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07 魔術師と英雄

主人公視点はお休み。

 時刻は午後九時。遠くの森で狼が吠えると同時に、この国の王に仕える魔術師、レッド・ガレルは軽く身構えた。

 怒気をまとった”英雄”が、この部屋に近づいてくる気配を感じ取ったからだ。


 ここは城の中の一室、ガレルが国王から与えられた部屋だった。

 暗い輝きを放つ宝石に水晶玉、何に使うのか分からない蛇や蛙のビン詰め、小型の魔物の剥製に、怪しいまじない道具などが置かれている。そして壁には大きな鏡がかけられ、魔術書が詰まった本棚が残りのスペースを占拠していた。

 ごちゃごちゃと物が多い部屋だが、これがガレル仕様なのだ。彼は他にもいくつか住処を持っているが、どこもこんな風に散らかっている。


 ガレルは床に転がっていた呪いの仮面を足で蹴ってどかすと、ため息をついてお気に入りの椅子に座った。細かい彫刻に金彩が施され、座面と背もたれには植物が刺繍された布が張られている派手な椅子である。


「いつかバレるとは思っていたけれど、あまりにも早い。まさか毎日確認しているのか?」


 部屋に近づいてくる足音を聞きながら、のんびりと足を組む。

 ガレルは深紅に染まった長い髪が特徴の、王国一の魔術師である。あるいは世界一と言っても過言ではないかもしれない。

 いつも髪に合わせた派手な色の服を着ていて、羽織っているローブも鮮やかな赤だ。首や腕には宝飾品を幾重にもつけており、彼が動くたびにじゃらじゃらと音を立てている。


「ガレルッ!」


 扉が勢いよく開けられて、一人の男が中に入って来た。

 この国の英雄クラスト・オーフェルトだ。銀の髪を乱れさせ、ガレルに詰め寄る。


「返せ」


 彼は低い声でそれだけを言った。

 ガレルは耳飾りをシャラリと揺らしてとぼける。


「やぁ、クラスト。元気かい? 相変わらず忙しそうじゃないか。ちなみに僕もこう見えて忙しくてね。何か用事があるならまた今度——」

「斬られたいのか? 俺の持ち物を返せ」


 しかしクラストには効かなかった。彼は本気だ。腰の剣に手をかけ、いまにも引き抜こうとしている。

 ガレルはその年齢不詳な美しい顔に笑みを浮かべ、ルビーのような赤い瞳で、クラストの空色の瞳を見返した。


「君はあれだね。普段は無口で感情表現が乏しいくせに、『異世界の君』に関係する事になると途端に目の色が変わるね。だけど澄ましているより、そっちの方がいいよ。人間臭くて魅力的じゃあないか」

「何度も言わせるなよ。俺の持ち物を——」

「心配しなくたって、ちゃんとここにあるさ」


 ほら、とガレルが指を動かすと、突然クラストの目の前に布袋が落ちてきた。持ち前の反射神経のよさを遺憾なく発揮して、それが床に落ちる前に上手く掴み上げる。

 袋を開けて確認すると、中にはちゃんとクラストの服が入っていた。

 これは三年前、クラストがこちらの世界に戻ってきた時に身につけていた、”あちらの世界”の服だ。詩織が選んで、クラストにあげたもの。

 

 中身が無事だった事が分かり、クラストは安堵した。これは自分が地球へ行っていた事を示す、ただ一つの証拠。詩織との繋がり、思い出を残す、ただ一つのもの。なにせ事前の相談などもなく急にこちらの世界へ戻されたものだから、他に何も持ってくる事など出来なかったのだ。


 クラストは目の前にいる赤髪の魔術師を睨みつけた。そもそも、何もかもこいつが悪い。

 三年前にガレルは、クラストをまだ開発途中の『送移魔術』の実験体にしたのである。ガレルは「城の裏庭へちょこっと飛ばして、びっくりさせようとしただけなんだよ、本当」と悪気がなかった事を強調したが、ガレルの魔力が強力すぎたせいか、クラストはその送移魔術で世界をも超えてしまった。

 城の裏庭どころか、まったく見知らぬ異世界——地球まで飛ばされてしまったのである。

 そしてそれから、ガレルが異世界の存在を突き止めて『召移魔術』を開発するまでの三ヶ月間、クラストはその世界で生きて行く事になったのだ。


 クラストは思う。自分が送移された先が、詩織のところでよかったと。彼女の助けがなければ、言葉も通じない異世界で無事に生きていく事は難しかったはずだ。

 思いやりがあって、恥ずかしがりやで、少しドジで可愛らしい。そんな詩織の事を思い出して、クラストはふっと口元を緩めた。

 詩織と出会えた事に関しては、ガレルに感謝してもいいとすら思っている。


「にやにやしちゃって。気持ち悪いよ、君」


 椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、ガレルが言った。前言撤回、クラストは眉間に深い深いしわを寄せた。


「俺の服を盗んでどうするつもりだったんだ?」


 答えによってはただではおかない、という風にクラストが凄む。

 この服は、クラストが住む屋敷の金庫の中に大切に保管してあったもの。しかし仕事を終えて家に帰ったクラストがいつものように金庫を確認すると、一緒に入れていた宝飾品や権利書の類いはすべて残っているのに、服を入れた布袋だけがなくなっていたのだ。

 金庫を壊さず中身を取り出す手口や、金目のものには一切手を付けていない事から、犯人は自ずと割れた。

 それでクラストは、迷いなくガレルの元へやって来たのである。


 クラストが小さい頃から、ガレルはこうだった。性格も外見も変わらない。魔術を使って百年以上生きているという噂も、あながち嘘ではなさそうだ。

 しかし長く生きているが故に、暇なのだろう。だからいつも楽しい事を——暇つぶしの材料を探しているのである。クラストはそう思っていた。

 

 ただ困るのは、ガレルにとっての『楽しい』は、他人にとっての『迷惑』だということ。

 そして昔から何故かクラストはガレルに気に入られており、ちょくちょく迷惑をかけられている。三年前の事件しかりだ。

 今回もまた何かよからぬ事を企んでいるのではないかと、クラストが警戒するのも仕方がなかった。


「そんなに怖い顔しないでほしいな。僕は君の事を思って行動したのに」


 ガレルは悪びれずに言った。態度が偉そうなのはいつもの事である。


「そうだ、本題に入る前にちょっと言いたいんだけど、君、その服の扱いについて考え直した方がいいよ。想い人にもらった服を袋に入れて大事に金庫に仕舞っておくなんて、正直ちょっと変態臭いと思うんだ。しかもその服、一回も洗ってないだろう? 何? 洗ったら思い出も消えてしまうとでも思っているのかい? それとも服についた彼女の部屋の匂いが消えるのが嫌とか? だとしたら、それって何かもう本当にド変た——」


 クラストに剣を突きつけられて、ガレルはやっと口を閉じた。

 こう見えて二人の仲は悪くないはずである。少なくともガレルはそう信じている。

 

「服を盗んで何をしようとしていた?」


 もう一度クラストが問う。

 ガレルは観念したように息を吐いた。


「彼女をこちらに呼び寄せようとしていたんだよ。クラストの『異世界の君』を」


 予想とは違ったガレルの答えに、クラストは動揺して固まった。目を見開いて、なんとか言葉をこぼす。


「詩織、を……こちらに……?」

「そうだよ。そしてそれには彼女の持ち物が必要だった」

「だが……服は詩織のものではない。選んで買ったのは彼女だが、着ていたのは俺だ」

「そう、だからやっぱり僕もその服では駄目だと思った。だけどよーく調べてみるとさ……」


 ガレルはそこで一度笑みを漏らした。


「その服についていたんだよ。一本だけ、彼女の髪の毛が」


 クラストの瞳に光がともる。しかし心の奥底から湧き上がってくる”期待”や”希望”といった感情を、表に出ないよう必死に押し留めた。

 その髪の毛で召移魔術を成功させられるとして、どうなる。

 本人が望んでもいないのに、彼女を無理矢理こちらの世界に引っ張ってきて、どうなるというのだ。

 クラストはそう思うものの、ガレルに聞かずにはいられなかった。


「それで……その髪は? 召移魔術をやったのか?」

「ああ、やったよ。昼間にね」


 ガレルの返事を聞くと同時に、クラストは彼に詰め寄り、その肩をきつく掴んだ。


「なら、詩織は? 詩織は今どこにッ……」


 手のひらに感じていた抵抗が霧散する。

 目の前にいたガレルが、煙のように消えたのだ。


「いたた……僕の肩の骨を粉砕する気かい? ちょっと落ち着きなよ」


 しかし次の瞬間には、ガレルはクラストから離れた部屋の隅に立っていた。そして少しきまり悪そうに言う。


「召移魔術は試したけれど、成功したとは言ってない」

「失敗したのか……?」


 クラストが内心がっかりしている事に、ガレルは気づいた。


「残念ながら。術を発動させても、召移陣には誰も現れなかった」

「なら、詩織は?」

「ここにはいない。術は失敗したんだから、あちらの世界で今も普通に生活を送っているはずだ」

「……そうか」


 クラストは落胆したように言った。自分だけの事を思うなら、とても悲しい。心臓がねじ切れそうなほど。

 しかし詩織の事を思うなら、これで良かったと思う。失敗して良かった。

 

「もう二度と、彼女をこちらに呼ぼうとはするな。彼女にも彼女の生活があるんだ。いいな?」

「……君がそれでいいのならね」


 ガレルは肩をすくめた。落胆しているのはガレルも同じ。『異世界の君』がいったいどんな子なのか見たかったし、彼女と再会したクラストがどんな楽しい反応を示すのかも見たかった。



 しばらく部屋には沈黙が流れた。話が終わればさっさと帰るものだと思っていたクラストが、じっと床を見て動かない。

 しびれを切らせてガレルが聞いた。


「どうしたんだい?」


 クラストはゆっくり顔を上げると、懇願するような視線をガレルに向けた。


「俺を……向こうに送ってくれないか?」

「駄目だよ。前にも言ったはずだ」


 ガレルは真面目な顔をして即座に答えた。


「確かに僕にとっては、『異世界の君』をこちらに召喚するより、君を向こうへ送る方が簡単だ。知らない人間より知っている人間を動かす方が、はるかに容易い。だけどやっぱり、確実に成功する保証はないんだよ。それに……」

「それに?」


 ガレルはクラストに向き直った。


「この国の英雄を、おいそれと他の世界に送る事はできない。この国にとって、君は今や陛下と並ぶほど重要な人物だ。簡単に失う事はできない」

「英雄なんて、周りが勝手に呼んでるだけだ」


 詩織に会えないことで生まれる孤独感とか、いつまでも彼女の事を引きずる自分への苛立ちとか、そういう行き場のない思いを全部魔物にぶつけていたら、いつの間にか相手を綺麗さっぱり殲滅していたというだけ。

「しかし……」と前置きして、クラストは話題を変えた。


「意外だな。お前が国の事を考えているなんて」

「一応今は陛下の下で働いているからね。少なくないお給料も国から貰って贅沢もしている。その分の働きくらいはしようと思うよ」


 瞳を伏せ、笑って言うガレル。

 数秒考えた後で、クラストは改めて言った。


「……ずっと向こうで生活する訳じゃない。ただ、礼を言いに行きたいだけだ。すぐに戻る。詩織だって俺に長居されるのは嫌だろうしな。なんせ俺は向こうでは何の役にも立たないんだ」


 自嘲するようにクラストは笑う。剣を持って外に出たら、『警察』という組織に捕まってしまうような世界だ。騎士が活躍できるはずもない。

 ガレルはそれでも首を振った。


「駄目だよ。礼を言いに行くだけとか言って、実際向こうに行って『異世界の君』の顔を見たら、君は離れたくないと思うに決まってるんだから。強制的にこちらに戻したとしても、未練が深まるだけだろうし」


 そこまで言うと、からかうように調子を上げて続けた。


「君はもっと自分の未練ったらしい性格を知った方がいい。女性に興味が無いみたくさっぱりしているように見えて、想い人からもらった服を三年も金庫に仕舞い続けるような男だよ。しかもそれを誰かに盗まれていないか、毎日確認しているような男だよ君は。一体誰があんな服盗むって言うんだい?」

「お前だろ」


 クラストが辛辣に言った。

 しかし「未練ったらしい」という部分について、ガレルの言う事はもっともだとも納得する。未だに彼女の事を想い続ける自分……。

 クラストはその女々しさを断ち切るように息を吐いて、くるりと体を反転させた。


「帰る」


 そして扉から廊下へと出る寸前、ガレルの方を振り返って忠告を残した。


「もう俺の事にも、彼女の事にも首を突っ込むなよ」



 クラストが離れて行ってから、ガレルはポツリと呟いた。


「やだなぁ、分かりやすくしょんぼりしちゃって」


 後ろ姿が捨てられた犬のようにしゅんとしていた事に、彼は気づいているのだろうか? 三年前、こちらの世界へ戻ってきた直後のクラストも、まさにあんな状態だった。

 月日が経って傍目には持ち直したように見えるものの、クラストがずっと『異世界の君』——シオリの事を求めているのは明白だった。他の者は知らないだろうが、少なくともガレルの目には明らかだったのである。

 今回ガレルが召移魔術を試みたのも九割は興味本位からだが、残りの一割はクラストのためであった。寂しい割合だろうと、ガレルが他人のために動くというのはとても珍しいことだ。


 たぐいまれなる魔術の才能を持ち、凡人とは違う人生を送ってきたガレルにとって、クラストはある意味特別な存在だ。魔術と剣という違いはあっても、クラストもまた才能ある天才だから。

 自分と同じステージに立っている、唯一の人間。

 簡単に言うと、愛着がある。クラストが幸せだと、なんとなく自分も幸せでいられる。そんな気がするのだ。


 だからシオリをこちらの世界に呼んでやろうとしたのに、クラストは余計なことはするなと言う。

 

「かといって、もう一度召移魔術を試せと言われても、シオリの髪をなくしてしまったから無理なんだけどね」


 ガレルはごちゃごちゃと散らかっている自分の部屋を見渡した。この空間のどこかに落としてしまった髪の毛を見つけるのは、おそらく永遠に無理だろうと思いながら。

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