嗅ぎ分けろ。騙されない為にだ」
「そんなん、どうやればいいんだよ」
「知識と経験を積むか、機械を使って調べろ。今のあいつらみたいにな」
ギルバが指を差した先には、情報班の面々がいた。
「ボサ姉や、姉ちゃんたちのことか?」
「情報班の仕事の一つは、訪問者の嘘を見破ることだ。覚えておけ」
雨のようにキーボードを叩くロビンが目に入った。
静かに、密かに、個室に仕掛けられた多種多様な検出器が作動する。
脳波、X線、サーモグラフィー、全身映像、体重、汗、細胞活動、心拍数、呼吸、目線。
全てのデータがリアルタイムに送信され、解析される。
「流石は大規模コロニーの使者様って感じぃ?あの緑男、記憶保護処置は間違いなく受けてるわぁ。椅子に埋め込んであるスキャナからじゃ思考を読み取るのは不可能ねぇ」
「発言の真偽を見抜くのは難しいかしら」
「それは問題ないわぁ。確実性は落ちるけどぉ、単純な身体反応を解析する昔ながらの嘘発見アルゴリズムはロボットかノーマンでもない限り機能するからねぇ」
再びキーボードを叩くと、画面に計算結果がはじき出される。
色のついた折れ線グラフは、先ほどの発言の信憑性を表している。
「九割以上の確率で、あいつの話は本当よぉ」
「誤魔化されてる可能性は?」
「低いわねぇ。マスク被ってブレイクダンスでもすりゃあ別だけどぉ」
「……それじゃあ、本当にノーマンが?」
「少なくとも、あいつはそう思ってるってことでしょうねぇ」
ロビンは連絡用のスイッチを押し、『嘘なし』と伝えた。
オースティンの眉が僅かに顰められる。
「どうやら話は本当のようだな」
「何かすげぇな……」
ギルバやレオの感想は他所に、対談は続いた。
「乗っ取られている証拠ですか、実に興味深い」
「後ほどお見せしよう。だがその前に、『ミストゾーン』にいくつかお尋ねしたいことがある」
「何でしょうか?」
ガーウィルは目を細め、何かを探るような視線を向ける。
画面に映るオースティンの、一挙一動も見逃さないとでも言わんばかりに。
「ここ数年で、近隣のコロニーとトラブルになったことはあるか?」
「特には無いですね。ご近所付き合いは至って良好ですよ」
「他のコロニーから大量の物資を届けられたことは?」
「ありませんね」
「最近、周辺のコロニーに変化はあるか?」
「目を引くようなことはないですね。知り合いの何人かは皺の本数が増えたかもしれませんが」
ガーウィルは質問を幾つも浴びせながら、オースティンのことを観察した。
穴が空くほどの鋭い視線は、さながら獲物を見定める鷹の目だ。
緊迫した空気の中、ギルバがレオ達に助言する。
「ポイントその三、ポーカーフェイスを覚えろ。心を見透かそうとしているのは、こっちだけじゃねぇ」
「顔に出さねぇってことか?」
「顔だけじゃねぇ、身体全部だ。与える情報はこっちが選ぶもんであって、抜き取られるもんじゃねぇからな。知識を隠す時も、無知を隠す時も、態度には絶対に出すな。……まあ、検出器の前には無力だが」
ギルバの言葉の模範解答を示すかのように、オースティンの表情は見事なポーカーフェイスだ。
レオやヴィンは何とか彼の内面を探ろうと観察してみたが、至って正直に振る舞っているように見える。
嘘をついているかどうかなど見当もつかない。
それでもガーウィルは、まとわりつくような視線を向けながら質問を続ける。
「ホワイトスターについてはどの程度知っている?」
「スクラップ収集専門のコロニーというのは知っていますが、交流が無いのでなんとも」
「ホワイトスターが他のコロニーの地上部隊を襲撃した件については知っているか?」
「それならば噂程度には聞いています」
「それでは、ホワイトスターの――――」
「ガーウィルさん」
オースティンは手をかざし、訪問者の言葉を制した。
そして、心悲しいとも失望したとも感じ取れる声で告げた。
「我々はノーマンではありませんよ」
「……ふむ」
意図を言い当てられてバツが悪かったのか、ガーウィルは視線を下に落とす。
腕を組んで何事かを考え、深い息を吐いた。
やがて、腹を括ったように顔を上げて言う。
「失礼した。ミストゾーンを信用しよう」
「そうして頂けると有難いです」
オースティンの紳士的な微笑みを見届けると、ガーウィルはポケットから記憶デバイスを取り出して机に置いた。
黒い色をした、指先ほどの小さな箱だ。
「先ほど言っていた『証拠』だ、我々の調査したデータが入っている。友好の証として差し上げよう」
「良いのですか?情報は財産かと思いますが」
「出し惜しみをしている場合ではないのだ。受け取って欲しい」
「すぐに取りに行かせましょう」
部屋の外に待機していた地上調査隊が入り、記憶デバイスを受け取って出ていく。
検査施設の別の部屋で中身の安全を確認し、情報班の元へ転送。
それをロビンが再度確認した上で、オースティンのコンピューターへと転送された。
「異変に気付いたのは一年近く前だ。複数のコロニーが『ホワイトスター』に襲撃され、賠償を受けているという知らせを我々の情報網が掴んだ」
「襲っておいて詫びるとは、奇妙な話ですね」
「ああ、事実関係を調べる為に、我々はホワイトスターや関係コロニーを多角的に調査した。その情報が渡した記憶デバイスに入っている。最初のフォルダを開いてみてくれ」
オースティンは脇にあるコンピューターを操作し、指示通りに一番目のフォルダを開いた。
「少し調べれば疑惑は確信に変わったよ。まず、ホワイトスターの金回りが良すぎた。具体的には中立都市のマーケットで大量の物品を購入していることが判明したのだ」
情報室の面々だけでなく、オースティンも『ビッグツリー』の調査力に驚いた。
大量の物資を運ぶ地上部隊の写真、取引関係者の証言、納品書のコピーから在庫の変動数まで、発言を裏付けるデータが大量に並んでいる。
あの手この手で『ホワイトスター』の行った取引を調べ尽くしたようだ。
その全てのデータの集大成として、『何をどれだけ入手したのか』が簡潔にまとめられている。
「食料、八千。衣類、二千。薬品、三千。機械、四百。武器、二千。歩行戦車、十……大規模コロニーでも立ち上げるつもりですか」
「驚くことに、辺境の小規模コロニーが賠償の為に用意した物品のリストだ。追い切れてないものも含めれば更にあるだろう」
「これほど巨大な取引は、通常の小規模コロニーが行えるものではないでしょう」
「それだけじゃなく、並の地上部隊が安全に持ち帰れるような量でもない。このことから我々は、何者かが彼らに金を流し、身の安全を守っている。と判断した」
「なるほど、その協力者が『ノーマン』だと」
「この時点で断定はできなかった。だから次の調査を行った。二番目のフォルダを見てくれ」
オースティンが指示通りに画面を操作すると、先ほどとは違うデータが現れた。
そこには、ホワイトスターの大まかな所在地と、その近郊で観測されたプテポリプスの数の推移が書かれている。
「プテポリプスの出現数が、以前の記録と比べて三倍以上に膨れ上がっていた。にも拘らず、奴らは平然と拠点に出入りをし、大量の物資を運び続けていた。なぜ無事でいられる?」
「なるほど、確かに臭い」
「これでほぼ確定した訳だが、我々は念のためにも更なる調査を行った。三番目のフォルダを見てくれ」
次のフォルダを開くと、グラフデータや動画ファイルが沢山出てきた。
「これは?」
「我々の精鋭部隊が、ホワイトスターの地上部隊に奇襲を仕掛けた時の記録だ」
「……なんと、大胆なことをされるのですね」
オースティンが目を丸くすると、ガーウィルは腕を組んでくつくつと笑う。
「無実の人間ならとんでもない大悪党になるところだったが、結果は違ったよ。奴らのヘルメットを脱がせて脳波をスキャンしたら、人間では出ない筈の波長が検出された」
「ノーマンの証拠を手に入れたわけですか」
「ああ、しかし絶望はこれからだった。我々は周辺のコロニーを調べ、ホワイトスターが何の為に大量の物資を送っていたのかを理解した。四番目のフォルダを開いてみてくれ」
指示に従うと、そこには小分けされた三つのフォルダが存在していた。
左から、『オールドストリート』、『ブルーハウス』、『アンダーザサン』と書かれている。
それぞれのフォルダの中には、『ホワイトスター』と似たような調査データがぎっしりと詰まっていた。
オースティンの顔が歪む。
「……まさか、これらは全て」
「――――ああ、奴らは人間の皮を被り、周囲のコロニーを侵食している」
*
情報室は静まり返っていた。
既に四つのコロニーがノーマンの手に落ちている。
これは数多あるコロニーにとって、対岸の火事で済まない大事件の片鱗だ。
「やべぇよ、どうすんだよ」
「ぼ、僕たちも、また昔みたいに……」
レオ達も事の大きさに気づき、焦燥を滲ませている。
知らぬ間に、なんと恐ろしいことが起きているのだろうか。
「乗っ取られた四個のコロニーの付近には十六個のコロニーがある。更にその周囲には七十個以上のコロニーがあり、その中には『ミストゾーン』も含まれている。被害はまだまだ広がるだろう」
ガーウィルの淡々とした言葉が、かえって迫り来る脅威を浮き彫りに感じさせた。
乗っ取られたコロニーに居た人たちはどうなったのだろうか。
次にやられるのは、『ミストゾーン』なのだろうか。
『死の天使だ!結界が壊れたんだ!』
『アデス様、助けて下さいっ!』
『放せッ!放してくれぇ!』
レオとヴィンは、連れ去られていく村人達の悲鳴を思い出した。
響き渡る絶望の唄、燃え落ちる住処、奪われる大切な人。
平凡な日常が突然終わりを迎え、死の天使が世界を蹂躙する。
嗚咽にも似た感覚が込み上げ、混乱と不安が脳内を支配していく。
「嫌だ、あんなのはもう嫌だ……」
「何とかしないと……このままじゃ……」
視界が廻る。
気持ち悪い、気持ち悪い。
連れ去られて、焼かれて、光に包まれて、消えた、何もかも消えた。
何もしてないのに、真っ当に生きてきたのに、そんなのは関係ない。
弱いから死ぬ、弱いから好き勝手にされる、弱いから――――
パニックに陥りそうになった時、背中を勢いよく叩かれた。
ギルバの手と、ニマの手だ。
「ポイントその四、落ち着け」
「おちけつビームなのですっ!」
衝撃に揺らされた身体が。
速くなっていた鼓動が。
ゆっくりと静まっていく。
荒立っていた水面が、徐々に波紋一つない静謐へと回帰するように。
「……あ、ああ」
「そうだね、落ち着かないと」
レオとヴィンは深呼吸をし、頭を冷やす。
そうだ、昔とは全く状況が違うのだ。
沢山の勉強をし、沢山の訓練を積み、沢山の味方ができた。
危機が迫っているのは確かだが、今からでも解決する道筋はある筈だ。
その為に、努力を積み重ねてきたのだから。
「すまねぇ、ありがとうニマ」
「ありがとうございますギルバさん」
「いいから見ろ、見逃すぞ」
「テレテレも起きるのですっ!盛り上がってきたのですっ!」
「すぴーすぴー」
皆でノーマンから生き延びる。
その方法を見つける為にも、まずは対談の行方を見守らなくてはならない。
レオ達は姿勢を正し、再び画面の中に意識を向けた。
「残念ながら、現段階でこの危機を正しく認識しているコロニーは少数派だ。いずれはどんなコロニーも異常事態に気付くだろうが、周知される頃には手遅れになる。そうなる前に手を打ちたい」
「何か策があるのですか?」
「オースティン殿、私はそれを伝える為にやってきたのだよ」
ガーウィルは指を合わせ、薄い笑みを浮かべる。
碌に知らない筈の彼の姿が不思議と頼もしく見えた。
「我々の勝利条件は単純だ。全てのコロニーが状況を正しく認識し、出入りの検査を怠らないようになればいい。だが問題がある。多くのコロニーがこの危機に気付いていないということだ」
「何年も乗っ取りなんて無かったわけですから、身近な者達を警戒しなくなってしまったということですね」
オースティンの言葉に、ガーウィルは首肯した。
「そうだ、ノーマンの襲撃方法がパターン化されていたせいで、警戒する方向が偏ってしまった。それこそノーマンの思惑だったのだろうが、今や多くのコロニーは『隣人は人間』だという幻想を抱かされている」
「危機を周知させる必要があるのはわかりましたが、一体どうされるつもりですか?」
「そうだな、インターネットを使えれば一番速いが当然無理だろう。ノーマンの監視を掻い潜って正しく情報交換できるような凄腕ハッカーは、大抵のコロニーにはいない。何も知らないコロニーを確実に信用させるには、直接赴いて説明する必要がある。私がここへ来たようにな」
「……簡単なことではないでしょうね。使者を送る余裕のないコロニーも、多く存在している筈です」
「そこで打開策だ。我々は『報酬の発生する伝言ゲーム』を行いたいと思う」
オースティンも情報室の面々も、彼の言葉に意識を集中させた。
「聞き入らずとも単純な話だ。ビッグツリーは今回、ミストゾーンに危機を伝えた。これからミストゾーンは連絡の取れるコロニーに危機を伝えて貰いたい。その貢献に対して我々は十分な報酬を出すと約束する。そして話を聞いた他のコロニーにも、報酬を出すと約束して危機の喧伝をして貰う。連鎖的に声を広めていくことができれば、事態への警戒も強まり、ノーマンの侵攻も食い止められる。それが私のいう『伝言ゲーム』だ。渡したデータは説得に使ってくれて構わない」
ガーウィルの説明を聞いて、オースティンは考える仕草を見せるが、すぐに口を開いた。
「ふむ、確かに十分な報酬が得られるのであれば、余力のないコロニーでも地上部隊を連絡要員に回せるでしょう。コロニー同士の複雑な対立の壁を避けることもできますし、単純ながらも効果的な方法だとは思います。ですが……」
オースティンが難しい顔をする。
一見良さそうに思える話だが、そこには明らかに現実的じゃない部分があると感じたからだ。
それはガーウィルにとっても承知のことだったのだろう。
緑髪の訪問者は口角を上げ、指摘に先回りして言った。
「そんな金がどこにあるのか、と訊きたいのだろう?」
「ええ、最寄りの人類基地連合の勢力圏だけでも三百個近いコロニーがあります。その全てを動かすだけの報酬を出すとなると、いくら大規模コロニーである『ビッグツリー』と言えども不可能だと思うのですが」
「そうだな、では良いものをお見せしよう」
ガーウィルは胸元から黒いカードを取り出し、机の上に置いて見せた。
青白いホログラフィックが展開され、何かのマークがくるくると回っている。
「それはもしかして人類基地連合の?」
「その通り、10,000,000ベアが保管されたウォレットにアクセスできるキーカードだ。引き出すには使用パスも必要だが、事が終わればミストゾーンにお伝えする。要するに報酬だ」
情報室に衝撃の雷が駆け抜けた。
ロビンもアメリアも、他の情報班も目を丸くしている。
言うなれば、家にやってきた客人がいきなり金塊を投げて寄越したようなものだ。
驚かない方がおかしいだろう。
「はぇ~、嘘のパターンも出てないしぃ、本当ってことになっちゃうのかしらぁ?」
「一千万ベアをポンって出せるっておかしいわよ。偽造カードじゃないわよね……?」
実際に買い物をしたことのないレオ達ですら、『10,000,000ベア』という数値がいかに巨大な金額かは理解できた。
簡単に言えば、『一人の大人が三十年ほど飢えることのない金額』だ。
ミストゾーン全体に例えるなら、『三カ月近くは食糧事情に困らない金額』とも言える。
「おいヴィン、一千万ベアってなんだよ。何買う気だよ」
「ええと……この前貰ったホロウォッチは十万ベアくらいが相場らしいから……それが百個買える、ってこと、だと思う……」
「セレブなのですっ!ブルジョアなのですっ!マスターリッチなのですっ!テレテレは起きるのですっ!」
「すやぁ~……やきにくたべたい……」
驚く情報室、しかし驚きはそれに止まらなかった。
ビッグツリーの使者ガーウィルは、更なる事実を告げる。
「我々はこのカードを、三百枚以上持っている。故に金銭的な懸念は排除されると見ていい」
情報室ではアメリアが、凛々しい眉毛をハの字にして取り乱した。
「さ、三百枚?!ということは三十億ベア?!あり得ないわ!絶対嘘よ!ロビンどうなの!」
「はぁ~調べてるんだけどねぇ、嘘はついてないみたいのよぉ~」
「アルゴリズムの欠陥か、さもなきゃあの人が騙されてるのよ!だって三十億よ!」
「確かに異常ねぇ~」
レオ達もべらぼうな金額に騒ぐ。
この時ばかりはギルバの拳骨も飛んでこなかった。
「おいヴィン!三十億ベアっていくらなんだ?!」
「さ、三十億ベアは三十億ベアだと思うけど」
「ふぉおおお!国家予算なのですっ!宇宙開発なのですっ!年末大決算なのですっ!」
「えへへ……やきにく……いっぱい……すぴー」
それぞれの困惑を他所に、オースティンは途方も無い金額について尋ねた。
「説明して頂けますか?」
声には警戒の色が滲んでいる。
ガーウィルは困り笑いを浮かべ、失敗したとでも言うように頭を掻いた。
「これは申し訳ない。ただのコロニーが三十億をばら撒くなど正気の沙汰ではないし、警戒するのも当たり前だろう。先に言っておかなかった私のミスだ」
「何か特別な理由があるのですか?」
「――――我々はこの件に関し、『人類基地連合』からの支援を受けているのだよ」
三十億ほどの衝撃的ではなかったものの、情報室は新たなる事実に騒ついた。
それはそれで有り得ない事だったからだ。
「人類基地連合が支援を?俄かには信じ難い話です」
「それもそうだろう。我々は人類基地連合の国民ではないし、彼らに言わせれば大半のコロニーなんて、得体の知れない独立組織に過ぎない。交易の相手にはなったとしても、三十億ベアの支援してまで守る相手ではない。私も最初は異常だと思った」
話を聞くオースティンを見ながら、ガーウィルは続ける。
「だが、今回の敵は『ノーマン』だ。長期的に見れば、とち狂っているとも言い切れないのではないか?人類基地連合の産業が成り立っているのは、外で暮らす我々が交易相手として大量の資源を運び込んでいるおかげだ。我々が全てやられてしまえば人類基地連合の基盤も揺らぐ。それを回避するのに数十億ベアで済むのならば、安いものだとも思うがね」
情報班の解析も引き続き行われているが、訪問者が騙そうとしているシグナルは一切見られない。
少なくともガーウィルは、嘘偽りない気持ちで語っているようだ。
ロビンがオースティンに『嘘なし』と伝えた。
「一理ある考えではありますが……」
「まあ正式な支援である以上、然るべき窓口に行けば事実確認も取れるだろう。ちなみに我々に連絡をつけて来たのは『マッコス・ディランド』という人類基地連合の男だ。機会があれば尋ねてみるといい」
どこまでいっても、彼の発言に嘘のシグナルは無かった。
オースティンはガーウィルを細部まで観察する。
長年コロニーの代表を務めた経験を総動員し、信用に値する人物かどうかを見極める為に。
「どうかね?これならば当面の問題にも対処できると思うのだが」
「ふむ、確かにそうですね」
「ならば、協力して頂けるということでいいのかな?」
オースティンは目を閉じたまま固まった。
十秒、二十秒、三十秒。
オースティンは考えたまま動かない。
彼はミストゾーンのリーダーとして、重要な決断を迫られているのだ。
静寂の長さに不安を掻き立てられ、まさか寝てしまったのでは無いかとあらぬ不安を周囲が抱き始めた頃、閉じられた瞼が開いた。
真剣な表情に決然とした眼光を浮かべ、オースティンは微笑む。
「わかりました、共に人類を救いましょう」
「感謝する」
*
その後も細かい協議が行われ、『ミストゾーン』と『ビッグツリー』の対談は終わりを迎えた。
情報室は仕事の区切りがつき、脱力モードになっている。
時計は深夜の一時を示していた。
「ふぅ、どうなることやらねぇ」
「やる事が山積みになったけど、このタイミングで知れたのは不幸中の幸いね」
「はぁ~、アタシはいつ寝れるのかしらぁ」
「頑張りましょうロビン!ここが正念場よ!」
「あ~ぁ、その正念場にぃ終わりがあるといいけどねぇ」
部屋の後ろでは、ギルバやレオ達も言葉を交わしている。
「どうだお前ら、少しは勉強になっただろ」
「ああ、マジで為になった」
「ようやく僕たちにも、やれそうなことが見えたって気がするね」
「皆で世界を救うのですっ!」
「すやぁ~」
レオ達は対談を通し、胸に熱いものを感じていた。
今、自分達に迫っているのは正に『絶望』だ。
知らないままのコロニーが次々に飲み込まれ、いずれは村のように蹂躙される結末を待っている。
しかし、その流れを変えるべく自分達は動き出した。
バラバラだったコロニーが手を取り、二つになった。
それは今後もどんどん増えていくだろう。
二つの力が三つになれば、より強く。
三つの力が四つになれば、さらに強く。
四つの力が五つになれば、更に更に強く。
十になり、二十になり、三十になり。
百、二百、三百ともなれば、必ず変わる。
団結した力は、間違いなく『無力』を超える。
どうしようもない『絶望』を、打ち砕くこともできる筈だ。
敵は大きい。
しかし、自分達は一人ではない。
必ず、ノーマンに抗う。
必ず、ノーマンを打ち砕く。
その為の足掻きをする力が、今の自分達にはある。
地上調査隊となった子供達の胸に、大きな炎が宿った。




