序章 sideA この世の不思議を狩る者たち
空港、行く者と来る者、様々な人間が行き交う場所に、彼はいた。茶色のトレンチコートに
白い手袋、不機嫌そうにしかめた顔に鋭い目と左右非対称の前髪、そして、肩にかついだ長方形のケースが印象的な彼は名をジョージ・ハーカーと言った。
季節は冬で、この日本も厳しい寒さのはずだが、強い暖房と大勢の人々の熱気で、イギリスから来た彼にはかえって暑く感じられた。
彼は誰かを待っているらしく、人々が行きかう中を座りもせず、独りたたずんでいる。大分長い時間待ち続けているのか、表情から苛立ちが感じられる。
「くそ、何分待たせるつもりだ! あっちから俺を見つけるって話だったよなあ!?」
ジョージはとうとう癇癪を起こし、周りを気にせず、床を蹴ってどなった。
ジョージはある人物に仕事の依頼を受け、イギリスからはるばる日本へ来た。依頼者はジョージが乗った飛行機が空港に着く同時に空港で迎える、と言っていた。しかし、ジョージが日本に着き、ここで待ち始めてから十分以上経っている。それなのにまだ依頼者は来ていない。
元々、このジョージ・ハーカーという男は、他人に一分でも待たされるのは嫌いな人間だった。それを十分以上待たされたのだ、その怒りはすさまじいものとなっている。
「やあ、待ったかい?」
そうやって、いらいらと床を蹴っていると、背後から柔らかく落ち着いた声がかけられた。
「あぁん!」
怒りをかくそうともせず、ジョージは振り向く。振り向いたその先には、年端もいかない子供が微笑を浮かべて立っていた。
子供にしては、やけに落ち着いた雰囲気を身にまとい、空港内では場違いな黒いレインコートをはおっている。見た目だけなら十歳から十二歳くらいに見える。しかし、すべてをあきらめきったような笑みを浮かべた顔からは幼さとは別に、数百年を経た古木のような老いが感じられる。
「てめえがハヤミセイシローか……?」
その幼さと老いが混ざった一種異様な雰囲気に、ジョージは少し気圧されたが、すぐに気を取り直して尋ねた。
「そうだよ。僕が君に仕事を依頼した張本人、速水正四郎さ。しかし、よく本人だと分かったね、使いの者だとは思わなかったのかな?」
その少年ーー速水正四郎はわざとらしく肩をすくめ、驚いてみせた。動作や口調がいちいち芝居がかっていて気味が悪い。
「ガキじゃねえガキだって知り合いに聞いてたからな。それよりもてめえ、なぜ遅れた? 俺が着いたらすぐ来るって話だったよなぁ、あぁ!」
しかし、この正四郎のような不気味さを持つ者はジョージ達の業界では少なくない、ましてやジョージの仕事相手、標的たちの中にはそんな奴らが無数にいる。すぐに正四郎の雰囲気に慣れたジョージは、いきりたって正四郎に食ってかかった。
「ごめんごめん、君以外にも仕事を頼んだ人達がいてね、その人たちを迎えるのに時間がかかっちゃったんだ」
「仕事仲間か、何人だ? その中に専門家は何人いる?」
正四郎の弁解を聞くと、ジョージは怒りの矛を収め、正四郎が依頼した連中について尋ねた。
「三人。専門家は君だけ」
問われるままに正四郎は答えた。すると、ジョージはいきなり正四郎の胸ぐらをつかみ、いまにも殴りかかりそうな剣幕で怒鳴った。
「ふざけてんのか、てめえ!」
周囲の目を気にもとめず、正四郎を吊るし上げる。周囲の人々たちもまた、彼らがそこに存在していないかのように通り過ぎていく。
「専門家が俺一人だと! てめえ、吸血鬼なめてんのか!? 確かに一体くらいなら、専門家が一人でもいりゃ、どんな足手まといがいても勝てらあな。だが、今から行くとこにゃ、強力な吸血鬼どもが最低でも四体いるんだろ!? 失敗すればそれだけ状況は悪くなる。すぐに全員帰せ、俺一人のほうがまだマシだ!」
吸血鬼、その一見場にそぐわぬ言葉は、しかし彼らが抱える『仕事』において重要な意味を持っていた。
ジョージ・ハーカー、彼の職業はヴァンパイアハンターであり、正四郎の依頼とは、『ある街に潜伏している吸血鬼たちの討伐』なのである。
妖怪、神、怪物、この世には、神話や民話で語られる数多の『不思議』たちが、実在している。吸血鬼もそれら実在する『不思議』たちの一つであり、人に害をなす人類の敵である。
彼らは強さという点から見れば、他の化け物と比べてそれほど突出したものはない。せいぜい中の下から上ほどである。しかし、人間への脅威という点では群を抜いている。
彼らは人の血をすすり、生きている。彼らは最低でも猛獣と同程度ーーーーつまり、二週間に一人から二人分の血を吸う必要がある。そして、血を吸われて死んだ人間は吸血鬼、または動く死体のゾンビになって甦る。それらもまた人を襲い、数を増やしていく。
そして、彼らは基本的に不老不死である。寿命で死ぬことがないので、放っておけばネズミ算式に増えていき、人類が滅ぶ可能性がある。
そうなる前に滅ぼさなければならない。
しかし、前述の通り、彼らは基本的に不死身である。弱点をつかなければ、決して滅ぶことはない。
よって、彼らの性質を知り、適格に弱点をつき、倒せる人間が必要なのである。ジョージ・ハーカーはそうした人間、ヴァンパイアハンターの一人であり、それなりの実績を持ったプロである。吸血鬼が一体だけであれば、万が一にも負けることはない。
しかし、今回の相手は確認できるだけで四体、その全てがヴァンパイアロードとも呼ばれる強力な吸血鬼という話である。仮にジョージが一体倒せたとしても、残りの誰かが敗北し、敵に取り込まれるかもしれない。故に、ジョージには目の前の少年がふざけているとしか思えなかった。
[……ふざけてなんていないさ、僕だって吸血鬼の恐さは知っている。でも、君も知ってるだろ? 最近、世界各地で何故か吸血鬼による事件が多発している。君んとこの組織だって手の空いてるのは君だけだったじゃないか。安心しなよ、だからこそ確実に勝てる人材を用意した。彼らは純粋な戦闘力なら君よりずっと強い、知識さえあれば十分戦える」
正四郎はそれまでの笑みを消し、真剣な眼差しでジョージを見つめて言った。
「そうかよ……」
ジョージはなおも納得いかない、という表情で正四郎を睨むが、ずっとこうしていてもどうしようもないので、おもむろに彼を下した。
「くそ、そんならさっさとそいつらに会わせてみろ!評価してやる」
ジョージが悪態をついて催促すると、正四郎は嬉しそうに頷く。
「うん、案内するよ。ああ、ちなみに僕のことは下の名前で呼んでほしい。苗字はあまり好きじゃないんだ」
「ああ、分かったよ」
そういうと正四郎はくるりと回って、前へ歩き出した。ジョージはその言葉にどうでもよさそうに頷き、彼に従う。
ジョージが案内されたのは、空港近くの大きな駐車場だった。入口付近に停めてあるキャンピングカーの側に、複数の人影が見える。彼らが正四郎が呼んだという仕事仲間なのだろう。
「連れてきたよ。こちらが専門家のジョージ・ハーカー君だ」
正四郎はジョージを横に立たせ、彼らに紹介した。
ジョージは会釈もせずに、値踏みするように相手方を見回す。
案の定というか、正四郎が見繕ってきたという人材達は正四郎ほどとはいかないまでも、各々異様な雰囲気をまとっていた。
まず最初に目に留まったのは、運転席の側に立ち、車体から頭が丸ごと見えるほど大柄な般若面の男。次にその反対側に立つ黒いロングコートを身にまとい、逆立った黒髪と猛禽類を思わせる鋭い目つきが特徴的な青年が目に入る。最後に、テンガロンハットを被り、まるでカウボーイのような時代錯誤はなはだしい風体をした中年の男。そして、その隣にちょこんとたたずむ、ショートカットの金髪に青い眼をした十歳を少し越えたぐらいの少女ーー格好はまともだが、この中で一番場にそぐわないーーの二人が見えた。
「お初にお目にかかる、ハーカー殿」
まず最初に黒づくめの男が一歩前に踏み出し、仰々しく礼をした。眼光は鋭く、顔つきも険しいがジョージのような険悪さは感じられず、どこか優し気に見える表情をしている。
「拙者は速水真九郎と申す。ハーカー殿には何卒ご教授願いたい」
速水真九朗という名に、ジョージは聞き覚えがあった。確か、刃の魔術師などと呼ばれている凄腕の術師の名前がそうだったはずだ。
それに、正四郎と苗字が同じである。もしかすると、正四郎が苗字で呼ばれたがらないのと関係があるのかもしれない。
「ああ、こちらこそ」
まあ、そんなことはどうでもいいことだ。依頼者や同業者のプライバシーを詮索する必要はない。戦力になるかどうかなら、速水真九郎は十分なり得るだろう。
ジョージはそう思って、速水には何も文句は言わなかった。
「速水の旦那に先越されちまったな。まあいいさ、オレァ、スティーブ・ジェンキンスっつうんだ。そんで、こっちが……」
「ミリア! ミリア・スカイラインと申します! 怪物退治は今回が初めてですけど、精一杯頑張ります!」
テンガロンハットの男がニヤニヤ笑いながら自己紹介し、続けて隣の少女について言及しようとしたところに当の本人が割り込む。その声はとても愛らしく全く邪気を感じさせない。
「……まあ、とりあえずよろしく頼むわ」
ジェンキンスと名乗る男は苦笑いして、軽く会釈した。ミリアという少女もそれに倣ってぶんぶんと頭を縦に振る。
「てめえらは戦えんのか?」
ジョージは二人をいぶかしげに睨んで、吐き捨てるように言った。
「あー、お前さんが疑うのも無理ねーわな。ただのおっさんとガキにしか見えねーもんなあ」
ジョージの白い目に、ジェンキンスは苦笑を深める。そして、少女の頭に手を置き、誇らしげに情けない反論をする。
「正直言ってオレはそこそこの実力しかねー、が、この嬢ちゃんは違う。戦闘だろーが、補助だろーがなんだってこなす、オレんとこで一番の出世株だぜ。ま、化け物退治は本業じゃねえんだけどよ……」
その姿は出来のいい娘を自慢する父親のようである。ミリアもまたまんざらではないようで、嬉しそうに目を細める。
「……そうかよ」
なおもジョージは疑わしげな視線を二人に向けていたが、それ以上の追及はしなかった。この連中が強かろうが弱かろうが足手まといにさえならなければいい、と思い直したからである。
「自己紹介は一通り済んだみたいだね。仕事の話は車の中でしよう。目的地まで二時間ほどだから、それで十分だろう」
各々顔合わせが済んだことを確認すると正四郎はキャンピングカーのドアを開け、手招きしながら言った。
「おい待て、そっちのでかぶつがまだだ」
「ん、ああ、そいつは神羅、僕の従者だ。吸血鬼が逃げないように街に結界を張る役目で、戦いには直接関わらないから気にしなくていい」
「……」
無言でたたずむ異様な大男を気にするなと言う方が無理だ、とジョージは思ったが、何も言わず請われるまま車に乗り込んだ。続いて他の三人も乗り込む。最後に神羅が運転席に座り、エンジンをかけた。
「さあ、出発だ」