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春を待つ日々  作者: 苅野しのぶ
実りの秋(とき)
13/34

(3)

 翌朝は早くに目が覚めた。

 ゆっくりと起き上がり、時間をかけて慎重に着替える。といっても、寝間着がわりに着ていたTシャツとスウェットパンツから、別のTシャツと、どうにか街着として通用しそうなゆったりしたパンツになっただけのことで、正直たいした違いはない。着替えやすさと動きやすさが最優先で、あとはそこら中に走る傷痕が隠れてくれればそれでいい。おかげで真夏に長袖を着ていることになるのだが、ヘンに気遣われたり、ギョッとされたりするよりはマシだろう。

 その後は、「自室」を観察することに費やした。

 サイドテーブルの上には財布が置いてあって、中身を確認すると、現金のほかにキャッシュカードとクレジットカード、保険証と免許証が入っていた。どれも名義は「澤田智行」、免許証の写真も鏡に映る己と同一人物のように見える。ここまできて疑うわけではないけれど、それでもまだ、ピンとこないというか、狐に摘まれたような気がしないでもない。

 クローゼットを開けてみると、中に、CDラックと文庫本の収納ケースがあった。興味がないわけではないが、タイトルまで確かめるには屈まねばならず、それは諦める。バーにかかっている洋服が冬物なのは、事故に遭ったときのままだからだろう。コート、ジャケット、マフラー。どれもモノトーンのシンプルなもので、「好きに選べ」と言われたら、自分が選択しそうなもののようにも思われた。

 そのほかに見るほどのものは何もなく、財布の脇に置かれていた二個のクルミを手に、窓から外の景色を眺めてみた。生け垣がわりのゴールデンクレストのすぐ向こうは隣家の庭で、サルスベリの花が咲いている。よく手入れされた芝生の緑と、サルスベリの鮮やかなピンクが、いかにも夏らしい景色を作っていた。


 それからさして待つほどもなく、二階で歩きまわる音がかすかにして、まもなく玄関のドアが開閉する気配がした。時計を見るとちょうど六時を過ぎたところで、杖を頼りにゆっくりとリビングまで歩いていくと、こちらの玄関の鍵がカチャリとまわり、広瀬が中に入ってきた。

「おはよう」

「ああ、やっぱり起きてたか。夕べは眠れた?」

 うん、と頷くと、そう、と頷き返される。

 なんとはなく二人で同じ方に目を遣ると、小さなソファベッドにくるんと丸くなって眠る、和人がいた。

「和人。そろそろ起きないと、仕事に遅れるよ」

「う……ん」

「和人! 目を覚ませって!」

「んーーーっ」

 広瀬は和人の肩を揺さぶって、どうにかこうにか、とろんとした寝ぼけ眼が半分ほど開きかけたのを確認すると、キッチンへ行って朝食の支度をはじめる。

「悪いな。昨日も遅くまで起きてたから、寝不足だろう」

 昨夜はテイクアウトの中華料理で簡単な食事を済ませると、すぐに休むようにと指示されて、広瀬もさっさと二階へ戻り、それぞれ早めの就寝となったのだが、和人が一時間おきぐらいに部屋の前まで忍び足で様子を窺いにきていたのは気づいていた。よっぽど、大丈夫だからお前も寝てくれと声をかけようかと思ったが、そうすると余計に和人の安眠を妨害する結果になりそうで、黙っていたのだ。

 和人はつぶらな眸をパチリと開けて、いつもとは逆に眠っている自分が見下ろされているのに気がつくと、ガバッと跳ね起きた。

「おはよう、澤田くん」

「おはよう」

「ちゃんと眠れた?」

「ああ」

 目の前の顔をしげしげと眺め、嘘ではないらしいと納得すると、ソファの腕に置いてあった着替えを手にベッドから降りる。そのままバスルームへと急ぎがてら、

「広瀬くん、水とバナナ、出しといて!」

と声をかけ、あっという間にシャワーを浴びて戻ってきた。ほんの数分前までボサボサ頭で眠りこけていたのが嘘のように、すっきり爽やか好青年に変身している。

「そんじゃ、いってきます!」

 和人はグラスの水を一息に飲み、バナナを三口で食べ終わると、くるりと踵をめぐらせ玄関に向かった。

「いってらっしゃい」

「気をつけてな」

「はーい」

 並んで見送る二人を、ちょっと照れくさそうに振り返ってから、和人は身軽に出掛けていった。


 ドアが閉まり、残った二人はダイニングに戻る。

「仕事って、例の、犬の散歩か?」

「そう。自転車で十分くらいの家だから、ギリギリ間に合うでしょ。六時半から七時半までの約束で、だいたい八時までには帰ってくるよ」

「ペットの散歩代行っていうのは、よく頼まれるのか?」

「口コミで広まって、いつのまにかコンスタントに入るようになったかな。今回は、ひとり暮らしの奥様が怪我をしちゃって、よくなるまでの一ヶ月ってことだったんだけど、もう一ヶ月延長になったんだ。自分で歩けるようになってからも、心配だからしばらくは和人に付き添って欲しいって」

「なるほど」

 面倒見のいい和人には、もってこいの依頼というわけだ。

 キッチンへと進みかけた広瀬が、足を止めて振り返った。

「どうする? 何か食べたいものというか、食べられそうなもの、ある? お粥くらいなら作るけど」

「そうだな……」

 相変わらず食欲はないが、食べられるようにするのもリハビリの一環だ。

「冷蔵庫を見てもいいか?」

「どうぞ?」

 広瀬が開けてくれた扉の中をざっと眺めると、ヨーグルトの容器が目に留まる。

 取り敢えず、水と、ヨーグルト。

 左手は杖で塞がっているため、右手だけで慎重に取り出す。

 広瀬はそれを見届けると、グラスと器を食器棚から持ってきてくれた。

「急いでいるか?」

「どうして?」

「時間がかかってもかまわないなら、自分でやりたいんだ」

 水をボトルからグラスに注ぐ。ヨーグルトの容器から、ガラスの器にスプーンで移す。たったそれだけのことではあるが、何もしないで他人任せにしているよりはずっといい。

 広瀬は少し考えるように小首を傾げ、それからニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「バナナも追加するなら、許可してあげてもいいよ」

「……いきなりハードル上げてくるな」

「どこがだよ。つべこべ言うと、シリアルも入れちゃうよ? 牛乳もプラスする?」

「わかった。バナナ半分で手を打とう」

「様子見て、いけそうだったら完食ってことでOK?」

 うん、と頷くと、ダイニングへ行くよう促され、「澤田くんの席」だという椅子を引かれた。

「両手が必要でしょ。ここに座ってやっててよ。俺は自分の分を用意してくるから」

 広瀬は澤田を座らせると、水とヨーグルトとそれぞれの食器を運んできて、最後に大ぶりのスプーンを「はい」っと手渡す。

 「自分でやる」と言ったところで、ここまでお膳立てしてもらわなければ何もできないのだということを思い知らされる。が、愚痴ったところでどうにもならず、目の前の作業に集中することで、どうしようもない鬱屈をやり過ごすしかない。

 ボトルの栓をまわし、零さないようグラスに注ぐ。ヨーグルトの蓋をはがして、渡されたスプーンで四分の一ほどを器に移す。

 なんとか倒さず汚さず壊すことなく終了して、ほっと息をつくと、目の前にバナナが差し出された。

「ご褒美だよ」

「それはどうも」

 澄ました顔をしている広瀬をちらりと見上げ、仰々しくバナナの皮を剥いていく。筋まできれいに取ってから、半分よりやや小さめのところで二つに折って、ヨーグルトの器に投入した。

「なんか今、不正が行われるのを見た気がする」

「気のせいだ」

 軽く受け流しつつ、ひとつおいて隣の席に目を遣ると、トーストとオレンジジュースのほか、ジャーマンポテトとスクランブルエッグがこんもり盛られた脇に、トマトとブロッコリーが添えられた皿が置かれている。広瀬がこれだけを用意する間に、自分はグラスに水を注いでヨーグルトを装うことしかできないのかと思うと忸怩たるものがあるが、気ばかり焦って水を零したりグラスを割ったりすれば、その後始末に余計に時間をくうことになるのだ。少しずつ、慣らしていくより仕方ない。

「そんな恨みがましい顔で見ないでよ。多めに作ってあるから、食べられそうなら持ってくるけど?」

「いや。気持ちだけで、充分だ」

 丁重に断って、グラスを手にした。零さないように口許まで運び、中の水を慎重に口に含む。すぐに噎せてしまうので、飲み終わるまで気を抜けない。

「そもそも、空腹感はあるわけ? 食べたいのに食べられないの? それとも、食欲そのものがまったくない?」

 グラス一杯の水で満腹となってしまい、バナナ入りヨーグルトに手を出しかねているのを目に留めて、自身は健啖ぶりを朝からいかんなく発揮している広瀬が尋ねる。

「食べ物を見て、ウマそうだな、とは思う。でも、実際に食べることを想像すると、カラダが拒否するんだ」

「まあ、食べられない時期が長かったから、胃が小さくなってるんだろうな。ムリしろとは言わないけど、少しずつ量を増やしていかないとね」

 暗に、ヨーグルトとバナナくらいは完食しろ、とプレッシャーをかけながら、広瀬はいかにもウマそうにトーストを齧った。

「そういえば、津村はまだ寝てるのか? 夕べは遅かったみたいだが」

 スプーンでバナナを突っついて、食べようという意志はあるのだと示しつつ、何気ない風に聞こえるよう願いながら話題を転じると、思いがけなく冷ややかな調子で切り替えされた。

「二階の音って、そんなに聞こえる?」

「え?」

「それとも、ほんとはあんまり眠れなかった?」

「いや。階段を上がったり、ドアを開け閉めしたりするのが聞こえたのを、なんとなく覚えているだけだ。たぶん、気を使って音を立てないようにしてたんだろ。病院よりよっぽど静かだよ」

 思わぬ風向きに慌てて言い添えるものの、広瀬は半信半疑のような顔を崩さない。

「参ったな。聞きたかったのは、津村は朝飯をどうするのかってことなんだ。今朝はたまたま起きてこないだけなのか、それとも朝食をとる習慣がないのか。ああそうか、二階で食べるのかもしれないな」

 昨日津村の座っていた、自分と広瀬の間の椅子に目を遣りながら、言葉を重ねる。

 まだ七時だし、起床には早すぎるということだって考えられる。それならばいい。これがいつもどおりの生活パターンだというなら、かまわないのだ。

 でも、もしもそうではないならば。

「津村は夜型だからね。仕事が入ってたら別だけど、放っておいたらいつまでも寝てる。十一時頃に起きてきて、朝昼兼用で済ますってことも珍しくないよ」

「そうか。それならいいんだ」

 少しだけ、ほっとする。

 広瀬は言い掛けた何かを飲み込んでから、気を取り直したように元の調子に戻って話をつづけた。

「いま、津村と将は家出娘の捜索を担当してるんだ」

「家出娘? 穏やかじゃないな」

「うん、まあ、はじめはそうだったんだけどね。実はその子、常習犯でね、居場所の見当はすぐにつくんだ」

「つまり、狂言ってことか?」

「んー。一番はじめは、中学生のときでさ。いいお家のお嬢様なんだけど、両親が忙しくて、淋しかったんだね。本人は本気だったんだろうけど、ようは、かまって欲しくて家を出たんだ。最初は営利目的の誘拐かって疑いもあったから、いつもは仕事仕事で相手にしてくれない両親も顔色変えて駆けつけて、必死に自分の身を案じてくれた、それが嬉しかったんだと思うよ。こっぴどく叱られて、『ごめんなさい』で仲直りして、一件落着。警察に届ける前に片付いたし、めでたしめでたし、だったんだけど、どうもそれに味をしめちゃったみたいで」

「家出をくり返すようになった?」

「二度目は高校に入って、しばらくしてから。このときは、前とは別の友達の家にいた。その次は半年するかしないかで、はじめてのカレシと一緒だった。このときも津村が担当で、年頃の娘がひとり暮らしの男のところに転がり込むなんて、ナニ考えてんだ! ってスゴい剣幕で説教してさ。泣くは喚くはで大騒ぎになったんだけど、ひとりっ子だし、女子校育ちで免疫はないしで、すっかり津村に懐いちゃったんだよね。顔を合わせば口喧嘩ばっかりなんだけど、『お兄ちゃん』みたいに思ってるんだろうなぁってのが丸わかり」

「なるほど」

「微笑ましくはあるけど、一歩間違うと、依頼人に手を出したって話にもなりかねないし、相手が高校生じゃ、それだけで犯罪になる。親御さんは理解してくれてるっていうか、ちょうどいい子守がみつかったくらいのもんで、どうせ退屈しのぎなんだから、適当に相手をしてやってください、てな感じでね。津村を担当からはずしたこともあるんだけど、それはそれで拗ねられちゃって、死ぬだのなんだの物騒なことを言い出すもんだから、けっきょく、『家出しました』って連絡がくるたびに、津村が探しに行くんだよ。二人きりにするわけにはいかないから、お目付役と一緒にね」

「それが、将ってわけか」

「そーゆーこと」

 聞きたかったことのもうひとつは、こうして自ずから判明した。広瀬としても、こういう機会を待っていたところがあるのかもしれないと、いまさら気づく。

「和人がペットの散歩代行。津村と将が家出娘の捜索。馨は家庭教師と、老夫婦世帯の見守り兼ご用聞き」

「そんなとこだね」

 残るは、あとひとり。

「『広瀬くんは忙しい』って話だけは、聞くんだがな。具体的なことは、誰も何も言わないんだ」

 何か隠しているという様子はなく、本人たちも、詳しいことは知らされていないようだった。

 なんか忙しそう。よくわかんないけどタイヘンそう。澤田くんがいないんだから、それもムリはないんだけどね、たぶん。

 そんなような話ばかりだった。

「別に、たいしたことはしてないよ。細かい書類仕事や事実確認、単発で入った依頼の対応とか、そんな感じ。自分たちがデスクワーク苦手なもんだから、大袈裟に言ったんだよ、きっと」

 いいや、そんなことではないはずだ、とは思うものの、この男が話そうとしないということは、それ以上聞き出すのは不可能だということだ。ここは一先ず撤退して、切り口を変える方が賢明だろう。

「経営状態はどうなんだ? 正直、それでやっていくのは厳しくないか」

 全員の人件費を賄うだけでも精一杯というか、それすら奇跡だとしか思えない。

「そのへんは、馨がこっちに来てくれたのが大きいんだ」

「こっち?」

「そう。昨日も言ったとおり、本当なら馨は今頃、本社のしかるべき部署に配属されて、帝王学を仕込まれてるはずだからさ。それが、俺たちと一緒に『なんでも屋』をつづけるって言ってきかなくて、社会勉強の一環っていう大義名分で許されたわけ。そのおかげで、それまでの顧客とのパイプを繋いでおくことができたんだ。ふつうに『あなたの町の便利屋さん』として一からはじめてたら、とっくに潰れてたよ。でも、勤務先の子会社みたいなもんだっていう認識があると、信頼度が違うでしょ。ちょっと頼んでみようかな、って思ってもらいやすいし、内々で評判が広まったりもする。もともとは幹部クラスのトラブルシューターだったこともあって、顧客リストに並んでるのは富裕層が多い。単価を高めに設定できたのはそのせいで、それだけの金額を請求するからにはきちんとした仕事をするんだろうって、これもかえって高評価に繋がった。それやこれやで、どうにかこうにかまわってるってところだよ」

「ふ……ん」

「独立してからの報告書や収支内容を、あとで見せるよ。時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり目を通してみて」

「だったら、独立前のも頼む」

「え?」

「継続している依頼もあるんだろ? 『馨がこっちに来てくれた』経緯も知りたいし」

「……それはまあ、追々ね。まずは現状把握に努めてよ」

「いや、でも」

「いっぺんにあれもこれも渡しちゃうと、根を詰めて読み込むだろ、ゼッタイ。休めって言っても言うこと聞かないに決まってる。ダメダメ。そんな危険は冒せないね」

「そんなことはしないって……」

「ただいまー!」

 玄関のドアが勢いよく開いて、元気な声が飛び込んできた。

 それを合図に、広瀬は会話を切り上げ立ち上がる。

「おかえり。早かったね」

「自転車飛ばしてきた! どうしてるか、気になっちゃって」

 和人はダイニングにあらわれると、いるべき場所にいるべき人がいるのを確認し、満足そうに頷いた。それからテーブルの上を眺め渡し、もっともらしい様子で腕を組む。

「で? ちゃんと食べたの? 澤田くん。まさか、それだけってわけじゃないよね?」

 いまだ半分近く残っているヨーグルトとバナナの入った器を、顎で示す。

「もちろん、それだけで許されるわけがないでしょ。残りは和人と一緒に食べるんだよ」

「残り?」

「俺のもあるの?!」

 キッチンに引っ込んでいた広瀬が、先ほど自分が食べていたのと同じ朝食を携え戻ってくると、和人がパッと笑顔になった。

「やった! ラッキー!」

「今トーストも持ってくるから、先に食べ始めてて。澤田はオレンジジュースと牛乳、どっちがいい? あ、バナナももう半分残ってるよ」

 にっこりと人の悪い笑みを浮かべる広瀬に逆らう気力はすでになく、「オレンジジュース」とだけ答えて無理にもヨーグルトを口に運んだ。

 すばやく手を洗って戻ってきた和人は、向かいの席に着きながら、感に堪えないといった様子で広瀬を見上げる。

「やっぱり、広瀬くんはサスガだね」

「なにが?」

「だって、頑固で強情で意地っ張りの澤田くんが、広瀬くんの言うことだけには従うからさ」

「ナニ言ってんの。逆だよ、逆。意固地で融通が利かなくて面倒くさい澤田の弱点は、お前ら四人なんだ。和人たちの頼みにだけは弱いんだから」

「えー。そーかなー」

「そーだよ」

 遠慮の欠片もないの二人の遣り取りを聞きながら、ふと思う。

 結局、誰に対しても弱いんじゃないか、「澤田くん」は。

 そしてそれは、今の自分の置かれた状況と、似ていないということもない。

「ナニ笑ってんの?」

「いや」

 笑ったつもりはないのだが、どうやら和人にはそう見えたようだ。

 和人は何かを推し量るような表情を一瞬見せたが、すぐに気を取り直してトーストを齧る。そうしてせっせと朝食を平らげながら、壁の時計に目を遣った。

「食べ終わったら、ちょっと休憩して、出掛ける用意しないとね」

「リハビリ、十時からだっけ?」

「そう。広瀬くんが車出してくれるんだよね?」

「それなんだけどな」

 思い切って二人の会話に割って入ると、待ちかまえていたかのようにすっと視線が向けられた。

「なに?」

「あの、昨日、病院行きのバスがあるって言ってただろ? それで行ってみようと思うんだ」

「はあ?」

「しばらく様子見てからにしなよ。せめて来週からとか」

「大丈夫、だと思う」

「ナニがどう『大丈夫』なわけ?!」

「俺たちの世話になりたくないとかいうことなら、車でもバスでも変わらないよ。どっちにしてもひとりでは行かせないから」

「そうだよ! ゼッタイに座れるとはかぎらないんだし、バスは揺れるんだよ! 急ブレーキとかでバランス崩して、怪我でもしたらどーすんの!」

「それは、気をつける」

「澤田くんがいくら気をつけたって、事故るときは事故るんだよ! 『不可抗力』ってヤツ! それに、手ぶらってわけにはいかないんだから、荷物持ちが必要でしょ。右手はいざってときのために空けとかなきゃなんないし、背中や肩に負担もかけられないから、リュックなんかもぜんぶムリ。そーだよね?!」

 畳みかける和人の話を聞きながら、広瀬がいちいち頷き同意を示す。

 ちょっと、いくらなんでも、あまりに過保護なのではないか、と思う。だがしかし、これまで散々迷惑をかけてきて、弱いところも情けない姿もイヤというほど晒しておいて、どうして逆らうことができるだろう。

「でも、まあ」

 スプーンでつついていたバナナから視線を上げると、ふてくされたような顔つきをした和人が、いかにも不本意そうにぼそりと言った。

「澤田くんがどうしてもって言うなら、バスでもいいよ」

「ただし、付き添い人を必ず連れてくのが条件だ」

 にこりともせずに広瀬が言い添え、和人も頷く。

「しばらくは、俺が一緒に行くよ。朝と夕方の散歩の間で、効率いいし」

「そうだね。ほかの仕事が入って時間が合わないときは、俺か馨がかわれると思う。津村たちの方もそろそろ片がつく頃だし、監視役には事欠かないよ」

 そうして、広瀬の浮かべた不敵な笑みとともにどうにかバスでの通院が許されて、それが日課ということになった。



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