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新人類に支配されても  作者: ぷちくん
文明人のコロニー編
18/28

【第17話】『二つの終わる日常』

「――ぉ、――レオ、ねぇ、レオ!起きてよ!」


自分を呼ぶ声が聞こえる。

ヴィンの声だろうか。

眠い、放って置いて欲しい。


「……むにゃむにゃあと五時間」

「えいっ!」


瞬間、両の胸にある先端部分に想像を絶する痛みが走った。


「いでででで!ばか!おまえばか!アーッ!クソッ!何だってんだチクショウッ!」

「おはよう、遅刻するとギルバさんに殺されるよ」

「こっちが殺されたかと思ったわ!あー、くそ、いてぇ」


一日が激痛から始まるということの辛さを、彼は理解できないだろう。

痛みを知らないからこそ、こんな悪行を続けられるのだ。

いつか必ず思い知らせてやる。


そう思って睨めつけていると、隣の部屋の扉が開いた。

テレサが、髪やら何やらを整えて戻って来たのだ。


「あ、レオおはよう〜」

「お、おはようテレサ」


テレサはニコリと微笑んで椅子に座り、いつものように電子パッドを弄り始めた。

両胸がジンジンと痛みながらも、その何気ない仕草に心が奪われる。


「……はぁ、まただ。参ったな」


彼女の横顔を見て溜息をつく。

最近、レオには小さからぬ悩みができた。

毎朝乳首を抓られるのも悩んではいるが、それよりももっと深刻な悩みだ。


――――というのも、テレサが可愛いのだ。


ここに来た当初は余裕がなくて頭から飛んでいたが、改めて見てみるとテレサはかなり可愛い。

性格や思考に関しては深淵な部分が多々あるが、それを差し引いても十分に可愛い。

そんな彼女が同じ部屋で生活しているのだ。

悩まない方がおかしいだろう。


最近はやけに色気が増してきた気がするし、膨らむべきところが膨らんできた気がする。

一緒の部屋にいると無防備な姿を見せたりするし、その警戒心の無い姿にむず痒くなってきて困る。

具体的にどこがむず痒いかは割愛するが、彼女はそういう事に配慮したりはしないのだろうか……


いや、配慮もなにも勝手なことをするつもりはない。

テレサは大切な家族だし、彼女に嫌われるようなことはしたくないからだ。

したくはないが、彼女は可愛くて近づくと良い匂いがする。

それは特に変な意味とかではなく、純粋に良い匂いがするなぁというだけであって……


「ええい!何を考えている!今日も訓練をしなければいけないのだ!そんなことを考えている暇はないッ!」

「うわっ、びっくりしたなぁもう。どうしたのレオ?」

「思春期だもん、しょうがないよ」


「違うッ!いや、違わないかもしれんが……っていうかテレサお前!わかってたのかッ!」

「あはは、なんのことー?」


恐怖で全身に鳥肌が立った。


『シシュンキダモン、ショウガナイヨ』


嘘だ、嘘だと言って欲しい!

今まで完璧に隠し通していたつもりだったのに。

彼女の言葉はまるで、自分の気持ちを『理解している』かのような物言いではないか。

男の子の思考を!思春期の思考を!


「ち、違うんだテレサ!俺はテレサが嫌がるようなことをするつもりはないし、テレサとは今まで通り仲良くしたいッ!だけど俺もほら、男としてのアレがあるんだよ!姉ちゃんがちょっと前に授業してたじゃんか!これはそれに類する問題であって、正常な生き物としての成長過程というか、不可抗力というか……わかるだろ!」


「えー、私は女の子だからわかんない」

「お、お前も授業受けただろッ!わかってくれッ!わかってくれよォ!」


テレサは薄い笑みを浮かべて見つめてくる。

まさか慌てている自分を観察して愉しんでいるというのか。

こちらは男女の間にある複雑な溝を配慮しつつ、良好な関係を維持する為に頭を痛めているというのに。


何という恐ろしい女だ!


「そ、そんな目で俺を見るなっ!俺は悪くない!やめてくれ!」

「ねえレオぉ、わたし肩凝っちゃったからぁ、揉んで貰ってもいい?」


「お前絶対わかってんな!わかってる上で弄んでるな!男心を弄ぶのは許さんぞテレサッ!」

「あはは、レオおもしろーい!録画するからもう一回やって!」

「ぬああああ!」


発狂するレオと電子パッドを向けるテレサのやり取りに、ヴィンは溜息をつく。


「二人とも何を騒いでるか知らないけど、お姉さん起こすから手伝ってよ」

「ぐぐぐ、仕方ない。テレサ!二度と男心を弄んだら承知しないからな!」

「はーい!」


何だか凄くしょうもないことで揉めていた気がするが、無かったことにする。

恥ずかしいような、いたたまれないような。やり場のない気持ちを誤魔化し、レオはアメリアのベッドに近づいた。

今日も馬鹿みたいな鼻提灯を出して、死んだカエルのように爆睡している。

あれだけ騒いでいたのにこの寝顔だ、災害が起きたら死ぬんじゃないだろうか。人のこと言えないけど。


レオは頬を叩いて気を引き締めると、既にヴィンにホールドされているアメリアの足の裏の前でしゃがむ。

一つ合図を交わし、今朝から溜まったありったけの鬱憤を彼女にぶつけた。


「おらっ姉ちゃんくたばれーッ!」

「お姉さん早く起きてー!」


こちょこちょこちょこちょこちょ


「んにゃはははッ!ごぼへっ!ごへっ!やめてやめて!起きます起きますっ!」


慌ただしくも充実した一日。

いつもの『日常』が、今日も始まる。



時同じくして、『ミストゾーン』から数百キロ離れた場所には、一つのコロニーが存在していた。

彼らには彼らの人生があり、彼らなりの『日常』が続いている。

しかし『ミストゾーン』と違うのは、彼らの日常に明日は来ないということだろう。


「アンナッ!」


一人の男が叫ぶ。

白い触手に絡め捕られ、空高く舞い上がりながら。


「アンナ―ッ!」


特出した才能もなく、偉大な功績もない。

凡人の域を逸しない平凡な男が、血まみれの口を精一杯に開けて叫ぶ。

助かる筈がないとわかっていても、叫ぶしかできない。


「ノリス!」


彼の叫びに、女性の声が応える。

彼と同じく白い化け物に捕らわれ、蒼天の彼方へと連れ去られながら。


「ノリスーっ!」


彼女も偉大な人ではなかった。

世界が望むような人でもなかった。

それでも彼女は愛されることを知り、愛することを知る人であった。


二人にとってお互いは、誰よりも特別な人だった。


「アンナッ!君を愛してるッ!君のことを誰よりもッ」

「ノリスっ!私もよ!私も愛してる!ノリス!」


血まみれの口を開けて、二人はお互いの名前を呼ぶ。

声は震え、涙は遥か後方へと飛んでいく。

ノリスは声を枯らして叫び、己の通ってきた道を悔いた。


どうして、もっと警戒をしなかったのか。

どうして、もっと早く気付くことができなかったのか。

どうして、誰も救うことができなかったのか。


友達も、家族も、愛する人も、誰一人残らない。

こうなる前に手を打っておくべきだった。

こうなる前に――――


全ては半年前に始まった。

『ホワイトスター』というコロニーの地上部隊が、自分たちのコロニーの地上部隊に対して攻撃を仕掛けてきたのだ。

彼らの先制攻撃によって、僕達は数名の死者を出した。

必死の撤退によりそれ以上の犠牲者が出ることは無かったが、心には深い傷を負った。


「代表、仲間たちの無念を晴らしてください」

「信じられん……まさか本当に、『ホワイトスター』が襲撃を……?」


事の顛末を説明すると、代表はかなり困惑した様子を見せた。

無理もない。『ホワイトスター』とは長年友好的な関係を築いてきたのだ。

襲撃されるなんて誰一人として考えてはいなかっただろう。

程なくして、二つのコロニーの間で話し合いの場が設けられることになった。


「お会いできて光栄、とは言えないでしょうね。エルモンド・ホワイトスター殿」

「ええ……わかっとります」


誰が悪いのか、どうしてああなったのか。

僕たちは総力を挙げ、徹底的に事実の究明を行った。

結果として、『ホワイトスター』の代表が全面的に非を認め、僕たちに謝罪と賠償を行うことになった。

残っていた映像などのあらゆる証拠が、彼らの襲撃を証明していたからだ。


「儂の先走った部下が、取り返しのつかないことをしてしまった。代表として心から謝罪する……」

「エルモンド殿、死んだ彼らは……彼らの人生は、一体何だったのですか」

「……本当に、申し訳ない」


『ホワイトスター』の代表は深々と頭を下げた。

対談の見張り役には、比較的精神状態の安定していた僕や他の仲間が選抜されたが、僕らとて穏やかな胸中ではいられない。

『ホワイトスター』の代表である彼に悪意がなかったとしても、彼の部下は僕たちの大切な仲間を手にかけたのだ。

簡単に許せる筈がないだろう。


「謝るだけでは我々の怒りは収まりません。罪なき命を奪ったことこに対する相応の誠意を見せて下さい。でないと、我々の関係は取り返しのつかないことになるでしょう」

「わかっとります、私どもにできる精一杯の償いをさせて下さい」


その後、『ホワイトスター』は事件を引き起こした地上部隊の隊長を引き渡し、賠償の為に物資を提供すると申し出た。

僕たちの代表はそれを受け入れ、襲撃の件は和解という形で幕を閉じる。

誰も納得はしていないだろうが、彼らの提示した賠償内容は妥協点としては十分なものだった。


「今日も来たぞー!」

「こりゃまた凄い量だな」


地上部隊の者が口々に漏らす。

あの対談以降、大量の食料、消耗品、機械が、日を分けて何度も運び込まれるようになった。

これだけの物資を吐き出すのは、相当な身を切らなければできない筈だ。

そこには確かに彼らの誠意を感じた。


引き渡された元隊長の男にはあらゆる拷問が行われた。

男は自らを地上部隊の隊長だと自覚していたが、襲撃の事実やコロニーの機密情報に関しては何も知らない、憶えていないと宣った。

重要な情報を守る為に記憶を消されたのだろう。

それは不誠実にも感じたが、男に数多くの拷問をしたことでコロニーに溜まっていた鬱憤は幾らか晴れた。


誰もが少しずつ怒りを収め、『ホワイトスター』を許してもいいと感じる者も増えていった。

警戒心が、なくなっていった。


――――それが僕らの犯した過ちだ。


何十回目かに送られた物資の中に、追跡装置が入っていたらしい。

最初の数回しか荷物の検査をしなかった僕たちは、それに気づくことなく大量の箱を拠点に迎え入れる。

仕込まれた装置により、拠点の位置は割れ、侵入経路も完璧に把握された。

そして、僕たちのコロニーは終わりを迎えることになった。


「おいノリス、お前いい加減にアンナに告れよ!」

「ぶっ!何を言いだすんだよガルロフ!」

「だってお前ら、両想いなのに全然付き合わねぇじゃん」

「う、うるさいな!僕たちには僕たちのペースがあるんだよ!」

「はぁ、そうやって奥手すぎると愛想を尽かされてだなぁ……って、なんだ?!」


それは何気ない日常の途中に起きた。

友達と他愛のない話をしている時、突然部屋の電気が落ちたのだ。

強力な電磁パルスを放たれたなんて、この時には思いもしない。


「うわっ、通路も真っ暗だ。こりゃ大規模な停電かな」

「すぐに復旧するよ。下手に動き回る方が危ない」

「ま、それもそうだな」


待っていれば元に戻ると思っていた。

だけど、何分経っても戻る気配はない。


「流石に遅くね?予備電源もあるし放送くらい入れるだろ」

「何かあったのかな、連絡入れてみようか」


僕は暗闇の中、電子パッドを探す。

暗くて何も見えないが、置く場所はいつも同じなので見つけることができた。

指に当たる感触を頼りに、電源ボタンを押し込む。

しかし、画面から白い光が溢れることはなかった。

それはそうだ、この一帯の電子機器は何一つ使えない状態になっていたのだから。


「あれ、つかないんだけど」

「ちゃんと押してんのか?」

「押してるよ!なんでだろう、充電が切れたのかな」

「いや、俺のもつかねぇ。なんか変だぞ」


ここで僕たちは初めて異常に気づいたが、時は既に遅すぎた。

外の通路から、複数の足音が聞こえてくる。


「お、誰か来たぞ。おーい!どうなってるんだー!」


ガルロフが声を掛けるが、返事はない。

足音は更に大きくなる。

粗暴で、強い意志を感じる足音だ。

僕は咄嗟に叫んだ。


「ガルロフ!ドアを閉めて!」

「はあ?何叫んだんだよノリス」

「いいから!早く!」


その後、彼は返事をしなかった。

扉を閉めることもなかった。

ただ、ドサリと鈍い音を立てて倒れただけだ。


「ガルロフ!ガルロフ!」


急いで彼の元へ駆け寄る。

扉の前に飛び出した時、何かが僕に刺さった。

そして僕も、彼のように意識を失った。


「うぅ、うぐ」


目が醒めると、そこは地上だった。

燦々と太陽が輝き、空は青く、肌に当たるアスファルトが熱い。

痺れる身をよじって顔を上げると、辺りに沢山の人が転がされているのが見えた。

みんな半裸にされ、口と手足を縛られ、身動きが出来ずにいる。

慌てて自分の身体を見ると、僕自身も同じように縛られていた。


そこら中から呻き声が聞こえ、取り囲む大勢の武装した者達を見て、ようやく僕は『捕まってしまった』のだと理解した。


「ぐふっ、ふご」


僕は慌てて人を探した。

ガルロフ、リージィ、エギロ、ラッコス、ハーレイ、アグラス……アンナ。

僕の中で最も大切な人たちを探した。

見回していると、彼らは次々に見つかる。


親友のガルロフが何かを叫んでいた。

妹分のリージィが泣いていた。

実兄のエギロが震えていた。

師匠のラッコスが転がっていた。

母親のハーレイが怒っていた。

義父のアグラスが絶望していた。

大好きなアンナと目が合った。


ああ、何ということだろうか。

全員がここにいる。

それは、決して喜ばしいことじゃない。

誰も逃げられなかった、ということじゃないか。

アンナ、君まで……。


パンパン!


手を叩く音が聞こえ、僕らの意識はそちらに向いた。

襲撃者の親玉だろうか。

誰がこんなことをしたのか、一体何が始まるのか。

様々な感情を渦巻かせながら視線を向けると、予想だにしていなかったものが目に入った。


――そこにいたのは、天使のように美しい一人の女性だった。

僕たちは言葉を失う。


挿絵(By みてみん)


「みなさま、こんにちは」


転がされた裸体の山の奥で、彼女は挨拶をした。

暖かい昼下がりのような微笑みを浮かべ、透き通る声は見た目に劣らず甘美な響きで脳を揺らす。

穢れのない純白の装いをし、金色の髪と瞳が太陽の如く煌めいていた。

人の心を奪うために生まれたとしか思えない、完成された美の結晶だった。

これほど美しい人は見たことがない。


彼女は視線を動かし、何人かの仲間を見た。

ちらり、ちらり、ちらりと見る。

それから最後に、僕のことを見た。

そして、僕を見つめながら言った。


「またお会いしましたね」


心臓が音を立てる。

動揺の波が広がる。

彼女は何を言っているのか。

僕が彼女と出会った記憶はない。

これほど綺麗な人は一度見たら忘れる筈がない。


他の仲間も、同じように動揺するばかりだ。

恐らく誰も彼女と会ったことなど無いのだろう。


にも拘らず、彼女は僕たちを知っているという。

彼女は一体、何者なのか。

ダクトテープで口を塞がれた僕達は尋ねようが無いが、彼女は答えた。

慈母のような優しい声で、耳を疑う残酷な真実を。


「私は『ノーマン』です。物資を受け入れて頂きありがとうございました」


そう言って彼女は微笑む。

咄嗟に理解できた人がどれほどいただろうか。

大半は聞き間違いか、或いは世迷言か、或いは夢の世界の話だと思っただろう。

僕とてその中の一人だった。

そうでも解釈しなければ、とても受け入れきれないと本能が理解していた。


だけど、現実逃避は長く続かない。

美しき白い女は、情け容赦なく僕たちに突きつける。

撃たれて死ぬよりも恐ろしい、悪夢のような現実を。


「皆様のコロニーは我々が責任を持って引き継ぎます。皆様の命も無駄には致しません」


否が応でも理解してしまった瞬間、全身が寒気立ち、肉も血も凍ったような気がした。

僕たちは、嵌められたのか。

『ホワイトスター』に、『ノーマン』に。

全ては僕達から、何もかもを奪い去る為に。


「お疲れ様でした」


白い女はそれだけを告げ、何処へと去っていった。


「んぐ、んぐぅ……ッ」


塞がれた口から嗚咽が漏れ、滴る涙がアスファルトを濡らす。

もうどうすることもできない。

僕たちは詰んだんだ。

『ホワイトスター』もきっと、ずっと前から詰んでいたのだろう。

操り人形だったんだ。

誰も、彼も。


「ンンンンン!!」

「ンゴ、フガッ、ンンン!」

「ンッフ!ンンン!」


知り合い達の声にならない阿鼻叫喚の中、一帯に奇妙な音色が響き渡った。

サイコウェーブという、人間の精神に影響を与えて行動力を奪う攻撃だ。

これほどの大音量を放つ存在は一つしか思い当たらない。

僕は絶望に打ちひしがれながら空を見上げる。

巨大な白き絶望、プテポリプスが迫って来ていた。


「ノリス!ノリスっ!」


名前を呼ばれたので視線を向けると、アンナと目が合った。

見れば口は血だらけで、貼り付いていた筈のダクトテープが剥げている。

まさか、地面に擦り付けて剥いだのだろうか。


そんな無茶ができる女性だとは知らなかった。

いつもは繊細で、針の一本も怖がるような人だったというのに。


「ノリス、わたし、私っ」


ボロボロと泣く彼女。

彼女の声に、彼女の姿に、胸が苦しくなる。


そんな顔をさせてしまってごめん。

君を守ることができなくてごめん。

無力な凡人でごめん。


空に散らばった小さな影が降ってくる。

プテポリプスの中に詰まっていた、ポリプという小型の生物機械(バイオメカノイド)だ。

あの中の一匹にでも捕まれたのならば、僕は二度とこの地面に触れることは出来ないだろう。


僕はアンナから視線を外し、アスファルトの地面に顔を擦りつけた。

もう時間はない。だからせめて、これだけでも。


一人、また一人と宙に連れ去られて行く。

それでも僕は擦り付ける。

口を塞ぐ邪魔なものを擦り付け、削って、削って、削って。


ゴリゴリと皮膚が削れ、神経が大音量で痛みを訴える。

構わない、知ったことか、痛みが何だっていうんだ。

僕にはこれしか出来ない、

君の気持ちに応えるチャンスは、この先残されていないんだ。


擦り付ける、削り取る、剥ぎ取る、引き千切る。


こういうのを“血の滲む努力”、とでもいうのだろうか。

僕は遂に、口の自由を得た。

その瞬間に身体が宙に浮く。

僕は叫んだ。


「アンナッ!」


人生のどんな瞬間よりも強く叫んだ。

魂を絞り出して叫び声を上げた。


「アンナ―ッ!」


皮肉なほどに壮大な景色の中で、青空の向こうから声が返ってきた。

よく知った声が、アンナの声が。


「ノリスっ!」

「アンナッ!」


ああ、もし誰かに伝えられるなら伝えたい。

コロニーの人々でも、中立都市の人々でも、人類基地連合の人々でもいい。

誰でもいいから伝えたい。


どうか僕たちのようにならないで欲しい。

彼らに騙されないで欲しい。

願わくば、二度と僕たちのような人がでませんように。


アンナ、愛している。



――――『日常』は終わり。


「起きてよレオ」

「むにゃむにゃあと五時間……」


「ていっ!」

「ンがぱーッ!」


『日常』は続く――――


挿絵(By みてみん)



レオ、ヴィン、テレサ、ニマ。

四人は『ミストゾーン』の面々に守られながら、何事もなく訓練の日々を続けていた。


「今日からは仮想現実運動装置(VRTM)を使うッ!ステップアップってヤツだ、喜べクズどもッ!」

「「はいっ!」」


ギルバの訓練は相変わらず厳しかったが、慣れとは凄いもので今では心を打ち砕かれるようなことは少ない。

基礎訓練が終わってからというもの、応用編は驚くほどの勢いで進んでいった。


「メス豚!どこを狙って撃っているッ!貴様の敵は地面なのかッ!」

「違います!」

ある日は射撃の訓練を行い。


「へたれ馬鹿!無線機の仕組みも知らんのかッ!今まで何を勉強してきたんだッ!」

「これから覚えるのですっ!」

ある日は道具の使い方を覚え。


「ウジ虫!貴様の応急処置は死ぬほど上手いな!つまり救いようがなく下手くそってことだッ!とっととやり直せッ!」

「今度は上手くやりますっ!」

ある日は応急手当の訓練をし。


「口だけ雑魚!何度捕まれば気が済むんだッ!そんなんでプテポリプスから逃げられると思っているのかッ!」

「ちくしょうッ、もう一回だ!」

またある日は、シミュレーションされた敵から身を隠す訓練を行った。


野営の訓練、機械操作の訓練、集団行動の訓練、緊急時の訓練、任務の訓練。


目まぐるしい日々が流れ、四人はついに一通りの訓練を修了する。

トレーニングルームの前で、ギルバは力強く語った。


「よく今日までやり遂げたなッ!これでお前たちは何の役にも立たないゴミクズを卒業し、最低限の立ち回り方を身につけたことになるッ!だが自惚れるなッ!お前たちが矮小な存在だということに変わりはないのだからなッ!」

「「はいっ!」」


張りのある声で答える四人。

以前と比べて、その立ち姿には力強さが滲んでいる。


「宜しい!では約束通り呼び名を改めよう!口だけ雑魚!貴様は今日から地上調査隊のレオ・ミスト・グレイフだ!」

「はいッ!」

「臆病ウジ虫!貴様は地上調査隊のヴィン・ミスト・グレイフだ!」

「はいっ!」

「メス豚根性なし!貴様は地上調査隊のテレサ・ミスト・グレイフだ!」

「はい!」

「最後にへたれ馬鹿!貴様は地上調査隊のニマ・ミスト・スタンシャだ!よく頑張ったなッ!」

「はいなのですっ!」


皆の肩を順々に叩き、ギルバは猛獣の顔で笑う。

訓練を開始してから二年の月日が流れ、四人はまた一つ成長を重ねたのだった。



「千メートル走タイムスコア」


1位:0分59秒「ギルバ・ミスト・ダグラス」

2位:2分23秒「ブライズ・ミスト・コニー」

3位:2分50秒「アロフ・ミスト・スプリング」

4位:2分51秒「マテュー・ミスト・マーケル」

5位:2分55秒「ニマ・ミスト・スタンシャ」

6位:2分56秒「スヴェン・ミスト・メイヤー」

7位:2分56秒「レオ・ミスト・グレイフ」

8位:2分57秒「エルヴィス・ミスト・フェリクス」

9位:3分7秒「アメリア・ミスト・エリス」


#中略#


15位:3分31秒「ヴィン・ミスト・グレイフ」

21位:3分50秒「テレサ・ミスト・グレイフ」


#中略#


110位:リタイア「寝るなロビン」



「ハッピバ~スデ~トゥ~ユ~♪ハッピバ~スデ~トゥ~ユ~♪」


食堂ではアメリア、エルヴィス、ニマ、他数人の親しい面々が集まっている。

彼らの歌声が重なり、三角帽子を被った三人の子供を祝う。

地上調査隊の訓練を終えて、十六歳の誕生日を迎えた、レオ、ヴィン、テレサだ。

誕生日の歌を変だと思うことは、すっかりなくなった。


「おめでとー!」

フラッシュが焚かれ、指笛が鳴らされる。


「ありがとうございます!」

「ありがとー!」

「恥ずいな……」


ヴィンが頭を下げ、テレサは微笑み、レオは照れ臭そうに頭を掻く。

パチパチと拍手がされて、エルヴィスによってカップケーキが運ばれた。

ささやかながら、誕生日の人に贈られることになっているものだ。

三人は滅多に食べられない嗜好品に目を輝かせた。


「おお、チョコのやつだ!」

「見て!刺さってる旗に『16』って書いてある!」

「去年は『15』だったよね!」


喜びの声を上げていると、アメリアが嬉しそうに指を立てて話す。


「今日はそれだけじゃないわ、プレゼントがあるの!」


三人が目を丸くした。

ミストゾーンに来てから四度目の誕生日になるが、贈り物を貰うのは初めてだ。

一体、誰が何をくれるというのだろう。


期待に心を躍らせて待っていると、一人の男がやって来た。

綺麗に整った髭を蓄える、ミストゾーンの指導者。

オースティン・ミスト・フランツだ。


「じゃっじゃ~ん!三人とも誕生日おめでとう!ワンダホ―なプレゼントを用意したから、受け取ってくれたまえ!」


剽軽なステップで登場したオースティンは気兼ねない友人のように微笑み、上着の内側から小さな箱を三つ取り出した。

シンプルな白無地の箱には、レオ達がそれぞれ好む色に合わせてリボンが巻かれている。

レオには黒と赤の縞々模様、ヴィンには白と青の菱形模様、テレサには黄色と桃色の水玉模様だ。

派手過ぎない飾り気のある三つのリボンは、白い箱が特別なものだと感じさせてくれる。


「おおっ!」

「わーかわいい!」

「い、頂いて良いんですか?!」

「勿論だとも、開けて中を見てごらん!」


恐る恐るリボンを解くと、白い箱の蓋が剥き出しになる。

それを片手で掴み、ゆっくりと持ち上げる。

箱の中に、黒い帯と銀色の光沢があるのを見つけた。

中身を取り出し、レオ達は唾を飲む。


「これはッ」

「そう、『ホロウォッチ』だ!」


『ホロウォッチ』とは、手首に巻き付けて使う道具だ。

普段は腕時計として使用可能だが、ホログラムのインターフェースを呼び出して様々な機能を利用できる。

ストップウォッチ、リマインダー、カレンダーは基本中の基本。

メモ機能、撮影機能、録音機能、電卓機能、辞典機能、歩数計機能、気温計機能、湿度計機能、体温計機能、距離測定機能。

ホロウォッチ同士での近距離無線通信から、マインスイーパーなどのミニゲームまで可能。

要するに、凄く便利な腕時計だ。


「こ、こ、こんなもの頂いて、だ、だ、大丈夫なんですか?!」


あまりの贈り物にヴィンの呂律が壊滅的になっているが、無理もない。

ただの腕時計ならいざ知らず、これほど多機能なホロウォッチは決して安い品では無い筈だ。


「いやぁ高い買い物だった。ミストゾーンの財産の大半を処分して何とか用意したんだ。明日からは貧乏な暮らしを強いられるだろうな。大事に使ってくれよ?」

「そんなの受け取れませんよ!」

「リーダー、冗談もほどほどに」

「ははは、アメリアちゃんの視線が怖いから種明かしをしよう。心配しなくても、それは無茶な贈り物ではないよ」


オースティンはアメリアから少し距離を取り、彼女と目線が合わないようにしながら贈り物の説明をした。


「地上調査隊になった者には全員渡しているものだ。だから気にせず使ってくれ。ただ、誕生日プレゼントでもあるから、他の皆よりはちょっとグレードの高いやつになっている。内緒だぞ?」

「なるほど、そういう事でしたか」

「なぬっ!それはニマちゃん聞いてないのですよっ!」


話を聞き、笑顔で見守っていたニマが物凄い形相で迫って来た。

ヴィンの貰いたてのホロウォッチを掴み、自分の腕に巻き付けているものと比べている。


「そっか、ニマはもう貰ってたんだね」

「むむっ!確かにビンビンの方がちょっとゴツくてカッコいいのですっ!交換を申し込むのですっ!」

「そ、そんな……っ!」


ずいずいと引っ張られる。

このままでは強引に交換されてしまう。

初めてのプレゼントが、貰って一分で奪われてしまう。

そんな絶望感に崩れ落ちそうになっていると、アメリアのチョップが炸裂した。


「こらっ!それはヴィンの物よ。羨ましいからって盗ったら駄目でしょ!」

「これは交換なのですっ!取引なのですっ!」

「相手が嫌がってたら泥棒と一緒よ!」

「むむむっ!」

「ヴィンも、嫌ならはっきり拒絶しないと駄目よ。世の中、優しい人ばかりじゃないんだから」

「は、はい」


やんや言われている二人を尻目に、レオとテレサは早速ホロウォッチを巻き付けて眺めていた。


「どうよ?似合ってるか?」

「いい感じ!私はどうかな?」

「いいじゃん、か、かわ……スタイリッシュだぜテレサ」

「えへへ」


その後も、三人はカップケーキを食べたり、皆でゲームをしたり、オースティンのすべらない話などを聞いて誕生日パーティーを楽しんだ。

一つの『日常』に区切りがつき、地上調査隊という新たな『日常』が始まろうとしていた。



緑色の髪が揺れ、一人の男が夜空の先を見据える。

大山脈を縦断する廃都市の奥にあるのは、とある小さなコロニーだ。

彼らこそ確かめるのには相応しい。

男は静かに呟いた。


「ミストゾーン……お前達は我々の敵か?」

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