【第15話】『誰も知らない動画』
エルヴィスが去ってからも、パーティーは続いていた。
「エルヴィスさんの過去って何があったんですか?」
テレサが尋ねた。
確かに彼の過去を知れば、自分たちに取った態度が腑に落ちるかもしれないし、そこから友好的な関係に繋げる糸口が見えてくるかもしれない。
「話すと長いけどね、彼は最初人間扱いされなかったのよ」
アメリアは悲しい思い出をなぞるように話し始める。
*
男はパーティーを去り、暗い部屋で独り沈む。
無機質な壁だけが彼の情けない姿を隠してくれた。
男の名はエルヴィス。
狼のような見た目に似合わず、彼の心は繊細であった。
「また君に、嫌われてしまったのだろうか」
体育座りで顔を埋めるエルヴィスは、光る画面に向かって喋りかける。
画面の向こうには誰もいない。
録画アプリが立ち上げられ、沈んだ己の声と姿を写し取っているだけだ。
「僕はできた人間なんかじゃない……仕方がないじゃないか……」
彼は他人に言えない気持ちを吐き出す時、こうして動画を撮ることがある。
誰かに見せる為ではなく、壁に語りかける虚しさを埋める為の聞き手として、動画という手段を選んでいた。
「わかってるよ、僕が大人気ないことなんて……でも、わかって欲しかったんだ……」
男は寂しそうに言うと、肩に入った力を抜いた。
そして黙り込んでから、訥々と話し始める。
「少し昔話をしようと思う。僕は二年前に来た彼らと同じようにアデス教徒だった。村の場所は違うけど」
電子パッドの画面には、暗い男の顔が映っていた。
カメラとマイクは男の人生の一部を記憶する。
誰も知らない動画として。
*
僕にはお父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃん、そして妹の「フェリシア」がいた。
銀髪で凛々しい顔をしていて、将来は絶対に美人になると、家族がちやほやしていた。
フェリシアは僕の妹だが、友達のようでもあった。
気が強い彼女は、何かある度に僕と張り合おうとしたし、負けるととても悔しそうにした。
駆けっこも、木登りも、女の子なら頑張らないようなことも、僕がやるのを見て真似をした。
どこに行くにもついて来ようとした。
彼女なりに、僕のことを慕ってくれていたのだと思う。
そんなフェリシアと僕は、ある秘密を共有していた。
秘密基地だ。
僕たちは皆に内緒で、結界付近に地下の秘密基地を作った。
たまたま面白い形の裂け目があったから、木や泥を被せて部屋にしたんだ。
別に何をするわけでもないけど、家族の小言に疲れた時にその場所へ逃げ込んだ。
アデスの教えには良くないかもしれないけど、僕たちは言いなりにならない自分達がカッコいいと思っていた。
ある日、僕たちは朝の祈りをサボって秘密基地にいた。
別に珍しいことじゃなく、寝起きに小言を言われたとか、何となく行く気分じゃないとか、そういう些細なことで理由をつけては、こっそり抜け出しては駆け込んでいた。
悪ガキの趣味みたいなものだ。
村人が二千人もいれば、毎日誰かしらは抜けている。
対して悪びれることもなく、僕と妹は秘密基地を謳歌した。
いつも通りの一日のつもりだった。
その日が、僕たちの村の最後の日だった。
死の天使の「絶望の唄」が、一帯に響き渡った。
それも一つじゃなく、複数の旋律が重なって大音量で奏でられていた。
立とうとしても足がガクガク震えて言うことを利かないし、理由もわからないまま負の感情が押し寄せてきて、潰れそうだった。
祈りをサボったから、秘密基地なんて作るから、とうとう罰が当たったのだと思った。
地面に這いつくばったまま震える声で何度も神様に謝る。
「ごめんなさいアデス様、僕たちのしたことを許してください、僕たちのことを助けて下さい」
「私達を許してください、許してください、ゆるしてください」
長い時間が経ち、絶望の唄が聞こえなくなってからも、僕たちは動けなかった。
外に出たら死の天使が待ち構えていて、殺されてしまうかもしれないと思ったからだ。
怖くて怖くて仕方がなかった。
お腹が減っても、僕たちは動かない。
「お兄ちゃん……お腹減ったよぉ……」
「我慢だフェリシア……今は我慢するんだ……」
用を足したくなっても、僕たちは我慢した。
「お兄ちゃん……おしっこ行きたい……」
「駄目だ、まだ駄目だ……きっとまだ、死の天使がいるかもしれない……」
日が落ちて寒くなっても、僕たちは震えたままじっとした。
「お兄ちゃん……寒いよ……」
「まだだ……まだ、駄目だ……」
どれほどそうして過ごしたのだろうか。
いよいよ我慢の限界になり、僕たちはびくびくしながら地上へ戻った。
そこにあったのは果てしなく広がる夜空と、明りのない村だった。
「お兄ちゃん……誰もいないよ……」
「死の天使も、村人も、消えたのか……」
僕たちの家も、他の人の家も、畑も、教会も、誰もいない。
家畜はいたが、人影と呼べる者はどこにもなくなっていた。
村人がノーマンに攫われたなんて、その時は知るはずもない。
理由もわからないまま、見知った人達が消えた。
「みんな、どこに、どこに行ったんだよ……!」
「隣の家も、誰もいないよ、なんで」
家族も、友達も、神官も、誰もいない。
それは恐怖以外の何物でもなかった。
途方に暮れ、無意味に村の中を歩き回り、声を掛け、教会の像の前で祈った。
やがて、僕たちのしていることには何の意味もなく、僕たち以外には誰もいなくなったのだと気づいた時、フェリシアは嗚咽を漏らした。
「私達が秘密基地なんて作るから、結界が壊れて村が滅んじゃったんだ」
僕は絶望し、彼女も絶望した。
そして彼女は、無人の家から刃物を持ち出して自殺をしようとした。
僕は止めた。
どうしたらいいのか分からないまま、必死に彼女を止めた。
支離滅裂な言葉で彼女を説得した。
それから一悶着も二悶着もあったけど、僕たちは村を出ることにした。
他にも村があるかもしれないし、そこに行けば助かるかもしれないと思ったから。
森を彷徨っていたら、化け物に襲われた。
多分、「人喰らい」と村で恐れられていた化け物だと思う。
「お兄ちゃん!逃げてっ!」
「ぐあッ!」
反応が遅れて捕まりそうになった僕を、フェリシアが突き飛ばして助けてくれた。
代わりに掴まれた彼女は、何を成すこともなく、何を言うこともなく、化け物に齧られて絶命した。
別れの時間も、祈りの時間もない。
「フェ、フェリシア……?!フェリシアッ!」
さっきまで一緒に喋ったり動いたりしていたのに、本当にあっけない最期だった。
化け物は齧ったフェリシアの首を、まるで種でも吐き出すかのように吐き捨てた。
赤いものを撒き散らしながら、重々しい肉の塊が転がる。
そして、残った妹の身体をその場に置いたまま、僕の方を見つめて嗤った。
「ば、化け物」
僕は心の底から震え上がり、声にならない悲鳴を上げて逃げ出した。
妹の仇を取ろう、憎しみを晴らそう、なんて大層な感情は湧いてこない。
死を感じる時間も、悲しむ時間もない。
怖い、死にたくない。僕はそれだけを感じ、一目散に逃げた。
理性など全て捨てて、本能のまま逃げた。
「うわあああああ」
方角もわからないまま森を駆け抜け、名も知らない植物を飛び越え、暗い土を踏んで知らない世界を逃げ続けた。
今までの人生で一番速く走ったかもしれない。
村の誰よりも早かったかもしれない。
だけど、僕は捕まった。
僕の必死の逃走など、化け物にとっては児戯だったのだろう。
いとも容易く掴み上げられ、身体を締め上げながら僕を持ち上げる。
真っ白で、巨大な化け物。
牙を生やし、目は赤く、皮膚は鱗のようなもので覆われている。
糸を引く口元からは臭気が漂い、妹を噛み千切った赤色が見えた。
「ひぃッ!」
情けない声が漏れる。
怖い、助けて、許して、帰して、離して、食べないで、殺さないで。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。
化け物は口を開き、ゆっくりと僕の頭を覆った。
僕は死を悟る。
齧られて妹のような肉の塊と化す。
ならばせめて、痛くないように、痛くないように、痛くないように。
僕は祈り、目を閉じた。
ぼす
砂袋を叩いたような音が聞こえ、全身が揺れる。
喰われるってこんな感じなのだろうか、などと妙に冷静な自分がいた。
痛みはない、もう死んだのだろうか、それならば良かった。
これから僕はどうなるのだろうか、天国に行けるのだろうか。
妹に会えるのだろうか。
ぼす
再び音が鳴り、化け物の絶叫が鼓膜を殴る。
身体に大きな衝撃が走り、土の匂いが舞い上がった。
僕は思わず目を開ける。
見えたのは地面、そして大地を揺らす振動だ。
「グオオオオ!」
見上げると、人喰らいの化け物がいた。
真っ白な巨体はこちらに見向きもせず、木々の向こう側へ怒り散らしながら駆けていく。
僕は反射的に手を動かして、自分の身体を触った。
腹から胸へ、胸から首へとなぞり、頬の熱を右手が感じ取る。
首が繋がっていることに安堵し、同時に自分がまだ生きていると理解した。
バギィン
大きな音がして顔を上げると、森の木が弾き飛ばされていた。
何が起こっているのかわからない。
化け物は目にも止まらぬ速さで暴れ、前足を振り抜く度に木々が粉々に飛散する。
絶叫を上げ、何かを追い回し、次々に暴れていた。
バクバクと音を立てる胸を手で押さえながら、化け物のいる辺りを視線で追う。
今のうちに逃げよう、という考えは浮かばなかった。
僕は釘付けになっていたのだ。
化け物と戦う、「人間」の姿に。
その男は、村の誰とも違う装いをしており、両腕両足は不気味な光沢を放っていた。
人間とは思えない動きで木々を飛び回り、手に持っている奇妙な道具がパスパスと間抜けた音を立てる。
その度に化け物は絶叫し、謎の男を仕留めようと追い立てる。
混乱した頭でも理解できた。
彼はあの化け物と、対等に戦っている。
「し、神官様?」
僕の馬鹿な問いに、答えは帰って来ない。
代わりに強烈な光と音が轟いた。
目が眩み、耳が聞こえなくなり、その場に倒れる。
今のは一体何だったんだ。
僕は殺されてしまったのか。
少し時間が経つと、目と耳は元に戻った。
混乱したまま先ほどの方角を見ると、謎の男は化け物の背中に飛び乗っている。
何て危険なことをしているのだと驚く暇もなく、牙だらけの口に何かを押し込んで後方に跳躍した。
男は枝を掴んで一回転し、空中で身体を捻って化け物の方を向き、着地と同時に地面に伏せる。
数秒後、凄まじい破裂音と共に化け物の頭が弾けた。
小さな肉片がこちらまで飛んできて、僕は情けない声を上げて後ずさった。
辺りが静まり返ってから、理解する。
――――殺した。
彼は、あの化け物を殺したんだ。
男が化け物に近づいていく。
黒い武器を構えたまま、赤白い死骸を蹴ってひっくり返した。
ひとしきり動き出さないことを確認してから、男は僕の方へやってきた。
名前も知らない武器を向けられ、強い口調で話しかけてくる。
僕は彼の言葉が理解できなかった。
必死に助けを求めて、起きたことを洗いざらい話したけど、彼は溜息をつくだけだった。
どうすればいいかわからずにいると、彼は僕の首に手刀を叩き込み、意識を奪った。
これが僕と「ミストゾーン」の出会い。
全てを失った僕は、ただ一人彼らに連れて行かれた。
*
僕はミストゾーンで暮らすことになった。
最初の頃のことはあまり思い出したくない。
本当に辛い日々だったから。
僕は人間扱いされなかった。
裸にされ、猿轡を噛まされ、手足を縛られ、何もない部屋に放り込まれた。
一日中監視されていて、どこにも行けない。
床に糞尿を垂れ流し、機械が掃除をした。
時折変な機械で頭を調べられたかと思えば、また部屋に放り込まれた。
何をされるかわからない恐怖に襲われて、眠ることもできなかった。
「フェリシア、ごめんよフェリシア。僕なんかのせいで、君を死なせてしまった。こんな兄でごめん」
嗚咽を漏らし、心の中で懺悔する日々が続いた。
村や家族、フェリシアを失った痛みでどうにかなりそうだったが、誰も僕に優しくしようとはしない。
彼らにとって僕は、敵でも味方でもなく、対等な人間でもなかった。
言葉の通じない僕と彼らは、あまりにも違う人間だったから。
暫くして、一人の男がやってきた。
彼は自らをリーダーと名乗り、僕の理解できる言葉で話しかけてきた。
「私の言っていることがわかるかね?わかるならば首を縦に振ってほしい」
僕は言われるがまま首を振った。
それを見て、彼は小奇麗な髭が生えた口元に笑みを浮かべる。
彼の言葉はひどく訛っていたが、話が通じるというのはそれだけで希望の光だった。
「このような扱いを許してほしい。なにぶん私達にとっては初めての試みでね、君を連れ込むことさえ苦労したんだ。さて、君の言語野を解析するのには時間が掛かったが、おかげで私は君と話ができるようになった。積もる話もあるだろうが、まずは名前を聞こう。君の口からね」
「……え、エルヴィス、です」
僕が掠れた声で答えると、彼は頷いて話を続けた。
「エルヴィスくん、だね。ありがとう。そして先に謝っておく。君は辛い出来事を経験したと思うが、私たちはまだ君に快適な生活を与えることはできない。君は信用を得るのが難しい立場にあるからだ。時間をかけ、君が悪い存在ではないと理解を得られるようになったら、待遇も改善していきたいと思う。それまでは辛いかもしれないが、どうか耐えてほしい」
その日から、僕の扱いが多少変わった。
猿轡が外され、服を渡され、何もない部屋には椅子と机、簡易ベッドと簡易トイレが置かれた。
相変わらず閉じ込められ、自由と言えるものは何もなかったけど、毎日決まった時間に彼と会話するようになった。
いや、会話というには一方的だったが。
「やあ、エルヴィスくん。昨日の続きだ、覚えていることを教えてほしい」
「ここは、どこですか、僕は、村は、どうなったんですか」
「君の質問には答えられない。私の質問に答えてくれ」
僕は彼の質問に答えるだけの日々を送った。
僕が何を聞いても、彼ははぐらかして何も答えてくれなかった。
起きて、食べて、質問されて、食べて、体を拭いて、寝る。
それだけの生活がしばらく続いた。
どうしてこうなっているのか、彼らは何なのか、何も分からないまま日々は過ぎ、毎日が怖くて、助かりたくて、死にたくない気持ちでいっぱいだった。
だから、少しでも良い人に見られるよう反抗的な態度は極力取らないようにした。
その努力が功を奏したのかはわからないが、チャンスが訪れた。
彼に自分達の言葉を覚えるように言われた。
僕はアデス語しか知らなかったが、すぐに了解して必死に彼らの言葉を勉強した。
その結果次第で、僕の運命が決まると思ったから。
聞いたことのない言葉を覚える為に、見たことのない道具を使い、やったことのない勉強をした。
何一つわからない状態からだったが、生きる為に必死に取り組んだ。
文字という概念を覚えるのには苦労をしたが、死に物狂いで覚えた。
他に何もできなかったので、殆ど毎日を勉強に費やした。
そうして、言葉を少しずつ話せるようになってから、僕への態度も変わっていった。
退屈凌ぎになる本や道具を貰えたし、時々雑談しに訪問してくれる人もいた。
リーダーの名前が「オースティン」さんで、化け物を倒したのが「ギルバ」さん、ということも初めて教えてもらった。
自分がどんな場所にいて、何が起こったのかも、ようやく知ることができた。
それでも、部屋から出ることはできなかったけど。
時間が経って、オースティンさんから新しい仕事を任された。
辞書を作る仕事だ。
僕は大体の会話はできるようになっていたし、本も読めるようになったから、辞書作りには適任だったのだろう。
資料や電子パッドを与えられ、ひたすら翻訳作業を行った。
アデス語に文字は無かったから、そこから作る作業だった。
単語を当てはめて、文法を変換して、膨大な作業を地道にこなしていった。
監視はされていたけど、その頃には見張りの人とも仲良くなったし、明らかに警戒する人はいなくなっていた。
アデス語は名詞が少ないので、翻訳は僕一人でもある程度は進んだ。
基本会話を行えるくらいの量をこなした頃、再びオースティンさんがやってくる。
「エルヴィスくん、君の素晴らしい働きを見込んで、新しい仕事を任せたい。場所も現在の隔離所から、コロニー内に移動してもらう。待遇も改善しよう。どうかね?」
二つ返事で受け入れ、僕は新しい仕事を始めた。
それは、「授業」を行うというものだった。
僕が教えられるのはアデス語しかない。
だから当然、アデス語の先生という役回りだ。
最初の生徒数は少なかった。
「レギーナ」と「アメリア」という二人の女性だけだった。
だけど、僕にとっては忘れようもない人達だ。
「レギーナ」さんは僕よりも三つ年上で、強い女の人という印象だった。
金髪に八重歯が特徴的で、姉貴という言葉がよく似合っている。
僕に姉はいなかったけど、もしいたらこんな人だったのかもしれないと思った。
「アメリア」は僕よりも三つ年下で、何となく妹に似ていた。
髪や目の色は違ったが、顔立ちや雰囲気がフェリシアと重なった。
思わず涙ぐんだ僕は、変な奴だと思われたことだろう。
僕は二人の先生として、日々授業を行なった。
二人は凄く勉強熱心で、僕なんかよりずっと早く言葉を覚えた。
それは少し悔しかったけど、彼女達に教える日々は楽しかったし、二人のことは好きだった。
妹と姉ができたみたいで嬉しかった。
二人とも優しい人だった。
ある日、レギーナさんが消えた。
地上調査隊だった彼女は、いつも通り外の世界に出掛けて、帰って来なかった。
多分、それが原因だと思う。
アメリアは強い子になって、地上調査隊を目指すようになった。
僕は必死に止めた。
アメリアを妹のような存在だと思ってた僕は、消えたレギーナさんと、齧られて死んだフェリシアの幻影が過り、彼女の決意を否定した。
初めてアメリアと大喧嘩をしたし、初めて女の人を殴った。
結局、彼女の決意を変えることはできず、僕はアメリアに嫌われた。
荒んだ心の隙間を埋めるように、僕は授業と翻訳に邁進する。
やがて、僕の翻訳が人類基地連合との取引で役に立ったらしく、オースティンさんが皆の前で褒めてくれた。
授業の数も増えて、毎日誰かしらが勉強に来るようになり、僕も頑張って教えた。
数年が過ぎて、ミストゾーンの二割の人がアデス語で会話をできるようになってから、僕は正式なミストゾーンの一員として認められた。
長い、長い、長い時間だった。
名前を貰い、誕生日を決めて、個室を貰った。
この場所での「普通」を手にした。
八年掛けて、ようやく僕は対等な家族として受け入れて貰えたんだ。
それから、オースティンさんに「好きな仕事をして良い」と言われた。
今まで指示通りにしてきた僕は、何をしても良いと言われて戸惑った。
自由の使い方がわからなかったから。
でも、僕は地上調査隊で働くことにした。
色んな人から色んな仕事に誘われたけど、全てを断って地上調査隊に入った。
理由は二つある。
一つは、僕を化け物から助けてくれたギルバさんを尊敬していたこと。
彼の役に立ちたかったし、彼のように強くなりたかった。
そしてもう一つは、アメリアが地上調査隊だったからだ。
彼女とは喧嘩してしまったけど、気にかける気持ちはずっとあった。
アメリアは僕の妹に似ている。
彼女にとっては知ったことじゃないだろうけど、僕の中では重要なことだった。
だから地上調査隊に入って、彼女を守りたいって思った。
レギーナさんや、妹みたいな最期を迎えて欲しくなかった。
嫌な顔をされるとしても、僕は厳しい訓練を受けた。
地上調査隊に入ってから、少しずつ関係がよくなった。
僕は過去に殴ってしまったことを謝り、アメリアも困り眉を作って許してくれた。
会話が増え、たまに冗談を言い、笑い合えるようになった。
僕の誕生日には、歌を歌ってくれた。
死んだ妹の話をしたら、彼女は僕を抱きしめてくれた。
いい歳をしている癖に、泣いてしまった。
そうして過ごしていくうちに、僕は新しい居場所にすっかり溶け込んだ。
過去の傷は無くならないけど、長い長い時間をかけて、僕はようやく前向きに生きられるようになったんだ。
新しい人生を進んでいこうと思えた。
――――君があの子達を連れてくるまでは。
君が生きて帰って来てくれたのは、本当に良かった。
君が死んでしまったら、僕はどうにかなっていただろう。
だけど、君が連れて来た「彼ら」は僕の今までの人生を否定した。
僕にはそれが許せなかった。
君に僕の気持ちはわからないと思う。
僕は本当に孤独だった。
監禁されて何の自由もなく、味方してくれる人なんて誰もいない。
家族や友達は死んで、残された僕には情報源としての価値があっただけ。
何か一つ間違った態度をとれば、簡単に消される命だった。
あの時の恐怖は、不安は、決して消えることはない。
でも、レオ、ヴィン、テレサ、彼らは違う。
言葉が通じないわけでも、裸にされて猿轡を咬まされる訳でも、床に糞尿を垂れ流す訳でも、閉じ込められて監視される訳でも、孤独な訳でもない。
周りは彼らを気遣ってくれる。
僕みたいな前例があったから、色々と理解してくれる。
最初から人間として扱って貰える。
僕の時はそんなのなかった。
何年も経ってようやく理解してもらえたんだ。
彼らはズルい。
僕が苦労して築いた物の上に、当然のように入り込んできた。
自分達が人間扱いされるのは僕のおかげなのに、そのことを知らない。
彼らが名前を貰うのに三日もかからなかった。
僕は八年もかかったのに。
不公平だ。
だから僕は、嫉妬した。
彼らの誰かが僕で、僕が彼らの誰かだったら良かったのにって、思ってしまう。
醜い心だって自分でもわかってる。
君が怒った理由も頭ではわかってる。
でも、悔しいんだ。
どうして、僕は独りだったんだろうって。
それが悲しいんだ。
「ああ、クソ……」
俯き、やり場のない気持ちに沈む。
こんな動画に吐き出したところで、何にもならない。何も解決しない。
思い詰めて苦しくなるだけだ。
わかっている筈なのに、馬鹿みたいだ。
嫌われてしまうのも当然だ。
何も言わないまま、どれだけ時間が経っただろう。
悲しみと、怒りと、切なさが混ぜこぜになり、心を苛んでいる時、静かな部屋の扉がコンコンと音を鳴らした。
軽い音。
子供か女性の手が、この部屋の扉をノックしている。
「エルヴィス、もし起きてたら、少し話さない?」
聞こえてきたのはアメリアの声だった。
返事をするか迷う。
無視をするのは申し訳ない。
だけど、こんな姿を見せたくない。
情けない自分を、これ以上見せたくなかった。
「寝てるのかな……」
そうして返事を躊躇っている内に、扉に大きなものが当たり、下へ擦られていく音がする。
そして、先ほどよりも低い位置から彼女の声が聞こえてきた。
「さっきはごめんね、エルヴィス」
喋りかけているのか、独り言なのか、アメリアは扉の向こう側で話し始める。
僕は部屋の中で息を殺し、彼女の言葉を待った。
「私、気がまわらなかった。そうだよね、あなたはずっと苦しんでたのよね……気付かなくてごめんね……」
わかる筈はない。
だけどアメリアは僕に共感した。
「羨ましかったよね……悔しかったよね……あなただって、最初から大切にされたかったよね……」
わかる筈はないのに、アメリアは悲しそうな声で僕を憐れんだ。
「あなたが一番苦しんでる時に、一番怯えてる時に、何もしてあげられなくて、ごめんね……」
わかる筈がないのに、君の言葉は僕の胸に刺さった。
「あなたの妹じゃなくて、ごめんね……」
嗚咽に似た感覚が込み上げる。
彼女の優しさが胸を抉る。
心が痛い。
「私はフェリシアちゃんじゃなくて、あなたの苦しみを全部わかってあげることもできない。だけど、エルヴィスのことは大切に思ってるよ」
アメリアはこんなにも優しいというのに。
今の僕は、こんなにも優しくされているというのに。
「いつもありがとう、エルヴィス」
僕は、醜い奴だ。
「アメリア、ぼ、僕は……」
あの子たちを突き放して、あの子たちを怖がらせた。
僕だけが彼らを憎み。
僕だけが彼らに嫉妬していた。
「……やっぱり起きてたのね、もう」
アメリアに怒られて、自尊心を傷つけて。
女々しく部屋に篭って、アメリアに気を遣わせて。
「僕は、どうしようもない……男だ……」
「……そうかもしれないわね」
彼女の同意が胸に刺さる。
自分で言った癖に、滑稽な話だ。
情けなくて、しょうもない。
ちんけな男だ。
「君に嫌われても、当然だ……」
すぐに返事は来なかった。
沈黙が流れ、扉に擦れる衣服の音だけが、まだアメリアがいることを伝えてくれる。
そんなか細い繋がりが、途切れてしまうのではないかと不安になる。
困らせてしまったか、呆れられてしまったか。
これ以上、何を伝えればいいのか。
唇を噛んで俯いていると、アメリアが口を開く。
「命の恩人を、嫌ったりしない」
彼女は言った。身に覚えがまるでないことを。
命を助けたことなんて、一度もない。
そんな大層な人間じゃない。
「……僕は、何もしてない。何もできない」
「ううん、私が生きているのも、あの子達が生きているのも、あなたのおかげ」
何を言っているんだろう。
僕は二年前に君を助けられなかった。
あの子達にも冷たく当たるばかりで、助けたことなんてない。
ましてや、命の恩人なんて。
「あなたがここに来て、アデス語の先生になって、私に教えてくれた。だから、私はアリストさん達に助けて貰えて、あの子達と逃げることができた」
「あなたは私の命の恩人、そして、あの子達の命の恩人」
「あなたは、私達のお兄ちゃんよ」
優しい彼女の、優しい言葉。
その一つ一つが、心に染みた。
僕を惨めにさせたのは彼らじゃない。
僕自身だ。
「……アメリア」
僕が変わればいいだけだ。
捻くれてた見方を、やめればいいだけだ。
「すまない、アメリア」
「いいのよ、エルヴィス」
別にいいじゃないか、彼らが恵まれていたって。
僕だって、同じものを持っているのだから。
別にいいじゃないか、僕が彼らじゃなくたって。
僕は、誇れることをしたんだから。
「私も、あの子達も、あなたのことを頼りにしてる。今までも、これからも」
「だから」、と言って彼女の立ち上がる音がした。
「あの子達のことも、よろしくね」
それからゆっくりと、扉の向こうから気配が消えた。
その消失感は少し切なくて、寂しくて、だけど優しい。
「ありがとう、アメリア」
心の声が零れた。
すぐに変われるかはわからない。
また彼らと自分を重ねて、羨ましくなってしまうかもしれない。
それでも、もっとあの子達のことを知ろうと思った。
少しずつでも、寄り添ってみようと思えた。
今度会ったら謝って、話して、それで。
それでいつかは、仲良くなろう。
そう思って僕は、画面のボタンに指をかけた。
「人を嫌うのも楽じゃないね」
――――記録終了、記録者:エルヴィス・ミスト・フェリクス。




