キノコ、夜の公園でバンド練習をする
空達が共同生活を始めてから三週間。ある日曜日。昼の駅前広場で。
「イチゴのパウンドケーキ、イチゴジャムはいかのやか?」
苺の飾り付きの某福岡球団帽子をかぶった、やや小柄で円らな瞳の若い青年は。道行く人々にジャム乗せクラッカーや、小さく切ったパウンドケーキを差し出す。
「どげんぞ、新種んイチゴ・アカゴウシば使ったジャムとパウンドケーキたい。良からお召し上のりになっちくれんね。 」
柔らかく愛嬌のある表情、所作の彼。この地域には珍しい方言使いだが、あっさりと景色に馴染む。ジャムやパウンドケーキもそこそこ売れていく。
「ありがとねやね。 通販もやっちおるけんけんどげんぞよろしゅうお願いするけんね。」
客にビニール袋を手渡し、深々とお辞儀をした彼は。ニコニコしながら自分を見つめる人影に気が付いた。
「良からお召し上のりくれんね。」
「ありがとう!」
七色の水玉模様のウインドブレーカーを見に纏った美青年は、差し出されたクラッカーとパウンドケーキを笑顔で食べる。
「スッゴク美味しい! 天国の土を食ってるみたい!」
「つ、土? とにかくうちん自信作なんよこれがちゃ。」
そう言って自分の胸をたたくジャム売りの青年。
その音を聞いた七色の青年は、目を見開いた。
「……タン、タタン、タ、タタタタタ、タタタタタ」
いきなりボイスパーカッションをしながら手拍子を始める七色の青年。
「えっ? えっ?」
ジャム売りの青年はちょっと目をパチパチさせたが。七色の青年が『一緒に唄おう』と目で訴えていることに気が付き、頬を苺のように染めつつも手を叩いた。
「タンタタタン、タンタタタン、タンタンタタンタタンタンタン!」
七色の青年はパン、と手を叩いた。
「やっぱりお兄さんはドラムだ!
……声もなんかシチューみたいにあったかくて深みがあるからボーカルもいける!
俺は和泉空! 宜しく!」
ジャム売りの青年はポカーンと口を開けていたが。一旦唾を飲み込んでまた口を開いた。
「なしてわかったと!
ぼぐは確かに高校時代はバンドばやっとったばってん!」
――二時間後。
ジャム売りの青年と空は、なんとかジャムとパウンドケーキを売り終わり、ファストフード店で百円ドリンクを啜っていた。
「ありがとね。これで帰りん夜行バス代がと稼げたちゃ 。」
ジャム売りの青年は不破安治と名乗り、自分がどうして福岡からわざわざ神奈川までやって来たのかを語り始めた。
「幼なじみが、奇妙な人んしぇいで仕事ばクビになりよったり振り回しんしゃっとぉっち聞いて心配になっち。」
空は茶色い髪を揺らして頷いた。
「そ、それは大変だ! アンジーも心配になるよな!」
「うん。おまけにそん人やそん息子っち同居しとるっちゆうんばい!
だから様子ば見に来よるんだ。」
空はなるほど、と頷くと、珍しくまともなことを言った。
「警察に話した方がいいよ!」
安治は自分の膝を見て、ため息をついた。
「ばってん警察に話しゅなっちゆうし、こん前またメールばしたばいら、以外っち楽しかっち言われて……。 洗脳しゃれとったらどげんしよー……。」
頭を抱え出す安治に、空は優しく言った。
「明日も俺は楽器店のバイトが休みなんだ! 一緒にさがすよ! なんて名前の人なの?」
安治は顔を上げて微笑んだ。
「ありがとね! なんて好い人たい! 連城ミチルっちゆうんだ。」
夕暮れ時。空、ミチル、渡、安治はレコードがかかるレトロな喫茶店にいた。安治は動揺と声のボリュームを必死で押さえながら言った。
「や、辞めしゃしぇられた仕事っちヤクザげな……。」
ミチルは爽やかに答える。
「うん……でも俺以外と気が小さいから向いてなかったからこれでいいかなって思ってるぜ。」
「向いとう向いやないん問題やなくて、最初から選択肢にいれちゃいかんばい! 今はなしてるんだ?」 呆れ顔の安治。渡はミチルをフォローした。
「ミチル君は、楽器店でバイトをしている。礼儀正しいし、仕事を覚えるのも早いって店長が誉めていたよ。あと、仕事から帰ってきたら私がギターを教えている。空とバンドを組んでいるんだ。」
「あげなに誘っちも首ば縦に振らなかったミチルが、ギターば始めるなんて思いまっしぇんやった。どげんりで手に豆のあっけんわけだ。 だけん、更正して良かたい。」
安治はほっと長い息を吐く。しかし、一つ気になることがあった。
「えらい失礼やけど、なしてあんたくさずっっちキノコん着ぐるみば着とるんやけどか?
おまけに周りん人もチラチラ見るだけでなんにも言わんけんんはなしてやろうか?」
渡は声を落とし、のんびり答えた。
「極端な寒がりになって、着ぐるみを着ないと生活出来ない体質になった……と近所の人には話してあるんだ。
……本当はキノコなんだけどね。私の正体を知っているのはこの店のマスターと楽器店の社長さんと、空、ミチル君だけだ。」
渡の黒曜石のまぁるい目をじっと見ていた安治は立ち上がった。
「すんまっせん。ちょーお体に触れてもちゃろしいやか。」
「どうぞ。」
そっと渡に触れた安治は頷く。
「本物んキノコん手触りやね。……継ぎ目もなかし。失礼やけどなしてこぎゃんこつに……。」
渡は、ミチルにした説明をまた淡々と語る。
「……というわけで……。本当は死ななきゃいけないんだけど、もう少しだけ生きていたいんだ。」
涙ぐむ空。渡はそんな彼の肩をトン、と叩いた。
「お前も二十歳だし、そろそろ子ばなれしなくちゃなぁ。」
ぎこちなく渡は笑う。そして安治に視線を移した。
「私は不破さんにドラムをやっていただきたい。」
「それは無理だ! 安治にはトラウマがあるんだ……。」
「知ってる。ミチル君がドラムが得意な安治君の話を避けていた時点で何となくね。
だけどこうやって同情を買うための話をしてでも、自分勝手でもなんでも親バカでもなんでも、頼みたい!」
目をぎゅっと閉じ、頭を深く深く深く下げる渡。必死な渡に何も言えなくなるミチル、安治。重苦しい空気の中、空は口を開いた。
「……とーちゃんずるい! 結局アンジーの人の良さにつけこみたいってことじゃん!」
「ああ。そうだよ。」
渡の可愛らしい黒曜石の目が、冷たく光る。空はそれを真っ直ぐに睨み付けたた。
「俺はやだ! 無理に引き込むのっておかしいだろ! 」
「確かに安治に無理強いするのは俺も反対だ。だけど俺はよかったのかよ……。俺は強引にメンバーにされたけどお前は全然罪悪感なさそうだったぞ!」
思わず身を乗り出したミチルに、空はあっさり言った。
「だってみっちょんは流されポジティブだから!」
「なんだよそれ! そもそもなんかずっとひっかかってたんだが……お前も渡さんも何で初対面のやつをあっさり信用したりするんだ? どこで人を判断してるんだよ!」
二人は口をそろえた。
「勘。」
「マジでー! よくそんなんで生き……。」
渡を見て口を押さえるミチル。墨汁を浴びたように影がさし、目を潤ませる渡。そんな渡の頭を撫でる空。彼らの回りは頭を漬物石で押し付けられるような空間になる。
そんな中、安治は落ち着いた声で言葉を発した。
「一日だけ考えしゃしぇていただけまっしぇんか。」
――次の日朝。空達の家に漫画喫茶から安治はやってきた。
「うちは苺農家で十二月になりよったらクリスマス出荷用ん苺ん収穫、三〜五月も収穫期で忙しいけん難しいやけど……それ以外の月は参加出来ます。
どっちみちぼぐはパティシエやけん、こいばってん就職先は見つかるけんし。」
笑顔で跳び跳ねる渡。一方、空とミチルは心配そうな顔で言った。
「アンジーはパティシエなんだよな……その夢はいいの?」
「お前、キノコ教にはまるとなかなか抜けらんないぞ! そもそも高校の時にトラウマが……。」
安治は晴れやかな笑顔で二人に答えた。
「……確かに嫌な思いばして止めたばってん。でもぼぐはほんなこつはドラムば続けたかったんだ。これはケツんチャンスだからやっちのごたぁ。」
――こうして、安治というドラムを得た三人は。人気のない夜の公園で練習を始めることになった。
紺色の空には、苺の種のように粒々の星が輝く。
「わりぃ。また間違えた!」
「もうちょいゆっくりでいいよみっちょん!」「そうだねぇ。慣れないうちはその方がいいね。それから指の位置は……」
渡のアドバイスでミチルのミスも減り、全員で最初から合わせることになった。
ドラムセットを家から取り寄せた安治は深呼吸すると腕をまくり、ドラムスティックを握りしめる。
「ガァワアカカかー!」
安治は野太い雄叫びを上げた。髪は逆立ち、円らな瞳はナイフのように尖りだす。そして、元々の少し白い顔は朱に染まり、顔や腕に血管や筋肉が浮かぶ。その姿は、まさにドラムスティックを握った鬼神の如し。
「アンジーって変身出来るのか! すごいな!」
無邪気に微笑む空、一方、震える渡の両目を隠してあげるミチルであった。