序章 sideB 闇に潜む者たち
ジョージたちの目的地である街の外れにひっそりと建つ洋館、その内部。真昼間だというのに一筋の日光も届かないよう閉め切られ、各所に立てられた蝋燭だけが申し訳なさそうにあたりを照らしている。その暗黒空間に、彼らはいた。
蝋燭の火に照らされ、浮かび上がる影は四つ。背丈も格好も様々でまとまりがない。共通する点は皆、吸血鬼であることだけ。
「----五人、力ある者が街に侵入ってきたようだよ。おそらく、無能力のヴァンパイアハンターもいるだろうから、最低でも六人、か。ハハハ、我々ごときのために、よくここまで揃えたものだ」
その中の一人、ごま塩頭のオールバック、黒い燕尾服を着た紳士然とした姿の男が、他の一人から手渡された紙を読んでおどけたように肩をすくめた。
この古いホラー映画からそのまま飛び出してきたような風貌をした吸血鬼の名は、ヴラド・ドラキュル、悪名高きドラキュラ伯爵本人である。
「笑いごとじゃありません、ヴラド公。昨夜からこの街の周囲には結界が張られていて、逃げることすらできない。ハヤミセーシロー、あの死神は私たちを一晩で皆殺しにするつもりです。どうするつもりですか、私たち四人がかりでも彼はおろか結界を張っている付き人にすら敵わないんですよ!? この上さらに六人も……」
ニヤニヤと笑うヴラドに、四人の内の一人、少女の姿をした吸血鬼がつかつかと歩み寄り、苛立ちを隠そうともせず、食ってかかる。
少女はゴシックロリータのドレスに身を包み、肩まで伸ばした美しい亜麻色の髪、そのてっぺんを大きな赤いリボンで飾っている。その姿はアンティークドールのように美しいが、表情は不機嫌に歪んでいて、ヴラドを睨みつける瞳は深い海の底のように暗く冷たい。
彼女の名はカーミラ、カーミラ嬢という名で知られる吸血鬼であり、その知名度と実力はヴラドに匹敵する。
彼女の話に出た死神とは、古来から存在する世界のシステムであり、殺戮という手段によって幻想が現実を、現実が幻想を侵すのを防ぐ役割を持つものに与えられる称号である。
速水正四郎も彼らの内の一つであり、その性質故に圧倒的な実力を持つ。化け物の中では中級に過ぎない吸血鬼では歯が立たない。
カーミラのような実力者でも、取り乱すのは無理のないことだった
「いや、すまない、カーミラ嬢。気に障ったのなら謝ろう。しかしね、笑おうが泣こうが状況は全く変わらないんだよ? なら、そう悲観せず、楽しんでいようじゃあないか」
詰め寄るカーミラをを馴れ馴れしくなで、ヴラドは語り掛ける。
「馬鹿にしないでください!」
自分の頭をなでる手を振り払い、カーミラは表情をますます険しくする。
「戦っても勝ち目はない、逃げても結界で阻まれ不可能、籠城すれば居場所を割り出され、焼き討ちされる。打つ手がないんですよ!? それでどう楽しめと!? 大体ここは私の隠れ家だったのに、あなた方が来たせいで見つかってしまった。ああ、私はまだ死にたくないのに!」
ついにはヴラドの胸倉をつかみ、殴りかからんばかりにひきよせる。
「まあ、落ち着きたまえ。そんな怖い顔するなよ」
それでもなお、ヴラドは余裕綽綽な態度を崩さない。それどころか、殺気をはらんだ目つきで睨む少女に、さらに減らず口までたたく。
「私が思うに、君はもう少し表情を明るくした方がいい。年中陰気な面をしているから気分も沈むし、運気も下がる。君は可愛らしい顔をしているんだから、それらしくしていれば見逃してくれるか、も……。痛い痛い」
「ふ ざ け る な……!」
カーミラは胸倉つかんだ方とは逆の腕でヴラドの首をつかみ、しめあげた。
無論、吸血鬼には通常の痛みは意味をなさない。ヴラドはただふざけているだけである。
「痛い痛い、ああそうだ、打つ手ならないこともないよ。その結界のことだがね、実はすでに手は打ってあるんだ。日付が変わるまでには街から脱出することも可能になるだろうさ」
「……それを先に言ってください」
カーミラは深くため息をつくと共に、ヴラドの首と胸倉から手を離した。
「ということはなんですか、その結界問題を解決する手とやらが完成するまで、私たちは時間稼ぎをしなくてはならない、ということですか?」
「ああ、そういうことになるな」
「しかし、それでも他はともかく死神相手に時間稼ぎなどできるでしょうか?」
カーミラは一転不安げに顔を曇らす。
「ふむ、よしんばできたとしても、その役割を負った者は死ぬ可能性が高いな」
「私はごめんです」
「同感だな」
カーミラとヴラドは、一方はニヤニヤ笑いながら、一方は険悪な目つきで互いににらみ合う。
そんな二人の間に、
『その役割はわたしがうけたまわろう』
と書かれた紙を掲げた手が割って入った。
「! 良いんですか?」
「本気かね?」
二人は驚いたように目を見開き、ほぼ同時に掲げた手の持ち主に尋ねる。
手の持ち主は十代前半の少女の姿をしていた。室内にも関わらず首と顔の大部分をマフラーで覆い隠し、その間から血のように赤い瞳をらんらんと輝かせている。
彼女は『魔弾の射手』の呼び名で知られた吸血鬼であり、それ以外の素性はほとんど知られていない。呼び名の通り、銃器を使った戦闘を好み、その銃弾は必ず標的に命中すると言われている。性格は冷静沈着、寡黙を通り越して無言、一切声を発することはなく、必要な時だけこうして紙に書いて意思表示を行う。
『わたしの能力ならば倒すことはできずとも、時間稼ぎは可能。そして、わたしが戦場にいる限り、速水正四郎はわたしを見過ごすことはできない』
魔弾の射手は二人の反応を予想していたらしく、紙を裏返し反対側に書かれた文字を見せた。
「……本気のようですね。では魔弾、あなたに任せましょう。……本当は言い出したものがするべきなんですが……」
カーミラは横目でヴラドを睨みながら、魔弾の申し出に納得する。
「決まったな。我々四人は結界が消えるまでの間、狩人たちを足止めし、消滅次第全力で逃走する、そういう方針でいくということで」
「ええ、命の危険が少なければ、何も文句はーーーー」
「文句しかねーよ、くそったれ!」
カーミラがそう返事をしかけたところを、壁を拳で砕く音と怒鳴り声がそれを打ち消した。
「黙って聞いてりゃ、逃げるだの時間稼ぎだの情けねえこと抜かしやがって! てめえら本当に不死身のヴァンパイアかよ!? コメディアンじゃねえんだぞ、ちくしょう!」
怒鳴り声を上げたのは事態を静観していた四人目、二十歳前後くらいの青年の姿をした吸血鬼だった。 その顔はまだ幼さを残し、可愛らしいと言えなくもないのだが、全身から発せられる野蛮な雰囲気が見事にそれを台無しにしている。
「ヴラドのジーさんもカーミラのバーさんもようく聞けよ、敵は大勢、こっちは四人。いーか、あいつらはな、俺たちを怖がってるんだ、ビビっちまってるんだよ! 俺たちはあいつらより上等なんだ、それを死にたくないから逃げるだと!? ふざけんなよ、敵は皆殺しに決まってんだろーが!?」
牙をむき出し、高々と物騒なことを宣言するこの青年の名はヴィクター・ウォード。第二次世界大戦末期に吸血鬼になった男で、まだ百歳にも至っておらず、四人のなかでは最年少であるが、一種の天才であり、実力は他の三人に負けず劣らない。
「口をつつしみなさい、若造」
突然割り込み、自分たちを罵るヴィクターにカーミラは怒りではなく、呆れたような白い目を向ける。
「あなたはまだ人間味が抜けていないようですね。人間が弱いと思っているのは人間だけです。彼らは自分たちを脅かすものは全て滅ぼさずにいられない、恐ろしい生き物です」
カーミラは世間知らずの子供に向けるような口調で、ヴィクターを諭す。ヴラドも彼女に同意して頷いた。
「黙れよ、腰抜け老いぼれ共。すべてを砕く怪力、無限の再生力、不老不死! そのどれも奴らはもってねえ、どこも勝ってねえ。それを劣ってると言わずなんつーんだ! ああ!? 俺は一人でやらせてもらう、腰抜け共は仲良く逃げ隠れしてりゃあいい!」
彼はその言葉に全く耳を貸さず、吐き捨てるように彼らを罵り、ヴィクターは部屋を出て行った。
「そんなちっぽけなことをすごいと思っているところがまだ人間なのです。人間は自分が持っているものの大きさと、自分が望むものの小ささがまるで分っていない」
ヴィクターが去った後、カーミラは手を頭にやり、深くため息をついた。
「まあ、いいじゃないか。私たちも彼も戦闘するのに変わりはないんだ。彼は殲滅、我々は逃走、自分のやることをやろうじゃないか。それに、彼がどうなろうと君には関係ない、そうだろう?」
「それは、そうですが・・・・・・」
気安く肩に手を置き、囁きかけるヴラドを振り払い、カーミラは妙に歯切れ悪く答える。
そして、分厚いカーテンに閉ざされた外側、今まさに狩人たちが自分たちを倒さんと集結しているであろう街に目を向け、物憂げに眉を顰める。
「ま、なるようになるさ。生きるときは生きるし、死ぬときは死ぬ。ハハ、なんと素晴らしい」
ヴラドもまた同じ方向に思いをはせ、心底楽しそうに笑う。
「それが私は嫌なんですが・・・・・・」
彼らはじっと待つ。外が彼らの世界になるときを。