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ベアトリクス・レヴァン<母>



 魔女から下された指示は二つ。

 一つはレヴァン夫妻を指定の日時にご息女の遺体が発見された場所へ連れて来る事。

 そしてもう一つはご息女の遺書も持参するという事である。

 遺書が警察からレヴァン氏の元へ返還されているかはわからないが、その場合は必要ないという事だ。

 ――問題は。

 夫妻を指定の場所と日時に連れ出す事か。

 それは、どうなんだろう。親として、娘が死んだ場所へ赴くという行為は簡単なものではない気がする。

 妻女の方はまあ、自分が依頼した結果ではあるし、何よりあの気丈さなら問題ないようにも思う。

 しかし、夫の方は――。

 どうだろう。

 レヴァン氏はあれからもずっと鬱いでいるようだ。事務所で妻女が依頼した内容は正直、常人では到底理解出来ないものである。理解出来ないというより、常識の範疇にはない。


 ――馬鹿なことを。

 ――何が魔女だ。

 ――そんなふざけたことを口にするな。


 あの後レヴァン氏はそう言って妻女を責めた。

 確かにまともな判断である。

 だが結局妻女は折れる事なく、私はあの蒼魔女を頼る結果となってしまったのである。

 今回は、何かがおかしい。

 いや奇怪な依頼というのは今までだって多く取り扱って来た。その中には凡そ不可能と思える依頼だってあった。

 今回だって私の手には余るものだ。だからこそあの魔女を頼る形となる。

 だけれど。

 今回は何か、厭な雰囲気だ。

 上手く説明は出来ない。理屈や道理や常識などと言った、言葉で説明出来る類いのものではない。

 言うなれば、厭だという――感覚か。そして、きっとそれは五感を測る感覚器では扱えない代物なのだろう。

 ただ、厭だ。

 私はそう感じている。

 ――厭だ。厭だ。

 あの魔女は何をするつもりなのか。

 死者の再生など、レヴァン氏が言うようにふざけている。

 そんな事は出来よう筈もない。

 魔女は――。

 そう、あの魔女ならば――。

 もしかしたら。

 私は頭を振る。

 考えるのはよそう。あの魔女を深く詮索するのは善くない気がした。

 私はこれまで魔女に任せた依頼、その結果も深く詮索していない。いや結果だけは知っている。だがその経過と結果に至る為の手段は一切知らないのだ。

 無責任ではある。

 そもそも私の下に集った依頼だ。ならば始終において私が処理せねばならない。それを他人に託した挙げ句、その後知らぬ存ぜぬを決め込むなど言語道断である。

 頭ではわかっているのだ。だけれど気が進まない。やはり、深く関わるべきではないように思う。

 私はじわじわと心を染める不安を抱いたまま、レヴァン氏の自宅を訪ねた。

 それでも今は、この依頼を終わらせなければならない。

 呼び鈴を鳴らす。すぐにドアが開いた。


「……ああ、探偵事務所の――」


「カナリヤ・アンドです」


 応対に出たのはレヴァン氏の妻女だった。


「依頼のことでございましょうか?」


 妻女は淡々と問うた。

 声に張りがない。

 身だしなみこそきちんとしているが、その表情には明らかに疲れの色が浮いている。

 少し驚いた。

 先日事務所で見せた覇気が、今はない。


「ええ、お忙しいところ恐縮です。何点かご報告したい事がございますので、お時間頂いても宜しいでしょうか?」


「そうですか……では中へどうぞ」


 妻女は至極気だるそうな所作で私を家内に招いた。私は礼だけ述べてそそくさと敷居を跨いだ。

 客間に案内された。

 レヴァン氏の姿は見えない。


「夫は自室で鬱いでおります」


 妻女は紅茶を注ぐと無表情にそう言った。


「お話は私がお聞き致します」


 私は依頼を魔女に委託したこと、そして魔女からの指示を伝えた。


「……遺書は、すでに返還されております。しかし、そんなものが必要なのでございましょうか?」


「私もわかり兼ねます。私はあくまで仲介者でございますので」


「……仲介者。いえ、娘が発見された場所へ赴くことも問題はありませんが、その――」


 妻女はそこで言葉を切る。


「……死者の再生――ですか?」


「――ええ」


 出来るわけがない。

 私ははっきりとそう思う。

 それは、今までの依頼とは次元を違えている。確かに過去の事件についても凡そ可能な解決手段などなかった。いや少なくとも私は思い付かなかった。

 しかし、それでも今までの依頼が絶体的に不可かと問われれば、そうでもない。ただ至極難解なだけで、その難解さを解きほぐす事さえ出来れば可能ではあったのだ。

 しかし。

 今回は違う。

 死人は絶体に――生き返らない。

 化学非化学などという根底的な問題など横に置いたとしても、恐らく誰もが理解しているのだ。

 死んだ人間は生き返らない、という事は。

 そういう次元の話なのだ。此度の依頼は。


「それも、私にはわかりません。確かに私はこの街で巷説として語られている“蒼魔女”、その実物としての少女に接触し、何件かの依頼を解決致しました。しかし、その私からしても正直、魔女という存在――いえ魔女と呼ばれているあの少女の『魔女性』は認め兼ねます」


「……それは、ペテンという事でしょうか?」


 いや、そういう事でもない。

 ただ。


「現状では私にも『わからない』というだけです」


 そう。結局のところ、私にはあの魔女を魔女と証明する証拠も根拠も手段もない。何も、知らないのだ。だからといって、ペテンと決めつけるのもおかしい。わからない事やものに対して、自身が納得出来る答えを強引に付けるのは善くないように思う。

 わからないなら、わからないで善いのだ。わからないのままで善いのだと、そう思う。


「……まあ良いでしょう。ともかく確かに指示された内容はその通りに動きましょう」


 そこで妻女は微笑む。

 同じ微笑にも拘わらず、あの魔女とは明らかに種類の違う微笑だった。

 何と言うか。

 危うい――笑み。


「その、ご主人は……」


「当然、その際は連れて参りましょう」


「問題ないのでしょうか?」


 娘が亡くなった場所。娘を失った場所。人生が狂った場所。

 忌避すべき――場所。


「問題もなにも、連れて行かないことの方が問題でございしょう?」


 確かに魔女の指示は『夫妻揃って』の立ち会いなのだから、連れて行けないとなると問題になるのかも知れないが――。

 何だろう。

 どうも、妻女の今の発言はそう言う『問題』を危惧しているようなニュアンスではなかったように思う。

 いや、深く踏み込んでは駄目だ。魔女に、あの少女の力に『呑まれて』しまう。

 それは――厭だ。

 妻女はにやにやと微笑んでいる。

 にやにや。にやにや――。

 私は気分が悪くなる。


「で、ではご報告は以上となります。それでは私はこれで――」


 席を立つ。

 妻女は動かない。ただ。

 笑っている――。

 そして、客間の扉に手を伸ばした瞬間――。


「――ああ、これであの娘は」


 心臓が高鳴った。

 振り返っては駄目だ。駄目だ。駄目だ。ここから先は――『マジョのリョウイキ』なのだから。

 扉を開けて客間を出る。

 扉を閉じる瞬間――。


「完全に死ぬ」


 ゆっくりと閉じる扉の隙間から、誰かわからぬ女の、にやにや微笑む顔が見えた。



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