第三章 幽姫暗躍
「……これは」
屋外にてひたすらゾンビを屠っていた真九郎は、今まで鈍いながらも統率がとれていた死体たちが足並みを乱し、おのおのが勝手に動き始めたのを見て、目を見開いた。
「ハーカー殿が本体の吸血鬼を倒したのか」
ジョージ・ハーカーが言うには主を失ったゾンビは敵味方の区別がなくなり、周囲の動くものに見境なく襲い掛かるようになるらしい。また、常に何かを摂食しなければ体が保てなくなるので、共食いを起こすことも多いそうだ。
外出する人間がいない今、やがてゾンビたちは共食いを始め、数を減らしていくだろう。身を隠す知恵すらも無くしているから、日が昇れば少数の生き残りも一掃されるはずだ。
ジョージは自らがやるべきことをみごとやってのけたのだ。
「……拙者も負けてられんな」
真九郎は一瞬だけ微笑すると、再び己が倒すべき敵を求めて街を駆け出した。
「やはり死んでしまいましたか、ヴィクター」
ゴシックロリータのドレスに身を包んだ少女、吸血鬼カーミラは空を見上げ、まるでその光景を見ているかのように言った。
彼女が立っている場所は街に数多ある路地裏の一つであり、ジョージとヴィクターが戦ったビルからはあまりにも大きく距離が離れている。彼が死んだことを示すゾンビたちも付近にはいない。
カーミラはしばらくの間空を見上げていた。
「……だから言ったのに……」
そして不意に顔をうつ向かせ、か細い声でそう呟く。しかし、その顔に浮かぶ表情は変わらず不機嫌な無表情で、瞳は暗く冷たい。
「まあ、よいとしましょう。結構時間稼ぎにはなりましたし、敵の戦力も大方明らかになりました。若造にしてはよくやった、というところですね」
そして彼の死などなんでもない、と言うように淡々と言い捨てた。その声はどこまでも無機質で、冷ややかだった。
「お仲間の死を悲しんでいるのかい? 見かけによらず優しいんだなぁ、嬢ちゃん!?」
カーミラのふるまいをからかうように粗野で軽薄な声がかけられた。
カーミラは忌々しそうに表情をゆがめ、声がした方向に鋭い視線を向けた。
「黙りなさい。あなたは私の従僕となったのですから、私の命無くば口を開くことも許しません」
彼女の視線の先には、敵の一人、スティーブ・ジェンキンスが軽薄な笑みを浮かべ、地面の上に倒れていた。その身のいたるところに鈍器で殴打したようなあざがあり、手足はあらぬ方向に折れ曲がっている。文字通り満身創痍の身体である。
本来なら痛みで失神していてもおかしくない状態だが、ジェンキンスは人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべてカーミラを見つめている。その首筋には吸血鬼に血を吸われた証たる二つの牙の跡がはっきりと刻まれていた。
「……五人の中で一番弱そうなあなたを従僕に変え、情報を引き出し、さらに事態のかく乱を狙うという策でしたが……実際、あなたの血を吸うまではうまくいきました。しかし、完全に支配するのにここまで痛めつけなければならなかったのは正直想定外です。これでは事態のかく乱は望めません。態度も依然反抗的なままですし」
カーミラは腕を組み、苛立ちが感じられる声で言った。
吸血鬼に噛まれ、血を吸われた人間は吸血鬼の下僕となる。しかし、それは肉体と精神が優れていればある程度の抵抗が可能なのだ。また、命令を理解するのも噛まれた者の精神であり、精神さえ屈服させられなければいくらでも曲解が可能なのだ。
このジェンキンスという男は肉体の方はそれほどでもなかったが、精神の方は思いのほか強く、命じたとおりに行動させるのにかなり痛めつけなければならなかった。しかたないので情報だけでも引き出しておこうと思ったが、この男、かなり性格がねじ曲がっているらしく、こちらの質問をことごとく曲解する。そのせいで正確な情報を得るのにかなり苦労した。
「しかも、あなたたちはこの事件のためだけに集められた、一部を除いて初対面の烏合の衆だというではありませんか! これでは私が自力で集めたものと全く変わらない!」
苛立たし気に足を踏み鳴らし、カーミラはヒステリー気味に怒鳴った。
「ハハッ、文字通り骨折り損のくたびれ儲けだな」
危機に瀕しているにも関わらず、ジェンキンスはなおも軽口をたたく。
「黙りなさい!」
カーミラはそれを一喝して黙らせると、気を落ち着かせるためか、目を閉じて深呼吸を始める。
「……まあ、いいでしょう。ヴラド公の策とやらが行われるまでは何をして時間をつぶそうと同じことです。自分の首を絞めるようなことにはなっていませんし、少し腹立たしいだけです」
深呼吸を終え、目を開けたカーミラはそう自分に言い聞かせる。その表情に先程までの苛立ちはなく、冷ややかなものに戻っている。そして、その表情のまま再びジェンキンスの方に顔を向ける。
「さて、あなたはもう使いようがありません。用済みです」
カーミラはそう告げると、子供が遊びでそうするように右手で銃の形を作り、その指先をジェンキンスに向けた。
ジェンキンスの顔から軽薄な笑みが引っ込む。短い間とはいえ、彼女と戦闘を行ったジェンキンスには自分に向けられた指先に冗談ではない威力が宿っているのを知っているからである。
「人間は恐ろしい。自分たちを害する者をどんな手段を使ってでも排除せずにはいられない……私は今までの生涯で、人間を甘く見た同類たちが逆に滅ぼされていくのを何度も目にしました」
目の前の脅威に息を呑むジェンキンスを見下ろし、カーミラは言葉を続ける。彼をじっと見据える瞳はどこまでも暗く、感情を表さない。
「私は死にたくない。でも、人を食べなければ生きていけない以上、人間はその脅威すべき敵意を向ける。だから私は、迫りくる脅威から逃げて、逃げて、逃げて、それでも迫ってくるようならどんな手を使ってでもつぶしてきた。そして、ずぅっと生きながらえてきた」
カーミラは言葉の終わりに一瞬だけ悲し気に目を伏せ、その指先から弾丸のようなものをジェンキンスに撃ち込んだ。
胴体を貫かれたジェンキンスは口から血反吐を吐き、そのままピクリとも動かなくなった。
「……さよなら。私を襲う脅威の一つ」
ジェンキンスが動かなくなったのを見届けると、カーミラは彼に背を向けた。
「あの子があなたより使えることを祈ります」
ヴィクターの死を知ったときと同じ冷ややかな声で呟き、カーミラは闇の中に消えた。
「……こんなことで、本当にいいのかな……」
同時刻、ミリア・スカイラインは不安そうな顔つきでビルの屋上に佇んでいた。その視線の先には速水正四郎と魔眼の射手が内部で死闘を繰り広げているであろう大量の紙でできた球体がそびえている。
正四郎が魔弾と一緒に紙に呑み込まれてからだいぶ経ったが、それから全く音沙汰がない。おそらくまだ戦いを続けているのだろう。密閉された空間の中にはミリアが操る空気は侵入できず、内部がどのような状況か知ることはできない。ミリアはどうすることもできず立ち尽くしていた。
「……わたしどうすればいいんだろう……?」
ミリアは途方に暮れた表情で呟いた。彼女に課せられた役目は正四郎の援護である。しかし、先程彼自身に、役目は終わった、下がっていろと指示された。
「……やっぱり役立たずだったんだ」
元々、ミリアとジェンキンスが所属する組織は怪物退治をうけおっていない。以前二人が別の事件に取り組んでいたとき、解決に協力してくれた正四郎が今度は逆にミリアたちの組織に協力を要請し、二人を指名してきたのだ。
他人の役に立ちたい、他人に必要とされたいという気持ちの強いミリアは、一度会っただけの人が自分を必要としてくれることがとても嬉しかった。だから、必死でその気持ちに答えようと張り切ったのだ。
しかし、結果は途中で役目は終わった、下がれ。つまりお前はもう役に立たないという言葉だった。殺害を前提とした戦闘、人の形をした人でない敵、そのどれもが幼いミリアには恐怖だったが、期待に応えられず失望されてしまったかもしれないことが最も恐ろしかった。
何かしなければいけない。正四郎には隠れていろと言われたが、それでは失われた期待は戻らない。探知だけじゃない、自分にはもっと、なにかできるはずなのだ。でも、何も思い浮かばない。
ミリアは肩を落とし、うつむいた。目の端には涙が浮かんでいる。いつも見守ってくれていて助言してくれるジェンキンスは側にいない。正四郎には見放された。彼女は一人だった。
目から涙があふれて、床を濡らす。こんなことで泣き出す自分が情けなくて、さらに涙があふれてくる。
「こんなのじゃ、だめなのに・・・・・・」
ミリアはとめどなく流れる涙をぬぐおうと顔を上げる。
そのとき。
――――苦しいですか?
幻聴だろうか、耳元でささやく声が聞こえた。直後、針を二本並べて刺したような痛みが首筋に走った。
「……えっ……?」
こわごわと目を開け後ろを振り向くと、ゴシックロリータのドレスを着た、ミリアより五つほど年上だと思われる少女がミリアの首筋に牙を突き立てていた。
いつの間に!?
精神的に不安定だったとはいえ、探知は怠っていない。今の今まで周囲には誰もいなかったはずなのに。 ミリアは空気を集めて少女を振り払おうとした。しかし、体が言うことを聞かず、能力が発動しない。
――――苦しいなら、私が全部取り去ってましょう。
少女は首から口を離していない、なのに、頭に直接流し込まれているように声が聞こえてくる。
――――さあ、私に従いなさい――――
声が頭に響くたびに、思考が薄れていく。
「……い……や……」
ミリアは必死に抗おうとするが、声は変わらず聞こえ続け、彼女の意識を塗りつぶしていく。
そして、ついには何も分からなくなってミリアの意識は沈んでいった。