参 蜘女
少しばかり、時間は巻き戻される。
「で、報酬はいくらだって?」
あたしはまったく触れないパソコン。それに向かってカタカタと、なんだか色々やってる相方に訊く。
「30万円ですわ。ただ、前回の任務で破損した右第3パレット外装補修の代金を差し引いて…」
「長い!さんじゅうまんです、でいいの」
「あら、ごめんなさい。気をつけますわ」
任務の選別や交渉、装備から家賃や光熱費の管理まで、あたしが生きる為にはこのコがいないとどうしようもない。
名前はパール。機関から与えられたコードネームではあるけど、それがあたし達の全てだから、何か特別なコトを思ったりしない。
丁寧な話し方と、おっとりした物腰、綺麗な顔立ちによく似合う眼鏡、どこかのお嬢様と言われても簡単に信じちゃいそうな、とにかく綺麗なコ。
話が長いのが玉に傷かな。
「任務の選別は終わりましたわ。夕飯のメニューは何がよろしいですか?」
「数時間したら汚いクリーチャーとお遊戯しなきゃいけないし、ご飯は終わってからにする」
あたしの任務は、化け物退治や暗殺がほとんどだ。それに適した能力を持っちゃったんだから、文句も言えない。
「それでは、クロウが戻る頃に合わせて、食事とお風呂を準備しておきますわ。なんだか新婚さんみたいですね」
「どこが」
んで、名前がクロウ。この名前があたしを表す全て。
機関に与えられたコードネームを掲げ、与えられる任務を消化し、金銭を与えられ、命を食いつなぐ。消えていく命の上で、あたしは命を育むしかない。
これがあたしの生き方。特別なコトなんて、考えない。考えないよ。
警告音が鳴る。隣近所には聴こえないような低い音で、それの出現を知らせる。
手早く装備を整える。といっても、腕にパーツをはめて、小物が入ったポーチを付けるだけ。
「じゃあ、行ってくるね。通信よろしく」
言いながらベランダの手すりによじ登る。
「はい、頑張ってくださいね。でも怪我には十分注意してくださいね。せっかく可愛いクロウのお顔に傷でもついたら…」
「…長い」
あたしたちの拠点はマンションの一室。地上18階と、かなり見晴らしのいい場所だ。あたしにとっては、これ以上ない最高の場所。
「ブっ飛んでくるね」
「いってらっしゃい」
重力に身を任せる。ふわりとした浮遊感。手すりから離れたあたしという一つの物体が自由落下を始めるまでの刹那、あたしの身体は擬似的な無重力状態になる。触れない水の中にいるような、なんとも言えないこの感じは、いつもあたしの気持ちを晴らしてくれる。
人間は羽根を持ってない。飛び降りれば勿論、落下する。
びゅうびゅうと耳を叩く風の音。内臓をまとめて全部持って行こうとする重力。落ちていく景色。近づく地面。
ぱすっ。
あたしのもう一つの相方から射出されたアンカーが、隣のビルに突き刺さる。気を集中すると、アンカーに繋がれたワイヤー、あたしを繋ぐ極細のそれがピンと張り、あたし自身を持ち上げ、落下の衝撃を全て解消してしまった。ほぼゼロになった勢いのまま、冷たいコンクリートに降り立つ。
「よし、行こっかな」
ぱすっ。
目に付く一番背の高い木にワイヤーを絡め、自分の体を空中に放り投げてやる。高さが頂点に近づくと、逆の腕からワイヤーを放ち、どこかの蜘男そのままに夜を駆けていく。
今日は月が綺麗だなぁ。