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リングリング  作者: 三国司


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31 幻

 自分は熱に浮かされて、幻を見ているのだ。

 詩織はそう思った。

 今、この部屋にいる彼は、高熱が生み出した幻影。


「クラ、スト……」


 苦しい呼吸の合間に、彼の名前を紡ぐ。

 幻でも何でも構わない。彼の姿を目に映した瞬間、詩織は両腕を支えにして、思わず上半身を起こしていた。

 頭がくらくらして倒れそうだが、ここで気を失えばせっかくの幻が消えてしまう。そんな恐怖もあって、詩織は必死で意識を保とうとした。


 目を見開いたまま微動だにしないクラストだが、その外見は相変わらず完璧だった。三年前より大人びた魅力があって、そして騎馬試合のパレードの日に見た時と同じく精悍で美しい。

 優れた彫刻作品だと言われても疑問を抱かないような姿だが、しかしそこにはクラストの内面の穏やかさや優しさ、男らしさや勇敢さも滲み出ていて、彼を人間らしく彩っている。


 三年前、何度も目を奪われ、心を奪われた彼がそこにいる。

 この辛い状況の中で、幻かもしれないが、彼が側にいてくれている。

 目頭が熱くなって、涙がこぼれた。


 クラストとの再会に抱いていた不安——クラストはこっちの事を忘れているんじゃないか、あるいは覚えていたとしても鬱陶しがられるんじゃないか、とか、今現在容疑者という立場にいる自分ではクラストと会っても迷惑しかかけられないから、とか、婚約者の王女様の事とか——それら全ては、この瞬間だけは詩織の中から消えていた。

 もしくは消えたのではなく、もっと大きな喜びの波にのまれてしまったのかもしれない。


「クラストっ……!」


 残っていた体力を使い切って、詩織はベッドから立ち上がり、駆け出した。すぐに足はもつれて前のめりに倒れそうになったものの、それすら利用してクラストの胸に飛び込んだ。


「会いたかった、ずっと……!」


 今さら隠すのも馬鹿らしい本音。

 抱きつかれて迷惑に思われてるかも、という不安は心の片隅にあったが、詩織は今、相手の気持ちを考えている余裕はなかった。背の高いクラストの首元に腕を回し、身をすり寄せる。二人の間に隙間があれば、三年前の別れの時のように、また簡単に引き離されてしまいそうで怖かったのだ。


 詩織はそこにいるのを確かめるように、何度もクラストの名を呼んだ。




 愛しい人の声で何度も名を呼ばれながら、クラストは固まったままだった。

 確かに自分は詩織の字で書かれた帳面を見た。それで急いでここまでやってきた——詩織がこの世界にいるのだと確信を持って来たのだが、しかし実際にその姿を見ると、何だかすべてが夢のように思えてきた。

 詩織に会いたいという自分の想いが強すぎて、ついに幻覚を見るようになってしまったのだと。


 そうでなければ、こんなの都合が良すぎる。

 詩織が「会いたかった」と言って、泣きながら抱きついてくるなんて。

 これは自分が作り出した幻に違いない。


(だが、それでもいい)


 この幻が消えてしまった後、きっと強烈な虚しさを味わう事になる。それを分かっていても、クラストに出来る事はひとつだった。

 この幸せな幻覚を受け入れる事。

 泣いて縋り付いてくる詩織を、どうして拒否する事など出来るだろうか。少なくともクラストの精神力では無理だった。


「詩織……」


 憎い事に、魅惑的な感触までしっかりとある彼女の幻を抱きしめながら、クラストは熱い吐息をこぼした。彼女の甘い体臭が頭をとろけさせる。

 詩織、詩織と、クラストもまた腕の中の愛しい人の名を連呼して、涙に濡れた目尻に、頬に、しつこいほど口づけを落としていった。


「詩織?」


 ふと気づけば、彼女は意識をなくしてぐったりしていた。先ほどまで自分の首に回されていた細い腕も、今は力なくだらりと下に伸ばされている。


「どうしたんだ?」


 幻とはいえ、体調の悪そうな詩織の様子を見て、クラストの心臓はぎゅっと縮んだ。慎重に彼女の様子をうかがう。

 顔は赤く上気していて、体は熱を持っている。柔らかな弧を描く眉は苦しげに歪んでおり、薄く開いた赤い唇からは熱い吐息が——



「……な、何をしているっ!」


 シャイルの絶句する声が聞こえて、クラストはハッと我に返った。詩織の唇が放つ誘惑に耐えきれず、そこに深い口づけを落としていたのだ。唇を塞がれて、詩織はさらに呼吸を荒くしている。


「いきなり何なんだ貴様は! 彼女を放せッ!」


 目の前で刺激的な光景を見せつけられ、シャイルは真っ赤になって怒鳴った。詩織を取り返そうと、躍起になって手を伸ばしてくる。

 しかしその行動はクラストの怒りを煽った。

 詩織を腕に抱いてとろけていた表情が、一気に冷気を帯びる。自分から詩織を引き離そうとする者は、クラストにとっては全員敵だ。


「俺の幻(詩織)に触るな」


 冷えた瞳と鋭い声で威嚇する。

 クラストは腰に携えている剣を抜いた訳ではない。が、シャイルはその刃を喉元に突きつけられたかのように動けなくなった。

 よくも悪くもシャイルに寛容だったクラストにこんな風に牽制されたのは初めてで、その威圧感に圧倒される。悔しいが、この状態のクラストから詩織を取り返す勇気はシャイルにはなかった。


 クラストはシャイルから視線を外すと、野生の獣さながら、注意深く室内を見渡した。他に詩織を奪おうとする『敵』はいないかと。

 少し離れたところには二人の牢番と私服姿の青年がいて、皆、驚きの表情でこちらを見つめていた。牢番たちは目を丸くしたまま無言で動かないが、私服の青年は「本当に知り合いだったのかよ……」とか、「絶対勝ち目ねぇ」とか呟きながら頭を抱えている。

 彼らは敵ではないと判断し、また視線を動かすと、部屋の奥の暗がりでよく知った魔術師を発見した。


「……」


 こちらから目をそらして壁と一体化しようとしているらしいが、彼の派手さからして、それは到底無理だった。

 クラストは詩織を抱いたまま、ぽつりと言う。

 

「ガレル? 何故お前がこんな所に……」


 ここは、華やかな場所を好む彼が望んで来るような場所じゃない。暗い深海で、鮮やかな赤い鳥を見つけたような違和感……。

 クラストはガレルと詩織を交互に見た。そして一つの可能性を見つける。

 ドクドクと心臓が早鐘を打つ。

 この腕にいる詩織は、もしや幻ではなく——


「ガレル?」


 答えを求めてガレルを見る。全てを言葉にしなくても、聡い魔術師はクラストが問いたかった内容をきちんと把握して、返答した。


「……つまりあれだよ。二ヶ月前に行った召移魔術は、完全に失敗した訳じゃなかったって事」


 ガレルはクラストからの罵倒を覚悟していたが、しかしそれは杞憂だった。少なくとも今この瞬間、クラストにとって大切なのは、詩織がこちらの世界にやって来た事に気づかなかったガレルを罵る事ではなかったのだ。


「っ医者を……!」


 クラストは詩織を抱え上げると、急いで拘置部屋から出ていこうとした。彼女が幻ではなく本物だというなら、この熱を持った熱すぎる体も本物。詩織は現実に苦しんでいるのだ。ならばそれを解消してやるのが、クラストにとっての最優先事項。

 けれどそこで、またしてもシャイルの邪魔が入った。先ほど学習したからか、今度は手を伸ばしては来なかったものの、『副隊長』という肩書きに負けぬ説得力のある口調でクラストを止めようとする。


「待て! 彼女を勝手に連れ出す事は許さない。お前と彼女がどういう関係だか知らないが……心配せずとも医者は呼ぶ。だから彼女はここへ置いておくんだ。彼女に病室での安静が必要だという医者の診断、そして陛下とうちの隊長の許可が下りて初めて、容疑者である彼女をここから出す事が出来る。それが規則だ。貴様も騎士ならば、その規則に従え」


 シャイルの言葉に、部屋を出ていこうとしたクラストはゆっくりと振り返った。その腕の中で、詩織はぐったりとしたままだ。


「俺を誰だと思っている」

「…………は?」


 シャイルは片眉を上げた。自分はそのセリフをよく口にするが、クラストから聞いたのは初めてだ。


「俺はこの国の英雄だぞ」

「何を……」

「一介の騎士とは訳が違う。陛下から、多少の勝手も許すと言われている」


 もっとも、言われただけで、今まで本当に勝手な振る舞いをした事はなかった。そんな風に己の立場を利用するのは、クラストにとって忌むべき事だからだ。


 けれど詩織を助けるためならば、英雄という立場などいくらでも使ってやる。そんな気持ちだった。

 誰に軽蔑されてもいい。王からの信用を失っても構わない。

 高熱を出している詩織を、この寒くて暗い部屋に閉じ込めておく事の方が耐えられない事だった。

 

「俺の責任で詩織をここから出す。誰にも文句は言わせない」


 クラストはシャイルにそう言い残し、詩織を連れて部屋を出ていった。

 

 

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