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ソラリス・エンジュ<魔女>



 藍に青を重ね碧を混ぜて蒼を被せれば、きっとその色になる。

 瞳は深く遠く、決して此方に微睡みはせず、常に彼方を見やるその清々しき様は人象を忘却させる。

 神々しいわけではない。

 むしろ禍々しいと喩えねばならないのだろう。

 だけれど。

 それも違うように思う。

 微風にも靡く艶々しい黒髪が、その一本一本を風に遊ばせる度に柔らかな匂いが流れはじめる。それは洗髪料の香であろうか。それともはじめから――。

 そう彼女自身の匂いなのだろう。

 髪だけではない。まだ成熟せぬ無垢な肌から、薄紅が現れた唇の隙間から、指から首から胸から腿から、彼女の全体から、匂い立つ。

 もし男ならば、彼女の匂いが鼻を抜けた瞬間に『そそり立つ』のかも知れない。

 いや女とて、彼女を前にすれば『妖しい気分』になってしまう。

 それが――魔力と呼ばれるものか。


「……どうしたのですか。わたしに用件があるのでしょう?」


 彼女は微笑みながらカップに何杯目かの紅茶を注ぐ。ダージリンの匂いが彼女の匂いを薄め、私はそこで漸く微睡みにも似た放心から解き放たれた。


「……失礼。少し考え事をしておりました」


 あら珍しい、と柔和な音が耳をくすぐる。


「心ここにあらず。貴女にしてはこと珍しいですわね」


「申し訳ありません。さて此度の用向きですが――」


 当てて差し上げましょうか、と彼女が手を翳す。


「凡そこれまでの『ご依頼』とは趣向が異なるもの。ええ、そうですね……たとえば『死者の再生』――など。如何です?」


 私は溜め息を一つ溢し、卓上のダージリンに手を伸ばし啜る。


「貴女の『魔法』には読心術も含まれるのですか? ええ、まさにその通りにございます。今回の依頼は――」


 死者の再生。そういう『モノ』だ。

 正直快い内容ではない。私は彼女に依頼する気には中々なれなかった。

 いやどうしたところで。

 私は彼女が『苦手』なのだ。

 依頼内容云々ではない。どんな内容であれ、私は彼女を訪ねる事自体が、嫌だ。

 彼女が嫌いなわけではない。嫌いなわけではないが、やはり苦手だ。


「読心術などとお恐れ多いこと、わたしは出来ませんわ」

 

「では――」


「いえ。貴女方の言う魔術や魔法などといったことでもございませんよ。ただ――ええ、ただの推測にございます」


「推測、ですか」


「ええ。まず始めのご依頼、確か『恋の成就』でしたわね」


 そう言えばそんな依頼もあった。

 今思えば馬鹿馬鹿しい事である。確かとある国の王女と平民の男との縁結びであった。

 本来ならそんな身分差の愛は結ばれない。しかし彼女はその愛を見事に繋いで見せた。


「あれはお見事でございました。いえ、駆け落ちと言う結末なら誰が仲介に立とうが簡単な事でございましょう」


 しかし、彼女が導いた結末は『正式な婚姻』であった。

 あり得る事ではない。いやあり得ないから彼女に依頼が行くのか。


「大層なことはしておりませんよ。いえ、わたしの出来ることなど些末な仕掛けを作ること。決して人様の誉れを得るような大行ではございません」


「ご謙遜を。不可を可に変える所行にこそ人は称賛を与えるのです」


 まあ良いでしょう、と彼女は微笑みながら続ける。


「次のご依頼は『しがらみからの解放』――だったかしら?」


「……ええ」


 それは確か――。

 

「――生涯を被害妄想というしがらみで黒く染め続けた愚かな男の依頼です」


 思い出すだに厭になる。私はその依頼の始終をずっと陰鬱な気分で過ごしていたのだ。本当に馬鹿な依頼であり、愚かな男であった。


「あの方も哀れなお方でございましたね。今は少しでも幸福になっておられれば良いのですが」


 元気ですよ、と私は言った。実のところその男のその後は全く知らない。知りたくなかった。


「幸せかどうかはわかり兼ねますが、まあ生きてはいます」


 嘘である。知らないのだ。

 だが死んではいないだろう。彼女は確かに依頼を遂行したのだ。ならば病死事故死していない限りあの男は死んではいまい。

 

「それは善うございました。人は死んでしまえば終わりですから」


 どこか意味深に彼女は言う。


「そして次のご依頼は『人生の抹消』」


 その依頼ははっきりと覚えている。何とも不可解な内容だったのだ。

 依頼主は『自分を殺して欲しい』と言った。だが『生きたままで』と続けたその男の言葉が事態を深淵に嵌め込んだのだ。

 要するに、男の願いは自分という個人の記録、歴、さらに他人の中の記憶をも抹消し『誰でもない者』に生まれ変わりたいというものだった。

 ふざけた依頼だったのだ。

 しかし彼女はその依頼をも見事に成し遂げた。男はそれまでの記録も記憶をもこの世から抹消され、新たな人生を送り始めたのである。


「あれは難儀なご依頼でございました」


 難儀どころではない。不可能な事だ。


「そして――今回のご依頼が『死者の再生』」


「……ええ、その通りです。しかし過去の依頼から此度の依頼をどう推測します? 一見関連性は見受けられませんが」


 ふふふ――。不敵な笑み。彼女のそんな表情は初めて見た。


「人は愚かなもの。心とは欲でございます」


「……欲、ですか」


「欲です。まず始めのご依頼は『愛欲』にございます」


 愛欲。


「恋も愛も欲にございますよ。そして次は『生きたい』という願望にございます」


 生涯を被害妄想というしがらみで苦しめ続けたあの男は、確かに『生きたい』と言った。


「そして次はその逆に『死にたい』という願望にございます」


 それまでの人生の抹消を願った男。愚かではあったが、彼女は男の願望を叶え、見事に殺してみせた。


「人は恋をし愛を育み生きたいと願い最後は死んでいく。誰も抗えぬ人の定めでございます。すべては欲という心が作り、そして辿る道。誰も彼もが同じその道を辿るのでございます。人により紆余曲折も遠回りや近道を辿ることもありましょう。しかし――」


 みな同じなのです――そう言って彼女はティーカップを音も立てずに卓へ戻した。


「本来、生命とは死を迎え終わるものです。しかし人は、人だけは――」


 ――その先があるのでございますよ。

 成る程。そこまで聞くと私にも理解出来た。


「死を越えたい、という欲ですね」


「その通りでございます。人は死を肯定出来ぬ生き物です。まだ生きたい、死にたくない、死んでも――生きたい。生きてほしい、死んでほしくない、死んでも――生き返ってほしい。そしてもう一度――『会いたい』。そう思うのが人の性」


 それが知ある生物の――欲求か。


「悲しいことか哀れなことか。わたしの元にはそう言った人の、人ゆえの根強い願望が集まります」


「愛に生死、そしてその先。確かに貴女の理屈で言えば此度の依頼は推測出来るものだったのでしょうね」


 然れども――彼女は表情に僅かな暗澹の色を浮かべる。


「――人は、死んでしまえば終わりなのです」


「貴女にも死者の再生は不可能だと?」


「……確かに今回は今までと趣向が違います。しかし……無理かどうかはご依頼の内容次第にございましょう」 


 では、ご依頼の内容をお聞き致しましょうか――。

 そう言って“蒼き魔女”ソラリス・エンジュは無垢なる笑みを浮かべた。

 深遠な瞳に――私は映っていない。



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