カナリヤ・アンド<語り手>
「んで、どうなったんです?」
事件が収束した後に開かれた魔女との会合は、クランのそんな言葉で始まった。
「どうなったじゃないですよ。全部知っているんでしょう? いえ知っている筈だ。今回の依頼を予見して、速やかに、そして“合理的”に解決した“貴女方”が知らないわけがない」
「……ありゃりゃ、バレてました?」
クランは舌を出して惚けた顔をする。
「気づいたのはあの夜以降ですけどね。あの夜現れたオフィーリアは、クランさんだったのでしょう?」
ご明察――とクランはウィンクと共に突き出した人差し指を私に向ける。
あの夜の異様な出来事は、冷静に考えれば簡単に読み解ける“仕掛け”だったのである。
あの場に現れたレヴァン夫妻の娘であるオフィーリアは、この自称“魔女の世話人”クラン・アーチが変装した姿だったのだ。
死者が甦るわけがない。蒼魔女――ソラリスが仕組んだ事件解決の仕掛けは、気付かない方が可笑しい程に簡単なものだった。
いや。
あの森の“闇”を上手く利用したのか。
「いえね。年齢、伸長、体格などを考慮すればあの“役”をこなすのはあたしが適任だったんです。いえあたししか出来ませんでした。だからあたしは約束の日までに金色のカツラと“それらしい衣装”を用意しましてね、きっちり予行演習まで行ってたんですよ。ただね――」
クランはそこで言葉を切り、私のカップに紅茶を注ぐ。いつもと同じダージリンの香りが場を和ませる。
「それでも所詮は変装。体格やらなんやらは良いとしても、顔の作りはどうにも出来ませんでしょう? オフィーリアは稀にみる美人でしたからねえ。ま、あたしも負けてないですが」
「……だから儀式の場を事件現場にしたんですか?」
オフィーリアが亡くなった場所は実はこの屋敷からそう遠くない。街から入るより、ここから向かう方が近いのだ。
そしてこの森はどんな作りになっているのか“中心に向かうほど”闇が深くなっている。陽光を遮る木々の具合だろうか。
まあとにかく、事件現場は日中でもかなり暗かった。
加えてあの日は真夜中。直ぐ隣にいる人間の顔すら見えなかったのだ。
「真っ昼間にやってちゃ一発でバレますよ。なんたって相手は親ですからね。産まれてからずっと顔つき合わせているんですよ? ちょっとやそっとの変装じゃどうにもなりません」
まあ言う通りである。
私は紅茶を啜った。
「でも、あの闇は変装を補填してくれました。カナリヤさんだってあの時はあたしだと気づかなかったのでしょう?」
「お恥ずかしい限りです」
いや本当に今回の私の立ち回りは、滑稽と言っても良いほど陳腐なものだった。私は何せレヴァン夫妻をあの場に誘導しただけで、その後は成り行きに流されていただけなのである。
「まあそうは言っても、変装を完璧にしたのは闇じゃないんです」
「と言うと?」
「思い込み――ですよ」
ああ成る程。
確かにあの場は暗かった。だがクランが出てきた時にはランタンに灯りが灯っていたのだ。
当然、何も見えない状況でオフィーリアを演じても声しか届かないわけだから、それでは効果が半減するし、露見する――というかペテンと判断される可能性もグッと高くなる。
だからこそのランタンである。だが当然ランタンがあれば明確とは言えないながらも顔くらいなら浮かび上がる。現に私はオフィーリア――を演じたクラン――の頬の赤みも肌の白さも視覚で捉えれていた。
にも拘らず気づかなかったのだ。
確かに闇の影響はあった。
しかし。
一番の要因は雰囲気に“呑まれていた”事だと思う。
「人間は“見たいものしか見ない”ですからねえ。カナリヤさんはどうだったか知りませんけど、あの二人は始めからオフィーリアという存在のことしか考えてませんでしたからね」
一方は求め、一方は怖れる。どちらにせよ夫妻は『オフィーリア』に意識を集中させていたのだ。善くも悪くも。
「怖い怖いと思っていたら、壁のシミも悪霊に化けますわね。それと同じ状況を作りあげるのがあの仕掛けなのですよ」
まずソラリスがランタンの灯りを消し、そして“それらしい口上”で場を儀式化する。そしてオフィーリアに変装したクランは口上に紛れ所定の位置につく。そして口上を終えたソラリスがランタンに再び灯りを灯すと――。
オフィーリアは再生した。
聞けばやはり簡単な仕掛けである。舞台装置も特別大掛かりではない。
しかし。
それを“奇跡”にまで仕立てあげたソラリスは、やはり異様であると言えよう。確かにあの夜オフィーリアは甦り、人を超えた現象は結ばれたのだから。
「この世は因果により結ばれております」
クランが語った。
「因果とは“原因”と“結果”のことですね。この因果というのは決して切り離すことが出来ないものなのですよ。結果に至るには必ずその原因がございます。火の無いところに煙は立ちませんからねえ」
「まあ……そうでしょうね」
「でね。人は因果が明白な場合はすべてにおいて“自然現象”と認識するんですよ」
でもね――クランは苦笑気味に続ける。
「因果がどうにも“曖昧”な場合、人はそれを“超自然的現象”――つまりは“奇跡”と認識してしまうんです」
ああ。
何となくだが理解出来た。
「要するに奇跡とは『自然的現象に“見えない”自然的現象』――というわけですね」
クランはご明察――流石は探偵様にございますと軽口を叩く。
「この世に不思議なし。ただ不思議と“思える”出来事はあるのでございますよ。ソラリスさんはね、そんな人間心理を操作するんです」
ああ、こんなに語って良いのかしらとクランはそこでちらりと横を見る。
ただ答えは返って来なかった。
「……まあ良いですよね。別に隠してらっしゃるわけじゃないですし」
それでね――と何事もなかったように再び語りが始まる。
「ソラリスさんの仕掛けってのは、因果をわざと曖昧にするんです」
「曖昧とは?」
「例えば、火の無いところに煙が立ったら、これは自然的現象ではないですよね?」
まあ自然的ではないだろう。
「ではカナリヤさんならどうやって火の無いところに煙を立てますか?」
「どうって……それは無理でしょう。火がなければ、いや物質が燃焼しなければ煙は立たないですよ」
「そう無理なんです。もし火もなく煙が立てば、これは奇跡ですよ」
奇跡。しかし――。
「奇跡とはそう見えるだけで存在しないのでしょう? ならばやはり無理ですよ」
「ええ。奇跡ってのは因果が曖昧なだけの自然現象ですよ。ですからね、ソラリスさんは火を起こし、そして――その火を“隠す”んです」
――ああ。そういう事か。
「つまり、明白な因果によって発生した自然現象の、その原因を“曖昧”にすれば“作為的な奇跡”を発生させる事が出来る――と、そういう事ですね」
「その通りです。そしてそれが魔女の――いえソラリスさんの“やり方”なんです」
魔女の奇跡。
それは妖しい事実と事実めいた虚構により構築された――仕掛けだった。
「んで今回もその方程式に当て嵌め作られた仕掛けなんですよ」
「……成る程。今回の場合はオフィーリアが“偽者”だった、という部分を隠したわけですか」
クランは微笑み、頷く。
すべてを隠す闇と簡単に思い込む人間心理を上手く操作して、ソラリスはオフィーリアを“死なせたまま甦らせた”――というわけか。
聞けば聞く程仕掛けの構造は単純であり、そして反対に、魔女という構造は複雑になっていく――私はそう感じた。
「そういえば……クランさんが第一発見者だったんですよね」
「……ええ」
――そう。
オフィーリアの死体を発見し、警察に通報したのはこの世話人なのである。それに私が気づいたのは事件の収束をしている時であった。
「約束を――していたんです」
クランの表情はそこで沈んだ。哀しい表情である。言葉の意味はわからなかった。
私は。
ソラリスに視線を移す。
魔女は――。
先程からずっと黙している。
しかし、その表情には悲哀も憂いも憤りも映っていなかった。
ただ。
呆けている。
そんな風に感じた。
私の視線に気付いたのか、ソラリスは慌てて笑みを浮かべ口を開いた。
「今回はカナリヤさんまでも謀る形となりましたこと、申し訳なく思っております」
いつもより、少しだけ暗い声だったように思う。
「……いえ、そもそも私の不甲斐なさがソラリスさんを巻き込む形となってしまったのですから、謝るのはこちらの方です」
あら、あたしとは随分態度がちがいますわね、とクランが囃す。
「いえいえ。クランさんにも感謝しておりますよ。今回は事件解決の為の尽力、本当にありがとうございました」
「何だかむずかゆいですねえ。うふふ。でもお役に立てて良かったです」
それで――とソラリスが呟く。
「レヴァン夫妻はその後どういう処遇となったのでしょうか?」
ソラリスもそこまでは知らないのか。
いや思えば過去の案件もソラリスは解決した後の結末には関与しなかった。事件を解決に導くだけで、そこまででソラリスは身を引くのだ。
もしかしたら、知りたくなかったのかも知れない。
きっと知れば哀しくなる。無責任と言えば無責任なのかも知れないが、それでも彼女だって人間だ。いやまだ少女なのである。哀しいだけの事柄を、すべて引き受けろというのも酷だ。
むしろ、そこは私が引き受けるべき部分だ。いや私が背負うべき責任だ。彼女は関係ない。
「妻女は――オフィーリア殺害の容疑を認めました」
おお、とクランが小さく声をあげる。ソラリスは無反応だった。
「結局、オフィーリア――いえオフィーリアに変装したクランさんと妻女のやり取りに不審を抱いたレヴァン氏は、あの後放心していた妻女をきつく問い詰めたのですね。まあ、その時もう妻女は半分“壊れて”ましたからね。容疑を認めたというよりは、オフィーリア殺害に関する言葉をうわ言のように吐いていた――というのが正しいのですが」
そう。
あの女は壊れていた。ただ、その崩壊の原因がソラリスの仕掛けによるものなのかはわからない。
あの女の崩壊は、実のところ遥か昔に始まっていたのではないか。私はそう思う。
そして。
娘の死。その真実を知ったレヴァン氏は、翌日警察へ通報した。
当然、妻女を裁く為に。
ただ捜査は難航しているらしい。それは妻女の精神状態が正常では無い事と、そして証拠が見つかっていない事が大きく影響している。
妻女は「オフィーリアは死んだ。殺した。殺した筈なのに――」などと繰り返すばかりで、肝心な事は何を聞いても答えないらしい。
「まあ解決とは言うものの、事件が本当に解決するにはまだまだ時間が掛かるでしょうね」
「……レヴァンさん――旦那さんの方はどうなったんです?」
クランが問う。
「……それがですね。レヴァン氏はその後警察に、妻女がオフィーリアに日常的に行っていた虐待の実と、それに自身がオフィーリアに行っていた性的虐待の実も洗いざらい打ち明けたのですよ」
思えば、この依頼は当初の方向性がかなり歪んだ結末だった。
妻女は、レヴァン氏に陶酔にも近い恋慕の情を抱いていたらしい。それは実の娘すらも近付けたくはないという異常なものだったとレヴァン氏は語ってくれた。
――嫉妬か。
妻女が魔女への依頼に拘ったのは、もしかしたら娘を失ってもレヴァン氏の一向に娘から離れない心を、その思いを完全に断ち切ろうという魂胆だったのかも知れない。
ほら――奇跡でもあの娘は戻ってはこない。もう何をしても無駄。だから――。
いや、それは考え過ぎだろうか。
ただ単に、夫が自分の犯した罪を暴きたてるのを恐れたゆえの“目眩まし”だったのかも知れない。
しかし。
レヴァン氏は薄々――いや、明確に、娘の命を奪ったのが自分の妻である事に気付いていたのではないだろうか。
だがすべては自分への愛がそうさせた事。ゆえに自分では問い質せなかったのではないか。
だから誰かの手を、口を借りたかったのかも知れない。
――いや何もかも。
今となっては、闇の中――か。
私は。
結局、最後まで何も知らなかったのだ。
「……ソラリスさんもクランさんも、始めから何もかも知っていたのですよね?」
「すべてではございませんが……しかしオフィーリアとは、一度だけ、お会いした事があるのです」
魔女は静かに、そして何かを思い出すように語る。
「ただ、それきりでした。その時も多く言葉を交わしたわけではございません。ただ、とても落ち着いた雰囲気を持った子で、賢しくもありました。ただ、とても哀しい表情をする――少女だったのです」
亡くなったことは――クランからお聞きしました。ソラリスは目を細める、
「わたしはその時期所用で外出していたのですが、丁度その事件があった日に、帰ったのです。そしてクランが事件のことを話してくれました」
「……ソラリスさんのもとに、警察は来なかったのですか?」
クランが通報したならば、当然クランもその身元保証人であるソラリスも事情聴取は受ける筈である。
「ああ。いえね、あたしゃ公衆電話から匿名で通報したんですよ。どこどこで女の子が死んでいる――ってね」
クランが身振り手振りで実況した。
「警察沙汰にあたしが巻き込まれたらソラリスさんに迷惑が掛かっちゃいますからね。冷たいようですが、オフィーリアの遺体は警察に任せて、あたしゃとんずらしたんでございますよ」
「成る程。そして、通報は悪戯とは取られずに事件となりましたか」
「……ソラリスさんが帰られた時にはもう何もかも発覚した後で、あたしたちには何も出来ませんでした」
いえ、どうしたところで、わたしには何も出来なかったのですよ――。ソラリスは虚空を見つめる。
「ただ、これで終わるとも思えませんでした」
「と、言うと?」
「オフィーリアが真に自殺なら、それはそれまでなのでしょう。しかし、あの子はとても賢しい。逃避を死に求めるような浅はかな考えを持つような人間であるとは思えませんでした。それに――」
ソラリスはそこでクランに目をやる。クランは何を勘違いしたのかソラリスのカップに紅茶を注いだ。
「オフィーリアはその日、クランと会う約束をしていたのでございます」
約束――。
クランも先程そう言っていた。
友達になりたかったです――クランは悲しげに言う。
「ともかく、そういう点から見てもオフィーリアの死は自殺とは思えませんでした。……ですが、ですが例え殺されたのだとしても、わたしが出る幕ではございません。そういったことはわたし何かよりずっと、警察の方々の方がきちんと解決してくれます」
そしてソラリスは、わたしは自分の罪を償うことしか出来ない矮小な人間なのです――そう結んだ。
確かに、人死になどという事件は警察、そして司法の領域だ。一個人がどうこう出来るものではないし、してはいけない。
しかし。
警察は自殺という誤った判断を行った。
「そう。私はまだ一つ疑問が残っているのです」
それは警察を誤った方向に導いた――オフィーリアの“遺書”の事だ。
「遺書には何と書かれていたのです? いえ事件は殺人なわけですから、あれは遺書ではなかった筈でしょう? なかった筈だ。では――」
「あれは――わたしに宛てた“手紙”なのですよ」
手紙――。
確かにあの夜も、ソラリスは遺書を手紙と言った。
ソラリスはそこで瞳を閉じる。
もしかしたら。
もしかしたら、涙を抑えてるのだろうか――。
私は何故かそう思った。
「しかし、ただの手紙が遺書と捉えられる事など、普通ならあり得ないでしょう? その手紙には一体、何が書かれていたのですか?」
ソラリスは少し間をおいて、
「“魔女のこと”――です」
そう言った。
「……あれは、オフィーリアのあの手紙は、第三者からすれば、確かに遺書と取れる内容でした。ですが――わたしにとっては、やはり手紙なのですよ」
ソラリスは、オフィーリアが自分宛に手紙を書いていた事を知っていたらしい。
その手紙をクランに渡す事がその日のクランとオフィーリアの約束であり、そして事件の日でもあったのだ。
クランはオフィーリアの手紙を確認はしていなかったらしいが、きっと持ってきていた筈だとソラリスに語ったらしい。
そして。
恐らく、オフィーリアを殺した妻女は何かの拍子にオフィーリアが持っていた手紙に気付き、それが遺書に使える、あるいは遺書だと思ってそのまま利用したのだろう。
ソラリスは遺書の事を私から聞いて、すぐにそれが自分に宛てられた手紙だと思ったのだそうだ。
ならば、読む義務がある。
だからこそ、ソラリスはあの夜に遺書を持ってくるように言ったのである。
遺書自体は、あの仕掛けに関係なかった。ただ、確認したかっただけだったのだろう。
――魔女の事。
結局、ソラリスは手紙の内容は教えてくれなかった。
私は本当に、最後まで何も知らずに終わるんだな――。
そう思うと、少しだけ可笑しくなった。
死者の再生――。
そんな異様な依頼で始まった今回の事件は、探れば探る程単純で、また手繰れば手繰る程複雑になり、そして近付けば近付く程遠くなる、妖しくも哀しい――物語。
「オフィーリアは、辛かったのでしょうか?」
そんな事を聞いて見た。
ソラリスはゆっくりと瞳を開く。
不思議な色の――瞳。
藍に青を重ね碧を混ぜて蒼を被せれば、きっとその色になる。
瞳は深く遠く、決して此方に微睡みはせず、常に彼方を見やるその清々しき様は人象を忘却させる。
神々しいわけではない。
むしろ禍々しいと喩えねばならないのだろう。
だけれど。
それも違うように思う。
だって彼女はただの――優しい女の子なのだから。
「あの子はきっと――」
微笑みながら、逝ったのではないでしょうか――。
そう言って。
“蒼き魔女”ソラリス・エンジュは無垢なる笑みを浮かべた。
深遠な瞳に――やはり私は映っていなかった。