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なろう公式企画

オレンジ色の光の中から

作者: 烏屋マイニ

 一ヶ月ほど前から、放課後になって教室から出る時、僕は必ず前の扉を使うようになった。

 廊下へ出て左手にある二年一組の教室の、後ろの扉がいつもちょっとだけ開いていることに気付いたのが、ちょうどその頃だったからだ。僕は、その扉の隙間から見える、見知らぬ教室の風景が好きだった。

 いや、僕が本当に好きなのは、その中にいる女子だ。びっくりするような美人ではないけれど、みんな帰って空っぽになった教室でひとり、夕日の差す窓ぎわの席に座り、窓の外を物憂げに眺める彼女は、僕が知っているどんな女の子よりも可愛らしく見えた。

 名前は知らない。僕は去年の冬に、この中学校へ転校してきたばかりだから、一組に頼れそうな知り合いはいないし、直接聞くなんてもってのほか。だから、僕は彼女を勝手に菊子さんと呼んでいる。頭の後ろで束ねられた、彼女の髪を留めるヘアゴムが、ヒナギクの形をしていたからだ。うーん、だったらそのまま、ヒナギクさんって呼んだ方がよかったかな。あるいはデイジーちゃん? うん、やっぱり菊子さんの方がしっくりくる。ともかく、彼女はそんな雰囲気の女の子だ。

 僕と菊子さんをつなぐ扉の隙間は、僕がひとりで帰る日に限って開かれていた。他の誰かが一緒だと、それは必ずぴしゃりと閉じている。

(さとし)。そろそろ帰ろうぜ」

 友人の健太(けんた)が声を掛けてくる。彼は真っ黒に日焼けした、真っ白な歯がまぶしいスポーツ少年だ。週に一回、彼が所属する陸上部の練習が無いときは、必ずこうやって僕を誘ってくる。転校したばかりで、クラスで孤立気味だった僕を、何くれとなく構ってくれたイイヤツだ。勉強は今ひとつだが、男子の僕から見てもなかなかカッコいいので、僕と違ってバレンタインに山ほどチョコをもらうくらい、女子にもてた。なぜ僕なんかを構うのかと聞いたら、「可愛いから」なんて真顔で答えられた。

「うん、帰ろうか」

 菊子さんに会えないのは残念だが、彼の誘いは断れない。男子の僕を可愛いなんて言うおかしなヤツだとしても、大切な友人なのだ。

 健太と一緒に教室を出て、僕は未練がましく隣の教室に目を向けた。もちろん、扉はしっかりと閉じられていて、菊子さんの姿は見えない。がっかりする僕を見て健太は言った。

「前に言ってた菊子さんか?」

 僕は頷いた。健太には彼女のことを話してある。しかし、彼も菊子さんについては、何も知らないとのことだった。

 健太はいきなり一組の扉を開け放った。

「ありゃ、誰もいないな。菊子さんも帰っちゃったか」

「何してるの!」

 僕が抗議すると健太は悪びれた様子もなく、言った。

「顔を見なけりゃ、名前だって調べようがないだろ?」

 ごもっとも――と、こんな調子で菊子さんは僕が、ひとりの時にしか姿を見せてくれないのだ。


 健太の部活がある日は、教室で彼の練習が終わるのを待ってから、僕が校庭まで彼を迎えに行くことになっている。時間が来ると僕は、いつも通り前の扉から廊下へ出た。一組の扉も、いつも通りちょっとだけ開いていて、教室の中はオレンジ色の光がいっぱいで、窓際にはいつも通り菊子さんがいた。この扉を開けて、声を掛けたらどうなるだろう。彼女は驚くだろうか。なんて声を掛けよう。「こんにちわ」かな。それとも、「どうして帰らないの?」がいいかな。僕には言葉なら山ほどあったけど、それを使う勇気は一個もなかったから、いつも通り扉の隙間に背中を向けて、その場を後にした。

 玄関で下履きに履き替え校庭へ出ると、健太はまだ練習中だった。彼が時間を忘れるのは、よくあることだ。しばらく待って、練習を切り上げた健太が汗まみれでやってくる。彼は「悪い、待たせた」と言うが、本当に悪いと思っているかは不明だ。

 僕たちは校庭の端にあるプレハブの更衣室へ向かった。健太はこの中でシャワーを浴び、制服に着替えてから出てくるので、十五分くらいは待たされることになる。僕は時間つぶしにとスマホを取り出して、メールを書き始めた。とても長いメールで、一ヶ月くらい前から書き続け、今ではちょっとした小説くらいになっている。宛先はまだ決めていない。いや、たぶん健太になるかな。メールを送る相手なんて、僕には健太くらいしかいないし。

 ふと気になって、僕は校舎の方を見上げた。菊子さんの教室は、あんなにオレンジ色だったのに、校舎の白い壁は、思ったほど赤くは染まっていなかった。灯りの無い室内だと、どんな光でも強められて見えてしまうのかも知れない。僕は、たくさん並んだ窓から、二階にある一組の教室を探した。窓に人影は見えない。菊子さんは、もう帰ってしまったんだろうか。

 更衣室の扉が開いて、健太が出てきた。頭の後ろがびちゃびちゃで、僕がそれを教えると、彼は「水もしたたるって言うだろ」と言って笑った。うん、君はイイ男だよ。でも、頭くらいちゃんと拭こう。


 その翌日は土曜日で、学校は休み。僕は、健太にも菊子さんにも会えない休日が、あまり好きじゃなかった。そんな僕の気持ちを察したわけでもないとは思うけど、夕方になってスマホに健太からの着信があった。

「なあ、怜。ちょっと学校まで付き合ってくれないか?」

「どうしたの?」

「更衣室に忘れ物した」

「そう言うのって、普通は帰ってすぐとか、朝くらいには気付くもんだよね」

「今朝は一〇時くらいまで寝てたし、昼は家でずっとゲームしてたからなあ。それでさっき、お前をゲーセンに誘おうと思ったところで、財布が無いのに気付いたんだ。と言うわけで、財布を取り返したらゲーセンに行こうぜ」

「いいけど、六時以降は僕たち入場禁止になるよ」

「じゃあ、急ごう。校門前に集合な」 

 通話は一方的に切れた。

 準備をして学校へ向かうと、約束の校門前に健太はいなかった。急ごうと言った本人が遅刻とは、いい度胸だ。僕は、健太に更衣室の前で待つようメールしてから、職員室へ向かった。どうせ更衣室は鍵が掛かっているだろうから、鍵を取りに行くつもりだった。職員室で、当直の先生に忘れ物を取りに来た旨を告げると、彼は気を付けるようにと軽く小言を言って、更衣室の鍵を渡してくれた。

 職員室を出たところで、僕はふと菊子さんの事を思い出した。今日は学校が休みで、教室に誰もいないのは分かっている。それでも僕は玄関へ向かわず、二階へ続く階段を昇っていた。

 学校の中に、人の気配はまったくなかった。平日なら、必ずどこからか誰かの声や足音が聞こえてくるのに、今はそれが無い。目の前に伸びているのは見慣れたはずの廊下なのに、なんだか知らない世界に入り込んでしまったようで、正直なところ不安だった。

 一組の教室の前にたどり着くと、扉はいつも通りちょっとだけ開いていた。覗き込むと中はオレンジ色で、そこにはいつも通りの菊子さんがいた。彼女に会いたくて、ここまで来たのに、僕は急に恐ろしくなった。今日は土曜日で、学校は休みなのだ。誰もいるはずが無いのに、どうして彼女はここにいるのだろう。いや、玄関は開いているのだから、その気になれば誰だって入り込むことはできる。見回りに来た先生に怒られる覚悟さえあれば、だけど。現に、僕だってここにいるじゃないか。でも、彼女は何のために、ここへ?

 いつの間にか手の平から滑り落ちた更衣室の鍵が、床にぶつかってガチャリと大きな音を立てた。菊子さんが驚いたようにこっちを見た。彼女は目を丸くして僕を見るが、すぐに笑顔になった。僕は観念して扉を大きく開け、オレンジ色の教室に足を踏み入れた。教室を横切って僕がそばに立つと、菊子さんはまた窓の外に目を向けた。僕も窓の外を見ると、更衣室の前に立つ健太の姿が見えた。

「色々、考えたんだ。最初に、君になんて声を掛けようかって」

 僕が言うと、菊子さんは窓から目を離し、きょとんとして僕を見た。

「君の名前を教えてくれるかな?」

 菊子さんは笑顔で頷いた。そして僕たちはまた、オレンジ色の光の中で、校庭に目を向けた。


 僕は今、この教室から君を見ながら、このメールを書いてる。ちゃんと最後まで読んでくれるかな。ちょっと難しい字も使ったから、君が途中であきらめないか心配だ。だって、君にぜったい読んでもらいたいことを、ここに書くから。


 今までありがとう。

夏のホラー2015 2作目です。

よろしければ1作目もお試しください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 始めから終わりまでオレンジ色の光に包まれた情景が、映像的にもとても綺麗でした。放課後の学校に残ったときの記憶が蘇ってノスタルジーな気分になれました。 僕も夕陽を扱ったり、ハッとする落ちをつ…
[良い点] 文章がスムーズで、怪しげな菊子さんと最後に遭遇するオチもシンプルで良かった。一人の時にしか現れないオバケというのもよく考えたらベタなのかもしれませんが、ホラーには使い勝手が良さそうですね。…
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