第四章 結界崩壊
「まず一人……」
ジョージは灰になったヴィクターを見つめ、淡々と呟くと、残ったゾンビを切り捨て、剣を鞘に戻した。
「素晴らしい!」
直後、突如としてパチパチパチパチという、演劇が終わった後に巻き起こるようなこの状況にはまるで場違いな拍手の音が鳴り響いた。
「いや、素晴らしい! 実に素晴らしい! まさか単身でヴィクター君に打ち勝ってしまうとは。 それでこそ人間! それでこそ生命だ!」
賞賛の言葉とともに、ジョージの目の前の暗闇から浮かび上がったのは、往年の吸血鬼映画からそのまま飛び出してきたようなごま塩頭に燕尾服をまとった壮年の男、吸血鬼ヴラド・ドラキュルだった。座席もないのにスタンディングオベーションの姿勢で佇む、皮肉などかけらもない満面の笑みを浮かべてジョージを見つめている。
「!」
ジョージの行動は迅速だった。相手がヴラドだと分かった瞬間、拳銃を取り出し、何のためらいも無くヴラドの脳天めがけて発砲した
突然銃弾を見舞われたヴラドは迫りくるそれを避けようともせず、全くの無抵抗で受け止める。ヴィクターの腕を吹き飛ばす威力を持つ銃弾はヴラドの首から上を跡形も無く消し飛ばした。
「……やっと会えたな、ヴラド。 いや、ドラキュラ伯爵!」
ジョージは凍えるような冷たい声で言った。その表情は憎悪で歪み、目は血走っていてまさに鬼そのもの形相に変貌している。昼間正四郎に見せた怒りとも、先程ヴィクターと対峙した時の淡々とした敵意とも違う、燃えるように激しく、それでいて凍えるように冷たい憎悪の念がその表情にはあった。
首から上が無くなったヴラドは即座に灰になり、消滅する――――はずだが、ヴラドの胴体は、しばらく経ってもそのまま佇んでいる。
「……やれやれ、言動の順序が逆ではないかね?」
どこからともなく困ったような声が聞こえてきた。すると、ビデオの逆再生のように、ヴラドの首に飛び散って消えたはずの肉片が集まっていき、瞬く間に元通りの姿に再生する。
完全に再生したヴラドは、にこりと笑いかけ、大きく肩をすくめる。
「この体は、私の一部を切り離して作り出した分身のようなもの。どれだけ破壊されても私には何の損害もない」
楽しそうにヴラドは言った。
それを聞いたジョージは舌打ちをして、銃を懐にしまった。表情は変わらずすさまじいまま、ヴラドを睨みつけている。
「さて、呼びかけられたのなら答えねばなるまい」
ジョージの様子を意にも返さず、ヴラドは親し気な様子で言葉を続ける。
「初めまして、ジョージ・ハーカー君。そしてまた会えたな、ハーカーの血筋よ」
そう言ってヴラドは恭しく礼をする。
「紳士面してんじゃねえぞ、化け物。分身なんざよこしやがって何のつもりだ?」
ジョージは幾分か冷静さを取り戻した口調で尋ねた。
「いやなに、百年前私を倒した者の子孫がいるというから、少し顔が見たくなっただけさ」
ヴラドは仰々しく両手を広げ、答える。
「それに、君を私の本体のところに案内したくてね。共に百年前の事件を知るものとして話がしたい」
「話すことなんざねえよ」
ジョージはヴラドの言葉を一蹴する。
「そうつれないことを言うなよ、ハーカー君。私が自ら本体のところへ案内しようというのだ。君が地道に探せばどれだけの時間かかると思う?」
ヴラドはジョージの態度に気分を害した様子もなく言葉を続ける。
「……」
ジョージは何も言えずに閉口する。確かにジョージだけでヴラドの居場所を探そうと思えば、かなり時間がかかるだろう。本人が案内してくれるというなら、快く受け入れてしまえばいい。そう理屈では分かっていたが、ジョージはこの男の申し出を受け入れること自体が気に入らなかった。
「じゃあ、さっさと案内しやがれ! 俺を呼び出したことを後悔させてやる……!」
ジョージはとげとげしい口調で要求する。
「そう急くでないよ。我らが館に来るのは君一人でなくてはならない。邪魔者は払わねば」
ヴラドはジョージの勝手な要求に少し苦笑する。
「……俺が援軍を呼ぶような腰抜けだと思ってるのか?」
「いいや、そんなことはつゆほども思っていないさ。しかしね、我々を尾行していたり、自力で探し出したり、可能性はいくらでもあるだろう? だからね、誰も我々を構っていられないような状況を作ることにしたのさ」
ヴラドはそこでいったん言葉を切ると、にやりと笑い、合図するように指を鳴らした。そのとたん、周囲の、いや街中の空気が震え始めた。続けて、何かが割れる――――何かが見えたわけでなく、何かが聞こえたわけでなくーーーー気配が広がり、大気の震えはおさまった。
「……今のは……」
ジョージは震えた声で呟く。何の力のない彼にもこの震動と気配の正体は理解できた。この街を覆っていたもの、すなわち吸血鬼を逃がさないための結界が、破壊されたのだ。
「!?」
道路を高速で移動していた真九郎は、不意に何かに気付き足を止め、空を見上げた。その表情がすぐさま険しく歪む。
「結界が破壊されたのか!?」
街を覆う結界は吸血鬼たちを逃がさないためのものである。今の状態で結界が消えてしまえば吸血鬼だけでなく、ヴィクターが呼び出したゾンビたちまでもが外に解き放たれてしまう。
ゾンビの数は真九郎が道中倒していったおかげで、最初の一割にも満たない数にまで減少していたが、それでも町の外に出れば大きな被害が出る可能性は小さくない。
正四郎が動けない今、真九郎が率先してゾンビたちを滅ぼしていかねばならない。……のだが、真九郎には他にもしなければならないことがあった。ここまで移動する途中真九郎はジェンキンスの変わり果てた姿を目撃した。
まだ息はあった、というより生かされているという様子だった。胸に穴が開き、致命傷であるというのに胸を貫いたものが体内に留まり、死に体のジェンキンスをかろうじて生存させていた。一応応急処置はしたが胸に埋まったものはむやみに摘出すればどうなるか分からないので、放置せざるおえなかった。仲間たちの内の誰かに拾われれば、命は助かるだろう。しかし、その間彼は生死の間を彷徨い続けなければならない。
ジェンキンスを倒し、これからも多くの命を奪うだろう、吸血鬼を野放しにはしておけない。そこで真九郎はジェンキンスが倒れていた場所に残っていた殺気を頼りに、彼を倒した吸血鬼の追跡を行っていたのだ。
吸血鬼は現在、街の外へ出る方向へかなりの速度で移動している。十中八九逃走するつもりである。ゾンビたちを相手にしていれば、吸血鬼は必ず行方をくらまし、倒すことは不可能になるだろう。しかし、ゾンビに襲われるかもしれない人々を未然に守ることができる。
吸血鬼かゾンビか、どちらを選ぶか、考えている時間はあまりない。
真九郎は一瞬だけ逡巡し、小さく頷き、決意する。
「すまない」
これから犠牲になるかもしれない人々に謝罪すると、追跡を続行した。
「ヴラドォ! てめえ、何をした!?」
突然の事態に一瞬呆然としたジョージは、しかし、すぐに気を取り直し、目の前の吸血鬼に怒鳴った。
「ただ結界を壊しただけだが? 助っ人を頼んでいてね、結界の貼り直しの邪魔もしてくれる手はずになっているから、しばらくは復旧できないだろう」
ジョージがなぜ怒鳴るのか理解できない、というようにヴラドはきょとんと首をかしげる。
「ああ、ひょっとして一般人に被害が出ることを恐れているのかな? それなら大丈夫さ。君の仲間はとても優秀だ、ゾンビごときに遅れはとらないさ」
被害が防げるかどうかの問題ではない、ジョージは湧き上がる怒りを噛み殺しながら思った。この男は根本的な部分で人の命を何とも思っていない。一見紳士的な態度をとっていても、この男は人をくらう化け物なのだと再認識する。
「さて、私の本体のところへ案内するとしよう、見失わないようついてきたまえよ
ヴラドは自身の身体を黒い霧に変化させ、先導を始めた。