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リングリング  作者: 三国司


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34 嫉妬と勘違い、のち……

「俺はもう店に戻るが——こいつらが散々荒らしてくれたらしいから片付けしなきゃなんねぇしな。お前は全快するまでここで休ませてもらえ」


 ロッシェがシャイルをちらりと見つつ、詩織に言った。


「うん、シラバスさんの許可貰ったら、店戻る」

「ちょっと待ってくれ、詩織」


 と、そこでクラストが待ったをかける。

 詩織の前まで移動してくると、その両肩を掴んで視線を合わせた。


「別にもう仕事はしなくてもいいんだ。生活なら俺がいくらでも面倒をみる。というか、みさせてくれ。俺が日本でどれだけ世話をかけたか」

「そ、そんな! 日本での事は別に気にしなくていいって」


 クラストは日本語で話しかけてきてくれるので、詩織も日本語で返す。

 軽く掴まれた肩が緊張でこわばった。クラストに触れられるとドギマギしてしまう。顔が赤くなっているのに気づかれるのではと心配し、うつむいた。


「それに仕事は好きで続けるつもりだし、むしろ今の私から仕事を奪われたら……。とにかく私はロッシェと店に戻るよ」

「彼はあまり信用できない」


 クラストが眉間にしわを寄せて言うので、詩織は苦笑いしてしまった。日本語で話しているから、ロッシェは何を言われているか分からないだろう。


「確かに、見かけがアレだしね。私も最初はすっごい怪しいと思ったよ。今でも善人なのか悪人なのかよく分からないし。でも根はいい人だと思うよ」

「だが、あの男は詩織に媚薬を作らせていたんだろう?」

「でももうそっち系の商売は辞めるって言ってるし……。それにロッシェには私がこの世界に来た時に助けてもらった恩があるからね。彼がいなきゃ、私今頃、自分の体を売ってたかもしれないし」


 と、詩織はそこまで言ってから「しまった」と思った。目の前のクラストが石のように固まってしまっている。呼吸すら止まっているのではないだろうか。

 きっとこれでまた自分を責めてしまうのだ。クラストは責任感が強く、優しいから。


「あの、だからとにかく私が言いたいのは、ロッシェは結構信頼できる人だよってこと。私に仕事と住む場所と知識をくれた人だから、あまり悪く言わないで。恩人なの」

「……っ」


 詩織が困ったように言うと、クラストは何かに耐えるようにぐっと顔をしかめた。


「俺がすべきだった事を、あの男が詩織にしてくれたんだな。俺がすべきだった事を……」


 と、苦しげに呟く。

 その後一度目を閉じ、感情を抑えるように息を吐くと、さっとロッシェの方に歩み寄って行った。


「前に一度会ったな。俺はクラスト・オーフェルトだ。まさかあの店で詩織も働いているとは思わなかった」


 クラストがこちらの言葉で話しかけると、疲れた様子だったロッシェも片方の口角を上げ、いつも通りの悪い笑みを浮かべた。


「あぁ、あの時はどうも」

「詩織が世話になったようで、俺からも礼を言う」

「英雄サマに礼を言われるなんてとんでもない。これは俺と彼女との間の事ですから」

「ロッシェ!」


 クラストが目をすがめてちょっぴり凶暴な顔つきになったので、詩織は慌ててロッシェを止める。クラストは責任感の強い真面目な人なのだから、からかうのは止めてほしい。

 詩織が睨むと、ロッシェは悪戯が見つかった子どものように肩をすくめた。


「もう、さっさと店戻る! クラストに余計な事言わない!」


 ぐいぐいとロッシェの背中を押して、クラストの前から追いやろうとする。

 じゃれているような二人の様子に、クラストが表情をなくした。「クラストに余計な事を言うな」という詩織のセリフにも、言外に「部外者なんだから」と言われているようで胸をえぐられたらしい。

 彼は恐ろしいほど真剣な顔をして、再度詩織に詰め寄った。ロッシェの背に触れている詩織の手を拘束し、強制的に自分の方へ向き直らせる。


「待ってくれ。もしかしてその男が詩織の恋人なのか? そういえばさっきも彼の事を悪く言うなと言っていたな」


 今まで詩織に話しかける時は日本語を使っていたクラストだったが、今はそんな余裕すらないのか、こちらの言葉でやたらと早口に責められた。

 詩織はそんなクラストの様子に少し驚きつつ、オドオドと日本語で言った。


「や、だからそれはロッシェが恩人だからで……それ以外の意味はないよ。恋人なんて有り得ない」

「本当か? どうか嘘はつかないでくれ。詩織にこちらで恋人ができたと言うなら、俺がそれをとやかく言う権利はない。もちろんそうだ。……だが、せめて相手の男が誰なのか教えてくれ、頼む。君の心を奪ったのが誰なのか、知りたいんだ。信頼できる奴なのか? 一体どういう外見で、どういう性格をしていて、そいつのどこが気に入ったのか——」

「ま、ま、待って……落ち着いて! 恋人なんてこっちにもあっち(日本)にもいないから!」


 早口でまくしたてるクラストを止めようと、詩織は声を上げた。どうして彼がこんなに必死になるのか分からなかった。

 クラストは一瞬静かになって、僅かに首を傾げた。


「……本当に?」


 その仕草をちょっと可愛いと思いつつ、詩織は頷く。

 クラストはホッとしたように息をついて、輝くような笑みを浮かべた。


「よかった」


 眩しい。とても眩しい。

 詩織はその笑顔に思わず目を細める。

 そしてクラストはこんな提案をしてきた。


「だが、彼が君の恋人でないというのなら、一つ屋根の下で二人一緒に住み続けるのはどうかと思うんだ。あの店には一度行った事があるが、建物自体あまり大きくはないし、狭いだろう?」


 何が言いたいのかと怪訝に思っていると、クラストは誠実な口調で続けた。


「だから詩織は俺の屋敷に住めばいい。馬車も用意するから、毎日店まで通うのも苦ではないだろう」

「……え?」


 私が、クラストの家に?

 大好きなクラストと一緒に暮らす?


 それは普通に考えれば喜ぶべき提案なのかもしれない。しかし今の詩織にとっては拷問にも等しい。

 婚約者のいるクラストの家に、居候させてもらうなんて……。

 肩身が狭すぎるし、きっと精神的にとんでもない苦痛を味わう事になるだろう。毎日クラストと顔を合わせて彼の格好良さや優しさを改めて実感するたび、しかしこの人は自分のものではないのだと失恋の傷を深くえぐる事になるのだ。

 そんな生活をしていたら、いつまでたっても傷なんて癒えやしない。

 詩織は青くなって叫んだ。


「絶対やだっ! クラストと一緒に住むなんて!」


 日本語で言ったため、シャイルやロッシェ、ガレルには意味が通じなかっただろう。けれどもちろん、クラストにはばっちり伝わった。むしろ伝わり過ぎて彼の心臓に穴を開けた。

 クラストはしばし無言でその凄まじい破壊力を持った言葉を受け止めた後、ショックで軽く手を震わせながら、詩織の肩を恐る恐る掴んだ。


「……やはり怒っているんだな? 詩織がこちらに来ていた事に二ヶ月も気づけなかった俺は……もう、君に許してはもらえないと……嫌われてしまったと……そういう……」


 クラストの言葉はだんだんと小さく消えていった。

 詩織は「違う」と首を振る。


「そういう事じゃないって! それは関係ない。もう怒ってないって言ったじゃない」

「だったらどうして……!」


 クラストはこちらの言葉で、詩織は日本語で会話をしていた。お互い言葉に気をつけるほどの余裕がないらしい。

 奇妙な二人のやり取りを、シャイルは少しハラハラしながら——クラストが詩織に手を挙げるとでも思っているのだろうか、いつでも止めに入れるように——注視し、ロッシェとガレルは落ち着いた様子で見守っていた。ただの痴話喧嘩のようなものだと思っているのだ。


「頼む、理由を言ってくれ。でなければ、君をあの店には帰せない。君があの男と毎夜同じ家で眠っているのかと思ったら——」


 そこでクラストは、燃えるような瞳でロッシェをひと睨みした。


「——嫉妬でおかしくなりそうだ」


 クラストなら有り得るねぇ、と、ガレルが呑気に相づちを打つ。この場で緊迫している空気を出しているのは、クラストと詩織、そして息をのんでやり取りを見守っている部外者のシャイルだけだ。

 詩織は耐えかねたように首を横に振る。目尻に溜まった涙が今にも溢れ出しそうになった。


「嫉妬なんて……! どうしてそんな事言うの? 私に期待させるような事……。ひどいよ、クラスト」


 漏れ出そうになる嗚咽を呑み込んで、詩織はキッと相手を睨んだ。

 大好きなクラストを。


「婚約者がいるくせに……!」


 私はずっとクラストが好きだったけど、潔く身を引こうとしてるのに!

 気づけば詩織はみっともなくそう泣きわめいて、クラストの胸を両手でぽかぽかと叩いていた。


「面白い光景だな」

「何を言ってるのかはわからないけれどね」


 感慨深げにロッシェが呟き、ガレルが軽く言う。シャイルは詩織を止めるべきかと、少しあわあわしていた。

 そしてクラストは、「俺の服のボタンに当たって怪我をする」と攻撃してくる詩織の手の心配をしつつ、聞き捨てならない彼女の発言に気を取られていた。


「詩織、落ち着くんだ。ちょっと待て。ずっと俺の事が好きだったって、本当に……? いや、そっちも重要だが今は置いといて……」


 クラストもだいぶ混乱しているようだった。可愛らしい攻撃を仕掛けてくる詩織の両手を捕まえながら、何とか話を整理しようとしている。


「俺に婚約者がいるって……もしかしてカトレア王女の事を言っているのか?」

「そうよ、離して……!」


 拘束から逃れようとする詩織を、しかし決してクラストは逃がそうとはしなかった。片手で詩織の両手首をがっちりと掴んで、もう片方の手を詩織の頬に添える。

 ぐっと顔を上げさせられて、詩織は涙に濡れた瞳でクラストを睨みつけた。

 しかしどんな攻撃も、今のクラストには通用しない。「私はずっとクラストが好きだった」という詩織からの言葉を得た、今のクラストには。

 彼は本来の余裕を取り戻し、日本語で詩織をなだめるように優しく囁いた。


「詩織、違うんだ。確かに周囲ではそんな噂が……俺とカトレア様が婚約したなどという噂が密かに広まっているが、それはでたらめだ。正直に言うと、陛下からは婿に来ないかと言われた事もある。お前になら娘をやってもいいと。おそらくそれが誰かから漏れて噂になったんだろうな。けれど陛下は本気でおっしゃった訳ではないし……なんせあの方はカトレア様を溺愛しておられる。本音では、一生娘を結婚させたくないと思っていらっしゃるんだよ」


 そう言って、クラストは困ったように笑った。

 しかし詩織はまだ笑えるような心境ではない。詩織の険しい顔をみて、クラストが先を続ける。


「しかし半分冗談とはいえ、陛下からのその話を俺はきっぱりと断った。俺には心に決めた人がいるからだ」


 そこでクラストは、とろけるような笑みを浮かべて、涙の浮かぶ詩織の目尻に口づけた。


「……!?」


 突然のキスに、詩織は大きく動揺する。

 しかしその行為には、鈍い詩織でも勘づくほどの深い愛情が込められていた。クラストの唇には、確かな温もりがあったのだ。


(え? え? ……え? まさか……) 


 さすがの詩織も彼の想い人が誰なのかに気づき、その瞬間、かぁぁと頬を赤らめた。

 胸の奥にあった黒いもやが、瞬く間に晴れていく。

 

(クラストも、私の事が好き……?)


 信じられないような、夢みたいな事実。思わず頬をつねってこれが現実か確かめたくなったが、両手は相変わらず拘束されたままなので叶わない。


「私の事が忘れられなかったから、婚約の話を断った……?」


 確認するように詩織はクラストを見上げた。その声は内に秘められた喜びのせいで僅かに震えている。

 クラストは先ほどからずっと甘さを含んだ優しい笑顔を詩織に向けている。


「そうだ。今やっと気づいたのか? 日本にいる時から、ずっと俺の心は君が捕えたままだったというのに」


 そうしてもう一度、今度は頬に口づけを落とした。詩織はクラストが自分を好きだったという事実に気を取られていて、再びキスされている事に意識を向けられていない。

 詩織が腕の中で大人しくしているのをいい事に、クラストは続けて唇の端にも口づけた。シャイルが口をぱくぱくと開けて震えている。

 糖度をたっぷり含んだクラストの言葉は止まらない。詩織から好かれているという事実を勝ち取った彼は今”最強状態”で、決して誰にも止める事はできないのだ。


「可愛いな、詩織。カトレア様に嫉妬していたのか? 俺の愛する人は君だけだ。それはこの先一生、永遠に変わる事はない」


 この展開にまだついていけていない詩織が顔を赤くして混乱している間に、クラストはさっさと、しかし深くじっくりと詩織の唇を奪っていった。


「……んっ」

「詩織、もう二度と君から離れないと誓う。そしてもう二度と君を離しはしない」

「ん、あの、ちょっと……んんッ、待っ……」


 病み上がりに激しく唇を奪われた詩織は、長い口づけが終わった後、クラストに抱きしめられるがまま、くったりとその体に寄りかかった。




 ちなみにすごい美女だと詩織が勝手に想像していたカトレア王女は、実はまだ8歳のあどけない少女だと知ったのは、そのすぐ後のことだった。

 王族に興味のないロッシェはその事を知らなかったらしいが、詩織が彼に怒りをぶつけたのは言うまでもない。


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